ヴィースバーデン温泉干し柿の手配

2018年12月05日

アルツハイマーの死

アルツハイマーは温泉療養で元気にはなったものの、治癒することはありませんでした。それでも、精力的に仕事に取り組みました。

1913年秋にはブレスラウで開かれたドイツ神経学会総会を主催し、二つの講演を引き受けました。総会に出席したクレペリンは、アルツハイマーがもはやミュンヘン時代の彼ではないことに気がついていました。

「1913年、ブレスラウで開催されたドイツ神経学会総会で彼と再会した。彼は、外見は愉快に振舞っていたが、気が滅入っているようであったし、将来を悲観的に見ていた。それが最後の出会いとなった。職務を十分に果たすという点では、彼は自分の健康に適切な注意を払わなかった」。

墓
フランクフルトにあるアルツハイマーの墓

翌1914年6月には第1次世界大戦が勃発しました。アルツハイマーも少なからず、この戦争の影響を受けることになります。新聞では、イギリス軍も英植民地軍の一部でもフランドルの塹壕で精神病患者が増えているとし、ロシア軍では聖母マリアが現れてまもなく自由を約束したという兵士のことが報道されました。

アルツハイマーはこうした報道にはかなり楽観的で、「確かに、戦争は神経を傷つけるかもしれないが、神経にとっても有益でもあるという確固たる期待を我々に抱かせもする。……戦争は、意志が強く勇敢で意欲的な民衆を養成し得るのである」といった発言さえしています。

そして大戦のさなかの1915年12月19日の日曜日、アルツハイマーは、家族に看取られて生涯を閉じます。51歳でした。

病院の助手は、上司に思いを寄せて次のような新聞広告を出したそうです。

「土曜から日曜にかけての夜半、精神神経病院長アロイス・アルツハイマー教授は、数週間にわたる療養の後に亡くなられた。我々は、学問や医業において我々に優れた模範を示した学識の深い教師、決して忘れえない真の父親のような友人を失った」。


harutoshura at 16:37│Comments(0)アルツハイマー病関連 

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