2018年10月30日
「死」の連絡
1906年4月9日、フランクフルト精神病院の研修医から、アルツハイマーに電話が掛かってきました。
彼は当時、クレペリンとともにミュンヘン王立精神病院へ移り、解剖学研究室を主宰していました。
電話は、「アウグステが昨日亡くなった」ことを告げるものでした。
アルツハイマーはかつての上司に、カルテの他、顕微鏡で調べるためにアウグステの脳を提供してほしいと頼みました。
彼は、比較的若いアウグステには、健忘症と病的嫉妬という症状の背後に、これまでに知られていない特異な病気があるのではないかと推測していたのです。
こうして入手したカルテの一つ=写真=には、アルツハイマーの最後の署名のある、次にあげる1902年6月記載のものもありました。
「アウグステ・Dは診察しようとすると相変わらず拒否的で、泣き叫び、叩いたりする。彼女は不意に、しばしば数時間にわたり泣き続け、そのためベッドに押さえつけなければならない。食事に関しては、彼女は予め決められた食事をもはや摂ることができない。背中にはできものができている」
ていねいに紐で綴じられた濃紺の表紙には、
フランクフルト市立精神病院
アウグステ・D(旧姓H)に関する病歴
年齢:51歳
宗教:キリスト教改革派
1から12までの連番の欄には、項目として「入院」と「退院」が記載され、1番の入院の欄には「1901年11月25日」が、退院のところには定規で横線が引かれ、2番から12番までの欄はていねいに右上から左下にかけて車線で消されていました。
harutoshura at 20:33│Comments(0)│アルツハイマー考