「地獄、地獄……」旅路

2018年12月02日

ブレスラウ

「アルツハイマー病」が専門家の間で世界的に知られ、優れた研究者であるとともに教育の資質を備えた優秀な臨床医であるという世評が広まったアルツハイマーは、1912年7月、ミュンヘン大学のクレペリンのもとを離れて、ブレスラウ大学精神神経科の教授ならびに附属精神病院長として招聘されます。彼は48歳でした。

ブレスラウは、現在はポーランド南西部の中心都市(ポーランド名はブロツワフ)ですが、第二次大戦後まではドイツの一部でした。オーデル川中流の両岸に発達し、肥沃で広大な平野を後背地に控えて小麦やテンサイを中心とした穀倉地帯にあります。当時はドイツ7番目の大都市で、人口約50万人。15の橋がオーデル川上に張り出していたため「東欧のヴェニス」と呼ばれていました。

ブレスウラ大学

学術文化の中心地で、1702年に設立されたアカデミーにまで遡ることができるブレスラウ大学=写真=は、中央ヨーロッパ最古の高等教育機関のひとつとされます。19世紀後半には急速に発展し、数学のディリクレ、物理のキルヒホフ、細菌学者フェルディナント・コーンら、世界的な大学者たちが集まっていました。

教授選考の際、ミュンヘン大学のフリードリッヒ・フォン・ミュラー教授を中心としたの調査では、アルツハイマーについて次のような評価が得られたといいます。

「アルツハイマーは何年も前から、そして今もなお、大学附属病院で精神病の患者がでると、コンサルタントとして参画している。私は助手たちの報告から、アルツハイマーがいかに精神病者の扱いを心得、診断を明快に行うかを確認できた。

私自身もアルツハイマーの講義を何度か聴講し、特にヒステリーと脳動脈硬化症の鑑別診断に関する素晴らしい二つの講義は記憶に残っている。

人間的にも、性格的にも、アルツハイマーはミュンヘンで人望が厚い。彼が立派な臨床家になることを確信しているし、なぜミュンヘンでアルツハイマーが今までいつも無視されてきたのか、何年も不思議に思っていた」。


harutoshura at 18:11│Comments(0)アルツハイマー 

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
「地獄、地獄……」旅路