2019年03月
2019年03月31日
家族は「敵」に
在宅で、認知症初期の症状である繰り返される質問を無視したり、言葉による暴力をふるったり、といったことは、日常介護のストレス状態のなか、家族であるゆえに無意識にむしろ行なわれてしまいがちです。
親子や配偶者といった血縁・親族縁でがんじがらめになっているために、相対化できず、感情が煮詰まってしまい、非理性的な行為に走ってしまう。
介護するほうは、その行為に至るまでの経緯をしっかり覚えていて、激昂してしまったそれなりの理由もあります。しかし、介護される当事者にとっては、経緯はもう忘却の彼方です。
でも、殴られた痛みや、罵倒され傷ついた感情は澱のように残っている。外山さんは、こうした経緯の不明な傷が累積していくことによって、家族は「敵」になっていくのだといいます。
グループホームでは、血縁につながれない相手が、感情をひきずることなく認知症高齢者のありのままの姿を受け入れてくれます。外山さんは次のようにいいます。
「グループホームですっかり落ち着いた身内に接して、家族は自分たちが在宅でおこなっていた「介護」の中身と、家族であることの罪とに向き合わされるのである。
けっきょく家族が家族になるためには、そこで信頼関係が新たに結び直されねばならず、また新たに出会い直さなければならないのだ。というより、ここでようやく家族は、高齢者と向き合うことができるのだと思う」。
2019年03月30日
「垂直」から「水平」「横断」へ
大規模な施設での集団生活と比べて生活の単位が小さく、ひとりひとりの顔が見えるようになり、高齢者個々の持ち味や生活のペースがつかめてくると、表情は変わり人間関係も大きく変わります。
介護を「する側」と「受ける側」という切り割された固定的関係から、生活の再構築をしようとする高齢者を側面から支える関係へ、さらには、ともに暮らす仲間としての関係へと変化するのです。
そして、スタッフのかかわりかたが、
①プログラム主導側から個々の高齢者のペースに合わせたゆったりとしたリズムへ
②規則やルールずくめの管理的な姿勢から個別的な特性を受容できるゆとりある姿勢へ
③禁止や指導の言葉を乱発する指示的・教育的接近から、声を出さずにまなざしであたたかく見守り、危ないときだけ近づいてサポートする黙示的接近へ
と変わるとき、スタッフと高齢者の関係も確実に変化していくでしょう。
①プログラム主導側から個々の高齢者のペースに合わせたゆったりとしたリズムへ
②規則やルールずくめの管理的な姿勢から個別的な特性を受容できるゆとりある姿勢へ
③禁止や指導の言葉を乱発する指示的・教育的接近から、声を出さずにまなざしであたたかく見守り、危ないときだけ近づいてサポートする黙示的接近へ
と変わるとき、スタッフと高齢者の関係も確実に変化していくでしょう。
従来の施設における「垂直」の関係から、側面を支える「水平」の関係へと、そしてさらには適宜役割を変化させ交換しながらの「横断性」概念による人間関係の実現に向けて、関係が変化していくのです。
こうしたところにグループホームの本質があると考えられます。外山さんは「これはまさに、コミュニティの元としての人間関係そのものではないか。痴呆症にともなう生活障害をもつ高齢者の集住の場、ケアの現場から、個別の人間の共同の生活集団としてのコミュニティが立ち上がっているのである」と指摘してます。
2019年03月29日
住宅と施設の二重性
これまで見てきたような「在宅」と「施設」の両方のかかえる課題を乗り越える可能性を秘めた居住形態、ケア形態として登場してきたのが「グループホーム」でした。
住みなれた自宅ではないけれど、家庭的な雰囲気のなかで時間がゆっくりと流れ、専門のスタッフにさりげなく見守られながら認知症高齢者がひとりひとり、その人らしい生活をしていく。
こうした必要なケアを伴う生活を通して、認知症それ自体が治癒することはなくても、その進行を遅らせたり、随伴状態が改善された状態で暮らしていける。
グループホームには、①「住宅でもないし施設でもない」が、そこに期待されている役割からすると②「住宅でもあり施設でもある」という性格があります。施策者からすれば①を、利用者側からすれば②をもとめることになります。
ねえちゃのような入居している高齢者の側からすれば、まさに、住まいであるとともに、専門のスタッフが24時間常駐する施設でもあるのです。外山さんは、この「住宅と施設の二重性」にこそ、グループホームの可能性があると考えていました。
2019年03月28日
鉄筋コンクリートの箱
もともと認知症ケアのためにつくられたものではない特別養護老人ホームや老人病院、さらには精神病院。
そうした既成の施設で対処するには、認知症の周辺症状や随伴症状としてあらわれてくる徘徊や妄想などの問題行動をコントロールする従来の手法に頼らざるをえません。
すなわち、薬によるコントロール、物理的・空間的拘束、言葉による禁止などの措置です。
外山さんは、こうした方法は「根本治療になるどころか、痴呆性高齢者のストレスや不安を倍加させることで悪循環を引き起こす」として、次のように主張しています。
「そもそも現状の施設は住居としての空間スケールをはるかに逸脱し、繰返しパターンの多い巨大で複雑な建物である。
しかも長年暮らしのなかで馴染んできた日常生活のためのしつらえもほとんどなく、痴呆性高齢者たちは、どう振る舞ってよいかわからなくなる。
そうした環境のなかで、かれらがもっと不得手とする、大集団での管理的なプログラムによるケアが実施されている。これが多くの施設の現状である。
住まいは生活行為の舞台であり、生活展開のしつらえをさまざまに内包している。しかし従来のこうした施設では生活展開のためのしつらえは乏しく、鉄筋コンクリートの単調で無機質な箱である場合が常である。
痴呆性高齢者は頭の中で想定したり、応用したり、臨機応変に振る舞ったりすることができず、ある意味で環境に対して非常に正直に反応する。したがって、空間や環境の貧しさがそのまま行為の貧しさに直結しやすいのである」。
2019年03月27日
施設ケアの状況
グループホームが登場した背景には、きのうまで見てきた「在宅ケアの状況」とともにもう一つ、「施設ケアの状況」があります。
外山さんは、当時の痴呆性高齢者160万のうち、施設にいる残りの3分の1について、「生活しておられる」とか「暮らしておられる」とかいうようには「表現できない現実がある」と指摘します。
ここでいう「施設」というのは、特別養護老人ホーム、老人保健施設いわゆる老人病院、それに精神病院の一部を指しています。
これらの施設は、もともと認知症(痴呆症)ケアのためにつくられたものではありません。
記憶障害や見当識障害など、認知症の中核症状に対する根本的な対応を見出せないまま、集団管理的なケア形態で処遇しているのが実情だったのです。
2019年03月26日
自立意識の弱体化
家族が思っている認知症高齢者の願いや要望は、ほんとうに本人のものと一致しているのでしょうか。外山義は、問いかけます。
高齢者の心身機能が衰えていくと、まわりにいる家族がさまざまな日常生活の行為を代わりにやってあげるようになります。
逆に、高齢者のほうもまた、しだいに家族に依存していくようになります。
在宅での同居生活では、本来高齢自身がすべきことを、家族が代行したり代弁したりする場面が多くなっていくです。
こうした繰り返しのなかで家族は、自分がこの高齢者のことをもっとも理解し、助けているという思いを徐々に強くしていきます。
実は、この「思い」のなかに、介護者としての家族の「都合」や「思い込み」が少なからず混入しているということに、家族は気づいていません。
ほんとうは高齢者本人の意思に基づかなければならない問題を、家族が自分の願望の延長で話したり、本人の願いを確かめずに決めつけてしまうことが起こりやすくなるのです。
こうして生じた「ズレ」を、確かめたり、調整することは、とくに認知症高齢者の場合は容易なことではありません。
外山さんは、このような家族同居のありかたによって「高齢者が弱体化していく」と考えます。
そして高齢者本人の自立意識がしだいに弱まり、自分が何を望んでいるのか徐々に不明瞭になることの「危険性」を指摘します。
「人生最後の幕引きをどうしたいのか、最後の日々をどう過ごしたいのか。これはとても大切なことで、本来、本人の願いを中核にして決定されるべき事柄である。
一見、人間が大切にされているように見えて、じつは大切にされていない日本社会の日常が、ここにもよく見てとれるだろう」(『自宅でない在宅』p107)
2019年03月25日
家族であるがゆえに
グループホームを考えるうえで認知症高齢者の在宅ケアの問題として、外山さんは日本社会における「家族」の存在へと目を向けています。
とくに、日本の認知症高齢者介護で「家族」がどのような意味を持ち、どう位置づけられるかについてです。
言うまでもなく家族は、通常、介護されている高齢者にとって最も身近な存在です。
しかし、元気に活躍しているころをよく知っている身近な家族であればこそ、いっそう、眼前にあらわれてきた認知症のさまざまな症状を呈する状況を受け入れるのは困難になります。
ねえちゃのケースを振り返ってみても、「あんなにしっかりしていたのに、まさか」という気持ちからなかなか抜け出すことができず、苛立ち、当人にあたり散らすこともしばしばありました。
むしろ、近しい家族であるがゆえに、受容しがたく、冷静であることが難しいのです。外山さんはさらに、次のように指摘しています。
〈加えて、痴呆症の介護は24時間の継続的な対応が必要となることが多く、家族はひとたび介護を負いはじめると、みずからの仕事や学びを諦める。すなわち自己実現を断念せざるをえない状況にしばしば追い込まれることになる。
介護を負わざるをえない現実のために自己実現を放棄させられた状況下での介護は、ストレスがきわめて大きいであろう。精神的に健康な状態を保つことがむずかしく、そうかといって途中で放り出すこともできない。
これが専門職のスタッフであれば、ケアを担うこと自体が自己実現であるからその種のストレスがなく、力も発揮しやすいのである。〉
介護を負わざるをえない現実のために自己実現を放棄させられた状況下での介護は、ストレスがきわめて大きいであろう。精神的に健康な状態を保つことがむずかしく、そうかといって途中で放り出すこともできない。
これが専門職のスタッフであれば、ケアを担うこと自体が自己実現であるからその種のストレスがなく、力も発揮しやすいのである。〉
2019年03月24日
「線」的ニーズと「点」的サポート
認知症高齢者グループホームがどうして登場し、全国にめざましい勢いで普及しつつあるのか。
遺作となった2003年7月発行の『自宅でない住宅』の中で外山義さんは、「その背景は2つある」として、①痴呆性高齢者ケアの現状と②施設ケアの現状をあげています。
まずは、①の痴呆性高齢者ケアの「現状」、すなわち、この本が出版された当時の認知症高齢者ケアの状況について筆者は次のような視点から考察を始めます。
〈日本には約160万人の痴呆性高齢者が存在していると推計されているが、そのうちの約3分の2は在宅にあって主として家族の介護を受けて生活している。
2000年4月からは介護保険が導入され、24時間巡回型のホームヘルプサービスが全国に普及しつつある。
在宅の要介護高齢者を朝・昼・晩・夜と「点」的に間歇的にサポートすることにより、在宅での居住継続を支援していこうとするねらいである。
しかし、24時間継続的に「線」的なケアニーズをともなう痴呆症のケアは、そうした「点」的なサポートでは対応しきれない。
家族が解放されることなく介護に縛りつけられ、最後には家族側も疲弊し共倒れになる状況がある。〉
ケアの「線」的ニーズに対する「点」的サポートの限界について、端的に指摘しているのです。
2019年03月23日
建築家外山義
認知症グループホームの制度化や特別養護の個室化、寝たきりゼロ作戦などで重要な役割を果たすとともに、日本の超高齢化社会に向けて深い洞察力を示した外山義(とやまただし)さん=写真、『自宅でない在宅』から=という建築家がいました。
外山さんは、1982年から1989年までスウェーデン王立工科大学に留学し、帰国後は、病院管理研究所(後の国立医療・病院管理研究所)の主任研究員として、高齢者のケアと住環境の研究に携わりました。
1990年には「高齢者の自我同一性と環境-生活拠点移動による環境適応に関する研究」で、日本建築学会奨励賞(論文)を受賞。
制度化がスタートした前後からグループホームに取り組み、「炉端の家」(岡山県笠岡市、1996年)、「こもれびの家」(宮城県名取市、1997年)、「いわうちわの里」(富山県下新川郡宇奈月町=現黒部市、1999年)、「ならのは倶楽部」(奈良県奈良市、2000年)、「ぼだいじ」(滋賀県甲賀郡甲西町=現湖南市、2002年)などの設計をしています。
また、1998年に完成した秋田県鷹巣町(現・北秋田市)の「ケアタウンたかのす」など、それまで相部屋が当たり前だった特別養護老人ホームに「個室」によるユニットケアを導入したことでも知られています。
しかし外山さんは、京都大学大学院工学研究科の教授を勤めていた2002年、惜しくも、52歳の若さで急逝されました。
きょうからしばらくの間、そんな外山さんの最後の著書『自宅でない在宅-高齢者の生活空間論』(医学書院)から、グループホームとはどういうものなのか、少しずつ掘り下げて考えていきたいと思います。
ちなみに、この本のトビラには、外山さんの次のような言葉が載っています。
「ぜひ前のめりに進んでいきたいなと思います。前のめりになって転ばない方法は、足を出すことです。ユニットケアは、一歩踏み出すなかで見えてくるものだと思います。倒れないように前に進みましょう」
2019年03月22日
全国ネットワーク
グループホームの制度創設から2年後の1999(平成11)年1月には、一般の民家などを利用した小規模の在宅介護支援施設である宅老所も含めたネットワーク組織「宅老所・グループホーム全国ネットワーク」も誕生しました。
下記に引用する平成11年1月23日付の設立趣旨書を見ると、当時のグループホームを巡る状況をうかがうことができます。なお、趣旨書の中にある「デイサービスセンターE型」というのは、痴呆性高齢者向け毎日通所型のデイサービスセンターのことです。
〈私たちは、痴呆症の高齢者が、これまで送ってきた普通の生活を地域の中で可能な限り継続していただくことを支援する、宅老所やグループホームなどの小規模で多機能なケアホームを先駆的に取り組んできました。
こうした先駆的な取り組みが、痴呆高齢者が毎日利用できる「デイサービスセンターE型」や共同で生活する「グループホーム」の国庫補助事業を生み、さらには地方自治体単独の弾力的な補助事業の創設を生み出してきたと考えています。
私たちの中には、既に社会福祉法人格を所得し国庫補助事業を運営しているところもありますが、公的補助を受けることなく自主運営をしているところや、公的補助を受けたくとも認められずやむなく自主運営を強いられているところもあります。
こうした宅老所やグループホームは、1980年代半ばから先駆的に始められ、ほとんどはこの5年間以内に開設されたものです。デイサービスセンターE型をも含みますと、現在1300カ所を越えるとされ、そのうちの半数近くは法人格のない住民団体や個人の運営とされています。
平成12年度よりスタートする介護保険下では、サービス提供機関となると同時に痴呆症高齢者と支える住民の地域福祉の拠点ともなり得るものと期待されています。しかしながら、私たちの国における痴呆症高齢者のケアは試行錯誤の域を脱するまでには成熟しておらず、宅老所やグループホームが先駆的に、痴呆症高齢者が求めているであろうケアを実践し実証してきました。
このような経過から、痴呆症高齢者のケアのさらなる充実を目指す、宅老所やグループホーム実践者の、ゆるやかに全国をネットワークする必要性が求められてきました。 そこで、この1年間に急速に組織化された都道府県単位の8連絡会と、先駆的に進めてきた宅老所・グループホームが呼びかけ人となって、このたび標記「宅老所・グループホーム全国ネットワーク」を設立することになりました。
このネットの特徴の一つは、従来型の、公益法人格を有したうえで国庫補助を受けているホーム(施設)と、地方自治体の補助を受けているホーム、そしてその他のホームというように、運営形態別に組織化されていたものから、痴呆症高齢者のケアという共通の目的で公私の宅老所やグループホームがネットすることにあります。
二つめは、宅老所やグループホームは全国一律という考え方よりも、より地域性を生かした運営が求められることから、都道府県などの地方自治体を意識した全国ネットということです。具体的には①痴呆症高齢者のケアに関する情報の収集と提供、②相談、③研修、④研究、⑤社会的な提言など、宅老所・グループホームを推進することを目的とし結成するものです。〉
2019年03月21日
あたりまえの暮らし
きのう見たように、グループホームは1997年度の痴呆対応型老人共同生活援助事業として、制度的にスタートをきりました。
初年度の全体予算は1億6496万3000円、実施か所は25カ所。翌1998年度の全体予算は3億8997万7500円、実施か所47カ所に及んでいます。
グループホームがめざしているのは、「痴呆」を問題として扱うのではなく、①痴呆になっても人としてあたりまえに暮らしつづけることであり、②住みなれた町の中でその人らしく豊かに生きていること、です。
制度化された直後の1997年11月に早くも出版された『ボケなんて怖くない「グループホームしせい」の挑戦』には、自分たちで料理や掃除、洗濯などふだん家庭でやっているようなことをするなかで、持てる力を生かしながら、役割をもって生活する姿を引き出すケアの実践について描かれています。
それは、大規模な収容者をもつ施設ケアによる管理された生活ではなく、小規模で家庭的な環境での、限りなく在宅に近い痴呆性高齢者の施設介護としてのグループホームの姿でした。
2019年03月20日
認知症対応型共同生活介護
ねえちゃが入って1年が過ぎた認知症高齢者グループホームとはいかなるものなのか。
法的には「認知症対応型老人共同生活援助事業」が行われる共同生活を営むべき住居として設けられた建築物、と定義されます。
では、認知症対応型老人共同生活援助事業というのは何なのかというと、介護保険法の規定による「認知症対応型共同生活介護」に係る居宅介護サービス費の支給を受ける者などが、共同生活を営むべき住居において入浴、排せつ、食事等の介護その他の日常生活上の援助を行う事業、ということになります。
そして、ここでいう認知症対応型共同生活介護はというと、ねえちゃのように「要介護者であって、脳血管疾患、アルツハイマー病その他の要因に基づく脳の器質的な変化により日常生活に支障が生じる程度にまで記憶機能及びその他の認知機能が低下した状態であるもの」が対象になるのです。
ただし、認知症が原因で著しい精神症状や異常行動を呈する者や、認知症の原因となる病気が急性の状態にある場合は、原則としてその治療が優先されるために、認知症対応型共同生活介護を受けることは出来ません。
2019年03月19日
食パン屋さんに
一カ月余りぶりに、長野市のねえちゃの家を訪ねました。アルプスの峰々は、雪で美しく彩られていましたが、市街に積雪はありませんでした。
空き家に近い状態になったので、雪や凍結が心配でしたが、大きな支障やトラブルはなく冬を乗り切れたようです。
郵便受けも、宅配ピザや不動産屋さん、選挙関係などのチラシがいくらか入っているだけで、手紙はほとんど無くなってきました。
留守番電話も一件だけ。水道洩れもないようで、水道料金の業務受託者から「使用水量ゼロ」だった旨の通知がありました。
グループホームへ入って、ねえちゃが自宅を留守にするようになって一年がたった間に、いちばん近い“お店”で何かと重宝していたファミリーマートが閉店してしまいました。
そのあとには、高級「生」食パン専門店「乃が美」の長野店が4月中にはオープンするのだとか。不在のあいだに、街も少しずつ変わっていきます。
2019年03月18日
1周年
ねえちゃがいま暮らしているグループホームへ入って、きょうでちょうど1年となりました。
昨年の3月18日は、日曜日でした。前の日にここへ初めて見学に行って契約を交わし、衣類、寝具、履物など、当面必要なものを徹夜でまとめて……。
引っ越しシーズンで荷物を運んでくれるところはなかなか見つかりませんでしたが、「荷物を届けたあとに寄ってもいい」という赤帽さんが1件だけありました。
ねえちゃは、親しくしていただいているご近所のかたたちに励まされ、お隣のかたの車で送ってもらってあわただしくグループホーム生活へと突入しました。
きょうも、いつものように夜、ねえちゃから電話が来たので「きょうで、ちょうど1年になるんだよ」という話をしました。
ねえちゃは、いつものように「信じられない」という様子で、「えぇっ、ほんと、そんなに~。ほんとに、そんなになるの。バカんなっちゃったんだね。ぜんぜん覚えてない。バカんなっちまって。みんなに迷惑かけてるんだね」。
それでも、この1年、これといって嫌がることも、心配ごともなく、グループホーム生活を謳歌しているようです。
2019年03月17日
小規模多機能型居宅介護
このブログでも以前書きましたが、通常は、きのう見た1985年に始まる「バルツァゴーデン」のようなスウェーデンのケアを取り入れて、1990年代初めに日本のグループホームが誕生した、といわれています。
とはいえ、日本国内でも1980年代には、大規模施設へ収容して管理するあり方への反省から、支援が必要な高齢者のための“居場所づくり”の試みが各地で行われていました。
たとえば1987年には、島根県出雲市に小規模多機能型居宅介護を掲げる「ことぶき園」が民間の非営利団体として開設されています。
小規模多機能型居宅介護というのは、住み慣れた地域で、「訪問」「通所」「短期間滞在」の3種類を組み合わせて、介護その他の日常生活上必要な世話や機能訓練を行うサービスです。
家族的な環境作りや地域との交流に気を配りながら、住み慣れた自宅で自立した日常生活を営むことができるよう、要介護者の状態や希望に応じてケアするように工夫されています。
随時訪問や通所、宿泊を一体化させて、顔なじみのスタッフから介護を受けることができるので、人見知りのお年寄りでも安心して利用することができます。
このように、国内で自発的に生まれたケアの手法と、スウェーデンなど海外の手法を合わせるかたちで1997年、老人福祉法及び介護保険法の規定に基づく認知症対応型老人共同生活援助事業の「共同生活を営むべき住居」として設けられたのが認知症高齢者グループホームでした。
2019年03月16日
バルツァゴーデン
いまの認知症高齢者向けグループホームは、1985年に始まったスウェーデンの「バルツァゴーデン」というグループホームのプロジェクトにさかのぼるとされます。
プロジェクトの中心になったのは、バルブロ・ベック=フリス(Barbro Beck-Friis)さん=写真=という女性です。
バルブロさんは、ウプサラ大学で医学教育を受けた後、1969年から20年余りにわたりストックホルムの南西にあるモタラ市の病院で、認知症のお年寄りの治療やリハビリの仕事に携わりました。
決め手になる薬もなく、病気はいっこうに治らず、認知症老人たちは病院のベットをふさぐ「ベットブロッカー」といわれて煙たがられる。
そんな中で、認知症のお年寄りが必要とされているのは病院ではないのではないかという疑問を抱くようになり、モタラ市の住宅街で大きな家を借りて試みたのがグループホームだったのです。
このプロジェクトは大きな注目を浴び、スウェーデン国内だけでなく「世界的にも多くのグループホームケアにおけるケア基準を生みだ」(バルブロ・ベック=フリス『今、なぜ痴呆症にグループホームか』)すことになります。
2019年03月15日
ノーマライゼーション
「ノーマライゼーション」という言葉があります。障害をもっていても、そうでない人たちといっしょに、地域社会で普通に暮らしていける福祉環境の整備、実現を目指す考えかたです。
1950年代、デンマークの知的障害者収容施設でさまざまな人権侵害が行なわれていたことに対して、行政官のニルス・エリク・バンク=ミケルセン=写真、wiki=が提唱した理念です。1959年に同国で制定された知的障害者法に盛り込まれ、欧米諸国に広まりました。
障害者ら社会的弱者は、社会から排除・隔離して特別な施設へ閉じ込めておけばいい。そうしたかつての誤った考えかたを改めて、障害をもった人もそうでない人とともに、社会の中でふつうに生活できるような環境をつくっていこうとするものです。
ノーマライゼーションは、日本でも、1981年の国際障害者年をきっかけに認知されるようになりました。そして障害者の人たちだけでなく、ねえちゃのような認知症高齢者についても、その理念があてはめられていくことになります。
そして従来の施設とは違い、できる限り在宅に近い介護を目指す認知症高齢者グループホームもまた、ノーマライゼーションの思想が根底に置かれているのです。
2019年03月14日
命日
きょうも夜8時ごろ、ねえちゃから電話がかかって来たので、「きょうは何の日か覚えてる?」と聞いてみました。
「ええっ~、何だったっけ?」
「もう、あれから8年になるんだよ。きょうは、おじいさんの命日でしょ」。
「ええっ~、ほんとぅ、もうそんなになるんだ。バカんなって、そんなことまで忘れちまって」。
「テレビのニュースで、東日本大震災から何年とか言ってたら、おじいさんが死んでからそれだけの年月が経ったってことなんだよ」。
「おじいさんが死んで8年。おばあさんが今いるグループホームへ入って、もうすぐちょうど1年だ」。
「ええっ~、うそ、ええっ~、おばあさん、そんなに、ここに居るの!」
その驚きは、連れ合いの命日のことより、はるかに強烈なようです。
こうした会話を何度か繰り返して、ねえちゃはショックを受けながらも、そのショックもすぐに忘れて、ほどなくいつものように平静を取り戻しました。
「それじゃ、もう寝るだ。おやすみ~」。
2019年03月13日
胃痛
ねえちゃのグループホームから、2月の生活記録がとどきました。
隣の棟でインフルエンザにかかった人が出たとかで、念のためタミフルを服用したり、みんなでいっしょに食事するのを避けて自分の部屋で食べたりと、ちょっと、いつもと違う、神経を使う日々がつづいた模様です。
そんなことも影響したか、2月21日には珍しく、夜中に「みぞおちの辺りがジーンと痛い」と胃の痛みを訴える、といったハプニングもあったようですが、1時間半後には「スーっと良くなってきた」。
スタッフのかたたちには、ご面倒をかけましたが、然したることなく収まって、いつものように「アタマ以外は元気な」ねえちゃにもどりました。
インフルエンザは、幸いグループホーム内に広がりを見せることなく、いちおう終息。何よりでした。
ただ、つい先日の世界保健機関(WHO)の発表では、インフルエンザの年間の感染者数は全世界で約10億人、死者数は数十万人に及び、新たなパンデミック(世界的大流行)の発生は「避けられない」と警告しているとか。
感染症はどこで、いつ、思わぬ事態が起こらぬとも限らないので、特別なことがない限り、もうしばらくは、ねえちゃへの面会はひかえておこうかな、と思っています。
2019年03月12日
スウェーデン発
本人は当然ぜんぜん覚えていませんが、ねえちゃがグループホームへ入って、まもなく丸1年になります。うまく適応できるかどうか当初はすごく心配でしたが、ホームの生活にすっかりなじんで、楽しくやっているようでホッとしています。
現在の形態に最も近い痴呆性高齢者グループホームは、福祉先進国のスウェーデンで1980年代にはじまりました。ごくふつうの二階建ての家で行われている「グループリビングケア」と呼ばれる介護サービスが、その発祥といわれています。
90年代に入ると、さまざまな試行錯誤の成果を受けて痴呆性高齢者ケアの切り札として位置づけられるようになり、スウェーデンでは一般的なものとして普及していきました。
日本でも1990年代初めまでに先駆的事業者による取り組みがはじまり、1997年には「痴呆対応型老人共同生活援助事業」として制度化されます。
そして、きのう見たように、2000年4月から施行された介護保険制度において、グループホームは在宅サービスのメニューの一つとして位置づけられることになりました。
日本のグループホームは、産声を上げてから飛躍的な伸びを続けてきました。
認知症高齢者グループホームの事業所数は、2000年10月時点で675だったのが、2001年には1273、02年2210、03年3665、04年5449、05年7084、06年8350、07年8818、08年9292、09年9958、10年10453、……。
認知症高齢者グループホームの事業所数は、2000年10月時点で675だったのが、2001年には1273、02年2210、03年3665、04年5449、05年7084、06年8350、07年8818、08年9292、09年9958、10年10453、……。
介護保険制度ができて10年間で1万カ所を超えるまでに増えたのです。
この背景には、ゴールドプラン21の中で2004年度末までに3200カ所という目標が掲げられ、建設費の公的補助も拡充されたことなどがあげられますが、何よりも、急速な高齢化に伴う需要の拡大があったと考ることができそうです。
2019年03月11日
グループホームの普及
きのう見た「ゴールドプラン21」のなかで、今後取り組むべき具体的施策の6つの大きな柱の一つとして「痴呆症(現在は認知症)高齢者支援対策の推進」が掲げられました。
なかでも注目されるのが、これまで設置目標を定めていなかった認知症高齢者グループホームについて、2004年度までに3200か所整備する方針を打ち出した点です。
2000年度に制定された介護保険法に基づいて、介護保険制度が確立されました。介護が必要になったとき、住み慣れた家や地域で安心して生活ができるよう、介護を社会全体で支えようという制度です。
この制度では、要介護認定がグループホームの入居条件の一つになっていて、要支援2から要介護5までの認定者が利用の対象となりました。
グループホームへの仲介は市区町村の介護課や社会福祉協議会では行わないので、ねえちゃもそうでしたが、要介護者またはその家族が探さなければなりません。また、空き状況の管理も一元化されてはおらず、直接グループホームに確認する必要があります。
それでも、介護保険法に基づく介護サービス給付が受けられるようになってグループホームは、急速に普及していくことになりました。
グループホームの件数は、2005年1月時点で約6000件と、「2004年度までに3200か所」の計画を大幅に上回り、2009年末現在では10000カ所以上に達することになりました。
2019年03月10日
ゴールドプラン21
きのう見た新ゴールドプランの5年間が終わった1999年の12月には、さらに「今後5か年の高齢者保健福祉施策の方向~ゴールドプラン21~」が策定されました。
2000(平成12)年に介護保険制度が施行されるなど、保健福祉サービスが新たな段階を迎えた状況をふまえて、高齢者保健福祉施策の一層の充実を図ることが目的とされました。
「ゴールドプラン21」の期間は、平成12年度から平成16年度までの5か年間。取り組むべき具体的施策には、次の6つの柱が掲げられています。
①介護サービス基盤の整備~「いつでもどこでも介護サービス」~
②痴呆症(現在は認知症という)高齢者支援対策の推進~「高齢者が尊厳を保ちながら暮らせる社会づくり」~
③元気高齢者づくり対策の推進~「ヤング・オールド(若々しい高齢者)作戦」の推進~
④地域生活支援体制の整備~「支えあうあたたかな地域づくり」~
⑤利用者保護と信頼できる介護サービスの育成~「安心して選べるサービスづくり」~
⑥高齢者の保健福祉を支える社会的基礎の確立~「保健福祉を支える基礎づくり」~
認知症高齢者支援対策が柱の一つに掲げられています。
最終年度の平成16年度における介護サービス提供の見込量(一定の前提条件の下で試算した参考値を含む)は、下記のようになっています。カッコ内は平成11年度の新ゴールドプランの目標値です。
最終年度の平成16年度における介護サービス提供の見込量(一定の前提条件の下で試算した参考値を含む)は、下記のようになっています。カッコ内は平成11年度の新ゴールドプランの目標値です。
・訪問介護 225百万時間(-)
・ホームヘルプサービス 35万人(17万人)
・訪問看護 44百万時間(-)
・訪問看護ステーション 9900か所(5000か所)
・通所介護(デイサービス)/通所リハビリテーション(デイ・ケア) 2.6万か所(1.7万か所)
・短期入所生活介護/短期入所療養介護 9.6万人分(6万人分)
・介護老人福祉施設(特別養護老人ホーム) 36万人分(29万人分)
・介護老人保健施設 29.7万人分(28万人分)
・痴呆対応型共同生活介護(痴呆性老人グループホーム) 3200か所(-)
・介護利用型軽費老人ホーム(ケアハウス) 10.5万人分(10万人分)
・高齢者生活福祉センター 1800か所(400か所)
「ゴールドプラン21」の段階になって、ねえちゃがいま暮らしているグループホームも本格的に普及していくことになったわけです。
2019年03月09日
新ゴールドプラン
1989年に発表されたゴールドプラン(高齢者保健福祉推進10か年戦略)は、きのう見たように、1990年から1999年までの10年間に6兆円以上を投じて、特別養護老人ホームの整備や、ホームヘルパー・デイサービス・ショートステイによる在宅福祉対策などを進めるものでした。
しかし、高齢化が当初の予想をはるかに超えて急速に進んでいたことが判明したため、1994年に全面的に改定された新ゴールドプラン(高齢者保健福祉5か年計画)が策定されることになりました。
改訂では、1995年度から1999年度までの総事業費を、現行のゴールドプランに係る部分を含めて「9兆円を上回る規模」へと3兆円引き上げたうえで、当面の整備目標として次のような見直しをしました(カッコ内は現行)。
①在宅サービス
・ホームヘルパー 17万人(10万人)
・ホームヘルパーステーション 1万か所(-)
・ショートステイ 6万人分(5万床)
・デイサーピス/デイケア l.7万か所(1万か所)
・在宅介護支援センター 1万か所(l万か所)
・老人訪問看護ステーション 5000か所(-)
②施設サーピス
・特別養護老人ホーム 29万人分(24万床)
・老人保健施設 28万人分(28万床)
・高齢者生活福祉センター 400か所(400か所)
・ケアハウス 10万人分(10万人)
③マンパワーの養成確保
・寮母・介護職員 20万人(-)
・看護職員等 10万人(-)
・OT・PT 1.5万人(-)
政府の見通しの甘さも無かったとはいえないでしょうけれど、高齢化の影響がいかに大きなものであったかをうかがうことができます。
2019年03月08日
ゴールドプラン
1980年代、在宅介護の充実にとって大きな節目となったのが、日本に消費税が導入された1989(平成元)年に策定された「高齢者保健福祉推進十カ年戦略(ゴールドプラン)」でした。
同計画で、数値目標をもって、在宅福祉事業が積極的に進められるとともに、計画を円滑に推進するため、1990(平成2)年に老人福祉法等が改正され、全市町村及び都道府県が「老人保健福祉計画」を策定することが義務づけられることになりました。
ゴールドプランとは「高齢者保健福祉推進十か年戦略」の別称。1990年から1999年までの10年間をかけて長期的に高齢者介護の基盤整備を進めようと、大蔵(現在の財務省)・厚生(厚生労働省)・自治(総務省)の3大臣の合意により発表されました。
ゴールドプランの特徴は、全国規模で介護基盤の整備を進める方針を、数値的に明確化したことがあげられます。
在宅福祉対策では、①ホームヘルパー10万人、②ショートステイ5万床、③デイサービスセンター1万か所、④在宅介護支援センター1万か所、
施設福祉対策では、①特別養護老人ホーム24万床、②老人保健施設28万床、③ケアハウス10万人、④過疎高齢者生活福祉センター400か所、
といった数値目標が示されました。また「ねたきり老人ゼロ」に向けて、地域において機能訓練を受けやすくする体制の整備、健康教育などの充実、介護を支える保健婦や看護婦の計画的配置が掲げられました。
ゴールドプランの大項目をあげると、次のようになっていました。
①市町村における在宅福祉対策の緊急整備~在宅福祉推進十か年事業~
②「ねたきり老人ゼロ作戦」の展開
③在宅福祉等充実のための「長寿社会福祉基金」の設置
④施設の緊急整備~施設対策推進十か年事業~
⑤高齢者の生きがい対策の推進
⑥長寿科学研究推進十か年事業
⑦高齢者のための総合的な福祉施設の整備
2019年03月07日
老人性痴呆疾患センター
きのう見た痴呆性老人専門治療病棟が発足した1989(平成元)年には、「老人性痴呆疾患センター」も開設されています。
同センターは、認知症専門医療の提供と介護サービス事業者との連携を担う中核機関として、都道府県や指定都市から指定を受けた医療機関です。
これには平成元年度から平成18年度まで予算が計上されましたが、地域の関係機関との連携などで十分に機能を果たしていないことが課題となって見直され、現在は、認知症疾患医療センターとして引き継がれています。
認知症疾患医療センターは、厚生労働省が2008(平成20)年から創設を進め、都道府県を範囲とする大学や総合病院の「基幹型」、精神科だけの病院も含む二次医療圏ごとの「地域型」、2012年に公表された認知症施策推進5か年計画(オレンジプラン)では、さらに「診療所型」の認知症医療支援診療所も認定されることになっています。
基幹型や地域型には、専門医や専門看護師のほか、精神保健福祉士、臨床心理技術者などをそろえ、画像診断、神経心理学的な検査などから認知症を総合的に診断・治療するとともに、地域のかかりつけ医や病院と連携を図っていきます。
患者や家族からの相談や住民への啓発、専門職の研修、介護機関との連携なども担っています。また、基幹型は救急にも対応します。
2013年10月時点で、基幹型は11か所、地域型は226か所。厚生労働省は、診療所型をあわせて500か所を目ざしています。
2019年03月06日
痴呆性老人専門治療病棟
これまで見てきたように、痴呆性老人対策推進本部が1986年にでき、翌年には同本部の「報告」が出たことで、ともかくも前へと進んでいくことになりました。
1989年にはまず、「痴呆性老人専門治療病棟」を発足しています。精神症状や問題行動があるものの、寝たきりでない痴呆性老人で、自宅や他の施設で療養が困難な人を対象に、短期集中的に精神科的治療とケアを提供する施設です。
介護療養型医療施設の一種として位置づけられ、特別養護老人ホームと比べ、医学的な管理が必要な人を対象としてきました。
1室あたりの定員は4人以下で、入院患者1人当たりの面積は6.4平方メートル以上。ユニット型の場合、病室を共同生活室に近接して一体的に設置し、1ユニットの定員はおおむね10人以下となっています。
さらに、昼間は1ユニットごとに常時1人以上、夜間や深夜は2ユニットごとに1人以上の介護職員か看護職員を配置、ユニットごとに常勤のユニットリーダーを配置するなどの基準も加わりました。
しかし、痴呆性老人専門治療病棟を含めた介護療養型医療施設は、医療をほとんど必要としない入所者が多くなってきていることなどから、昨年4月に創設された介護医療院などが代替することとなり、2024年3月末日で廃止される予定になっています。
2019年03月05日
専門病棟
昭和62(1987)年8月に出された痴呆性老人対策推進本部の報告で、施設対策として最も緊急を要するとしているのが、「精神症状や問題行動の著しい痴呆性老人の受入施設の問題」です。
当時の状況では、痴呆性老人を抱える家族が多大の精神的、身体的負担を余儀なくされている一方で、既存の体系の枠内では、必ずしも施設が十分な医療や介護を行い得ていない、と断定しています。
そして、特に精神症状や問題行動の著しい痴呆性老人に対しては、「魔の3ロック」といわれるような行動制限や薬物多用といった治療方法よりも「生活機能の回復等に重点を置いて、精神科的な専門医療と十分な介護を行うことが適当」として、そうした医療、介護を可能とする痴呆性老人専門の病棟を、老人人口や医療の供給体制など各都道府県の特性に応じて整備すべきであると強調します。
そして、この病棟にはデイ・ケアを行うための施設を併設し、介護家族の支援や退院の円滑化に役立てる、としたうえで、専門治療病棟の整備や普及を図るために、適切な病院を選んでパイロット事業を実施するとともに、回廊式廊下やリハビリテーション機器などの特殊な施設設備の整備と適切な人員確保に努めることなどを提言しています。
2019年03月04日
「一元的」な体制
グループホームにいるねえちゃは毎晩、電話をくれますが、一昨日「どこにいるのか、何が何だかわからなくて」と落ち込んでいたかと思うと、昨晩、今夜は、そんなのどこ吹く風で、すっかり明るい声で元気です。感情の起伏が大きくなってきているな、と思います。
このブログでいまみている、日本の認知症対策のスタート地点となった痴呆性老人対策推進本部の報告(1987年)でも、「痴呆性老人」の感情面についてふれています。
すなわち、「痴呆の進行に伴い知能が低下しても、感情機能は保たれていることが多いから、恐怖感、焦操感、孤独感といった“心の痛み”を感じやすく、しかられたり、とがめられたりした場合など極度の緊張を強いられると、精神症状や問題行動を生ずることにもなる。
したがって、人間としての尊厳を保つよう、かつての生活歴や性格を踏まえながら、痴呆であるという現実を受け入れ、そのペースに合わせた受容的態度で接するなど、その介護者には他の要介護老人の場合にはみられない特別な配慮が求められる」というのです。
認知症高齢者の抱える“心の痛み”のありようについて、この時点ではまだまだ具体的に、十分、把握できていたとは思われませんが、それまでの通常の要介護老人の場合とは異なる「特別な配慮」を求めている点は評価していいでしょう。
そして「報告」では、このような「特別な配慮」が必要にもかかわらず、「介護家族は、痴呆性老人そのものや介護方法についての情報、知識が乏しいことから、戸惑い、焦り、誤解などのために対応を誤り、症状を悪化させるなど自が困難な状況を作り出している」として、国に対して「率先して、介護家族に対し老人の痴呆そのものや介護の在り方、方法等についての啓発普及に努める」ことを求めています。
さらに認知症患者の医療的処遇については、「精神科ないし一般的医療や介護を始め様々な方面からの対応が求められるが、現在のところ各般の施策は、精神保健、老人保健、老人福祉等別々の体系によって講じられており、相互の連携も必ずしも図られていない」として、国に「一元的、総合的な取組を可能とする組織体制と連携の在り方」を検討すべき、としています。
当時に比べれば、認知症に対する認識や「一元的」な体制は格段に進んできているは確かでしょうが、ここでの提言には、いまも耳を傾けなけれればならない論点が少なからず含まれているようにも思われます。
2019年03月03日
精神病院と違う医療施設
1987(昭和62)年8月に痴呆性老人対策推進本部が出した報告では、施設における介護についても提起しています。
報告では、痴呆性老人は、寝たきり老人に比べても医療面のニーズが高く、介護がより複雑で量的負担も大きいため、家庭で介護しきれない場合の受入施設が必要としています。
そのうえでまずは、既存の施設体系の中で受入れを促進していくこととして、前提となるマンパワー等を確保していく必要があるといいます。
精神症状や問題行動が著しい痴呆性老人には、専門的な精神科医療が必要になりますが、報告では「現在の精神病院の施設・設備や人員配置の基準では、十分な処遇を行うことは困難である」と指摘。
治療効果の上からも、「治療目的も方法も異なる一般の精神病患者とは区分して処遇することが適当である」といっています。
この段階でようやく、鉄格子の独房に閉じ込められたり、手足を縛りつけられたり、といったことがまかり通っていた精神病院とは異なる待遇の医療施設が求められるようになったわけです。
さらに、そのためには「痴呆性老人を受け入れ、短期間で集中的に専門的医療と手厚い介護を行う専門の病棟を整備していく必要がある」として、専門病棟の整備も掲げています。
同時にまた、退院・退所したあとの在宅介護を支援するサービス機能の充実も重要だといいます。
2019年03月02日
ウッソー!
ねえちゃがグループホームへ入って、もうすぐ1年になります。
何もかもが頭に残らないようになって来てはいますが、寝る前に毎日必ず私のところへ電話をかけることだけは、依然としてなぜか忘れません。
話すことといえば、たいていは「おばあさん、どこに居るんだろう? ここに居ていいの?」。きのうもそうでしたが、10分くらいしてまた電話が掛かってきて同じことを繰り返し聞く、ということもしばしばです。
「そこが、いまのおばあさんのウチ。そこで暮らすようになってもうすぐ1年になるんだよ」と答えると、いつも「ウソッー。そんなに長く居るの!」と、ぜったい信じられないというように大声を出して驚いて「おばあさん、そんなにバカんなっちゃったんだね」としばし落ち込みます。
季節や時間の経過など、時間感覚が失われていく見当識障害が進んでいるせいでしょうか。
それでも、「バカんなったから嫌なこともみんな忘れちゃっていいじゃない。のんびり“バカ生活”を楽しみなよ」などというと、落ち着いてきます。
グループホームの担当の人もいいますが、特別に興奮することもなく、最後は「ここがウチだと思っていればいいんだね」と、穏やかな対応にもどる。それが、救いです。
2019年03月01日
体系的な研究
以前見たように、アルツハイマー病はそもそも、ドイツの精神科医アロイス・アルツハイマーが診断した患者アウグステ・データーに関する症例を、1906年に学会発表したことに始まります。
「アルツハイマー病」とされたこの病気をどういうワク組みでとらえるか。その後、ヨーロッパではさまざまな議論をよんでいくことになりました。
その学会発表から80年後、痴呆性老人対策推進本部が設置された日本でも、ようやく、この病気についての調査研究の重要性が叫ばれるようになりました。
いま読んでいる同本部の報告書では、アルツハイマー型痴呆について「その原因・発生メカニズムが不明であり、なによりもその究明が急がれている段階にあるが、欧米諸国においては、老化研究の最重要テーマとして重点的に研究されているのに比べ、我が国は研究が立ち後れている現状にある」と位置づけて、遅ればせながら早急に研究体制を整備し、研究を進める必要性を強調しています。
こうして、原因不明で、日本でも多くの人に老後の不安をもたらすようになってきたアルツハイマー型痴呆に関する研究を始めるとともに、相互の連絡調整をとりながら体系的で集中的な研究を進めていくことを同報告では提起しています。
ここで「体系的」というのは、具体的には次の三つをいっています。
①アルツハイマー型痴呆の原因の突明、治療方法等に関する研究
②脳血管性痴呆の発生予防、治療方法等に関する研究
③痴呆性老人の簡便で正確な診断、スクリーニング方法の開発並びに看護、介護等社会医学、保健福祉に関する研究
こうして、アルツハイマーを始めとする、いまでいう認知症に関する本格的な日本でもスタートしたのです。