2019年04月
2019年04月30日
タキシフォリン
ポリフェノールの一種「タキシフォリン」に、アルツハイマー病に関係する異常なたんぱく質の蓄積を抑える効果があることが、マウスの実験で分かったそうです。
アルツハイマー病は、アミロイド・ベータというたんぱく質が、脳内にたまることによって発症すると考えられています。
国立病院機構京都医療センターなどの研究チームは、脳にアミロイド・ベータがたまるマウスに、発症する前から13カ月間、1日200ミリグラムのタキシフォリンをえさに混ぜて与えました。
その結果、ふつうのえさを与えたマウスと比べ、脳内のアミロイドβの蓄積や炎症を起こす細胞の数が半分以下に抑えられ、認知機能も健康なマウスと変わらなったそうです。
タキシフォリンは、果物、野菜、ワイン、茶、ココアなど、植物由来のいろんな食物に含まれていて、多くの種類の癌細胞の抑制効果を示すことでも知られています。
2019年04月29日
2019年04月28日
2019年04月27日
風邪気味
あれだけ「記憶」に難のあるねえちゃですが、相変わらず、寝る前の午後8時ごろには忘れずに必ず、私のところへ電話を掛けてきます。
それから、週一回、なぜか、決まって日曜日の朝8時ごろにも電話をくれるのが常でした。
が、その「週一回」が、最近は日曜日ではなくて土曜日のことが多くなって来ています。からだの中にある体内時計が、進むか遅れるかしてきたためでしょうか?。
連休初日の土曜日の今朝も、電話が掛かってきて起こされました。
「朝ごはん、済んだの?」
「うん。いまみんなと食べてきた。風邪気味だから、これからちょっと寝る」
そういえば、声もちょっぴりいつもと違うように思われます。
「熱はあるの?」「ん~ん。無い」
「じゃ、ゆっくり休みな!」「そうする。じゃあね」
2019年04月26日
2019年04月25日
春らんまん
20日ぶりに、ねえちゃのところを訪ねました。
グループホームのみんなと、食堂でガヤガヤ、楽しそうにしていました。
部屋では、いつものように足をバタバタさせて、歓迎してくれました。
「何か困ったことはない?」と聞くと、「ない。アタマだけ」といつものように答えていました。
「どこか、行きたいとことかない?」と聞くと、「ここにいられれば、十分」と言っていました。
けっこういまが幸せそうでした。
けっこういまが幸せそうでした。
先日、ねえちゃの甥から「連休中にねえちゃを訪ねてみようと思ってるんだけど」と、電話をもらいました。
インフルエンザを警戒しなければならない季節が過ぎて、グループホームにも、春らんまんの開放的な雰囲気が感じられました。
2019年04月24日
2019年04月23日
ミョウガ
ゴールデンウィークが近づいて、日に日に暖かさも増してきているように思います。
暖かくなると、冷奴やそうめん、刺身のつまなどに欠かせないのがミョウガ。
グループホームでも、春の食べ物が話題になったとき、ねえちゃは「ミョウガを漬けたりした」と思い出を述べたそうです。
ミョウガというと、俗に、食べると物忘れがひどくなると言われます。
落語にも、宿屋の夫婦が預かった金のことを忘れさせようと飛脚にミョウガを食べさせる「茗荷宿」という噺があります。
けれど、それはまったくの迷信のようです。
ミョウガには、ビタミン、ミネラル、精油、辛み成分などが含まれています。
中でもカリウムが多いのが特徴で、体内のナトリウムを排出して高血圧を予防したりする働きもあるそうです。
ミョウガの香り成分には、集中力を増す効果があることもわかっているとか。
認知症のねえちゃにも、思い出のミョウガは、体や頭にいい働きをしてくれるかもしれません。
2019年04月22日
「困ったもんだねぇ」
ふつうの高齢者だったら、身体の不調や痛みなどを自分の言葉で表現することができます。
しかし、認知症になると、そうした症状を自分の言葉で訴えることが難しくなってきます。
落ち着きがなく歩き回っている原因が便秘で、便秘が解消されると落ち着いてきたり、また、歩行がおぼつかない原因が足の小指の骨折だった、といった事例もあるそうです。
認知症になると、うまく言葉で表現できず、行動で訴えることもあるわけです。
ですから、周りのものも、十分に観察して細やかなケアをする必要があるのでしょうが、それはなかなか難しいことです。
昨夜、「何か、おかしい。あした起きたら死んでるかも」とちょっぴり驚きの言葉を発していたねえちゃも、きっと、そう思う原因が何かあったのでしょう。
私にはそれを知る術も、洞察力もありません。が、今夜の電話では「ええっ、おばあさんそんなこと言ったの。困ったもんだねぇ」と、まるで他人事。
何かいいことでもあったのか、昨夜とは打って変わってご機嫌な様子で床に着きました。
何かいいことでもあったのか、昨夜とは打って変わってご機嫌な様子で床に着きました。
2019年04月21日
「あした起きたら……」
「ホント、アタマおかしくなっちゃって。何か、おかしい。あした起きたら死んでるかもしれない」
午後8時ごろかかってきた今夜の電話で、ねえちゃは、不安そうにそんなことを口にしていました。
「胸が苦しいとか、どこかが痛いとか、どこかおかしいところがあるの?」と聞くと、「そんなことない」といいます。
「バカんなっちゃったっていったって、いつものように電話をちゃんと掛けてこれたし、日記も書いたみたいだし、ちゃんとやることやってるじゃない」
「だけど、アタマおかしくなっちゃって……」
「何か、起きたらどう対応するか、ちゃんとスタッフの人と話してあるから大丈夫。あしたのことは、あしたのこと。とりあえず、寝たら」
「ん~。じゃあそうする。おやすみ」「おやすみ」
2019年04月20日
喪失体験
高齢になると、若いときのように何かを得るということがだんだん少なくなって、失うものが多くなっていきます。
社会的地位や収入、役割、生きがい、知人や友人、親兄弟など、喪失体験が増えていきます。
ねえちゃも8年前、苦楽をともにし、また、いろんな意味で手がかかった連れ合いを失い、いまから思うと相当に大きな喪失感を味わいました。
多くの喪失体験をしている高齢者が、心穏やかに、それに応じた生活を送っていくことは、想像以上に難しいようです。
そして、認知症は、さらに多くのものを喪失させることになります。
いままで何をしていたかが思い出せないということは、「記憶に対する喪失体験」です。たとえ家族に囲まれていても、それが知らない人に思えたときは、喪失体験として感じられることになります。
自分の家にいても、自分の家でないと感じたときには、居場所を失うことになります。
ねえちゃが、いまさっきまでグループホームでみんなと楽しく話していても、自分の部屋にもどって一人になって「はて、ここはどこだ」と思い返した瞬間には、きっと、居たたまれない喪失感が襲ってくるのでしょう。
2019年04月19日
性格の変化
「がんこ」「柔軟性がない」「しつこい」など、あたかも高齢者独自の性格があるかのように考えられることがよくあります。
けれど、子どもでもがんこな人もいれば、柔軟性のない若者もいます。しつこい大人もいます。ねえちゃは高齢者ですが、特にこれら三つにあてはまるようには思えません。
高齢者だから特別な性格と考えるのは間違えでしょう。同じように、認知症だから特別な性格があるというようにも思われません。
ただ、前頭側頭型認知症のように、脳の障害が原因で自分の欲求を抑えることができなくなる「抑制の欠如」などの人格変化が起こる場合はあるようです。
しかし通常、認知症になった人の性格が変化するのは、もともとの性格に「もの忘れ」「見当識障害」「判断力障害」「実行機能障害」など認知症の中核症状の影響が加わることによって起こると考えるべきなのでしょう。
ねえちゃのように、もともと穏やかだった人が攻撃的になったり、興奮するようになったとしたら、認知症がその人の生活に影響を与えたということになるのでしょう。
が、グループホームへ入ってからのねえちゃは、しばしば不安を訴えることはあっても、攻撃的になったり、興奮が収まらなくということはなくなりました。家族にとって、それが救いになっています。
が、グループホームへ入ってからのねえちゃは、しばしば不安を訴えることはあっても、攻撃的になったり、興奮が収まらなくということはなくなりました。家族にとって、それが救いになっています。
2019年04月18日
1年1カ月
ねえちゃがグループホームへ入ってから、きょうでちょうど1年1カ月になります。
自宅からグループホームへ移った経緯はすっかり忘れてしまっているので、「どうしてこちらでお世話になってるんでしたっけ?」といった質問をスタッフのかたにもしばしばするようです。
きのうの夜の電話でもまた、「もう、1年と1カ月だね」と言うと、「そんなに居るの~!」といつものようにビックリ仰天していました。
それでも、この間「自宅へ帰りたい」と駄々をこねるようなことは一度もありませんでした。むしろ、自宅で一人で生活していたときの“寂しさ”への恐れのほうがずっと強いように思われます。
グループホームへ移った経緯を聞かれて、スタッフのかたが説明すると、納得して、不満を口にしたり興奮したりすることもなく、穏やかに対応しているそうです。
昨夜も「グループホームが、おばあさんの家なんだからね」というと、安心したように「ここで楽しくやるだ」と言って床につきました。
2019年04月17日
2019年04月16日
「10連休」はお休み?
いつものように昨晩も、寝る前にねえちゃから電話がかかってきて、穏やかに「おやすみ」。
をしたかと思ったら、5分後には「おばあさん、どこに居るの! ここに居ていいの!」と慌てた口調でまた電話がありました。
「そこが、おばあさんの家。もう一年以上いるんだから」というと、いつものように「え~。もうそんなに居るの!」と驚愕しています。
先月末、天皇陛下のご退位で、ゴールデンウィークは10連休になるというニュースが流れると、グループホームでねえちゃは「そうなの。じゃあ、ここも休みになっちゃうの?」と心配していたとか。
スタッフの人が「ここはお休みがありません」と説明すると、「良かった~。また、家で一人になっちゃうと思った」と、ほっとしていたそうです。
頭での認識がどうなっているかはともかく、ねえちゃの体と感性のほうはもうとっくに、1年以上暮らしたこのグループホームが「自分の家」になっているようです。
harutoshura at 17:50|Permalink│Comments(0)
2019年04月15日
2019年04月14日
啓蟄
インフルエンザの警戒で、3月はグループホームの中で退屈していたのかな、というと、ぜんぜんそうではなかったことが、生活記録を見ると分かります。
3月6日の夕食後、ねえちゃは日記を書きながら「今日は二十四節気で虫が土から這い出てくる日なんだよ」とスタッフのかたに教えてあげたそうです。
3月9日には、日差しが良かったので、窓に背を向けてみんなが一列に座って日光浴。その際、春のうたを歌いながらボール渡しをして、止まったところで連れ合いの名前を言うゲームをしたそうです。
ねえちゃのところに来ると、すぐに「イズミです」と名前が出てきて、「やさしくておとなしい人でした」と答えたとか。
「やさしくておとなし」かったかどうかは、私にはやや疑問が残りますが。
昨晩、ねえちゃから電話がかかってきたとき「いろんなことあって、楽しくやってるみたいじない?」と聞くと、やっぱりみんな忘れていました。
2019年04月13日
2019年04月12日
人員配置
グループホーム介護職員の人員はというと、共同生活住居ごとに常勤換算で、「利用者:介護職員=3:1」以上の比率で配置することとされます。
なお、夜間(午後6時~10時)と深夜(午後10時~午前6時)の時間帯は、利用者の人数に関わらず「通常の(宿直勤務ではない)勤務者」を常時ユニットごとに1人以上配置する必要があります。
共同生活住居ごとに、認知症介護の経験3年以上で、厚生労働省指定の研修を受けた専従の常勤管理者及び計画作成担当者を配置する必要があります。
計画作成担当者のうち少なくとも1人はケアマネージャーでなりません。また、利用者に支障が無い場合には、常勤管理者と計画作成担当者の兼務が認められます。
計画作成担当者というのは、ケアプランを考え、作成して、利用者と家族に提供するケアサービスを説明・提案するのが仕事。利用者やご家族とスタッフとの橋渡しの役目を担っています。
こうした人たちが、いつも近くにいてくれる安心感が、グループホームへ入ってからの、ねえちゃの“こころの安定”につながっているのだと思います。
2019年04月11日
1ユニット9人まで
これまで、認知症対応型共同生活介護(グループホーム)の制度化に取り組んだ建築家、外山義さんのグループホームに対する業績や考えかたを見てきました。
それでは、こうして成長してきたいまのグループホームは、制度的にどういうものになっているのかか、このあたりで要点を整理しておくことにしましょう。
まず、グループホームとは何かというと、認知症の高齢者に対し、共同生活住居の家庭的な環境と地域住民との交流のもとで、入浴・排せつ・食事の介護など日常生活上の世話や機能訓練を行い、能力に応じて自立した日常生活を営めるようにするところ、ということになります。
ただ、認知症が原因で著しい精神症状(または行動異常)を呈する人や、認知症の原因となる病気が急性の状態にある場合は、原則としてその治療を優先される必要があるため認知症対応型共同生活介護を受けることが出来ません。
ねえちゃは、アルツハイマー病以外にこれといった「急性の状態」の病気を抱えているわけではありませんから、ここには含まれないことになります。
実際のグループホームの運営は、1事業所あたり1つまたは2つの共同生活住居(ユニット)を運営できることになっていて、1ユニットの定員は5人以上9人以下と決められています。
ねえちゃのグループホームは平屋で、9人ずつ2つのユニットがタテにつながっています。因みに、ねえちゃは「あさま棟」というユニットで暮らしています。
居室、居間、食堂、台所、浴室、事務室、面談室など必要な設備を有し、居室は原則として個室とし、床面積が7.43㎡以上(和室の場合は4.5畳以上)あること、とされています。
ねえちゃの部屋も個室。面会にいってもゆっくりできる、十分なスペースがあります。
グループホームは、主治医から認知症の診断を受けた利用者が、衣食住の費用については全額自己負担、介護サービスに対してだけ1割自己負担(定額制)の介護保険を利用することになっています。
2019年04月10日
2019年04月09日
「施設」を「住まい」に
途切れ途切れになりましたが、スウェーデンに学び、日本のグループホームの制度化に大きな貢献をした建築家、外山義さん(1950-2002)のグループホームに対する考え方をこれまでみてきました。
外山さんの、グループホームをはじめ、寝たきりゼロ作戦、特別老人ホームの個室化などへの取り組みは、高齢者施設を「施設」ではなく、「住まい」に変えようとするものでした。
自著『自宅でない在宅』の完成を見ることなく、52歳の若さで世を去った外山教授。「あとがきに代えて」で、お弟子さんが次のように記しています。
「先生の研究の特色は、工学が最も苦手とする人間性の問題に正面から向かい会おうとする点にあり、その出発点には信仰があったと確信しています。ともすると人間性なき科学が幅を利かせるなかで、あるべき姿を追求された先生。その志を受け継ぎ、蒔かれた種を大きく育てることが私たちに託された使命であり、先生への追悼といえます」。
グループホームから毎晩電話をかけてくるねえちゃは、このごろよく「ここがおばあさんのウチなんだね!」と、確信めいたような口調で繰り返すようになってきました。
ねえちゃにとってもグループホームが、外山さんのいう「住まい」として感じられるようになりつつあるのかな、という気がしています。
2019年04月08日
そろそろ髪切ろうか
ねえちゃのグループホームの門のすぐ前には、親身に協力してくれる理髪店があって、ねえちゃもしばしばお世話になっています。
インフルエンザの警戒で、この冬、外出を控えていたねえちゃの髪も、だいぶ長くなってきました。
このあいだ訪ねたときも、ホームのスタッフの人と「そろそろ髪を切りに行こうか」と話していました。
外山さんは、グループホームと地域との脈略をつなげるためには、家族の自由な訪問ができることはもちろん、地域の人びとがさまざまなかたちでグループホームを訪ねてきてくれる機会をつくり出す一方で、入居者自身も地域の一員として老人会に参加したり、地域の居酒屋やカラオケを訪ねたりといった積極的な外出も望まれる、と考えていました。
「このように地域との双方向の交流が日常的に成り立っていれば、入居者の捜索をせねばならない事態が発生したときなどでも、地域からの自然な協力を得ることができるだろう」と外山さんは記しています。
2019年04月07日
地域のなかに立地する
高齢者の「施設」というと、以前の私は、街はずれの丘の上とか人里離れた山奥とかにある、というイメージを抱いていました。
しかし、ねえちゃのグループホームにしても、長野駅から歩いていけるほどの距離にあり、自宅に居たときよりもずっと街中で生活することになりました。
このようなグループホームの立地環境の問題について、外山さんは「小規模であるがゆえの危険」として、次のように指摘しています。
「利用者にとっての生活の広がりが小規模なグループホーム内で完結してしまうと、利用者の生活の質はグループホーム内の人的・物理的環境の質によって完全に左右されてしまうおそれがある。
仮にその質が良質ではなく、あるいは不十分である場合、そこに生活する高齢者にとっては逃げ場のないマイナスの状況が生まれてしまう。
その意味において、グループホームにとって外部、すなわち地域とのつながりがきわめて重要になってくる。この外部地域との良好な関係を確保するうえでの第一要件は、グループホームの立地環境である。
具体的にいえば、グループホームが地域とつながり、地域に開かれているためには、グループホーム自体が地域のなかに立地してることが前提となるということである。
人里離れた山間や、住宅のない工場地帯などではグループホームは孤立した施設になりやすく、利用者も地域のなかに暮らしてるという実感をもてない」。
2019年04月06日
お花見も
きのう更新された国立感染症研究所のインフルエンザ流行レベルマップによると、インフルエンザ定点医療機関の2019年第13週(3月25日~31日)の定点当たり報告数は1.73(患者8567人)で、前週の報告数2.49よりかなり減りました。
全国で警報レベルを超えている保健所地域は1カ所(1県)、注意報レベルを超えているのは3カ所(3県)だけと、落ち着いてきました。
ねえちゃのグループホームも、一時はインフルエンザに罹ったかたが出て心配されましたが、スタッフの人たちの素早い対応で、広まることなく無事におさまり、お花見ができるまでになったようです。
それでも、外出には油断は禁物です。外出・外泊の際には――
*家に戻ったり帰宅時には、うがい・手洗いをする。
*食事前、トイレ後の手洗いは石鹸をつけ、30秒以上洗い、流水で流す。
*生ものは避け、加熱したものを食べる。
*家族に体調を崩した人が居る場合、外出・外泊を見合わせる。
*外出・外泊中に体調を崩したら医師に受診する。
といったグループホームからの「お願い」がありました。
2019年04月05日
4月までの計画書
インフルエンザの影響で遅れていたのですが、きのうグループホームを訪ねたとき、4月分までの「介護サービス計画書」をチェックしました。
総合的な目標は、できることは続けながら、好きなことをして、張り合いのある生活を送れるようにする。
具体的な介護内容としては、
①体操・歩行(二往復)・レク・家事・作業など、できることには参加を促す
②日課でしていることを続けてもらう
・10時、血圧手帳をつける
・夕食後、日記をつける
③入浴日以外は夕食後にパンツ交換を促す
④起床後は、化粧品の使用を促す
と、これまでとあまり変わりはありません。日課でもう一つ続けていることに、寝る前に私のところに電話をすることがあります。
ときどき「電話の掛け方わかんなくなっちゃった」といいながらも、毎日ちゃんと忘れずに掛けてきます。
症状は少しずつ進んでいることは確かだと思いますが、いまのねえちゃはまずまず“幸せ”といっていいんじゃないかな、と自他ともに感じています。
2019年04月04日
選挙の春
ポカポカ陽気で晴れ渡った今日、久しぶりに、ねえちゃのグループホームへ面会に行きました。少しやせた感じがしますが、元気そうです。
長野市街は、選挙カーの声が賑やかで、ポスターの掲示板も見かけます。どうも、今月7日投票の県議会議員選挙まっただ中のようです。
「選挙どうする?」とねえちゃに聞くと、何が何だか分からないながらも、ほとんど欠かさずに続けてきた投票に意欲はありそうです。
というわけで、この冬ずっと控えていた、久しぶりの外出は、県議選の期日前投票、ということになりました。
自宅に届いていた投票所入場券をもって、郵便受けに入っていたビラの中から、まあ「この人かな」と思う人のを選んで持って、自宅近くの市役所の支所でなんとか投票を終えました。
あわただしい突然の外出で、やや歩くのがおぼつかないといった感はありましたが、連れ合いの仏壇の前で久しぶりに手を合わせることもできました。ねえちゃにとっても、いよいよ春到来です。
2019年04月03日
馴染んだ空間、環境を助けに
グループホームでの行事も、面会に来た人も、さっきの食事も、最近は、ねえちゃの頭にはほとんど残らず、すぐに消え去っていってしまいます。
それでも、子どものころの思い出や戦争体験など長期にさかのぼった記憶は、断片的にではあれ、明瞭に残されていて、しばしば、いま目にしているように詳しく話してくれます。
外山さんは、このように記憶を探り出して、手がかりにしながら日常生活行為を再構築していくことはできていて、この際も「過去に馴染んだ空間、環境が大きな助けになる」と考えていました。
一方で、こうした高齢者に対しては、言葉による問いかけによっていちいち記憶を試したりすることはストレスを倍加させることにもなりかねません。まったくの逆効果です。
うまく機能しなくなっている思考の代わりに、体に深く刻み込まれた生活習慣や記憶、たとえば古い記憶にとどめられた物や色、形、音楽、においなどを用いて、その記憶を呼び覚ますことが効果的だと外山さんはみていました。
だから、居住空間でも、共用空間でも、高齢者たちがかつて日常生活の中で長く馴染んできた建具や道具類、活発だった青壮年期に流行した家具やインテリア、世代文化を反映した絵や写真、道具などを、記憶を呼び覚ます“仕掛け”として配し、生活空間を構成することがきわめて有効となるのです。
2019年04月02日
空間の作法
食事、睡眠、排泄といった、私たちが日常的に行っている生活行為には「手続き性」があります。
食事をするとき、手順にしたがって調理し、器に盛り、食卓に並べ、感謝し、箸で口に運び、食べ終わって余韻を楽しみます。
老齢化に伴って心身機能が低下したり、まして認知症高齢者ともなると、そうした手続き性が抜け落ちていく傾向があります。
さらに、生活している空間の貧しさが、そのまま行動の貧しさへと直結していきます。
施設で廊下の行き止まりで排尿したり、ベッドからマットを引きずりおろしたりといった“問題行動”は、その高齢者に染みついた空間感覚をもとに、馴染めない環境に対してその人なりに対応しようとしていると理解することもできそうです。
そのようなとき、空間の中の仕掛けや、かつて馴染んだ道具が、生活行為の手続き性を回復していく手掛かりとなります。
日本の伝統的な住まいには「空間の作法」という文化があります。上り框(かまち)や床の間、座敷と襖の開閉、縁側の手水、囲炉裏など、生活行為と様式的にきっちり対応した空間の仕掛けが数多く存在します。
こうした要素を高齢者の施設の公私の空間に生かしていくことで、消えてしまった行為や動作へと誘導することができるようになるのです。
無気力で消極的になってしまった認知症高齢者を、指示や命令によらずに、ある生活行為に導いていくために、こうした生活空間の仕掛けを役に立てる。
こうした発想も、グループホームにふさわしい環境づくりのうえで重要だと外山さんは考えています。
2019年04月01日
警告を発するカナリア
かつて鉱山の坑夫たちは、危険を防ぐため、二酸化炭素や一酸化炭素に敏感に反応するカナリアを携えたといいます。
頭のなかで想定したり、応用したり、臨機応変に振る舞ったり、といったことができない認知症高齢者は、ある意味で、環境に対して非常に敏感な弱い存在といえるかもしれません。
とすれば、認知症高齢者に心身症的な問題行動が出るなら、かれらの日常生活の環境が劣悪であることを意味することになります。
そうした生活環境は当然、認知症でない人にとっても良くない環境なのです。外山さんは「痴呆性高齢者の方々がカナリアになって、人間の劣悪な住環境に対する警告を発してくれていると考えるべきだ」といいます。
これまでノーマライゼーションというと、たとえば認知症高齢者や施設でケアを受けている人たちが、社会の中で普通の生活を送れるようにすることと理解されてきました。
しかし、外山さんは、認知症の人たちと接していて、いつのまにか癒されることに気づかされる体験を重ねていくにつれて、これとは異なる理解をもつようになったといいます。
外山さんは「今日、日本社会のなかの「普通」の人びとのほうが、アブノーマルなのである。痴呆性高齢者と接するなかから、むしろわれわれの側が癒され、ノーマライズされる。こういうことをノーマライゼーションと呼ぶべきなのではないか」と提起しています。