2018年11月

2018年11月30日

アメリカ初症例

クレペリンの教科書に記されてから「アルツハイマー病」は、いろんな医学文献に紹介され、専門家の間で世界的に知られるようになりました。

Lafora

マドリッド出身の組織病理学者、ゴンサロ・ロドリゲス・ラフォラ(1886-1971)=写真、wiki=は1911年、アメリカ人のアルツハイマー病の初症例を、アルツハイマーが編集していた『総合神経精神医学』で報告しています。

内容は、58歳の男性、ウイリアム・C・Fについてでした。

それによると、ウイリアムの症状は、アウグステが亡くなった1906年に始まりました。彼は迫害概念に捕われたり、興奮状態に陥りやすく、話は支離滅裂で他人の保護をもとめました。

彼は、数週間前から複数の女性看護師に結婚の申し込みをしていました。発症直後、だらしなく不潔になり、失禁しては尿を顔や体にこすりつけました。興奮状態のとき一度、鉄棒を看護師めがけて投げつけたこともありました。

見当識は障害され、医師や看護師の名前を覚えるどころか、自分の居場所さえ分からなくなり、病室への戻り方を忘れることもしばしばでした。


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2018年11月29日

歴史の始まり

これまで見てきたように、「アルツハイマー病」という概念は、1910年にエミール・クレペリンが、彼の精神医学の教科書を改訂した際に初めて用いられました。

つまり教科書の「このようなアルツハイマー病の臨床的解釈は、現在のところまだ明らかでない」という記述によって、現在、世界で最も有名な病気の歴史はスタートを切ることになったのです。

このブログでも、これから少しずつ、100年にわたるこの「アルツハイマー病」の遍歴を追いかけてみたいと思いますが、どうもこの病気の臨床的解釈はいまも「明らか」になったとは言いきれず、まだまだ不明な点がたくさんある状況です。

それでは、自分の名前が冠されたことに対する当時のアルツハイマーの反応はどういうものだったのでしょう。

1911年初め、医学誌に寄稿した「老年者の特異な疾患について」のなかに、「私が特異な症例として取り上げたこれらの例が、老年痴呆と区別するだけの臨床及び組織学的特徴を示しているかどうか、或いは老年痴呆に組み込むべきなのか等の疑問が自ずと湧いている」と記しています。

意外にも、「アルツハイマー病」という概念に対する当事者の見方は、どちらかといえば懐疑的だったようです。


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2018年11月28日

ヴェロナール

それでは、クレペリンはアルツハイマーが症例記載をしたような病気の治療はどうすればいいと考えていたのでしょう。教科書の章の結びで、「治療」として次のように記されています。

〈老人性痴呆の治療では、もちろん治療できる範囲は非常に狭いものでしかない。そこでできることは、注意深い身体の看護、非常に衰弱してよぼよぼの患者の管理、全生活様式、特に栄養と消化の調整、少量のアヘン投与で不安を除去、不眠には温浴や、巻包法や、パラアルデヒドあるいはヴェロナールを時に応じて服用させるしかない。

せん妄性興奮状態の場合には、やわらかいベッドや、持続浴の使用、安定剤入りの、あるいはなしの経管栄養がしばしば必要となる。他方、静穏な痴呆型の場合には、入院治療が必要でないことが多く、家族や養老院内での看護で十分である。〉

Veronal

この中に出てくる「パラアルデヒド」は、アセトアルデヒドに 1滴の濃硫酸を加えると、発熱、重合してできる刺激臭のある液体。ウィルデンブッシュによって1829年に合成され、1883年に初めて薬として使われました。催眠剤、鎮静剤として作用は確実、迅速、毒性も弱いもののの、悪臭と不快味のため現在ではあまり用いられません。

「ヴェロナール」=写真、wiki=は、1903年にドイツで創製された長時間作用型の睡眠鎮静剤。無色もしくは白色の結晶または結晶性粉末で、においはなく、味はわずかに苦い程度。治療用量は中毒量よりも低かったものの、長期にわたる使用によって耐性がつき、薬効を得るために必要な量が増加。致命的となる過剰摂取も珍しくありませんでした。

この薬を開発したフィッシャーとメーリングが、ロミオとジュリエットの舞台として有名なイタリアのヴェローナへ会議で出かけたのがきっかけで、命名されたとされます。芥川龍之介が自殺の際にヴェロナールを服用したことで知られ、マリリン・モンローもこの薬物の過剰摂取で亡くなったといわれています。

しかし、この教科書が書かれた当時としては、副作用も少なく、画期的な睡眠薬と考えられていて、クレペリンも、落ち着かない患者にこの薬が効くことをいち早く察知していたようです。


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2018年11月27日

プレスビオフレニーではない

自らの教科書にアルツハイマーが見つけた一群の症例を「アルツハイマー病」と位置付けたクレペリン。それでは、彼は当時、この病気についてどのようにとらえていたのでしょう――。

きのう見たように、解剖所見からは、老年痴呆の最も重い症例とみると推測することもできますが、ときに40代後半に発症することからすると、無理があります。少なくとも「早老症」と見なすべきであろう。

非常に重い痴呆、深刻な言語障害、痙縮(手や足が勝手につっぱったり曲がったりする状態)、発作などをともなう臨床像からすると、加齢に伴って起こる痴呆(プレスビオフレニー)とは異なっています。

プレスビオフレニーは、ふつう純粋に老年性の皮質変化を伴うのが常で、ここが決定的に違うからです。

たぶん、初老期疾患として以前に扱われていたいくつかの臨床像と関係があると考えられのではないだろうか。

100年以上前に書かれた教科書でありながら、クレペリンがアルツハイマー病について現在とそう変わらない認識をもっていたことがうかがえます。


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2018年11月26日

解剖所見

さらに、クレペリンの教科書では、アルツハイマーの解剖所見について「変化は、老年性荒廃のいわば最も重い形のものをあらわす」として、次のように記しています。

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〈晶簇(空洞)は非常に多く、皮質細胞のほぼ三分の一が死滅していたようである。その場所には、奇妙にもつれ合った、強く染まる線維束が見られたが、それは明らかに死滅した細胞体の最終的な残遺物であった。

前頭葉皮質の第三層からとった三つの図=写真、『老年性精神疾患』から=が、そうした像を示している。

グリアは全体的に、特に晶簇周囲に広い増殖過程を示している。血管には、軽度の増殖現象は例外的に認められたにすぎず、これに反して主として退行過程が認められた。

このようなアルツハイマー病の臨床的解釈は、現在のところまだ明らかでない。

こうした病像は、解剖所見から、老年性痴呆の特に重篤な型であるらしいと考えられるが、本疾患が時として四十歳代後半には出現することがあるという事実から、それとは違ったものであるとも言えるようである。〉


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2018年11月25日

こん こん こん

さらに、アルツハイマーの症例の言語障害についてクレペリンの教科書によると、言語の書写テストでは、書き取ってみると甚だうまくいかないが、次のような、速かな、律動的に並んだ言葉の断片の所見が得られた、とされています。

「わた した こん こん こん こん こんな そこ そこ そこ あり ほら この こん こん こん らあ だれか やった へん こん へん こん こん こん こんな ふうに なる こん こん だん だんな だい だい やる ほん へん だん やあ やる わる わる わる ……」

そして、最終的に患者は全く話さなくなってしまう。興奮した時に、いくつかの了解可能な言葉や意味のない音節群をやっというだけとなる。字を書くことは全く不可能となる。と同時に、極めて高度な痴呆が発生してくる、のです。

患者は、向きあえば目をあげたり、笑みをうかべたりすることはあるものの、言葉や顔の表情を全く理解することができず、近親者が認知できず、直接身体をつかまえられると怒りの身振りをし、せかせかと、粘着的音節でどなるが、その時には、まだ理解できるような悪口がまじる。

彼らは自力で食事を取ることができず、その他の身の回りのこともできず、手に与えたものを何でも口に入れてしまい、目の前に出された物を何でもしゃぶる。時に不穏となったり、怒りっぽくなったりすることもある、とクレペリンの教科書には記されています。

ところで、日曜日のきょうは、朝、昼、夜と、ねえちゃから「いま、ごはん終わってねえ……」と、にこやかな声で3回電話がかかってきました。まだ、私のことは分かり、日記を書くこともできているといいます。アルツハイマー病といってもねえちゃはまだまだ“新参”の部類なのでしょう。


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2018年11月24日

言語障害

アルツハイマーが記載した症例について、クレペリンは「とりわけ言語が非常に高度に障害される」と特徴づけています。

まだいくつかの言葉や文章を理解できるように話せるが、全く意味のないたわごとを続けることが多い。それは、進行麻痺患者の語間代(語尾の繰り返し)のように、抑揚のない同じ音節が何度も拍子をとって繰り返される、というのです。

たとえば、次の書き取りを見れば、それが理解できるとしています。

「だめよ、だめ、自分でやって、まずい、まずい、やつら、やつらが、あれみんな、みんな、ぐしゃ、ぐしゃぐしゃに、しちゃって、やって、やって、水みんな、あいついった、やれ、やれ、それだめ、こない、おまえ、やれ、それ、どうか、かあさん、かあさん、こども、こども、かみさま、おんあるじ、いまやっちゃ、いけない、いけない、こころ、ころ、ころ、おしょう、しょうがつ……」

この文章の、少なくともいくつかの言葉や、ところどころの言葉の結合はまだ認識できるところがある。しかし、そのほか、このたわごとは粘着したばらばらの音節の連続となり、全く了解できないものとなる、というのです。


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2018年11月23日

クレペリンの記述

それでは、エミール・クレペリンは、後に「アルツハイマー病」と呼ばれることになる症例を教科書にどのように記したのでしょう。

『精神医学――学生と教師のための教科書(Psychiatrie. Ein Lehrbuch für Studierende und Ärzte)第8版』第2巻(1910年刊)の338-632ページ(Ⅵ麻痺性痴呆、Ⅶ老年性精神病と初老期精神病)の『老年性精神疾患』(伊達徹訳、みすず書房)では、「アルツハイマーの特殊群」として次のように訳されています。

「アルツハイマーは、非常に重篤な細胞変化を伴う、特殊な一群の症例を記載している。それは、非常に重篤な精神衰憊が徐々に発展してくるが、脳器質疾患の現象は漠然としているという例である。

数年のうちに精神的に退行し、記憶力が低下し、思考が貧困化し、混乱し、不明瞭となり、勝手がわからず、人物を間違え、持ち物を誰にでも与えてしまう。

後にいくらか不穏状態が発展してきて、患者は多弁となり、一人でぶつぶつ咳き、歌い、笑い、走り回り、いじりまわり、こすり、つまむといった動作を示し、不潔となる。

失象徴性および失行性障害のけはいが多く見られ、患者は要求や身振りを全く理解せず、物や絵を認知できず、まとまった行動をやれず、模倣できず、針で突かれると非常に不快に感じられるにもかかわらず、突くと脅しても全く防御反応を示さない」。

クレペリンは当時にあってこれほどまでに、というほどみごとに歴史的な記載をしたのでした。


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2018年11月22日

マッチ箱で書く

きのう紹介したアルツハイマーの診察から1年後の1907年10月8日には、患者のヨハンは、何か書くように言われると鉛筆を取らず、マッチ箱を手に取ってそれで書こうとするようになっていました。

さらに、ヨハンは1908年6月12日には、庭に出て大汗をかいているにもかかわらず、足早に円を描いて歩いていました。その際、ひっきりなしに彼の上着の裾を手に巻き付けて、ばらばらにならないように一生懸命にまとめていたといいます。

また、同じことをベッドでは毛布で行っていたそうです。針でつついたり、足の裏をくすぐっても長いこと反応しませんでしたが、最後には医師に殴りかかり、それ以後ひとことも口を聞かなくなりました。

そして1910年10月3日、日雇い労働者のヨハン・Fは、59歳で亡くなりました。死因は肺炎とされていますが、実質的には初老期痴呆、すなわちアルツハイマー病が原因と考えられています。

アルツハイマーは、1911年にこの症例について詳しく発表しています。

一方、クレペリンは、教科書執筆と同時進行していたヨハンの実地の臨床例も用いて、やがて医学史上最も有名な病気の一つとなるアルツハイマー病を世に送り出す記載をしたのです。


harutoshura at 20:23|PermalinkComments(0)アルツハイマー考 

2018年11月21日

ヨハン

さて、再びクレペリンの話に戻りますが、彼が第8版の精神医学教科書のテキストを書く際、50歳代で初老期痴呆になった日雇い労務者のヨハン・Fのことを頭に思い浮かべていました。

クレペリンは「アルツハイマー病」が記載された教科書が出版される直前の1910年5月31日に、この患者の最後の回診をしています。そして同年10月3日、この日雇い労働者は亡くなりました。

アルツハイマーはヨハンに対し、アウグステらと同じように丹念に診察を続けていました。1907年9月20日には、患者をベッドに横臥させて、次のような質問をしています。

「血は何色ですか?」「赤」。「雪は?」「白」。「牛乳は?」「おいしい」。「煤(すす)は?」―返事なし。

ヨハンは、10まで正しく数え、曜日と月も言えました。主の祈り(新約聖書マタイ伝6、9)は半分まで覚えていましたが、その後は言えませんでした。

「2×2は?」「4」。「2×3は?」「6」。「6×6は?」「6」。彼は、時計の時刻を読めたし、上着のボタンも間違わずにかけることができました。

タバコを口にくわえ、マッチをすってタバコに火をつけて吸いました。硬貨を手に取って裏表を丹念にチェックし「それは、それは、それを持っているよ、それ、それ」と言いました。

さらに、アルツハイマーの「子牛の足は何本ですか?」の質問には「4本」。「人間は?」「2本」。

「魚はどこに住んでいますか?」と問うと、「森の中の木の上?」。アルツハイマーは首を振りながら「森の中の木の上ですと……」。


harutoshura at 17:54|PermalinkComments(0)アルツハイマー考 

2018年11月20日

運動会

ねえちゃの話がしばらくご無沙汰になっていましたが、平穏で楽しい日々を送っているようです。8時から8時半くらいの寝る前の時刻になると、私のところへ毎日必ず電話をくれます。

あれほど何もかも忘れてしまうのに、どうして電話だけは忘れないのか、不思議でなりません。

グループホームから送られてきた10月の生活記録の中に「運動会」の記載がありました。

棟を代表してしっかりと大きな声で「選手宣誓」をして、トイレットペーパーの芯送り、玉入れ、パン食い競争に参加たのだとか。

運動会の日の昼食は吉野家の牛丼で「美味しい、誰か買ってきてくれてのね」と喜んでいたそうです。老春を謳歌しているようです。


harutoshura at 22:40|PermalinkComments(0)ねえちゃの近況 

2018年11月19日

アルツハイマーの特殊群

クレペリン(1856-1926)は、フロイトとならんで、近代精神医学の基礎を築いたと位置づけられるドイツの偉大な医学者です。

脳病理学の大家グッデンや実験心理学の創始者ブントに師事し、30歳でドルパート(現・タルトゥ)大学の精神科教授に就任。

1903年には、ミュンヘン大学教授ならびに王立ミュンヘン精神病院のトップとして招かれます。アルツハイマーも、クレペリンを助けてこの病院で働くことになったのです。

待望の精神医学教科書の第8版は、1909年2月に第1巻の「一般精神医学」が、1910年7月に第2巻の「臨床精神医学」が完成しました。

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クレペリンはこの第2巻の序文の最後に「特に私の期待を裏切らなかった長年の親愛なる同僚、アルツハイマー教授に心から感謝の意を表します」と記しています。

さらに、目次には「老年性痴呆」の項目には「アルツハイマーの特殊群」の名称が見られ、この章の624ページでは、アウグステなどの症例について「高度の細胞変性を伴った症例の特異な一群をアルツハイマーが記述した」としています。

この1910年の出版を機に、ねえちゃも苦しんでいる現代の難病「アルツハイマー病」が、一つの病気として把握されていくことになるのです。


harutoshura at 19:01|PermalinkComments(0)アルツハイマー考 

2018年11月18日

クレペリンの教科書

アウグステら4人の症例が検討された論文「高齢者の臨床及び組織学的に特異な精神病について」が出版された1908年は、現代でも読み継がれている精神医学の古典的な教科書の改訂の時期と重なっていました。

アルツハイマーの上司であり、現代精神医学の基礎を築いたエミール・クレペリン(Emil Kraepelin)の主著である『精神医学――学生と教師のための教科書(Psychiatrie. Ein Lehrbuch für Studierende und Ärzte)』です。

教科書

この本は1883年に初版が出版されてから、1887年、1889年、1893年、1896年、1899年、1904年と改訂され、そろそろ新版を出す必要に迫られていたのです。

クレペリンは、精神科学の領域が拡大してきたのと、自身の業務の多忙さのため、第1巻の「一般精神医学」と第2巻の「臨床精神医学」に分冊して出版することにしました。

この教科書の第2巻「臨床精神医学」のほうに、いまや私たちの誰もが知っている「アルツハイマー病」という言葉が初めて登場することになるのです。


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2018年11月17日

4症例

1907年に亡くなった60代の地方裁判所勤務の男性は、比較的早く痴呆の症状が現れ、異様な行動は徐々に悪化していきました。

彼は裁判所長と話して自分でも公判を行ったそうですが、大半は被告人に死刑を宣告し、そのうえ傍聴者を一人ずつ退席させていったといいます。

こうして、アルツハイマーが最初に注目したアウグステを筆頭に、60歳で記憶障害を呈した婦人、籠細工師の40代の男性、そしてきょう取り上げた地方裁判所勤務の男性と、「新たな疾患」としてえ発表できる4例を得ることができました。

これら4症例についてまとめた論文は、アルツハイマーが編集者を務める「精神病の病理解剖学に関連する大脳皮質の組織学的組織病理学的研究」シリーズの一巻として「高齢者の臨床及び組織学的に特異な精神病について」という題で出版されることになりました。

著者は同僚のガエタノ・ペルシーニ。論文では「アルツハイマー博士の指示に従って、臨床的病理解剖学的特徴を共有する四症例を診察した」としたうえで各症例が詳細に紹介され、「共通所見を確認したが、それは神経細胞線維の変化と特異な斑の形成で、両者とも四例全体で大体同じ大きさ、形で見出された」と要約されています。


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2018年11月16日

籠細工師

1907年9月21日には、籠細工師をしている45歳の男性がアルツハイマーの病院に入院してきました。

彼は40歳から、記憶障害を主とする精神障害が徐々に出はじめ、その後、物品呼称障害、失見当識、高度の記憶障害を伴う痴呆へと発展していきました。

医師によれば、排尿が我慢できなくなって室内やズボンに失禁したり、「私はもう君たちを養うことができない。一番良いのは、少なくとも君たちが水入らずで暮らせるよう、私が水に飛び込むことだ」とわけのわからないことを言うこともあったそうです。

彼は簡単な計算問題も解くことができませんでした。「2×6は?」「14」。「3×6は?」「また書き取らなきゃ、どうしていいか分からない!」。

「ドイツ皇帝の名前は?」「思い出せない」。「バイエルンの摂政は誰?」「レオポルト(正解はマクシミリアン)」。

患者は、入院した翌年の1908年4月3日に亡くなりました。彼の脳も検査に出され、斑、神経原線維変化などが調べられました。


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2018年11月15日

65歳の女性

アウグステの症例に関する「精神科医学会紀要」が出た1907年の3月9日、アルツハイマーは、5年前に記憶を喪失した65歳の女性を診察しています。

病院で彼女は、上機嫌で呆け、幼児のような言葉を繰り返しました。そして、正しい音節で単語や適当な複文を組み立てられませんでした。

自分の持ち物を指して「グーテレ(Gutele)、シェーネレ(schönele)」を繰り返し、さらに、たとえば「Taschentuch(ハンカチ)」の代わりに「Schnäuzer(口ひげ)」という単語を使い、いつも同じ「ムーテレ(Mutele)、マーメレ(Mamele)、ムーテレ(Mutele)、グーテレ(Gutele)」を繰り返しました。

そして彼女はときおり、変にピチャピチャ音を立てて食べる動作をし、医者に投げキスをしました。

2週間後の3月24日、彼女は死にました。アルツハイマーは剖検を指示し、検査で新しい染色法を用いるように勧めました。


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2018年11月14日

論文

第37回南西ドイツ精神科医学会がテュービンゲンで開かれた1年後の1907年、同学会で行なわれたアルツハイマーの講演は、学会誌に発表されました。

「精神医学及び司法精神医学」の精神科医学会紀要の第二寄稿論文として掲載されたもので、タイトルは“大脳皮質の特異な疾患について”。ここには講演の全文が紹介されています。

論文

この論文は、出版された1907年にはまったく注目されませんでした。が、これから70年後、アルツハイマー病の症例が、フランクフルト市立精神病院で診療されたアウグステにさかのぼるとされる根拠となることになりました。

ところで、期待を持って臨んだ1906年の学会で理解を得ることができなかったアルツハイマーは、初老期痴呆のほかの症例をより包括的に発表しようと決意しました。

そして、アウグステのまとめを同僚に任せて、新しく入院してくる患者に注意を向けるようになりました。そして1907年3月9日、新たな患者と出会うのです。


harutoshura at 13:17|PermalinkComments(0)アルツハイマー考 

2018年11月13日

カズノコ

一週間ぶりにねえちゃのグループホームを訪れました。特に変わったことはありませんが、同じことを繰り返して聞く間隔が、また短くなってきたなという感はなんとなくします。

いつの間にか、今年もお歳暮のシーズン。「今年は、お歳暮どうする?」と聞いても、ねえちゃにそれをどうどうこうすると判断をさせるのは、もはや困難です。

「特別にお世話になったご少数の人たちに、ちょっとだけ送っておこうか」というと、頷いています。

お歳暮のチラシを見せて「じゃあ何にする。サケとかいろいろあるけど?」と聞くと、「サケよりカズノコのほうが喜んでくれると思うな」。

どういういきさつからかは分かりませんが、ねえちゃの頭の中には「お歳暮はカズノコ」という思いが、かなりな長いあいだ離れずに存在しているようです。


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2018年11月12日

意外な反応

アルツハイマーの歴史的な学会発表は、次のように締めくくられました。

「成書に記載されている以外にも、たくさんの精神疾患があることは疑う余地がありません。そのような中から、後日、組織学的検査により新たな疾患確認されることでしょう。

しかしその前に、教科書的な疾患群から、臨床的に個々の疾患を分離し、より明確に定義することもできるはずです。これをもって私の発表を終了させていただきます」。

学会で新たな発見や従来にない報告がなされると、質問が殺到したり歓声がわいたりするものですが、アルツハイマーに対する反応は意外なものでした。

終了とともに座長が質疑応答を求めましたが、誰からも発言はありませんでした。再度呼びかけても質問者はあらわれませんでした。

ふつう会場からの発言がないときには、なんらかの質問やコメントをするはずの座長も、黙っているだけ。

活発な討論に巻きこまれると思われていただけに、アルツハイマーは「今回はみんな理解できなかったのでは?」と不安にかられたようです。

「アルツハイマー先生、ご発表ありがとうございました。どうやら議論はないようですので」。


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2018年11月11日

グリア

「次のスライドをどうぞ」。アルツハイマーの学会発表は続きました。

「大脳皮質全体に散らばって、特に表層に粟粒大の病変が多数認められ、これは特異物質の沈着と思われます。

四枚目のスライドをどうぞ。これら特異物質について少し説明を加えたいと思います。染色をしなくてもわかりますが、染色したほうが容易に確認できます。

グリアは大量の線維を形成し、その傍で多くのグリア細胞が大きな脂肪顆粒を含有しています。血管の増生は全くありません。しかし一部に血管内膜の肥厚が確認されます。

要するに、我々の眼前に特異な疾患があることは明白であります。近年この種の病態がかなり増えてることが報告されています。

この観察は、既存の疾患群の範疇に、理解する努力が省けるからといって臨床的に不明瞭な症例を組み込むべきではないということを示唆しています」。

アウグステ
*アウグステの斑(K&Uマウラー『アルツハイマー』から)

発表の中にでてくる「グリア」は、中枢神経の内部でニューロン(神経細胞)の間を埋めている細胞で、毛細血管とニューロンの物質移送などさまざまな役割をしています。

また「脂肪顆粒」は、組織破壊で壊れた産物のうち、脂肪成分をマクロファージ(体内の変性物質や細菌など異物を食べる“清掃屋”役の細胞)が貪食したもののことです。


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2018年11月10日

標本

アルツハイマーの学会講演は、スライドでアウグステの脳の標本を示しながら、次第に詳細な説明へと入っていきました。

「剖検では肉眼で明らかな局所病変はないものの、脳が一様に委縮していました。脳血管に動脈硬化性変化が認められました。ビルショウスキー鍍銀染色標本では、神経細線維に顕著な変化が見られました。細胞内部に、まず若干の太くて強固な細線維が現れました」

ここで「ビルショウスキー鍍銀染色標本」というのは、格子線維や細網線維が銀の微粒子をよく吸着する性質を利用して組織切片に銀処理を施し、こうした線維を選択的に黒色に染め出す方法です。Bielschowskyが1904年に考案しました。

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*アウグステの神経細線維

「最初のスライドをお願いします」。アルツハイマーはつづけました。

「平行して走っている細線維にも同様に変化が現れ、徐々に密な束になりました。最後には核が消失し、細線維のからみあった束のみが、そこに以前神経細胞が存在したことを示しています。

この細線維は通常の物とは異なる染色法が必要なため、神経細線維の化学変化が起こっているに違いありません。細線維の変化は、未知の点が多い神経細胞内病的代謝産物の沈着と結び付いているようです」。

「次のスライドをお願いします。大脳皮質神経細胞の四分の一から三分の一は、前述の変化を示しています。多くの神経細胞は、特に表層で完全に消滅しています」。


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2018年11月09日

確認ができたこと

アルツハイマーによる1906年11月の学会発表のつづきです。発表の中で彼は、アウグステの症例について次のようなことが確認ができたとしています。

①記憶力は最も強く障害され、物品呼称はだいたい正確だが、直後に、すべての名前を忘れてしまう。

②文章は、一行一行、一字ずつ区切って読み、アクセントは意味をなさない。個々の音節を何度も繰り返し書き、すぐに消してしまう。

③会話中にしばしば沈黙し、コップの代わりにミルク壷と言うように、錯誤的な表現を用いる。ある種の質問は明らかに理解できない模様。

④物品使用は困難。歩行に支障はなく、手も上手に使え、膝蓋腱反射(膝頭の真下をたたいたとき、足が前方にはね上がる反射)は正常、瞳孔反射も正常だった。脈をとるときに触れる橈骨動脈はやや硬化性で、心濁音界の拡大や蛋白尿はなし。

⑤失語、失読、失書、失算、失行、失認など、脳の一部の機能が失われることによって現れる「巣症状」が、時に強く、時に弱く出現。痴呆は常に進行し、最後には無欲状になり、下肢屈曲肢位でベッドに横たわり、失禁、褥瘡(床ずれ)を生じた。


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2018年11月08日

特異な臨床像

1906年11月3日午後、いよいよアルツハイマーによる歴史的な学会発表がはじまります。それがどのようなものであったのか、コンラート&ウルリケ・マウラー『アルツハイマー』をもとに、これから少しずつ、詳しく見ていきます。

学会といえば、いまではパワーポイントを使ったグラフィカルな発表が当たり前ですが、100年以上前のこの発表も、スライドを用いて視覚的な構成に気を配ったものだったそうです。

アルツハイマーは、フランクフルト市立精神病院で診察したアウグステについて「既知の疾患に入れがたい特異な臨床像を呈しました」として、次のように説明をはじめました。

「症例は51歳女性です。夫に対する病的な嫉妬心で発病。時間を経ずして記憶力低下が出現し、自分のアパートの勝手が分からなくなり、物をあちこち引きずり回したり、身を隠したりしました。時に誰かが自分を殺そうとしていると信じ込み、奇声を発しました。院内では、全く途方にくれているような振舞いが特徴的でした。

失見当識が著名で、ときどき全てが理解不能となり、勝手が分からないというような態度を示しました。やがて彼女は医師を客人のように歓迎し、まだ仕事が終わっていないと言って誤りますが、すぐに大声で叫び、彼が彼女を切り裂こうとしているとか、女性の名誉を傷つけると非難し、決まり切ったように頑なに彼を拒否しました。

一時的にせん妄状態になり、シーツをあちこち引きずりながら夫や娘の名を呼びますが、これは幻聴のためかと思われます。彼女はしばしば、ゾッとするような声で長時間にわたって叫びました。また検査の最中に、状況を認識できないときなど、例外なしに大声を出して叫びました」。

この中で「失見当識」というのは、自分の置かれている状況を認識すること(見当識)が正常に行われない状態のこと。自分が置かれている時や場所、周囲の人間関係などを正しく認識しているかどうかで判断されます。見当識は、判断力、思考力、記憶力などと密接な関係があって、意識障害や認知症の際に障害がでます。

「せん妄」は、幻想的な世界に巻き込まれ、幻覚や錯覚に左右される意識変容のかたち。外界は夢のように変容し、周囲の人や物は鬼や怪物などに錯覚され、恐怖や楽しい場面の情景的な幻覚がつぎつぎに不連続的に現れます。小人がたくさん出てくる小人島幻覚や、うじ虫のような小動物がうごめきながら体にいっぱいたかるような幻覚を伴うこともあります。


harutoshura at 20:22|PermalinkComments(0)アルツハイマー考 

2018年11月07日

南西ドイツ精神科医学会

アルツハイマー病が世界ではじめて取り上げられることになる第37回南西ドイツ精神科医学会は、1906年11月にドイツ南部の都市テュービンゲンで開かれました。

オスヴァルト・ブムケ(Oswald Bumke、1877–1950)、オットー・ビンスワンガー(Otto Binswanger、1852-1929)=写真=ら、世界をリードする著名な精神科医や神経科医を多数含む88人の学者が参加しました。

Otto_Binswanger

ブムケは、1917年に精神病に関する重要な教科書を書いたほか、統合失調症で瞳孔の精神性散瞳反応の欠如を示すブムケ徴候の名のもとになった医学者。オットー・ビンスワンガーは、しばしば小さな梗塞を伴い、大脳皮質下白質の変性のある痴呆、ビンスワンガー病で知られる医学者です。

アルツハイマーの発表は、1906年11月3日の午後の部(2時45分~6時)に割り当てられていました。前の講演が終了すると、座長は次の演者の名を告げました。

「ミュンヘンのアルツハイマー博士が『大脳皮質における特異で重篤な疾患の経緯について』の発表をします。では、アルツハイマー先生どうぞ」。


harutoshura at 03:57|PermalinkComments(0)アルツハイマー考 

2018年11月06日

予診票

きょうの午後、2週間ぶりに、グループホームのねえちゃを訪ねました。きょうから、マスク持参です。

アタマのほうは相変わらずという感じですが、確かにちょっと太ったかな、という印象を受けました。

このあいだ届いた高齢者インフルエンザ予防接種予診票に必要事項を書き、ねえちゃ自身で接種を受ける旨のサインをしてホームに提出しました。

まだ自分の名前はちゃんと書けています。スタッフを含めてグループホーム全員が予防接種を受けるようにしているのだとか。

ねえちゃは当然の如くすっかり忘れていましたが、さっき柿の皮をむいて切るお手伝いをしたのだそうで、細かめに切られたその柿が、3時のおやつに出されていました。


harutoshura at 19:17|PermalinkComments(0)ねえちゃの近況 

2018年11月05日

老人斑

アウグステの死亡の連絡を受けたのが1906年4月、現在アルツハイマー病とされる彼女の症例が学会で発表されたのは同年11月のことです。

アルツハイマーはその半年間、学会発表に向けての研究や準備を精力的に進めました。アウグステの脳は病院の解剖学研究室で、まずは肉眼、そして顕微鏡を用いて、研究室を主宰するアルツハイマーとイタリア人客員研究員のペルシーニとボンフィグリオによって綿密に分析が行われたといいます。

その結果、3人は、アウグステが特有の臨床学的特徴をもっていたことで意見が一致します。解剖学的には、神経細胞の大幅な減少を伴う大脳皮質の委縮、神経細胞内の特異な原線維変化、線維性グリアの増殖などが明らかになりました。

さらには、大脳皮質全体に斑状の物質代謝産物の沈着が認められ、組織の維持や増殖に必要な酸素や栄養を得るため既存の血管から新しい血管がつくられる血管新生も起こっていたといいます。

ここでいう斑状の沈着というのは、現在、アルツハイマー病の病理学的特徴の一つとされる老人斑を指しているようです。

アルツハイマー病の脳の組織には、特徴的な2種類の構造物があると考えられています。一つは、神経細胞の中に繊維状の塊が蓄積する神経原線維変化で、もう一つが老人斑です。

老人斑は、βアミロイドと呼ばれるアミノ酸40個前後からなるたんぱく質が主成分であることが分かってきています。アルツハイマー病になると、脳内に大量の老人斑の沈着が起こり、神経細胞死が急速に広がります。

アウグステの脳組織からは、アルツハイマー病患者に特徴的な2種類の構造物が認められていたわけです。


harutoshura at 19:24|PermalinkComments(0)アルツハイマー考 

2018年11月04日

精神盲

アルツハイマーは、病状の経過からしても、脳の組織の状態からしても、アウグステの症例が貴重なものであることを認識していました。その理由についてカルテを提供してくれた医師に次のように説明しています。

「これは特異な臨床像であった。更年期の女性に発作を伴わない精神病が起こり、当初から判断力低下が問題であったが、まもなく全く無力で、精神盲に至った。最初物事を正確に捉えて表現することに目立った障害はなかったが、そのうち理解力が衰え記憶障害が目立つようになった。

その他わずかな巣症状、錯誤、保続、失書などが現れた。次第に痴呆が進み、褥瘡がひどくなってついに死が訪れた。麻痺と痙縮は現れなかった」

この中で「精神盲」というのは、物は見えているのに、それを意味づけて認識・理解することができない状態をいいます。脳の両側の視覚野と連合野との間の損傷によって起こると考えられています。

そして、アルツハイマーは1906年11月にドイツのテュービンゲンで開かれる第37回精神科医学会で、アウグステの症例を発表する決意を固めます。


harutoshura at 02:15|PermalinkComments(0)アルツハイマー考 

2018年11月03日

ピンクの紙の記録

亡くなったアウグステのカルテが届いた後、アルツハイマーは自分の記憶にある入院当時の様子や病歴などについて、ピンク色の紙に手書きで書き記しています=写真。こうした記録が、後の「アルツハイマー病」の発見へと結びついていくことになるのです。

名前:アウグステ・D
 
職業:鉄道書記官の妻

家族歴:母は更年期よりてんかん

アルツ

既往歴、入院時現症および経過:常に健康、幸福な夫婦関係、娘一人、流産なし。半年前に発症。嫉妬深い。記憶力の低下。特に料理中の忘れっぽさ。部屋の中を意味なくせわしく動き回る。知人に対して恐怖心を抱く。家中のありとあらゆる物をどこかに隠し、後で見つけることができない。入院時は途方に暮れた様子であった。失見当識、異常な抵抗。

ホールで困り果てたアウグステ・Dは他の患者の顔に水をかけた。その理由を聞くと「片づけたかった」と答えた。突然思いついてつじつまの合わないことを言い、保続(前に行なった反応を場面や状況が変わっても持続すること)を呈する。書き取りをすると文字や綴りを省いてしまう。明らかに質問の意味を理解できないようだが、時には、内容的に正しい答えを出したりもする。幻覚を有するように見える。

時折、作業せん妄に陥り、布団を持って歩き回り片付けようとする。また、医師が性的暴力を加えようとしたかのような当てこすりをし、憤慨して診察を拒み、医師に出て行くよう指示したりもする。意味のない言い回しを繰り返して言う。何に対しても激しく抵抗する。最後の年には、ベッドでうずくまり、拒絶し、何を言っているのか全く分からない。四年間の闘病後、褥瘡が原因で亡くなる。

ここで褥瘡(じょくそう)というのは、寝たきりなどによって、体重で圧迫されている場所の血流が悪くなったり滞ることによって、皮膚の一部が赤い色味をおびたり、ただれたり、傷ができてしまうこと。いわゆる「床ずれ」です。


harutoshura at 18:25|PermalinkComments(0)アルツハイマー考 

2018年11月02日

剖検

さて、アルツハイマーのほうに話は戻りますが、アウグステに関するカルテの最後の15行には、彼女の死に至る日々について記録されていました。

1906年の初めころから好褥(寝ていることを好み、不潔であることも気にしない状態)傾向にある。仙骨と左大転子(大腿骨頸と大腿骨体との結合部の上外側にある大きな隆起)に5マルク硬貨大の潰瘍面がある。体力は非常に消耗し、40度の高熱が続いている。両肺下葉に肺炎。

1906年3月27~28日 絶えず騒ぐ。体重68ポンド(34キロ)。

同3月29~30日 ひどく騒ぐ。深夜12時半に風呂に入る。

同4月6~7日 意識混濁。ときおり嘆き悲しんで泣く。汗ばむ。

同4月7日 一日中意識が混濁し、熱は昼41度、夜40度。

同8日5時45分に死亡。

アウグステの罹病期間は4年半以上に及びました。アルツハイマーが神経解剖学者として特に興味をしめしたのは次のような剖検所見でした。

・死因:褥瘡に伴う敗血症
・解剖学的診断:軽い内及び外水頭症―脳室内への脳脊髄液の貯留
・脳萎縮
・脳内細動脈の動脈硬化症?
・両下葉肺炎
・腎炎


harutoshura at 22:40|PermalinkComments(0)アルツハイマー考 

2018年11月01日

インフルエンザ

11月に入り、そろそろインフルエンザのシーズンの到来です。ねえちゃのグループホームから、高齢者インフルエンザ予防接種予診票とそれに関する説明書が届きました。

インフルエンザウイルスを病原とするこの感染症の語源は、16世紀のイタリアの占星家たちが、星や寒気の影響(influence)で発生すると考えたことによっているのだとか。

こうした長い歴史をもつインフルエンザの発生は、国内では、毎年11月下旬から12月上旬ころ始まり、翌年の1~3月頃に患者数が増加し、4~5月にかけて減少していくというのが通常のパターンです。

届いた説明書によると、厚生科学研究班の報告では、65歳以上の健常な高齢者については約45%の発病を阻止し、約80%の死亡を阻止する効果があったそうです。

ねえちゃにとってインフルエンザの予防接種は、すっかり身についたこの時節の恒例行事。集団生活に入った今年からは、感染症を個人の問題と考えることは許されません。

それだけに予防接種は、一年の中でもとりわけ重要なイベントです。きょうの夜の電話で「インフルエンザの注射、ちゃんと受けるんだよ!」と念を押すと、「わかった~」と明るい返事がかえってきました。


harutoshura at 22:26|PermalinkComments(0)ねえちゃの近況