エピソード記憶の積み重ね水道料金

2019年01月07日

お昼寝どきの電話

きょうの午後1時40分ごろ、グループホームにいるねえちゃから、私の携帯に電話がありました。「おバアさん、これから帰ろうと思うんだけど」といいます。「どこへ帰るの?」と聞くと、「ウチ」と答えます。

お昼寝の途中で目が覚めたのか、何がなんだか分からなくなったといって、しばしば掛けてくる電話です。

「ウチって言ったって、おバアさんのウチは、そこじゃない。去年の3月から、もう10カ月近くそこで楽しく暮らしているんでしょ」と言うと、「エェッ!。おバアさん、そんなに長くここに居るの」と、いつものようにびっくりしています。

一瞬、デイサービスに通っていたときの自分に戻ったのかもしれません。「自分の家では暮らしていけなくなったから、ここへ来たんでしょ」というと、少し落ち着いた口調に戻って「そうなんだ。それじゃ、おバアさん、ここにずっと居ていいんだね」といいます。

近ごろではすっかり慣れっこになった、ねえちゃのこうした「何がなんだか分からなくなって」の訴えも、きのう見たエピソード記憶の障害に関係していそうです。「脳科学辞典」のサイトを覗くと、エピソード記憶の定義は次のようになっていました。

〈エピソード記憶とは、「個人が経験した出来事に関する記憶」で、例えば、昨日の夕食をどこで誰と何を食べたかというような記憶に相当する。

エピソード記憶は、その出来事の内容 (「何」を経験したか)に加えて、出来事を経験したときのさまざまな付随情報(周囲の環境すなわち時間・空間的文脈、あるいはそのときの自己の身体的・心理的状態など)と共に記憶されていることが重要な特徴である。

臨床的枠組みにおいて、「記憶」という用語はエピソード記憶を指して用いられることが多く、記憶障害という場合は、通常エピソード記憶の障害を指している。〉

グループホームへ入ってから、毎日、朝昼晩食事を作ってもらい、運動会、お誕生会、カラオケ大会などいろんな行事に参加させてもらったりしても、そうしたことは記憶として積み重なることなく、結果、スコッと抜け落ちてしまうことにもなります。

こんなふうに「何が何だかわからない」くなったとき、ウチに居た時には昼間でも布団にくるまって「生きていたってしょうがない。死にたい」とうめいていました。

けれど、いまでは、午後3時になれば、おやつを食べたり、みんなで体操をしたりといった時間がやって来るし、暗くなれば、みんなでおしゃべりしながら夕食を食べて、気持がリセットできます。グループホームのありがたところです。


harutoshura at 18:18│Comments(0)ねえちゃ 

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