ねえちゃの近況
2016年02月08日
はじめに
このブログは、高齢化がすすむなか急増し、私も含めてもはや誰もが他人事ではなくなってきたアルツハイマー病と、もの忘れがすごくひどくなって周りに迷惑をかけることが多くなった一人のごく普通のおばあさん、“ねえちゃ”に関する覚書です。
ねえちゃは、このおばあさんを大切にして、いつも気遣ってくれている郷里の姪や甥たちの愛称です。ねえちゃはいまは、カラダのほうはすこぶる元気。平凡ですが、それなりに楽しい老後を送ろうとしています。
ねえちゃと接しながら、そしてアルツハイマーという病気について少しずつ勉強を重ねながら、人間についての私なりの探究ができたらいいなと思っています。
2016年02月09日
お隣のお葬式
ちょうど昭和から平成に変わったころ、「ねえちゃ」は、5年前に死んだおじいさんと、いまの家に引っ越してきました。分譲住宅として売り出されていた区画の、最後の一戸だったそうです。
ちょうど同じ時期に住みはじめ、ずっと親しくしてきたお隣のおばあさんが、年明け早々に亡くなりました。「ねえちゃ」より一回り上の90歳を過ぎたかたです。
年をとってからも一生懸命に働き通している姿などを見て、「ねえちゃ」はずっと尊敬し生きる励みにしてきたのだそうです。そんな大切なお隣さんの死に、彼女はなんだかとても動揺したようです。
お通夜やお葬式の日取りを聞いては忘れ、聞いては忘れて、何度も何度も隣近所の人たちを訪ねまわったり、1月8日にあったお葬式の直前になって急に「行きたくない」と言い出して困らせたり。
それでも、神道で行われたお葬式に参列して玉串奉奠をさせていただくと、気持ちがふっ切れたようでした。終わってから葬儀場の向かいの喫茶店に入って「来てよかった。よかった」と晴れ晴れした顔つきで、マロンケーキを一つ平らげました。
2016年02月10日
散歩とスーパー
「ねえちゃ」は、天気と気分がいいときには、万歩計機能の付いた携帯電話をもって散歩にでかけます。
だいたい同じコースを歩くようですが、最近はたまに「どこにいるのか分からなくなっちゃった」と、SOSを発することも出てきました。
そこで一案。散歩の途中でもし迷ったら、「スーパー『**屋』はどこですか」と家のすぐ近くにある通いなれたお店の名をあげて、近くにいる人に道順を聞く。ということを忘れずに守ることにしました。
そんなこともあって最近は、ひととおり歩いた最後にそのスーパーに寄る、というのが「私の散歩コース」として本人のなかでも定着しつつあります。
ただし、そう決めてから、たこ、いか、納豆など、毎日のようにスーパーで同じものを買ってきては冷蔵庫にあふれかえる、という新たな事態が発生するようになりました。
2016年02月11日
日記
「ねえちゃ」は、日記を書いたりノートに記録したりするのがとても好きです。「3年日記」や「5年日記」をもう20年以上、毎日忘れずに続けています。
ほかに、毎日、血圧を測って書きためた「血圧手帳」はもう13冊になりました。散歩の歩数を記した「歩数ノート」も、ぎっしり数字が埋まっています。
さらに、むかしやっていた菜園に関する日記や、編み物について細かく綴ったノート、連れ合いの病気にかかわる記録なども出てきました。
まだ結婚して間もないころ、三日坊主でやめてしまった夫の日記帳の余ったページを使って、「ねえちゃ」が代わりに細かく綴っている日記もあります。
もの忘れが多くなった最近は、忘れても思い出せるように何でもメモしておこうと忘備録的なノートも何冊か作りました。
でも、せっかく書いても、それを見るということを忘れてしまっているのが常なので、いまのところあまり役立っているとはいえません。
いくらもの忘れがひどくなっても、日記だけは欠かさず律儀に続けているのは、本当に偉いなと思います。
ただし最近は、その日の日記をもう書いてしまっているのに、それを忘れて次の日付の欄にまた書いて、と1日に2回、つまり「あしたの日記まで書いてしまう」という、ちょっとしたミステイクがしばしば起こっています。
2016年02月12日
夫の病
「ねえちゃ」は、5年前に亡くなったおじいさんと52年間連れ添いました。このうち後半の20年ほどは、連れ合いの病気の世話とお酒との闘いに追われる日々だったようです。
山崩れや地滑り、洪水対策など、山奥で治山・治水の仕事に携わっていた夫は、いつも危険と隣り合わせでした。まだ30代で子どもも小さかったころ、橋から転落して1週間くらい意識不明になり、死を覚悟したこともありました。
年をとってからも、胃がん、高血圧症、腰痛など、いろんな病気を患いました。そんな中でも「ねえちゃ」がいちばん辛く、ショックだったのは、お酒の病だったようです。
結婚したてのころから、連れ合いは仕事が終われば飲む毎日でした。山のなか、遠くにある酒屋さんまで歩いて行っては、重たい瓶を抱えて帰ってくる。それが「ねえちゃ」の毎日欠かせない「思い出すのもイヤ」な大仕事でした。
それでも飲むだけ飲んで、寝て起きれば山を歩き回って仕事に明け暮れている、そんなむかしは、まだよかったようです。やがて定年を迎えると、朝から晩まで飲みつづけてという生活が始まってしまったのです。
2016年02月13日
美容院
散歩に行っても道に迷うようになってきて「ねえちゃ」は最近、外出することにすごく臆病になってきました。そのため、美容院に行くのも随分ご無沙汰になっていました。
そんな矢先の昨日の朝、近所で親しくしていただいている奥さんがさそってくれて、車で美容院へ連れて行ってもらいました。いつも行っているのとは別の、初めてですがなかなか気持ちのいいところだったそうです。
これまでボサボサにしていた髪がすっかり整って、気持ちまでスッキリしたみたいです。髪の毛が少ない私にはわかりませんが、やはり、いくつになっても特に女性にとって「美容院」というところは、特別な場所なのでしょう。
2016年02月14日
依存症
最近、整理をしていて出てきた「ねえちゃ」のノートは、こんな記録からはじまっていました。
「11月13日午後2時より精神保健センターに出向き、保健婦と面会2時間程お話を聞いてから、お医者さんよりアルコール依存症と診断された時には入院、治療する方向と考えなければと云われる。ショック。アルコール症治療のしおりをもらって来る。目がぱっちりしてくる」
ノートに挟んだり、貼りつけてある新聞の切り抜きからすると、どうも、いまから20年前の1995年に記したもののようです。
1995年といえば、阪神大震災やオウム真理教事件など大ニュースがたて続けにあった年ですが、「ねえちゃ」にとっては夫のアルコール依存症という一大事が「勃発」した年だったのです。
連れ合いの「唯一の趣味」といってもよかった「お酒」が、いつ治るとも知れない病気になってしまった。その「ショック」は計り知れないものだったにちがいありません。
2016年02月15日
外出の悩み
「ねえちゃ」はバス旅行が好きで、以前は、近所や元の職場の人たちとよく温泉や名所に出かけていました。連れ合いが亡くなってからも、県内のお寺巡りのツアーに月1回くらいのペースで参加してきました。
ところが最近は、もの忘れがひどくなって、外出する自信がすっかり失せてしまったようです。
バスで出かけるのを楽しみにしていた、元職場の同僚たちとの旅行や、実家の冠婚葬祭も、いったんは行くことにしても、直前になって断わるのが常になっています。
そして断っても、断ったかどうかを忘れてしまって、何度も電話をして周りを驚かせることも増えてきました。
そんなこんなで最近はめったに外出しなくなったのですが、きのう、久しぶりに元同僚の友だちからお誘いの電話がありました。
そんなには遠くない街の大きなショッピングセンターで会いましょう、という約束で「楽しみにしてます」と二つ返事でした。
しかし、いざとなってみると、約束の日時を間違えず、そこまで迷わずに行けるかどうか、すっかり不安になったようです。
「断ったほうがいいだろうか」。いつもの「悩み」がまたはじまりました。
2016年02月16日
生協
「ねえちゃ」は、昨年の夏、生協の会員になりました。しばらくは、何もたのまなかったのですが、毎週、手数料だけを取られるのももったいないので、秋になって少しずつ注文するようになりました。
マークシートの大きな注文用紙に書き込むのは、いまでも苦手ですが、毎週月曜日の午後3時、注文品をおねえさんが持ってきてくるのを待っていて、受け取るのは、習慣になってきました。
注文の中には、「ねえちゃ」の好物が必ず含まれています。秋のころは、柿、いまの時節は、酢ダコを、毎週たのんでいます。
ただし、届けてもらってすぐに食べてしまったのに、「来ていない。どうしたんだろう」と首をかしげていることが、しばしばあります。
2016年02月17日
愛犬
「ねえちゃ」の以前すんでいた家では、犬を二匹飼っていました。室内犬のマルチーズ「まり」と、番犬の柴犬「ころ」です。
いっしょに寝たり、いっしょに散歩したり、家族同然に仲良くしていました。けれど、やがて寿命が来て、二匹とも先に逝ってしまいました。
「ねえちゃ」は、その愛犬たちの死で味わった痛烈な悲しみが、いまも頭から離れないようです。
お隣も、親しくしていただいている近所のかたも犬を飼っています。「一人暮らしの心の支えになるよ。元気が出るよ」と犬を飼う話が浮上することがしばしばあります。
けれど、いったんはその気になりかけてもやっぱり、あの別れの悲しみを思うとどうしても踏み切ることができずに、躊躇してしまうのです。
2016年02月18日
母の死
糸を取るおばあちやんちのありしかな
「ねえちゃ」のふるさとを詠んだ私の句です。「ねえちゃ」は、長野県南部の飯田市の近くにある下條村の農家に生まれ、結婚するまでそこで暮らしました。
信州は養蚕の国。「ねえちゃ」の家でも、何よりも蚕(かいこ)が大切にされていました。「糸取り」は、糸を紡ぐ作業のこと。繭を煮て、鍋の湯の中に踊る繭から一本の糸を引き出していきます。
そんな糸取りが、「ねえちゃ」のおかあさんたちにとっても農家を支える重要な内職でした。農作業のあいまにきっと、汗をかきながら懸命に繭から糸を引いていたことでしょう。
「ねえちゃ」の実母は、一家でくつろいでいるときに突然、発作を起こして急死してしまったのです。まだ、50歳を少し過ぎたくらいの若さだったそうです。疲労などが引き金になって心不全でも起こしてしまったのでしょうか。
末っ子だった「ねえちゃ」は、まだ幼くて「母の死」というものをすぐにはのみこめなかったようですが、そのとき受けたショックは、いまも記憶に焼き付いたまま離れないといいます。
2016年02月19日
メッケル洞
2年くらい前、かかり付けの病院の定期検査で「ねえちゃ」の脳に、ちょっと判断の難しい影のようなものが見つかったので、と脳神経外科の専門病院でMRIなどによる精密検査を受けたことがあります。
眼の後ろの奥のほうに三叉神経が集まっている「メッケル洞」という空洞があるそうです。「三叉」というのは、眼神経、上顎神経、下顎神経の三つの神経に分かれる神経で、体の運動や知覚をコントロールする重要な役割を担う、脳内で最大の神経だとか。
精密検査の結果は、このメッケル洞に水が溜まっている可能性が高い、とのことでした。医師によると、最近の病変ではなく、子どものときからこうだった可能性もある。むかしは取り除く手術をしたこともあったけれど、最近はリスクをおかしてまで取る必要はないと考えられるようになった、そうです。
物忘れがはなはだしくなり、「泥棒が来た」などと突然いい出すようになったころだったので、「アルツハイマーとか脳血管系の痴呆の兆候のようなものは画像で見られなかったのですか」と尋ねると、医師は――
「痴呆は進んでこないと、なかなか画像ではとらえられません。脳血管もきれいで、特に変わったところは見られませんでした。お嫁さんを見たら、泥棒だと叫び出すくらいにならないと……」との返事でした。
2016年02月20日
お断りの「法則」
かつて勤めていた職場の同僚からの、近くのショッピングセンターで会いましょう、という約束、「ねえちゃ」はけっきょく、いつものように前日になって断ってしまいました。
旅行はもとより、いろんなイベント、「お茶」の集まりなど、友人知人からの誘いが来ると「ねえちゃ」は、いったんは快く引き受けるものの、その前日になると断るというのが、最近はニュートンの運動法則のように確かなパターンになってきました。
風邪をひいているのでも、熱があるわけでも、血圧が高いというわけでもありません。でも、「どうも気分がすぐれない、やる気が起きない。ダメだ」という思いが、前の日になると決まって頭の中を占領してしまいます。
「ねえちゃ」は、生真面目で、周りに失礼や不義理があってはならない、と人一倍考えるタイプです。物忘れがひどくなってきて、いざとなると行き慣れていたはずの約束の場所でさえ、どこだったか分からなくなってしまう。そうした不安が頭の中を混乱させて、「行けない」という結論にいたってしまうようです。
ひょっとすると「老人性うつ」的な要素も、関与しているのかもしれません。でも、行かなかったその日は、ほっと何かから解放されたようにたいてい明るくて元気。断ったことをケロリと忘れて、「楽しそうね。行けばよかった」なんて、笑いながら話すこともあります。
2016年02月21日
読書
「ねえちゃ」のいまの悩みの一つは、何もやることがないことです。いつか四国八十八か所巡りをしたいと言い出したことがあったので、ガイドブックを何冊も送ったのですが、ほとんど見ることなく興味はじきに失せてしまいました。
「眼はすごくいいんだから好きな本を借りてきて読んでみたら」と、歩いて5、6分の公民館の図書室へ本を借りに連れて行ったこともあります。けれど、1回借りてはみたものの、読まずに返しただけで、それっきり。
残念ながら本の面白さからも、必要性からも、近年はトンとご無沙汰、ということになってしまっているようです。
以前も紹介した、1995年と見られる夫のアルコール依存症の日記には、次のような記述があります。
「11月14日 お父さん、仕事に行かず休む。朝より本を読んで見るがあまりに大きなショック。全部がお父さんの症状に当てはまり、このまま生活をして行く事が出来るか不安になって来る。
お父さんにも読んでもらう。自分も少しは自覚した様に見える。仕事があるので、入院は困ると云う。二人で頑張ろうと云うと、頑張ると云う」
本を読み、本をよりどころにして、病気に打ち勝とうと懸命に努めていた時もあったのですけれど……。
2016年02月22日
夢うつつ
「きのうは、久しぶりにNさんたちと集まってべちゃくちゃ、いろいろ話が出来て、楽しかった。でも、誘ってくれた肝腎のKさんが来ないの。どうしちゃったんだろう」
と、「ねえちゃ」はいいます。何の話かな、と詳しく聞いていくと、どうも近くのショッピングセンターで約束していた、例の元同僚たちとの集まりのことらしい。
「ええ? 断ったんじゃなかったの。そう言ってたのに」
「ううん。そうだったっけぇ。じゃあ、あれは夢だったのかな」
「会う約束をしたという時間に家に電話をしたら、出たじゃない。もし行っていたら、電話に出られないでしょう」
「そうか、じゃあ夢だったんだね。最近、夢なのか現実なのか、なんだかよくわからないことばかりになっちゃって」
だれでも多少、夢とうつつが混ざり合うことってありますが、最近の「ねえちゃ」はその境界線が相当にあやふやになってきているようです。
「じゃあ、あのとき、歯がスコッと抜けちゃったのも夢だったのかしら?」と、周りを少し探していると、根っこの先からきれいに抜けた奥歯が一本、見つかりました。
どうも歯のほうは「うつつ」だったようです。さて、今度は久しぶりに歯医者へ行く算段をする必要がありそうです。
2016年02月23日
最寄りの歯医者
奥歯が1本取れてしまった「ねえちゃ」は、自宅から歩いて5、6分の、歯科医院に予約を取りました。覚えていないくらい久しぶりの歯医者さんです。
念のため、当日行けるかどうか心配になったから確かめて来ると、夕方、散歩がてら医院の場所を確かめに出かけていきました。ところが、なかなか帰ってきません。
だいぶ暗くなってから戻ってきたかと思うと「いや、たいへん。ちょっと暗くなると、道がわからなくなって、迷って、迷って。ホント、どうなるかと思った……」。
話を聞くと、歯医者までは無事にたどりつけたものの、日が長くなってきたのでちょっとそのへんまわって帰ろうと思ったところ、それが油断で、どこに居るのかわからなくなってしまった、とのこと。
「ねえちゃ」は、こんなふうに、ごく近所に出かけても道に迷うことが多くなってきました。そして、ときどき「おじいさんはヘベレケになるまで飲んだくれても、家にはちゃんと、たどり着いたのに」と、夫を思い出しては悔しがります。
2016年02月24日
キャンセルのメモ
抜けてしまった奥歯を治療するため、歯医者さんに予約の電話を入れた「ねえちゃ」でしたが、予約した水曜日に、お客さんが来ることになってしまいました。
そこで、きのう、歯医者さんにキャンセルの電話をすることになりました。が、いつものように、電話をしたかどうか記憶からすぐに消えてしまっています。
「忘れたときのために、どこかにメモをしてあるはず」と、あちこち探しまわって、やっと赤マジックで書かれた広告を切った紙が出て来ました。
そこには「H歯科へ、23日11時30分に電話。予約を取り消し、改めて予約し直すことにする」とありました。「電話をしたんだね」と本人は、ほっと一安心。
メモも、単に「取り消す」と書いただけでは、取り消し済みなのか、取り消すことにしたのか分かりません。そこで、行動したことを「23日11時30分」などと、日時を入れて書き込むように努めています。
そこらへんはだいぶ習慣になってきて、2度も3度も電話をして取り消したかどうかを相手に確認する、という騒動になることはだいぶ減ってきました。一歩前進です。
けれど、どこに書いたか分からなくならないように、メモはすべてコレと決めている一冊のノートにまとめて書き込む、という約束のほうは、残念ながらなかなか守るところまでいきません。
2016年02月25日
みすゞ飴
「ねえちゃ」は、5人ほどの兄弟姉妹の末っ子です。「ほど」というのは、本人も本当のところ、何人だったかははっきりしないというのです。
すぐ上の姉とも11歳年が離れています。ですから、だいぶ前に亡くなった年長の兄たちよりも、むしろ、その子どもたちのほうが「ねえちゃ」の年齢に近いのです。
そんな兄弟たちの中で、この世に居るのは11歳年上の姉と「ねえちゃ」の2人だけになってしまいました。
そんな大切な姉のところを訪ねるとき、「ねえちゃ」が決まっておみやげに持っていくものがあります。「姉さまの好物の『みすゞ飴』」です。
「みすゞ飴」は、「真田丸」ですっかり有名になった長野県上田市にある飯島商店が生んだ、果物の果汁と寒天を水飴に加えたゼリー菓子。同商店のサイトによると「試行錯誤の上、明治の末に完成し」ていたのだそうです。
さすがに、伝統の一品。柔らかいけれど適度な弾力があり、アンズ、ぶどう、もも、りんごなど信州産の果汁の風味と独特の歯ごたえがシンクロして、なんともいえない味わいが醸し出されています。
いつごろ「好物」になったのか、いつごろから「おみやげ」にするようになったのかは定かでありません。でも「みすゞ飴」が、残された姉妹の絆に一役買っていることは確かなようです。
きのう「ねえちゃ」のおいが、家にあそびに来てくれることになりました。そこで「ねえちゃ」は、朝から「みすゞ飴」を求めて、近くのスーパーに出かけました。
1度目は肝心の「みすゞ飴」を買うのを忘れて帰ってきてしまいました。が、忘れたのを思い出してもう一度、スーパーへ。
「よかった。2個だけになってたけど残ってた」と嬉しそう。訪ねてくれたおいに無事、姉の好物のおみやげをたくしました。
2016年02月26日
宅食
5年前に亡くなった「ねえちゃ」の連れあいは、家の食事はすべて手作り、スーパーの出来合いの惣菜で夕食を済ますなんてことは絶対に許さない人でした。
一人暮らしになって作ってあげる人もいなくなり、もの忘れも多くなった「ねえちゃ」は、料理をするのがだんだん煩わしくなり、実際、出来なくなってきました。
そこで、近年はやりの「ワタミの宅食」の「おかず」を取ることにしました。その日の夕食を、土曜・日曜以外の毎日、正午ごろには届けてくれます。その日の夜、電子レンジで「チン」をして食べます。
たとえば昨日のメニューは、アジの塩焼き、イカとカボチャの天ぷら、切干大根のごまドレッシング、コンニャクとニンジンの白和え、ポテトの真砂和え、漬物でした。
毎日、ちがうメニューが届き、栄養バランスにも気が配られています。これだけの種類を一人分だけ作るのは面倒でお金もかかるので、経済的でもあります。
当初は「それくらい私が自分で作ったほうが」と受けいれようとしませんでしたが、最近はすっかり「宅食」の生活がハマッてきました。
「宅食」を持って来てくれるおねえさんともすっかり仲良くなって、しばしの世間話も、楽しみにしているようです。
2016年02月27日
主治医
「ねえちゃ」は、お客さんが来たのでキャンセルした歯科医の予約を、きのうの午前10時半、ということで取り直しました。
ところが、前日までは行く気満々でいたのが、当日の朝、いつものように洗濯など済ませたのに、「何だか調子が悪いので行かない」と頑なに言い出し、またキャンセルしてしまいました。
風邪をひいたとか、熱があるとか、カラダのどこかが悪いとかいうわけではなく、外出しようと思うといつも「ねえちゃ」の中におとずれる、例の「お断り」のパターンのようです。
旅行や冠婚葬祭だけでなく、すぐ近くの歯科へ行くのも受け付けなくなってきた、というのは、ちょっとショックです。「ねえちゃ」は、カラダはすごく健康で、これまで、これといった病気にかかったことがありません。
だから年齢を重ねたいまでも、連れ合いが存命中にお世話になっていた街中の大きな病院へ3カ月に1度ほど、検査や高血圧の薬を処方してもらいに、タクシーで出かけるくらいです。
家から歩いて5、6分ほどのところに、歯科はもちろん内科や外科の医院がありますが、これまでほとんど行ったことがありません。健康に神経をとがらせ、ずっと元気できたので、お医者さん通いの必要がなかったのです。
逆にいうと、「主治医」といえるような先生が、残念ながら「ねえちゃ」には近くに居ないことになります。「病気」や「病院」というものにも、慣れていません。
カラダは元気でも、もの忘れやボケなどアタマのほうが気がかりな昨今、「ねえちゃ」に気軽に相談できる町医者の先生がいたら、随分と気持ちの持ちようが違っていただろうにと感じます。
2016年02月28日
趣味
長年勤めたスーパーマーケットを退職してから「ねえちゃ」は、陶芸、手芸、押し花など、周りの人にさそわれて習いに行ったりして、いろんな「趣味」に励んできました。
ですから、「お酒」だけが楽しみだった連れ合いと違って、一人になっても楽しみはいろいろあるだろうな、と思っていました。
ところが意外なことに、どれもこれもみんな飽きたりダメだと思ってやめてしまい、夫が亡くなったころには趣味らしきものはすっかり無くなっていたのです。
兄嫁が俳句を楽しそうにやっている、というので、県内を拠点にしている俳句会の雑誌を2年間購読したりもしました。が、「私には才能がないから」と、けっきょく一回も投句せずに終わってしまいました。
ちゃんとしていないと気が済まないところがある「ねえちゃ」は、「みんながやるからやらなきゃ」とか「みんなと同じようにできないと」とった義務感のようなものが先に立って、「自分が好きだから下手でもなんでも楽しんで続けてる」というのは趣味ではなかったのかもしれません。
そんなに格式ばらなくても、好きなテレビ番組を見つけていつもチャンネルを合わせるようにして楽しむとか、庭で好きな花を育ててみるとか、そういうので十分なんだからと言っても、残念ながら最近は「興味を持つ」ということ自体がめんどうになってきているみたいです。
2016年02月29日
春の目標
暖かい日曜でしたが「ねえちゃ」は、「何もすることもないし」と一日、布団のなか。それでも、食欲はいつもと変わることなく、三食、たっぷり食べました。
何もすることがないのは、平和でいちばんいいのですが、「なにかしなきゃ」という焦りも「ねえちゃ」の心の中に沸いたり消えたりして、落ち着かないようです。
先日、おいの長男から、4月に行われるという結婚式の招待状をいただきました。行くには3時間近くバスに乗らなければなりません。
無理かな、と一時は断るつもりだった「ねえちゃ」でしたが、周りに励まされて「喜んで出席させていただきます」という返信を書きました。
結婚式に出席させてもらうことが、いまの「ねえちゃ」のいちばんの目標なのです。
あと1カ月と少し。
こころとカラダのコンディションを整えて、いつもの「直前のお断り」にならずに、おめでたい「春の目標」を何とか無事に達成してほしい。
いまから、祈るような気持でいます。
2016年03月01日
2人分
「ねえちゃ」は、連れ合いが亡くなって5年になるいまも、長年の習慣でついつい2人分のご飯を炊いてしまいます。
食事の前には必ず仏壇にご飯を供えますが、ときどき「おじいさんにあげても食べてくれないし、いつもご飯が余っちゃって」と、ぶつぶつ言っています。
若いころ、「ねえちゃ」が仕事や行事で少しでも食事を作るのが遅くなると、夫はしばしばかんしゃくを起こして怒鳴りつけました。
ですから、決まった時間にご飯を炊いて食事を作らなければというのが、「ねえちゃ」の頭の中を、時には“強迫観念”のようになって占領していたのかもしれません。
例の「アルコール依存症」日記の中に、こんな記述がありました。
「11月15日 みかん狩りに行ったが、心配でならない。帰りの時間が1時間遅くなったので帰ってからの事が心配だったが、帰ってみると割合に機嫌よくびっくりした。ビール2缶をさがし出し飲んで居た。がっかり。だんだん話す声が大きくなる」
このときは連れ合いも、禁酒中にビールを飲んでしまったのが後ろめたかったらしく、さすがに怒鳴りまくることはできなかったようです。
さて、「だんだん話す声が大きくな」っていった先には、何があったのでしょう。辛抱強い「ねえちゃ」もとうとう堪忍袋の緒が切れて、“爆発”してしまったのでしょうか?
2016年03月02日
整理整頓
「ねえちゃ」は、整理整頓が大好きです。ちゃんと片付いていないと、居ても立ってもいられなくなるようなところもありました。
食事が済むと、すぐに茶碗やお皿を片づけて、食器棚の決まったところにしまうのが習慣になっていました。
正月やお盆に、息子や孫たちがやってきて部屋を散らかしっぱなしにしているのが、気になって仕方がない様子でした。せっかく来たのだからと、決して口に出すことはありませんが。
何か、おいしいものを食べたり、遊んだりするよりも、片づけをしているときが、いちばん楽しそうに見えることもありました。
でも、最近ちょっと変わってきたように思われます。
食事が済むと、以前のように食器をつぎつぎ片づけるのは以前と変わりませんが、定位置と違うところに置くのか、定位置自体を忘れてしまうのか、どこにしまったのか分からななくて探し回ることがたびたびになりました。
自分の部屋も、あちこちに物が乱雑に置きっぱなしになったままの状態です。始終、あちこちを探し回るので、整理している余裕がないのでしょうか。特別に具合が悪いわけではないのに、一日中パジャマ姿で居ることも少なくありません。
「ねえちゃ」は「だらだらしてばかりで自分がイヤになる」と反省しきりですが、私などにしてみると、むしろ、もの忘れの効用。「だらり」とできるようになって、ホッと楽になった気がしています。
2016年03月03日
ワンカップ大関 ローソク
5年前に亡くなった連れ合いのために「ねえちゃ」は、仏壇に「ワンカップ大関 ローソク」や「ミニジョッキ ローソク」など、お酒をかたどったキャンドルをお供えしています。
アルコール依存症を患うくらい、とにかくお酒好きだった夫は、ほとんど寝たきりで病院を転々としている間も「家に帰って一杯やりたい」と口癖のように言っていました。
けれど、やがて口から食べたり飲んだりすることができなくなり、最後の1年ほどは、食道のあたりに小さな穴を開けてチューブでお腹へ直接栄養剤を注入する方法を取らざるをえなくなってしまいました。
チューブを注入して満足に声を出すこともできなくなってしまったので、連れ合いはよく、親指と人差し指の間をおちょこを持つくらいの間隔にして見せては、お酒を懇願していました。
それでも「ねえちゃ」にできるのは、せいぜい、ガーゼに少しお酒を含ませて、唇に塗ってあげることくらいだったのです。
「あっち」へいったら思う存分、飲ませてあげたい。お酒のキャンドルには、そんな「ねえちゃ」の想いが込められています。
2016年03月04日
5年の節目
「ねえちゃ」には、東日本大震災が特別なかたちで、印象に強く刻まれています。
震源からは遠い山国にいたので直接の被害があったわけではありませんが、奇しくも2011年3月11日は、入院していた連れ合いが危篤の状態に陥った日だったのです。
震災でなにもかもが混乱を極めるなか、ようやく病院にたどり着いた家族に看取られて、3日後の14日未明、83歳で夫は逝きました。
ほとんど意識がなかった連れ合いが、あの日の地震の揺れ、あるいは、いつもと違う看護師さんたちの話ぶりなどで、日本に未曽有の大震災が起こっていたことが察知できていたのかどうか。
それは、「ねえちゃ」にも分からないそうです。
毎年、この時期になると、テレビや新聞で、震災にかかわる特集や企画が集中するようになります。ですから、いくら忘れぽくなった「ねえちゃ」でも、こうした報道とともに、夫の命日が近づいていることに気が付きます。
今年は、あれから5年の節目。テレビからも「まもなく震災から5年です」といったアナウンスが頻繁に聞かれるようになりました。
そんなニュースを耳にした「ひなまつり」の夜、「おじいさんが死んで、もう5年になるんだ。早いね」と、「ねえちゃ」はポツリ、もらしていました。
2016年03月05日
歯医者嫌い
子どものころ、いちばん嫌だったのが歯医者通いでした。あのキ~ン、キ~ンという高い音。神経の近くきたときの防ぎようのない痛み。
頭に浮かべるだけで、恐怖が走りました。学校の検診で虫歯があると判定されたときのショックといったらありません。
歯医者さんの門の前まで来ても何か言いわけをみつけて、寄らずに家に帰る、といったことを何度も繰り返しました。
そんなことしていると、母から「歯だけは、寝ていれば治るってことはなくて、悪くなるだけ。つべこべ言わずに行ってきなさい」と怒られたものです。
ところで、奥歯がスコーンと抜けてしまった「ねえちゃ」。近くの歯医者さんに、電話で予約をしてはキャンセル、再度、予約を入れてもまたキャンセルしてしまいました。
「だったら、近くなんだから散歩のついでに寄って、すいてるようだったら治療してもらい、混んでたら予約を取ってくればいいじゃない」というと、すんなりと「そうだね」。
ところが、この1週間、たびたび歯科医院の入口の前まで出かけては、「きょうは、診療日時を確かめるだけにした」などと言いわけをして、行っては寄らずに帰る、を繰り返しています。
「ねえちゃ」も「痛い」のが相当に嫌いなのでしょうか。それとも、「外出して何かをする」ということ自体を受け付けない、こころのバリケードのようなものが出来てしまっているからなのでしょうか。
むかしは「ねえちゃ」も、「きょうは歯医者さんに行かないとダメよ」と怒っていたお母さんだったはず、なのですが。
2016年03月06日
「きょうは何日だったっけ」
「ねえちゃ」といると、なん度もなん度も「きょう何日だったっけ」と聞かれます。
1日に1回や2回だったらいいのですが、聞いたとたんに忘れてしまうので、10分ごと、20分ごとに尋ねられるということも珍しくありません。
さすがに頭に来て、「そんなの自分で確かめてよ」というと、まずは食卓にある新聞に目を向けます。でも、それだと必ずその日の新聞が置いてある保証はありませんし、休刊日のときだってあります。
次に見るのが、日記。でも、いくら毎日つけているからといっても、その日にもう書いているのか、それともまだ書いていないのかもたいていは忘れているので、きょうが何日かを確認するというわけにはいきません。
そこで次は、携帯電話。ところが、「ねえちゃ」の携帯の最初の画面には、天気予報がドンと出てくるようになっていて、あしたの天気の「あした」の日付が大きく表示されます。
そのため、「きょう」を「あした」と勘違いしたり、「おかしい、私の携帯の日にち狂ってる」と首をかしげていたりすることもあります。
というわけで、仕方ないので、その日が何日かを知るためだけ用のデジタル時計を食卓の上に置いて、「きょうが何日か分からなくなったら、とにかくこれを見るように」と口が酸っぱくなるほど言うのですが、なかなか習慣になってはくれません。
2016年03月07日
満面の笑顔
南から暖かい風がやってきて、20度を超える陽気になったきのう、「ねえちゃ」は、すっかり普段着になってきたパジャマから、ズボンとセーターに久しぶりに着替えて、スーパーへ買い物に出かけました。
ちょうど帰ってきたところに、先日亡くなってお葬式があった、お隣のおばあさんの娘さんが、服をいっぱいもってやって来ました。
そでの短いカーデガンに、新品のスラックス、高級そうなコートもあります。それに、パジャマも3セット。亡くなったおばあさんの衣類だけれど、着る人が居ないからもらって欲しい、とのことだったようです。
お隣のおばさんは「ねえちゃ」よりも、ひとまわり小柄だったようですが、着てみると、どれもぴったり。
すると、何もやりたくないといっていた「ねえちゃ」が人が変わったように、コートやカーデガンを着ては脱ぎ、また着て「いいでしょう」の見せびらかしを繰り返します。
最近、家ではパジャマで居ることが多いのですが、「これだけパジャマがあれば、死ぬまでもう買う必要がないね」と喜んでもいます。
すてきな服が着られたときって、年齢も、カラダも、アタマも関係なく、はしゃぎ回れるものなのでしょうか。久しぶりに見た「ねえちゃ」の満面の笑顔でした。
2016年03月08日
優等生
「ねえちゃ」は、優等生です。戸棚を整理していると、高校生のときの皆勤賞の賞状、職場での論文コンクールのトロフィーなど、いろんな“勲章”が出てきます。
お酒も、たばこも、カラオケも、パチンコも、マージャンも、まして競馬も、競輪も、やりません。こういったタグイは「男の人がやるもの」と決めてしまっているようです。
冠婚葬祭などで「カタチだけでも」とお酒をすすめられても、夫が依存症だった関係もあるのか、頑なに断りつづけています。
女子高生だった時かなにかに「良妻賢母の心得」を叩きこまれでもしたのでしょうか、男性と口を聞くのにも、“必要以上”とも思える気配りをしています。
親類縁者やごく限られた隣人以外で男性としゃべるのは、宅急便の配達やタクシーの運転手さんくらい。宅食も、生協も「女性が届けてくれるので」と続いています。
老人大学や老人クラブ、男性もいっしょのサークルや集まりにも、参加しようとはしません。
「**のおばあさん、彼氏ができたんだって……」と水を向けても、なんとなく冷たい眼差しになって、そっけなく「いいわね」と応じるだけです。
2016年03月09日
血圧手帳
きのう「ねえちゃ」は、だいたい3か月に1度の割合で通っている街の総合病院へ出かけました。最近、自分ひとりでトラブルなく行ける外出先は、ほとんどこの病院だけになってしまいました。
通院といっても、重い持病があるわけではありません。念のためにと、毎日1粒ずつ飲んでいる高血圧の薬の処方をしてもらいに行くのです。でも、この時だけは、ひとが変わったように率先して自らタクシーを予約して、きのうもトラブル無く帰ってきました。
友だちと遊ぶ約束や近くの歯医者の予約など、ことごとくキャンセルをして周りを困らせ続けている「ねえちゃ」なのに、距離的にはいちばん遠いこの病院だけは、どうして忘れずに自主的に行くのでしょう。病院でだれか友だちでもできたのかな?などと、ずっと不思議に思っていました。
実際は病院へ行っても待っている時間が大半で、診療といっても先生とは事務的な話をするだけ。血圧を測ることすら無いといいます。大きな病院なので、待合室での顔見知りもできないそうです。
「ねえちゃ」はこのごろ、「頭がボケてきて」とか自分でもしばしば口にするようになりました。なので「せっかく高いタクシー代払っていくんだから、ボケが進まないようにするにはどうしたらいいのかとか、ひとこと相談したらいいのに」と、いつも口うるさくいいます。
でも、いつでも聞き流すだけで終わってしまいます。よくよく問い詰めてみると、家族がそういうので謙遜気味に「頭が……」と周りに切り出すだけで、本当は「少し物忘れはあるけど、ボケてきたとは全然思っていない」のだというのです。
だから、思ってもいないことを先生に言えない(プライドが許さない)というのが、周辺にはやや意外な、本音のようです。
それにしても、友だちと遊ぶのまで「行く自信がない」とキャンセルするようになったのに、どうして、この病院に行くことだけは忘れず、律儀に続けているのでしょう。その理由の一つに、どうも「血圧手帳」がありそうに思われてきました。
「ねえちゃ」の欠かさない習慣に血圧測定があります。毎日必ず測って、グラフにしていきます。そんな書き込みが、もう13冊びっしり埋まりました。グラフを書き込んでいくのが「ねえちゃ」にとって、どこか生きる張り合い、楽しみにもつながるところがあるのでしょう。
ちゃんと毎日書き込んで、きちんとやった証のグラフを先生に見てもらう。それは、学級日誌をちゃんと書いて先生にマルをもらって励みにする子どもに、どこか似たところがあるような気がします。
きのう、病院で14冊目の「血圧手帳」をもらってきた「ねえちゃ」は、帰ってくるとさっそく血圧を測って、新しい最初のページに記入しました。
物忘れが多くなっても、血圧のグラフをコツコツと毎日、書き続けていく。立派だ、と思います。でも、そんな立派さが、なんとも言えない寂しさを誘うのです。
2016年03月10日
そばの腰
「ねえちゃ」が暮らしている長野は、日本そばの産地として有名です。どこのスーパーでもたいてい、生そばを各種そろえています。
「ねえちゃ」も以前は、生そばを買ってきては茹でて笊に盛って、時々ごちそうしてくれていました。
でも、好みもあるのでしょうが、「ねえちゃ」の茹でる麺はどうにも軟らか過ぎて腰らしきが無く、私には合いません。
それで最近はもっぱら、「自分で作るから」ということになっています。軟らかいのは、そばだけでなく他の麺類も、ご飯もそうです。
「ねえちゃ」の連れ合いは、30代のときに橋から落っこちる大けがをして、歯の半分近くを入れ歯にしなければなりませんでした。
さらにその後、60歳ぐらいのときに胃癌を患い、手術で胃の多くの部分を切り取ってしまいました。
そんなわけで、夫のからだに合わせて、どんどんどんどん軟らかく、煮たり、炊いたりをするようになっていったようです。
きのう、割引で買ってきた生そばが消費期限だったので、まとめて茹でて、ざるそばとかき揚げで昼食にしました。
「食欲満々、胃も腸も丈夫な信州人なんだから、たまには腰があるそば食べたら」と「ねえちゃ」を誘ってみましたが、「軟らかいのじゃないともう胃が受け付けないの」と断られました。
2016年03月11日
歯医者初日
きのうは、「ねえちゃ」が久しぶりにパシャマを普段着に着替えて起きてきました。天気もまずまずで、暖かな陽気。
「宿題」の歯医者さん、きょうは絶対に行きなよ、と厳しくいうと、3時少し前、やっと重い腰をあげて出かけていきました。
歩いて5分ほどの歯医者さんの後、いつものスーパーなどに寄って帰宅したのは5時半ころ。帰って早々「もう、待たされて、待たされて。待合室に患者さんなんてほとんどいないのに」と、かなりご立腹のようです。
それでも、スコンと抜けた奥歯を持っていったら応急処置で入れてくれた。X線撮影などの検査もして、次からちゃんとした治療に入るようで、予約日の書かれた診察券ももらってきました。
痛くもなんともなかったそうで、応対も親切だったといいますが、ただ、1時間半くらい待たされたのが、なんとも気にくわなかったようです。
「そんなこと言ったって、予約しないでいきなり行ったんだから待つのは当たり前でしょ。その場でやってくれたんだから、むしろ良心的な歯医者さんといえるんじゃない。
それに、電話予約しておきながらキャンセル、というのを2回も繰り返しておきながら、今度はいきなり行って、すぐやってくれなかったとグチるっていうのは虫がよすぎるよ。
帰ってきたってやることないんだから、待合室で、のんびり週刊誌とかいろいろ読んでくればよかったのに」
というと、「ねえちゃ」はそれなりに納得したらしく、シュンとおとなしくなりました。
なにはともあれ、3週間くらいかかって、やっと懸案の「歯医者さん初日」にたどり着くことができました。
これで、「やることがない」のが悩みの「ねえちゃ」にも、月曜日は生協の注文品受け取り、水曜日は宅食の集金、木曜日は歯医者さん、とルーティンの「仕事」がだいぶ増えてきました。
2016年03月12日
特別な「3・11」
「3・11」から5年。あの日の津波の実態を追ったNHKの特集番組などを「ねえちゃ」も、「恐ろしことが起きてたんだね」などと大きな声をあげながら、いつもになく熱心に見つめていました。
でも、あの日、どこでどうしていたのか、いまではもう「ねえちゃ」の記憶にはあまり残ってはいません。津波からは遠い山国にいたとえはいえ、夫が死の床につくという、差し迫った現実に直面していたはずなのですが。
5年前の3月11日は、いよいよ臨終が近づいてきて個室に移されたころのはずです。「そういえば、看護師さんにベッドの隣に寝るところ用意してもらって、病院にずっといたかもしれない……」といったあたりまでで、それ以上ははっきりしないといいます。
東日本大震災から3日後の3月14日未明、夫は天寿を全うして病院で亡くなりました。「ねえちゃ」は、悲しみに打ちひしがれる、というよりも納得した感じで、比較的落ち着いて見送っていました。
「ねえちゃ」は、ふだんは地震には無頓着です。家の近くが震源で緊急地震速報が流れても「たいして揺れなかったよ」と平然としています。
それでも、連れ合いの死といっしょに訪れたこの大震災には、やはり特別なものがあったようです。現地の自治体へ応援で行った人の講演を聞きに出かけたり、長年貯めたコイン貯金を寄付したりもしていました。
山国で暮らしてきた「ねえちゃ」には津波の経験はありません。でも、山崩れや洪水などの治山・治水対策を仕事にしていた夫とともに、いろんな被災地の近くで暮らしてきた長い月日があります。
そんな「ねえちゃ」だけに、人並み以上に、被災者のかたたちの気持ちに寄り添えるところがきっとあるに違いありません。
2016年03月13日
嫁姑
「ねえちゃ」の連れ合いは、もともと群馬県の中学で数学の教師をしていました。
ところが、広島県で起こった生徒の自殺問題のような、相当に深刻な出来事に絡んで2年足らずで辞めざるを得なかったようです。
それで縁もゆかりも無かった長野県へやってきて、山で、営林署の職員として働くようになります。転勤していった営林署の事業所で働いていた「ねえちゃ」と知り合い、1959年に結婚しました。
2人とも年の離れた末っ子同士。当時、2人の両親で生きていたのは「ねえちゃ」のお父さんだけでした。
県南の天竜峡というところで挙げた結婚式で、新郎側で職場関係以外から出席したのは、たまたま県内に住んでいた親族1人だけだったそうです。
そんなわけなので「ねえちゃ」は、舅、姑にあたる人を知りません。当然、いっしょに暮らすこともありませんでした。
お酒などで夫には相当に苦労した「ねえちゃ」でしたが、「おかげさまで両親の介護や姑との諍いとかには無縁だったのは、幸せ」とよく言います。
「ねえちゃ」にはいま、お嫁さんが2人いますが、いっしょに暮していないこともあって、これまで、これといったトラブルもなく順調な関係を保っています。
ひょっとすると「嫁いびり」を伝授される機会がなかったのが、幸いしているのかもしれません。
2016年03月14日
ゆでだこ
週に1回、届けてくれる生協で、「ねえちゃ」が毎回かならず注文するものがあります。冷凍の「ゆでだこ」、あるいは「酢だこ」です。
毎週月曜日に、前の週の注文品を届けてくれるのですが、最近の「ねえちゃ」は、どんな物が届いたのかどころか、受け取ったかどうかもすぐに忘れてしまいます。
冷蔵庫の中には、注文したまま忘れて食べないでいるものがゴロゴロしています。でも、絶対に忘れず、届くとすぐに食べてしまうのが「たこ」なのです。
山間の小さな村の農家で育った「ねえちゃ」。近くに魚屋さんも無ければ、むかしは冷蔵庫もありませんでした。
魚といえばアユやコイといった川や沼でとれるものばかり。海の魚介類を新鮮なまま、ましてや生で食べることなど、ほとんどできませんでした。
ですから、子どものころの海の幸といえば、日持ちのする、ゆでた「たこ」くらいしかなかったのだそうです。
「ねえちゃ」だけでなく、両親ら一家そろって「たこ」が大好き。みんな、食べるのを楽しみにしていたということです。
最近は、「**を買おう」と紙に書いてスーパーへ出かけて行っても、たいてい忘れて帰って来る「ねえちゃ」ですが、「たこ」だけは忘れません。
2016年03月15日
お寺さん
「ねえちゃ」の連れ合いが亡くなって、きのうでちょうど5年になりました。5年前、夫が亡くなったとき、いちばん困ったのが、お葬式をお願いするお寺さんのことでした。
2人とも実家を離れ、先祖との結びつきのない町で暮らしていました。特に夫のほうは晩年、その親族とほとんど交流がありませんでした。
しかも、近くにお世話になっているお寺もなければ、特に信仰している宗派があるわけでもありません。
市営の霊園にお墓はつくりましたが、そこにはまだ、だれも入ってはいませんでした。
亡くなって葬儀の日程を決めなければならない慌ただしさの中、連れ合いが生前、親鸞の本を読んでいて、関係する京都のお寺を旅したことがあったことから、お葬式屋さんを通して、浄土真宗のお坊さんをお願いすることになりました。
お葬式の後、実は、連れ合いの実家ではずっと浄土宗を信仰していて、この宗派のお寺の檀家だったことがわかりました。
一方、「ねえちゃ」の実家はというと、代々、臨済宗のお寺さんにお世話になっているのだそうです。
「浄土真宗でよかったのか。本来なら浄土宗のお寺にお願いすべきだったんじゃなかったのか。生きてるとき、おじいさんにちゃんと聞いておけばよかった」と、「ねえちゃ」は後悔しています。
他人事ではありません。「ねえちゃ」自身も、信じている宗派も無ければ、親しくしているお寺さんもありません。このままいけば、最近話題のAmazonの「お坊さん便」にでも、依頼するしかないかもしれません。
「自分はどういうふうに葬られたいのか。ちゃんと考えておいてくれなければ困る」と、口うるさく言うのですが、あの世へゆくことなどはるか先のこと、と思っているらしく、なかなかその気になってはくれません。
2016年03月16日
カントのように
最近は、一日中パジャマで家にいることが多い「ねえちゃ」ですが、以前は「カントのように」規則正しい生活を送っていました。
カントはドイツの大哲学者です。生涯独身で、大学から帰宅すると、決まった道筋を決まった時間に散歩をしました。その時間があまりに正確なので、散歩の通り道にある家では、カントの姿を見て時計の狂いを直したと言われています。
この逸話を知っていた「ねえちゃ」の夫は、規則正しいことを表わすのに「カントのように」という比喩をよく使っていたのです。
「ねえちゃ」の場合、散歩は朝でした。4時半ごろ起きて、5時くらいに出かけてNHKのラジオ体操がはじまる6時30分の寸前にピッタリ帰って来るというのを日課にしていました。
カントほどではないにしても、散歩では「いつも同じあたりで同じ人に会って、おはようございますというの」と自慢していました。
けさはあれを見てあっちで一休みして、といういい加減な散歩ではなくて、ただいつもの道を、いわば虚無僧のように歩いて時間までに帰って来る、というタイプ。
帰ってきてラジオ体操が終わると、ご飯に味噌汁、海苔、納豆といったいつもの朝食を取って、洗濯にかかるのです。
とても健康的で良いことは良いのですが、生真面目な「ねえちゃ」は「ラジオ体操に間に合うように散歩ができる時間に起きないと」と、眠れないのが気になり、しばしば睡眠導入剤を飲むようになりました。
やがて、そんな朝の散歩になんとなく疲れてしまったみたいです。でも、気が向くとラジオ体操はときおりやっています。
2016年03月17日
電気屋さん
営林署の職員だった夫に伴って山里を転々としてきた「ねえちゃ」は、行く先々で町の数少ない電気屋さんと親しくなって、掛かり付けのお医者さんのように、購入から修理まで家電の一切をそこに任せてきました。
転勤の際には、そんな電気屋さんに送別会を開いてもらったりすることもありました。いま住んでいる長野でも、もう40年以上、一軒の電気屋さんに一切を任せています。
電気屋さんに言われるままに、電気製品をそろえてきたので、一人暮らしの割には家電は充実しています。
大型のテレビが2台、コンロやグリルなどキッチンやお風呂もオール電化、床暖房も完備、昨年は冷蔵庫も最新のものに買い替えました。
「家の中のものみんな電気だから、火事を起こす心配がない」というのが「ねえちゃ」の自慢です。
でも最近、自分で料理をすることが少なくなったうえ物忘れがひどくなり、グリルの使い方さえ忘れてしまうことが多くなりました。
そのたびに電気屋さんの、お馴染みの担当者に電話をかけて聞いたりしていましたが、最近、定年になったのか、そのお馴染みさんが店を辞めたらしく電話がつながらなくなって来ました。
近頃は、大型量販店や通販が増えてきて、気軽に修理の相談などにのってくれる電気屋さんが少なくなってきました。
「これから、壊れちゃったらどうしよう」。オール電化の家に住む「ねえちゃ」は、ちょっぴり不安になっています。
2016年03月18日
ちょこっトリップ
「ねえちゃ」の家の戸棚を整理していたら、「ちょこっトリップ」の添乗員さんからのハガキがたくさん入ったホルダーが出てきました。
「ちょこっトリップ」は、「裾花観光」という会社がやっている「アットホームな雰囲気」が魅力のバスツアー。旅行が終わると、毎回、添乗員さんから参加者たちの集合写真が入ったハガキが送られてくるのです。
平成16年7月から平成20年9月まで、「富士見高原ゆりの里」「トロッコ列車で行く黒部峡谷」「草津温泉を遊ぶ」「長岡まつり花火大会」「伊勢神宮初詣の旅」「小京都・高山散策と飛騨高山温泉の旅」「雲上の温泉~万座温泉ホテル~の旅」などなど、20カ所を超える観光地に、連れ合いといっしょに出かけていることがわかります。
ハガキの写真を見ると、「ねえちゃ」夫妻は意外に真ん中のほうにドンと陣取って、穏やかで楽しそうに写っているのが多いように思われます。夫がいつもの帽子にいつものジャンパーといった感じなのに対し、「ねえちゃ」は旅にあわせて、なかなかおしゃれな服装をしています。
「ねえちゃ」はこの旅のことを今はあまり覚えていないようですが、夫が「アルコール依存症」をなんとか克服して、入院前のまだ歩くことができていたころ。きっと、ふたりの安らぎと思い出が刻まれていった旅だったに違いありません。
2016年03月19日
黄色い保険証
きのう「ねえちゃ」は朝から、「保険証がおかしい」「保険証がおかしい」と言って騒いでいました。
突然なにを言い出しのか、あれこれ聞いてみると、どうも自分が持っている「後期高齢者医療被保険者証」の有効期限が切れているようなのです。
確かに、オレンジ色をした保険者証には「有効期限 平成27年7月31日」とあります。ずいぶん前に期限が切れているわけです。
でも、どうして急にきのうになって、それに気が付いたのでしょう。考えられるのは、一昨日行った歯医者さんです。
「ねえちゃ」は、どこの歯を診療したかはもちろん、歯医者へ行ったかどうかも、すでに覚えていませんが、診察券に次の予約日が入っていることからすると、行ったことは間違えなさそうです。
とすると、歯医者の受付の人あたりに、保険証の有効期限が切れていることを指摘されて、「こんどは新しい保険証を見せて下さいね」とかなんとか言われたことが予想されます。
不確かな記憶をたぐり寄せながら、「そういえば、黄色い保険証のはず、とかなんとかどこかで言っていた記憶がある」と「ねえちゃ」も言います。
新しい黄色い保険証は、財布やバックにも見当たりません。いま有効な保険証が「ねえちゃ」の手元にないことが判明したのです。
とすれば手掛かりは、昨年の切り替え時に市役所から簡易書留で送られてきたはずの封筒にありそうだと、家のあちこちを探し回りました。
結果は、保険証が送られてきたことが分かる一昨年まで3回分の封筒は出てきましたが、肝心の昨年のものが見つかりません。
当然「ねえちゃ」に、受け取ったか受け取らないかの記憶はありません。でも、毎年来ていたのに、昨年だけ送られて来なかったというのも考えずらい。
とすれば、家のどこかにきっとあるはず。というわけで「保険証の捜索」が、「ねえちゃ」の連休の最大の“仕事”、ということになりそうなのです。
2016年03月20日
「どこにあったか、わからない」
「無い、無い」といって騒いでいた、黄色い保険証、きのうになってどこからか出てきたようで、古いオレンジ色のといっしょにテーブルの上に置かれていました。
「大騒ぎして探しても見つからなかったのに、どこにあったの?」と聞くと「ねえちゃ」の返事は、「わからない」。首を傾げるばかりです。
そして、「市役所の支所に行って、黄色いのだと言って……、もらって来たのかな?」などと、いつもの「夢かうつつか妄想か」あたりの、わけのわからないことを言いはじめます。
「そんなはずないでしょ。支所は土曜日だから休み。去年の夏、もう郵送されて来ているのに、いま行ったからってすぐくれるはずないでしょ。しっかりしなよ」。
「どこにあったかぜんぜん覚えていない」ということことからすると、「特別にめずらしいところから出てきたのではない」という可能性が高そうです。
ということは、いつも身につけている財布か携帯電話のケースあたりにしまい忘れていたのが、寝て起きてみんな忘れてリセットしたら入っているのに気づいた、というあたりがいちばん真相に近そうです。
「しまい忘れた」というより、「無いと思い込んでいた」と言ったほうが正確かもしれません。
一昨日、家の中を一日中、探し回っていたのは何だったのでしょう。といっても、「ねえちゃ」は当然のごとく、探し回っていたことさえすっかり忘れているので、どうってことはないのかもしれません。
何はともあれ、見つかって一安心。混同して歯医者さんでまた注意されないようにするため、「ねえちゃ」は名残惜しそうに、期限が切れたオレンジ色の保険証のほうにハサミを入れて処分しました。
2016年03月21日
お返し
近所の人からのいただき物や、親せきからの贈り物などには、不義理のないようにきちんとお返しをすることを「ねえちゃ」は、とても大切にしています。
「ねえちゃ」におみやげを持って行っても、本人に食べてというよりも、世話になっている人にあげて、といったほうが喜びます。
ところが最近もの忘れが多くなって、「もらった」ことをちょくちょく忘れるようになってしまいました。でも、義理を欠くことだけはしないようにしようと必死です。
昔の知り合いへの香典の立替えをしてくれた親せきなどに、「立替えのお金送ったっけ」と何度も電話をしたり、2度送ってしまいそうになったりすることもあります。
自分勝手に生きてきた私には、「ねえちゃ」が、義理を欠かないようにと人との関係ばかりを気にしないで、もっと自分自身がどうしたい、といったあたりに目を向け欲しいとじれったく思えることがよくあります。
先日、亡くなったお母さんの衣類をたくさんいただいたお隣にも、何かお返しをしなければと「ねえちゃ」はずっと悩んでいました。
そして、東京にいるお嫁さんに選んでもらって届けられた贈り物を、一昨日、やっと手渡すことができました。
「嬉しそうに受け取ってくれて良かった。飼っている犬のこととか、久しぶりに話をすることもできたし」と「ねえちゃ」は満足そうでした。
2016年03月22日
お彼岸とおやき
「ねえちゃ」はきのう、めずらしく午前中からパジャマを着替えて、「花を買って来る」と散歩がてらスーパーへ出かけました。
一昨日の夜、半額セールのおはぎを買って帰ったら、「そういえばお彼岸だったね」と、ハタと気が付いたようです。
お彼岸なのに、仏壇の花がしおれかかっているのが気になってしかたがなくなって、黄、紫、ピンクなど、「うちの仏壇に置けるような小さなお花」をいくつか買って来たのでした。
花といっしょに「ねえちゃ」は、ナス、野菜、小豆、野沢菜などの「おやき」をたくさん買ってきました。
おやきは、小麦粉や蕎麦粉を水で溶いて練り、薄くのばした皮で野菜や小豆などで作ったあんを包んで焼いた信州ならではの食べもの。形はふつう円形で、8センチくらいのが一般的です。
「ねえちゃ」によると、お彼岸に、長野では、「なぜかわからないけど、みんなでおやきを食べる」ことになっているんだそうです。
彼岸会は、サンスクリット語の「波羅密多」から来たもので、煩悩と迷いの「此岸(しがん)」の世界にある者が、「六波羅蜜」(ろくはらみつ)の修行をすることで「悟りの世界」すなわち「彼岸」の境地へ達することが出来る、というものだそうです。
お彼岸に限らず、何かあれば、おやきを食べている「ねえちゃ」のことです。きっと「彼岸」の境地へいくことができるでしょう。
2016年03月23日
5000歩
「ねえちゃ」の携帯電話は、シニア向けの「らくらくホン」です。連れ合いが亡くなった直後の4年ほど前に買い替えて、けっこう気に入っているみたいです。
だいぶ使い込んできたので「それそろスマホにでも替えたら」と聞いても、「とてもそんなの使えないからだめ」と受け付けません。
とはいえ、めったにかかって来ないので電話として使うことはあまりありません。以前はメールを打つこともありましたが、最近は、面倒になってきたみたいです。
現在、もっぱら「使い込んで」いるのは「歩数計」の機能。トップ画面に大きな字で出てくるようになっていて、珍しくリセットの仕方も忘れずに覚えています。
以前、毎朝、散歩を欠かさずに続けていたころは、携帯に目をやりながら「8000歩以上」の目標をきっちりクリアするように気を配っていました。
しかし最近では、8000歩以上歩くところまで行くと、迷って帰り道が分からなくなる、というような事態がしばしば発生するようになり、散歩するのがおっくうになりつつあります。
「暖かくなってきたのだから、目標の結婚式出席を達成するためにも、パジャマを着替えて外へ出てみたら」と言うと、きのうは午後になって散歩へと出かけて行きました。
比較的はやく帰ってきたなと思ったら、「携帯」の表示は5563歩。本人も「迷わなかった」と満足そうです。これからは、5000歩をメドに無理をせずに歩くのがベスト。そんな気がしています。
2016年03月24日
気まぐれ
「ねえちゃ」の歯医者さんの予約は、きのうの午後2時30分になっていました。
ひと騒ぎしてようやく見つかった、現在有効な「黄色い保険証」と診察券を、忘れないようにテーブルの上に揃えて置いてあります。
「まだ、1時間くらいあるね」
と、行く気になっているように見えたので、パジャマを着替えて、きのうの散歩のようにスムーズに出かけれられそうだとホッとしてました。
ところが、予約の時間になっても「ねえちゃ」が出掛けた様子がありません。
「どうしたの。行かなくていいの?」と聞くと、まだパジャマのまま「何となくふらふらするような気がして、断りの電話を入れた」と答えます。
いつものように、熱もなければ、血圧の異常もない、食欲も十分ある。居間でテレビを眺めていて、横になる必要もなさそうです。
ハタから見ていると「気まぐれ」としか思えない、いつもの「直前キャンセル」でした。
パジャマを着替えるのが面倒になったのか、登校拒否のような反射的な拒絶反応なのか、急に「鬱」が襲ったのか。
しばしば周りを驚かせる、病的とも思える「豹変」です。
なんのために苦労して「黄色い保険証」を探したのか。
とにかく、あした起きたらパジャマを普段着に着かえて、歯医者の予約を取ること。そう約束をしましたが、果たしてどうなることでしょうか?
2016年03月25日
2勝3敗
一昨日、行く直前になって突然キャンセルしてしまった歯医者さん。どうにか電話をして、1週間後の31日の予約を取りました。
これまで直前になって3度もキャンセルしたので、歯科の受付の人から大丈夫ですかと念を押されたのか「いまのところ行けると思いますが……」と、「ねえちゃ」はイマイチ自信なさげでした。
なぜか分からないけれど突然「登校拒否児」に変身したように、直前になると「行けない」と頑なに言い出す「ねえちゃ」。
近ごろではほとんど唯一の外出先となった歯医者さんには、これまで2回診てもらって、3回キャンセル。2勝3敗、それでもイチローの打率を上回る、4割の成績です。
最近の「ねえちゃ」としてはまずまずといえるかもしれませんが、けがに苦しむ照ノ富士だってカド番を脱したのだから、少なくとも「勝ち越し」はしてもらいたいもの。
というのも、親せきの結婚式に行く、という当面の大目標が2週間後に迫っているからです。
今回の3度目の歯医者さんキャンセルで、「こんなんじゃ、結婚式は迷惑かけるばかりだから断ろうか」と弱気な言葉が「ねえちゃ」から漏れはじめました。
「結婚式に出席するんだ、と固く考えることはないんで、たった一人の姉さんと久しぶりに、言いたいこと喋りまくりに行けると思えば、楽しいじゃん」と話すと、少しは気持ちのベクトルを変えることができたようです。
ですが、美容院へ行ったり、着ていくものを決めたりと、「ねえちゃ」にとってはすこぶる高いハードルが、これからいくつも待ち構えているのです。
2016年03月26日
御嶽海は勝ち越したけど……
一日中パジャマのことが多い「ねえちゃ」ですが、起きてくると、ときどきテレビのスイッチを入れて眺めています。でも、ただボケッと眺めているだけで、何かの番組に興味を持っているという感じではありません。
大相撲の春場所もいよいよ大詰めですが、優勝の行方とか、綱取り、といった話をしてもぜんぜん関心がないようです。
大鵬、柏戸はまあ分かるにしても、現役で顔と名前がかろうじて一致するのは白鵬くらい。琴奨菊も稀勢の里も知りません。
地元、長野県から47年ぶりに生まれた関取として、みんなが期待を寄せている御嶽海も、「名前は聞いたことがある」という程度だといいます。新聞の1面で毎日、御嶽海の勝敗が大きく報じられているのですが……。
大の相撲好きの私は「ねえちゃ」のあまりの無関心さに少々いら立って、「御嶽海の顔が分からないなんて、“しなのの国”を知らないようなもの。自分が長野県人だと言う資格はないんだよ!」と声を荒げたりしても、きょとんとしているだけです。
もちろんプロ野球が開幕したなんて「ねえちゃ」の頭の中にはありません。覚せい剤で大騒ぎの「清原」という名前を耳にしても「そういえば、居たよね」というだけで、それ以上なにも出てきません。
ニュースやスポーツ以上にほとんど観ないのがテレビドラマです。NHKの朝の連続ドラも、大河「真田丸」も、まったく無関心です。
どんな番組でもいいから興味を持って、毎回ストーリーを追っていくようになってくれれば、「頭の体操」になるのではと思い、「ご飯食べながら毎朝15分間観るようにしたら」とか言っても、ぜんぜん効き目はありません。
観たいテレビもない。だから、「なにもやることがない」という「ねえちゃ」の悩みは深まっていきます。
2016年03月27日
こうやまき風呂
「ねえちゃ」は、お風呂が大好きです。よほどのことがない限り、寝る前に毎日焚いて入っています。
連れ合いが仕事で信州の山を転々としていた関係で、以前は、木曾の高野槇(こうやまき)で作った木風呂が家にありました。
日本の木の中でも、特に品質のいい木として定評のある「木曾五木」と呼ばれる樹木があります。
木曾檜(きそひのき)、椹(さわら)、翌檜(あすなろ)、黒檜(ねずこ)、そして、高野槇です。
これら木曾五木の中でも高野槇は、水や湿気に耐える力が最高で、高級な風呂桶や水桶、流し場船、橋梁などに最も適しているとされているそうです。
「木の風呂というと“ひのき”が有名だけれど、それより上なのが高野槇。天皇陛下(昭和天皇)も高野槇の風呂に入っているんだ」と、本当かウソかは知りませんが、亡くなった「ねえちゃ」の夫はよく自慢していました。
木なので、肌にもなじみやすく、ひのきほど主張しない木の香りも心地いい。浸かるのは快適でしたが、湯船が深くて大きいので、風呂掃除や手入れを担当した「ねえちゃ」は、なかなか苦労も多かったようです。
さすがの高野槇風呂も、長年使っていると水分を含んで黒っぽく変色してきました。そこで、いまの家へ引っ越して来るときには廃棄してしまいました。
現在は、ポリエステル系強化プラスチック製のごく普通のお風呂です。ただ、「ねえちゃ」の身長からするとかなり大きいので、ときおり、眠くなってウトウトしているうちにと沈みそうになって「ハッ!」とすることがあるそうです。
2016年03月28日
片づけ忘れ
「ねえちゃ」は、いつもコマメに「片づけ」をします。夕食も「まだ食べ終わっていないのに」と思えるうちから片づけにかかります。
夜遅くまでテーブルで食べたり飲んだりしていると、イライラしてくることもあるみたいです。
昼、パスタや日本そばの料理のため戸棚から取り出して、私がこのごろ毎日のように使うようになった大鍋やザル、専用の皿なども、使い終わったのを見つけるとすぐに戸棚の奥のほうにしまってしまいます。
それだけならいいのですが、近ごろの「ねえちゃ」は、「しまう」ことは念頭におかれていても、どこにしまったか忘れてしまうことが頻繁になってきました。
私が使っている鍋なども、別に意地悪をしているのではないのでしょうが、大抵は戸棚の奥の奥のほうにしまい忘れられてしまいます。だから私の料理は、まずは戸棚の鍋探しから始めなくてはなりません。
「毎日使う鍋くらいキッチンの上に置いておいてくれてもいいのに」と文句を言うと、その時は納得するのですが、すぐにそれも忘れてしまって戸棚の奥の奥へとまたまたしまってしまいます。
きのう、近づいてきた親せきの結婚式のためのご祝儀と贐用の袋を買って、テーブルに置いておきました。すると「ねえちゃ」はこれもまた、どこかへしまってしまって、いつものようにしまった場所を忘れてしまいました。
「どこへ行ったのだろう」。片づけ忘れ、を探し出すのに、また、また一苦労の日曜日でした。