NIA市田柿届く

2018年12月22日

アルツィ

「アルツハイマー病」という病気が世界的に容認されるようになった1980年代でも、アルツハイマーが最初に診断したアウグステの診断を疑問視する声がありました。その多くは、動脈硬化症か、まれな神経疾患ではないか、と推測するものでした。

しかし、1998年4月、ドイツを代表する新聞の一つ「フランクフルター・アルゲマイネ(Frankfurter Allgemeine)」紙の学術欄で、アルツハイマーの正当性が立証されたことが報じられることになりました。

「フランクフルトで精神科医として勤務していたアロイス・アルツハイマーの当初の診断に誤りはなかった。彼が診断した患者アウグステ・Dは、実際にアルツハイマー型痴呆に罹患していた。

マルティンスリードの研究者は、ずっと行方不明になっていた脳標本を最近偶然発見した。その標本には特徴的な神経原線維変化とアミロイド斑が見られた。血管性痴呆の兆候はなかった」とされたのです。

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ここで「マルティンスリードの」というのは、ミュンヘンの西側に隣接している小さな町マルティンスリードにあるドイツ最高峰の研究機関、マックス・プランク生化学研究所(Max-Planck-Institut für Biochemie)=写真=を指しています。

こうして、20世紀の初め、比較的若年で始まる老年痴呆に類する病として、アウグステほか数例について命名されたアルツハイマー病は、「老年痴呆から進展し得る急性症候群」とした「アルツハイマー化」などの考え方を経て、20世紀末には、初老期、老年期を問わず痴呆性の一般的な病気として認知されるようになりました。

そして、いまや、ねえちゃを含めて誰もが罹患する可能性をもち、また、家族の人生をも左右しかねない病として、「アルツハイマー」「アルツィ」などと世界のあちこちで日常的に呼び交わされる言葉になったのです。


harutoshura at 19:29│Comments(0)アルツハイマー考 

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