2019年02月
2019年02月28日
27年間で8倍
1987年に出された痴呆性老人対策推進本部報告では、痴呆性老人の出現率や将来推計もはじき出しています。
それは1986年8月までに、40の都道府県と6政令市における在宅の痴呆性老人について行なわれた実態調査のうち、精神科医が携わり、方法も類似している12都道府県市の調査結果に基づいたものです。
年齢階層別にみた在宅の痴呆性老人出現率の推計では、
65-69歳 1.2%
70~74歳 2.7%
75~79歳 4.9%
80~84歳 11.7%
85歳以上 19.9%
と、高齢になるにしたがって出現率が高まることがはっきりしました。そして、これをもとに1985年の65才以上の老人人口全体に対する在宅の痴呆性老人の出現率を求めると4.8%になっていました。
さらに、この年齢階層別の出現率をもとに、日本の人口の将来推計を用いて在宅における痴呆性老人数の将来推計を行うと、次のようになったといいます。
1985(昭和60)年 59万人
2000(平成12)年 112万人
2015(平成27)年 185万人
15年間でほぼ2倍、30年間では3倍以上と、急激に増加すると予想していたことになります。しかし現実は、当時の推計をはるかに上回る「急激さ」で進みことになりました。
厚生労働省の2015年1月の発表によると、実際の日本の認知症患者数は、2012年時点で462万人、65歳以上の高齢者の7人に1人と推計されています。
1985年から2012年までの27年間になんと8倍近くに跳ね上がり、2012年時点ですでに2015年の推測値の2.5倍にのぼっていたことがわかります。
2019年02月27日
欧米とは対照的
1986(昭和61)年8月に設置された痴呆性老人対策推進本部が、その1年後に出した報告には「痴呆」について次のように記されています。
まず、痴呆は老化に伴う通常の知能の低下とは異なるものとして、「脳の後天的な障害により一旦獲得された知能が持続的かつ比較的短期間のうちに低下し、日常生活に支障をきたすようになること」と定義しています。
痴呆の分類については、脳梗塞・脳出血などの脳卒中による脳血管性痴呆と、原因不明の脳の変性疾患によるアルツハイマー型痴呆とが代表的であるとし、「我が国においては前者が後者よりも多く、欧米諸国とは対照的である」となっています。
現在では、日本も欧米と同じように「アルツハイマー型」が最も多く過半数を占める状況のようなので、時代の変遷が感じられます。
また当時は、もともとアルツハイマーが初老期の患者の病気としたことを受けて、「初老期に好発するアルツハイマー病」と「老年期に好発するアルツハイマー型老年痴呆」とにはっきり区別しています。
また、痴呆をきたすものとしては他に、脳の外傷や腫瘍、感染、中毒、代謝障害などがあるが、これらの中には根本的な治療が可能なものもあるため、早期に適切な鑑別を行うことが大切だと注意をしています。
2019年02月26日
痴呆性老人対策推進本部
ショートステイやデイサービスが始まり、民間の「家族の会」も誕生するなか、厚生省(現・厚生労働省)もようやく、1986(昭和61)年8月、総合的な痴呆性老人対策の確立を図ろうと「痴呆性老人対策推進本部」を立ち上げています。
本部設置に伴って同省では、専門的事項を検討するため有識者で構成する痴呆性老人対策専門委員会を設け、検討しました。その報告書をもとに、30年余り前のこの時期、痴呆性老人対策がどのようにとらえられていたのか、ここで整理しておきたいと思います。
当時すでに日本は、世界で最も平均寿命の長い国の一つとなり、「かつて経験したことのない高齢社会」に向けて、“豊かで健やかな長寿社会”を実現することが課題と考えられていました。
そんな中、痴呆性老人については「特有の精神症状や問題行動があるため、他の要介護老人とは質量ともに異なった介護が必要」であるとされ、介護する特に家族に多大の負担が伴うのが実情だと受けとめています。
一方で、痴呆という病についてはというと、その発生原因や発生メカニズムに未解明な部分が多いために対症療法的な対策が採られているだけで、①いかに痴呆の発生をおさえるか②どのような治療・介護を行うべきか③介護家族の負担をどう軽減するか④痴呆性老人を受け入れる施設としてどのようなものが必要か⑤医療・介護に当たる専門職はどうあるべきか、といった点について早急に検討する必要があるとしています。
2019年02月25日
「家族の会」発足
『恍惚の人』の茂造のケースもそうだったように、家族が介護疲れにおちいって一時的に介護ができなくなったりしたとき、短期的に施設に入るショートステイ(短期入所生活介護)が、1978年に始まりました。
さらに、翌1979年には、グループホームへ入る前、ねえちゃもお世話になっていたデイサービス(通所介護)がスタートします。
介護施設に日帰りで通うことで、軽い運動や遊戯でストレスの解消をしたり、在宅介護が必要で孤立しがちな人の社交の場を提供したりして、介護する家族の負担を軽減するものです。
1980年には、介護をする家族サイドの団体も生まれました。京都で生れた任意団体「呆け老人をかかえる家族の会」です。
同会は、1994年には「社団法人呆け老人をかかえる家族の会」、2006年に現在の「認知症の人と家族の会」と改称し、2010年に公益社団法人化されました。いまでは都道府県ごとに支部を持ち、会員数は1万人を超えているといいます。
一方で1982年には、老人福祉法には位置づけられていない高齢者の保健・医療サービスの体系化を図ろうと、老人保健法が制定されています。
2019年02月24日
恍惚の人
1972年、有吉佐和子の長編小説『恍惚の人』が、新潮社から「純文学書き下ろし特別作品」として出版され、この年の年間売り上げ1位、194万部の大ベストセラーとなりました。
翌1973年には森繁久彌主演で映画化され、その後もたびたび舞台化されたり、テレビドラマになったりしています。
80歳代の茂造は、物忘れがひどくなり、妻が亡くなっても放ったらかしにしてしまいます。嫁が対応に苦しみながらも懸命に介護にあたりますが、やがて便器を壊して抱え込んでいたり、便を畳に塗りたくったりと尋常でない行動も見られるようになっていきます。
小説の中で病名が明示されているわけではありませんが、茂造がアルツハイマー病だったと考えてもそう大きな矛盾はないようです。
『恍惚の人』は当時、いろんな面で、社会的に大きな影響を与えました。認知症の人たちのさまざまな行動を目にすると「恍惚の人」と揶揄されるケースも少なくなかったように思われます。
『恍惚の人』は当時、いろんな面で、社会的に大きな影響を与えました。認知症の人たちのさまざまな行動を目にすると「恍惚の人」と揶揄されるケースも少なくなかったように思われます。
出版翌年の1973年には、東京都が、在宅認知症高齢者の初の実態調査となる「在宅痴呆性老人に関する精神医学的実態調査」を行い、認知症の症状や行動が問題視され、在宅介護が限界にきていると報告されています。
こうした調査はその後、全国各地に広まり、ショートステイやデイサービスなど、認知症高齢者の支援対策にも結び付いていくことになります。
2019年02月23日
魔の3ロック
1988年に出版された大熊一夫の『ルポ老人病棟』によれば、認知症の母親を老人病院入院後13日目で亡くした家族の手記には、次のような話があったといいます。
ある日、母の手首や足首が赤紫のアザになり、ベッドの四隅に白いもめんの帯ひもがむすんであったので、近くのおばあさんに聞いてみると――
「このおばあさんは夜中にトイレに行くと帰りがわからなくなって、よその人のベッドに寝ていて怒られて、それからオシメになったんだ。夜は歩けないように縛られてる」と言ったというのです。
いまのねえちゃのグループホームでは到底考えられないことですが、「魔の3ロック」という言葉があるのだそうです。
①薬の過剰投与や不適切な用い方によって行動を抑えつける「ドラッグ・ロック」②からだを拘束する「フィジカル・ロック」③強い言葉で行動を制限したり拘束したりする「スピーチ・ロック」です。
何も言えず、動けず。ひとむかし前の、ケアなきケアの時代にあっては、これらがあたりまえだったのです。
いまでも「魔の3ロック」が一掃されたとはいえません。けれど、少なくとも発覚すればメディアで問題視され、犯罪が疑われる時代にはなっています。
2019年02月22日
『海辺の光景』
1959年『群像』(11月・12月号)に掲載され、同年講談社から本になった安岡章太郎の代表作『海辺の光景』(かいへんのこうけい)の主人公は、狂気して入院している母の末期が近いと父から報せを受けて高知県へ赴きます。
そして主人公の息子は、いまでいえばアルツハイマー病ではないかと思われる母親の死を看取るため、何日間か土佐の桂浜に面した精神病院で過ごすことになります。
小説には、母親は単なる気狂いのように扱われてロクな治療も施されず、鉄格子のある劣悪な環境で手荒な介護を受けているのにもかかわらず、息子はそれに何ら疑いを持たず、受け入れている様子が描かれています。
当時としては、それが当たり前の扱いだったのでしょう。実際、安岡の母親は、病の初期段階は家にいたものの異常行動が目立ってきて面倒をみられなくなり、精神病院のなかに隔離されることになったようです。
母の死の直後、安岡が病院の庭に立って海辺の光景を眺めていると、凪いで波もない水面には、無数の棒杭が立っていて、それが死んだ母親への鎮魂のしるしのように受け取られたといいます。
2019年02月21日
老人福祉法
高齢者福祉に関する日本の施策は、1963(昭和38)年7月11日に公布された「老人福祉法」によってはじまることになります。
高齢者の人口が増加してきたのに対応して老人の福祉の原理を明らかにした法律で、「老人は、多年にわたり、社会の進展に寄与してきたものとして、かつ、豊富な知識と経験を有する者として敬愛されるとともに、生きがいをもてる健全で安らかな生活を保障されるもの」とする基本的理念が掲げられています。
さらに、老人については、心身の健康を保持しつつ、社会的活動に参加する機会を与えられ、老人みずから参加するように努めるものとされました。
この基本的理念に基づいて、ホームヘルパー増員、デイサービス事業、ショート・ステイ増床などの在宅福祉対策があげられ、「養護老人ホーム」「特別養護老人ホーム」「軽費老人ホーム(ケアハウス)」といった高齢者施設の体系化も行われました。
しかし、当時は、認知症の人の実態については、行政サイドも、研究レベルでも、ほとんど把握されていませんでした。
認知症の人が行く先は、精神病院、老人病院や特別養護老人ホームなど。認知症という病気に対する認識が一般にないばかりか、医療現場でさえ鑑別診断が十分なされず、ケアの根拠や方法も皆無に近い状態だったのです。
2019年02月20日
癲狂院
アルツハイマー病の薬の状況については、これからも逐次、調べていきたいと思いますが、ここでしばらく、アルツハイマーを含めた日本の認知症ケアの歴史についてざっと振り返っておきます。
高齢者や精神障害者への福祉は、明治初年まで制度的なものはありませんでした。
精神病の治療は仏の呪力を願う儀式的なものに頼り、精神を患うと座敷牢や神社・寺院に収容されることもあったようです。
むかしは、認知症も、精神病患者もいっしょくたされていたのです。
明治8(1875)年、日本初の公立精神病院として京都癲狂院(てんきょういん)が設立されました。「癲狂」とは、気がくるうこと、ものぐるい、狂気、といった意味です。
京都府が、岩倉大雲寺における加持祈禱に頼る精神障害者の治療法の改善手段として計画したのです。
南禅寺方丈内に仮癲狂院を設けて、岩倉大雲寺などの患者を収容しました。しかし経営難のため、開院から7年後の1882年10月には廃院になっています。
南禅寺方丈内に仮癲狂院を設けて、岩倉大雲寺などの患者を収容しました。しかし経営難のため、開院から7年後の1882年10月には廃院になっています。
京都につづいて東京でも設立されましたが、当時のこうした施設では、病人を殴る、蹴る、縛る、食事を与えないといった非人間的な行為も少なくなかったといいます。
2019年02月19日
アミロイド免疫療法
きのう見たようなセレクターゼ阻害剤のほかに、免疫細胞の働きによって、アルツハイマー病の原因とみられる脳内に溜まったβアミロイドを排除する治療も考えられます。アミロイド免疫療法です。
免疫細胞は抗原(免疫細胞が攻撃の目印にする物質)がはっきり提示されていれば、それだけ容易に攻撃態勢へと入ることができます。
2000年に、老人斑を形成するアルツハイマー病モデルマウスに合成アミロイドを抗原として接種すると、老人斑形成が予防され、認知機能障害も改善することが報告されました。
開発された「合成βアミロイド42」は、英国で臨床試験が始まりましたが、臨床試験の中で、脳脊髄膜炎が有害事象として現れたため治験は中止となりました。
セレクターゼ阻害剤もアミロイド免疫療法も、脳内のアミロイドが除去されることはほぼ確認されていますが、それを臨床症状の改善に役立てることができるかどうかについてはまだ微妙な段階にあるようです。
今後の研究の進展が待たれます。
今後の研究の進展が待たれます。
2019年02月18日
γセクレターゼ阻害剤
脳に蓄積されてアルツハイマー病の原因になると考えられている「βアミロイド」を詳しく見ると、「アミロイド前駆体たんぱく質」(APP)という物質から切り出されてできるペプチド(アミノ酸が二つ以上結合したもの)であることが分かっています。
この「切り出し」の最終段階では、「γセクレターゼ」という酵素が働いてます。γセクレターゼによって、このたんぱく質が切断されて細胞外に放たれ、脳内にβアミロイドが蓄積されていくのです。
γセクレターゼによって切断されたβアミロイドは、とりわけ凝集能が高いので、もしも「γセクレターゼによる切断」を抑え込む薬ができれば、きのう見たアルツハイマー病をやっつける「セレクターゼ阻害剤」として極めて有力と考えられます。
実際、「γセクレターゼ」の阻害剤が、髄液、脳皮質、海馬などで、βアミロイドを減少させることが動物実験で確認されています。
とすれば、アルツハイマー病の根治薬としてすぐにでも使えるようになるのかな、とも思えますが、そうは簡単にはいきません。
「γセクレターゼ」というのは、βアミロイドだけでなく、生物の発生や分化に関わる「Notch」という生理的に重要なたんぱく質の切り出しも行っているからです。
そのため、「γセクレターゼ阻害剤」はそのままでは、消化器障害や皮疹、倦怠感、さらには、がんなどの副作用を起こしてしまうリスクを負ってしまいます。
こうした「Notch」への影響を少なくして、「γセクレターゼ」の働きを選択的に抑え込むことができないか。そのための「γセクレターゼ」の機構解明や薬の開発研究が、現在も、しのぎを削ってつづけられています。
2019年02月17日
アミロイドカスケード仮説
ねえちゃが飲んでいるアリセプトやメマリーを含め、現在使われている4つの薬は、これまでにも見たように、進行を遅らせることはあっても、アルツハイマー病を食い止めることはできません。
アルツハイマー病は、βアミロイドと呼ばれるペプチド(アミノ酸が二つ以上結合したもの)が、脳の中に蓄積されることによって起こるという説が、現在、有力とされています。「アミロイドカスケード仮説」と呼ばれる考え方です。
βアミロイドの沈着が、最初期に病変として捉えられること。βアミロイドが凝集すると、直接、神経細胞毒性が現れうること。さらに、家族性アルツハイマー病患者の遺伝学的解析などが、この仮説の論拠となっています。
そして、この仮説に基づいてアルツハイマー病の根本治療薬を開発しようと、世界中の研究者たちががしのぎを削ってきています。
その主なものとして、βアミロイドが作られるの阻止するセレクターゼ阻害剤や、脳内に沈着したアミロイドの除去を試みる免疫療法があります。
2019年02月16日
忘れない電話
ねえちゃの連れ合いが亡くなってからグループホームへ入るまでの7年間は、ねえちゃの家に行ってないときは、私からねえちゃに毎晩、電話を掛けてきました。
が、グループホームへ入ってからは、ねえちゃが携帯から毎晩必ず電話をくれています。
今晩もそうでしたが、掛けたことを忘れて5分後、さらに1時間後にも、なんてことはことはしょっちゅうですが、掛けるのを忘れるということはまずありません。
あれだけすぐに何もかも忘れてしまうのに、どうして電話を掛けることだけは忘れないのか。いまだもってナゾです。
電話で、「元気でやってる?」と聞くと「カラダは元気だけど、バカで何がなんだか分んなくなっちゃって……」といつものように言いはじめます。
「バカんなっちゃったから、そこへ入れてくれたんだ。おばあさんがバカんなっちゃってることは、みんな知ってるから大丈夫だよ」というと、何となくホッとするようで、「おやすみ~」となります。
夕食を終えて自分の部屋に戻ってくと、暗がりのだれも知らない道を、行き先も、来たところも、分からず、一人っきりでふらふら歩いているような孤独感に包まれるのかもしれません。
そんなとき「おばあさんがふらふら歩いてるの、みんな分ってるから」というだけで、ふっと、不安から解き放たれる瞬間を得ることができるのではないか、というようにも感じます。
2019年02月15日
警報レベル割る
厚生労働省がきょう、最新1週間(4~10日)のインフルエンザの患者数について、発表しました。
それによると、全国約5000カ所の定点医療機関から報告された患者数は、1カ所あたり26.28人(前週43.24人)と、警報レベル(30人)を下回ったそうです。
全都道府県で前週よりも減り、長野県も27.79人と警報レベルを割りました。
ウイルスのタイプ別では、直近の5週間では、いわゆる香港型のAH3亜型が57%、2009年に流行したAH1pdm09が42%、B型が1%の順だったそうです。
夜、ねえちゃから、いつものように部屋に戻ってきて寝る前に電話がありました。
「元気でやってる?」と聞くと、いつものように「アタマ以外は元気」。
インフルエンザについても流行っていることは何となく認識しているようですが、グループホームで特に変わったことはなさそうです。
2019年02月14日
峰さんのお姉さんと……
グループホームから、ねえちゃの1月の生活記録が届きました。
新しい職員さんに「私は峰竜太さんと同じ下條村の出身で、峰さんのお姉さんと知り合いでした」と饒舌に話したり。
新年祝賀会では、獅子舞に噛まれたり、落語を聞いたり、水戸黄門の寸劇では、悪役にステージまで連れて行かれて、お酌を強要されて、けっこう、その気になって楽しくやったり。
ホームでの生活をエンジョイしているようです。
簡易知能評価スケールで、知っている野菜を言う設問は、満点。「農家の娘だったからあたりまえよ」と嬉しそうだったとか。
やはり、頭の中に記憶として残っていくことは非常に少なくなって来ていますが、一瞬一瞬を楽しめている蓄積は、かけがえのないものに違いないと思います。
2019年02月13日
アルミニウム
アルミニウムの摂取がアルツハイマー病の原因のひとつであるという説があります。
第2次世界大戦後、グアム島を統治した米軍が、老人の認知症の率が異常に高いことに気づき、調べたところ地下水に非常に多いアルミニウムイオンが検出されたそうです。
第2次世界大戦後、グアム島を統治した米軍が、老人の認知症の率が異常に高いことに気づき、調べたところ地下水に非常に多いアルミニウムイオンが検出されたそうです。
1989年には、飲料水中のアルミニウム濃度とアルツハイマー病の発病率に相関関係があるという大規模な疫学調査の結果が「ランセット」の巻頭をかざり、注目されました。
アルツハイマー病患者には、アルミニウムが含まれるベーキングパウダーを使って調理したパンケーキ、ワッフル、ビスケットなどの食品の摂取が多かった、という症例対照研究もあるそうです。
一方、アルミニウムを多くとり入れた薬とアルツハイマーのリスクは無関係だったという追跡調査など、関係を否定する研究も出ています。
アルミニウムとアルツハイマー病の関係については、いまだ決着は着いていないというのが実情のようですが、アルミニウムに神経毒性があることは多くの専門家の認めるところ。蓄積しすぎれば、脳に障害を与える可能性を高めることは確かです。
そのため、アルミニウムを封鎖してしまうキレート剤を使う試みも実施され、一定の成果をおさめているそうです。
2019年02月12日
ビタミンE
脳の老化にかかわる神経毒性をもつ重要な物質として、活性酸素などのフリー・ラジカルが知られています。有機化合物から元素が一つ引き抜かれた形の化合物で、対になっていない電子をもつため反応性に富んでいます。
神経細胞死を引き越している証拠も、いろいろあがっています。このフリー・ラジカル
を消去する“掃除屋”としてよく知られているものに「ビタミンE」があります。
ビタミンEは、アーモンドなどのナッツ類、胚芽油、ウナギなど魚介類、大豆、緑黄色野菜などに多く含まれ、生体膜の機能を正常に保ったり、赤血球の溶血を防いだりすることに関与しています。
かなり重いアルツハイマー病患者に、こうしたビタミンEを通常の1日必要量(12~15ミリグラム)より多く飲ませて、プラセーボ(偽薬)を飲んだ人たちと比べた調査で、状況が防げたといいます。
また、ユタ州の65歳以上の住民4740人を対象とした調査で、ビタミンEとビタミンCをいっしょに取りつづけることで、アルツハイマー型認知症になりにくくなるという疫学調査の結果も出ています。
ただしビタミンEは、脂溶性のため体外へ排出されにくく、発疹、下痢、便秘、脱力感などの副作用を起こすこともあるので注意が必要だそうです。
2019年02月11日
ハンセン病の薬
近年、日本では患者が非常に少なくなりましたが、以前、国の隔離政策で断種や堕胎を強いられるなど人権侵害も起こった、ハンセン病という感染症があります。
結核菌と同じように抗酸菌の仲間に含まれるらい菌という細菌が、皮膚や末梢神経を侵し、進行すると顔面や手足の変形や欠損といった後遺症を残すことがあります。
結核菌と同じように抗酸菌の仲間に含まれるらい菌という細菌が、皮膚や末梢神経を侵し、進行すると顔面や手足の変形や欠損といった後遺症を残すことがあります。
不思議なことに以前から、このハンセン病の患者にはアルツハイマー病が少なく、その原因がその薬にあるのではないかといわれてきました。
最近、実際にハンセン病や結核の治療に50年近く使われている「リファンピシン」という抗生物質にアルツハイマー病を予防する効果があることが、大阪市立大学などのグループによる実験で確かめられています。
平成28年3月、英国の神経学雑誌「Brain」に掲載された研究です。アルツハイマー病では、「アミロイドβ」と「タウ」というタンパク質が脳に蓄積されて神経細胞を傷つけることが知られています。
平成28年3月、英国の神経学雑誌「Brain」に掲載された研究です。アルツハイマー病では、「アミロイドβ」と「タウ」というタンパク質が脳に蓄積されて神経細胞を傷つけることが知られています。
研究者たちは、アルツハイマー病などの症状にさせたモデルマウスにリファンピシンを1カ月間投与しました。
すると、抗生物質を飲んだマウスは、飲まなかったマウスと比べて、タンパク質の蓄積が減って記憶障害が改善されることが分かったのです。
さらに、プールでマウスを泳がせ、足場にたどり着く作業をさせて記憶力をはかる実験では、健康なマウスとほぼ同程度の記憶力を持つまで回復が見られ、一方で投与しなかったマウスは逆に症状が悪化したそうです。
すると、抗生物質を飲んだマウスは、飲まなかったマウスと比べて、タンパク質の蓄積が減って記憶障害が改善されることが分かったのです。
さらに、プールでマウスを泳がせ、足場にたどり着く作業をさせて記憶力をはかる実験では、健康なマウスとほぼ同程度の記憶力を持つまで回復が見られ、一方で投与しなかったマウスは逆に症状が悪化したそうです。
すでに使われている薬の中にも、アルツハイマー病の有力な予防薬につながる可能性を秘めたものもあるわけです。
2019年02月10日
鉄剤
ねえちゃが飲んでいるアリセプト、メマリーなど、国内で承認されている四つの薬以外で、治療効果が報告されているものに、貧血の治療などによく用いられる「鉄剤」があげられます。
1992年、遺伝性のアルツハイマー病と確定していた患者に治療効果があったというレポートが、当時、兵庫県立尼崎病院(現尼崎総合医療センター)に所属していた今川正樹医師らによって、英国の権威ある医学雑誌「ランセット」に発表されたのです。
治療には、よく使われる脳代謝改善薬(コエンザイムQ10とビタミンB6)に加えて、「クエン酸第1鉄」が用いられました。遺伝性のアルツハイマー病にかかった姉妹に、これら3種の薬を毎日2年間にわたって飲み続けてもらいました。
すると、妹のAさんはバイクに乗って買い物に行けるほどにまで回復し、お姉さんのほうも症状の悪化、進行がなくなったといいます。また、薬をやめた期間には症状が悪化し、また飲むと良くなったそうです。
Aさんはその後も、鉄剤などを飲みはじめてから約5年間、自発的に身の回りのことをしたり、姉の看病をしたりして、アルツハイマー病とはとても言えないほどにまで回復することができたといいます。
2019年02月09日
NMDA受容体
ねえちゃも毎日飲んでいる「メマリー」には、きのう見たように、過剰なグルタミン酸の放出を抑えて、結果的に脳の神経細胞が死んでしまうのを防ぐ働きがあります。
メマリーの働きを考えるとき、キーになるのは「NMDA受容体」というたんぱく質です。もう30年近く前になりますが、私は、このNMDA受容体の構造が明らかになったという、次のようなニュースを書きました。
〈記憶や学習といった脳の働きに欠かせないたんぱくの構造が分かった、と中西重忠・京大医学部教授らのグループが七日発行される英科学誌「ネイチャー」に発表した。脳卒中などの病気で、神経細胞が死ぬのを防ぐ薬の開発などへも応用できそうだ。
脳の中では一つの神経細胞から出たグルタミン酸などの物質が、別の神経細胞の表面にある受容体というたんぱくにくっついて信号がやり取りされている。グルタミン酸は記憶したり、学習で知識を積み重ねる脳の働きと深くかかわりがある一方で、蓄積されすぎれば、神経細胞を死に追い込むと考えられている。
構造がわかったのはグルタミン酸の受容体として知られている三つのうち、NMDAという受容体。ラットの脳の遺伝子の中からNMDA受容体の設計図に当たる遺伝子だけを分離。その構造をもとに受容体の構造を明らかにした。〉(『朝日新聞』1991.11.7付)
ここに記した「神経細胞が死ぬのを防ぐ薬の開発」の一つの成果がメマリーということになります。
ちなみに、中西重忠先生は、昨年ノーベル医学生理学賞を受賞した本庶佑先生の京大での同級生。こちらもノーベル賞級の業績を上げておられる世界的な医学者です。
アルツハイマー病になって、神経細胞をつなぐシナプスのあいだにグルタミン酸が過剰に放出されると、その受け手である、このNMDA受容体も異常な活性化を起こして、過剰な働きをしてしまうことになります。
メマリーは、NMDA受容体にくっついてフタをすることにより、その機能を抑える働きをするのです。この働きによって神経細胞を守り、記憶の情報伝達を整える効果が期待できます。
こうした新しい働きをもつメマリーは、ねえちゃを含め中等度以上に進行した人向けの薬として使われるようになり、日常生活動作の改善に加えて、興奮や落ち着きのなさを抑える効果もあるとされます。
しかし、神経細胞障害を抑制はできても、障害によって死んだ細胞を生き返らせられるわけではありません。また、NMDA受容体の異常な活性化を引き起こす原因を取り除けるわけでもありません。
という意味では、残念ながら、メマリーにしても他の三つの薬同様、アルツハイマー病の進行を完全に止めたり、認知機能をもと通りにすることは期待できないのです。
2019年02月08日
グルタミン酸仮説
ねえちゃがアリセプトといっしょに服用している「メマリー」は、他の三つのアルツハイマーの薬と、そのしくみのどこに違いがあるのでしょう。
アリセプトなどは、神経伝達物質の一つアセチルコリンが不足しているのがアルツハイマー病の原因、と考えるアセチルコリン仮説に基づく薬でした。
しかしメマリーはというと、アセチルコリンではなくて「グルタミン酸仮説」に基づいて開発されたのです。
グルタミン酸も脳内の記憶や学習に関わると考えられている神経伝達物質の一種で、アルツハイマー病の患者の脳では、異常なタンパク質の働きでグルタミン酸が過剰な状態になってしまいます。
そのために、グルタミン酸の量が適正なら記憶できるのに、過剰になってしまったがたえにシグナルの伝達が妨害されてうまくいかなくなり、記憶が困難になってしまうという考え方です。
メマリーには、過剰なグルタミン酸の放出を抑えて、結果的に脳の神経細胞が死んでしまうのを防ぐ働きがあるのです。
2019年02月07日
貼り薬も
アルツハイマー病の薬としては、米国で1999年に発売されたエーザイのアリセプトをはじめとする「塩酸ドネぺジル」だけの状態が長く続きました。
しかし2011年には、ガランタミン(商品名レミニール)、リバスチグミン(同イクセロンパッチ、リバスタッチパッチ)、メマンチン(同メマリー)の三つの薬がそろって発売になり、一気に4剤の利用が可能な時代を迎えました。
あの、東日本大震災という大変な不幸が襲った2011年は、アルツハイマー病治療の歴史のうえでは、意味深い年となったわけです。
新たに加わった三つの薬のうちレミニールや、リバスチグミン系の薬は、アリセプトと同じコリンエステラーゼ阻害剤ですが、アリセプトとは異なる部分に働きかけるなど、それぞれに特徴があります。
イクセロンパッチ、リバスチグミンパッチという商品名からも予想されるようにリバスチグミン系の薬は、貼り薬であるという点で、内服薬である他の3剤と異なります。
内服薬のほうは、まれに食欲不振や吐き気のほか、怒りっぽくなったり、徘徊や暴力がひどくなるなど副作用が見られることがあります。しかしリバスチグミン系の貼り薬だと、血液中の濃度を急に上げることなく穏やかに作用するため吐き気などの副作用が出にくく、薬を飲めない人も利用できます。
ねえちゃはいま、アリセプトといっしょにメマリーを服用していますが、この薬は他の三つとは、その働くしくみがまったく異なっています。
2019年02月06日
世界初
世界初のアルツハイマー病治療薬として登場したのが、ねえちゃも飲んでいるエーザイの「アリセプト」(化学物質名はドネペジル塩酸塩)です。
これまで見てきた神経伝達物質「アセチルコリン」を補うコリンエステラーゼ阻害剤のひとつで、米国では1997年、日本では1999年に発売されました。
アリセプトは、高齢化に伴い宿命的に起こると見られてきたアルツハイマー病が、薬での治療が可能な「病気」として理解されるようになった、という意味でも画期的な貢献をしました。
エーザイでアリセプトの開発に携わった杉本八郎は、認知症の母親に「だれ」と尋ねられて「八郎ですよ」と答えると、「私にも八郎という子どもがいるんですよ」と返って来たのがショックで、会社から開発中止の命を受けてもひたすら研究をつづけた、といわれています。
新薬開発では欧米企業に後れをとるケースが多いとされるなか、アリセプトは日本国外でも市場占有率8割以上を誇る存在になっているとか。
進行度が中程度までなら20~30%ぐらいの有効率があり、症状を数カ月~1年ほど前の状態まで回復できる、ともいわれます。
アリセプトがねえちゃに効いたかどうかは、よくわかりません。ただ、飲むようになって何となく心身ともに落ち着いてきたなという感じはしました。「薬を飲めば」という希望を持てるようになった、という心への働きも大きかったと思います。
アリセプトがねえちゃに効いたかどうかは、よくわかりません。ただ、飲むようになって何となく心身ともに落ち着いてきたなという感じはしました。「薬を飲めば」という希望を持てるようになった、という心への働きも大きかったと思います。
2019年02月05日
コリンエステラーゼ阻害剤
さて、ふたたびアルツハイマー病の薬の話に戻ります。
アセチルコリンを補充してやるような薬をつくることができれば、アルツハイマー病の治療薬になるのではないか。
という発想で、製薬会社の激しい開発競争がはじまりましたが、どうやってアルツハイマー病に効く薬を選び出すかというスクリーニング上の問題など、困難な点が多く、効きそうなものがなかなか見つかりませんでした。
そうしているうちに、アルツハイマー病の患者の脳の中では、アセチルコリンだけでなく他の神経伝達物質も軒並み減っていることも分かって来ました。
こうして、アセチルコリン仮説の根拠が弱いことが分かり、この仮説はアルツハイマー病研究の中心からだんだん離れていくことになっていきます。
とはいえ、このアセチルコリン系の薬が、世界初の認知症治療薬として、アメリカで認可されることになります。
アセチルコリンの分解酵素であるコリンエステラーゼを阻害することによって、減少したシナプス間隙のアセチルコリンを増やす薬です。現在、日本では、3種類のコリンエステラーゼ阻害剤が認められています。
2019年02月04日
立春
立春のきょう、久しぶりに長野市のねえちゃの自宅を訪ねました。ただし今回は、インフルエンザのため、グループホームのねえちゃとの面会はなしです。
南から暖かい空気が流れ込み、各地で平年を大きく上回る気温を記録しましたが、長野も春の陽気。飯田で明け方の気温が14.5度を記録するなど、正午時点で県内30観測地点のうち25地点で今年の最高気温を観測しました。
自宅の庭には、湿った雪が少し溜まっていましたが、きょうの暖かさでほとんど溶けました。この冬は長野県も暖冬傾向で、雪が少ないようです。
ただ、大気の下のほうが暖かいため、湿った重い雪になり、鉄道の運行トラブルは相次いでいるといいます。
グループホームへ入ってもうすぐ1年になります。家へ来る郵便物もずいぶん減ってきました。電話もほとんどかかって来なくなって、連れ合いの仏壇があるだけのところになりつつあります。
雪も、インフルエンザも、ほどほどのところで収まって、本当の春を迎えたいものです。
2019年02月03日
罹患者
毎日、夜、眠る直前に電話をくれるねえちゃですが、きのうの夜は午後6時半ごろ、かかってきました。
「えらい早いじゃん、どうしたの」と聞くと、「食事が終って、もう、みんな部屋に帰ってだれも居ない。もうパジャマになったから寝る」といいます。
ヘンだなと思っていると、グループホームの責任者のかたから、ホーム関係者にインフルエンザに罹った人が出たので面会を控えて欲しいという旨の電話をいただき、納得しました。
そういえば、猛威を振るうインフルエンザは、1月21日~1月27日の推定患者数が約228万人に達し、ついに過去10シーズンの最大数を上回ったというニュースが流れていました。
国立感染症研究所の流行マップでは、この週の定点当たりの報告数は、前週から3.18増加して57.09となりました。都道府県別では、長野県は64.72で8番目と上位にあるようです。
インフルエンザウイルスの大きさは、0.1ミクロン(1万分の1ミリ)程度といわれます。いくら注意をしても、完全に防ぐのには限界があります。広まらないように出来ることをやっていくしかありません。
2019年02月02日
パーキンソン病の場合
アルツハイマー病と同じように脳の老化に伴って増える病気にパーキンソン病があります。
1817年に英国の医師J.パーキンソン(1755-1824)が初めて報告した病気で、高年齢者に多く、ふるえや、筋肉のこわばりなどの症状が現れます。
また、表情は仮面のようになり、からだが前傾し、歩幅が小刻みになる特徴的な歩行障害も見られます。
パーキンソン病には中脳の「黒質」というところにあるメラニン細胞に変性や萎縮がみられ、そこで働いているドーパミンという神経伝達物質が不足していることが分かってきました。
そこで、ドーパミンが生成されるもとなる物質であるL−ドーパや、ドーパミンの放出を促すアマンタジンなどの薬によって症状が良くなったのです。
もしもきのう見たアセチルコリン仮説が本当なら、アルツハイマー病の場合は、ドーパミンのように神経伝達物質の一種であるアセチルコリンが不足していることが原因であっても不思議ではありません。
とすれば、パーキンソン病の場合のL−ドーパのように、アセチルコリンを補充してやるような薬をつくることができれば、アルツハイマー病の治療薬になるのではないかと当然のように考えられたのです。
しかも、アセチルコリンを脳内で作る酵素や、壊す酵素、それが結合して情報を伝える働きをするアセチルコリン受容体というたんぱく質の構造など、すでに知られていたので薬の開発競争にも拍車がかかったのです。
2019年02月01日
アセチルコリン仮説
少し前まで「アルツハイマー病に薬はない」というのが、常識でした。いまでは4つの薬が利用できるまでになり、ねえちゃもそのうち2剤を毎日欠かさず飲んでいます。
ただし残念ながら、現在使用されている薬にはアルツハイマーの進行を根本的に阻止する働きはなく、飲みつづけていても病気は進行していきます。
これからしばらく「薬」を通して、アルツハイマー病について考えてみたいと思います。
薬というのは通常、「この病気は、こういう原因で起こる」という仮説をもとに、開発が進められていきます。
アルツハイマー病の新薬の開発は、その原因に関する「アセチルコリン仮説」に、世界中の製薬会社が飛びつくかたちで、1980年前後から盛んになりました。
アセチルコリンというのは、脳の神経細胞と神経細胞のあいだを結んでいるシナプスで情報を伝える役割を担っている神経伝達物質です。
その当時、アルツハイマー病になるとアセチルコリンが働いている大脳基底核というところの神経細胞がやられてしまうことが明らかになったため、アセチルコリンが一躍注目されたのです。