Aokijima

「ねえちゃ」と認知症の記録です

2017年05月

きょうはデイサービスの日です。だいぶ習慣化して、連絡帳をどっかへやってしまうようなこともなくなってきました。

いつものようにセンターでやったことで覚えているのは、お風呂へ入ったことと、みんなでおしゃべりをしたことくらい。

ただ、お風呂では、からだを洗ってくれたり、あがてからヘアドライヤーをかけてくれたりする人も居てとても快適だったと、やや詳しい説明をしてくれました。

「食べたもので何か覚えてるのは?」と聞くと、「青いのがかかったケーキ」といいます。どうも、ブルーベリーケーキのデザートが出たようです。

自宅の駐車スペースをお隣に貸したので、お礼にホウレンソウをいただきました。でも、すぐにねえちゃの記憶からはなくなっていました。

ねえちゃの家には、車を2台置ける駐車スペースがあります。以前は、死んだ連れ合いが乗っていた軽自動車を入れていましたが、「置いといてもお金がかかるだけ」と処分しました。

なので冬、掻いた雪の置き場にするくらいで、入り口にいつも鎖をかけたまま何に使うということもなく放ってあります。

そんな駐車スペースを「友だちが来るので貸してくれない」と、お隣の女性が言ってきました。

「どうぞどうぞ、自由に使っていください」と調子よく返事をしましたが、言った直後にもう忘れてしまっています。

「引き受けたからにはちゃんと鎖を外して置いてやらないと入れないよ。明日はデイサービスで出かけるんだし」

そういうと忘れないようにと、すぐさま鎖を外しに行きます。が、すぐに「忘れないように」とやったこと自体を忘れて、習慣でまた鎖をかけてしまいます。

「特にいたずらされて困るというようなこともないのだから、ふだん鎖を掛けないで置いたら」といっても、それもまたすぐに忘れてしまいます。

テーブルにピルケースを貼りつけて、毎晩、飲み終えたら「もう飲んだ」の段ボールの切れ端をかぶせる、という方法をはじめてから、奇跡的にも、飲み忘れることなく毎日ちゃんと薬を飲んできたねえちゃ。

ところが、今朝ピルケースを覗いてみると、きょうの分がもうありません。「どうしたの?」と聞いてみても要領を得ませんが、どうも、今朝、間違えて飲んでしまったようです。

先週の1週間、朝と夜に分けて飲む期間をはさんだので、朝も飲まなければという意識が頭のどこかで働いたのかもしれません。

ちゃんとピルケースに用意しておけば、ねえちゃは薬を飲み忘れることはありませんが、飲んだかどうか心配になってついと、慎重な性格からか飲み過ぎすことはけっこうあります。

薬の量を増やしているところですが、副作用的な症状はいまのところありません。

きょうの昼過ぎ、ねえちゃの自宅に見知らぬ女性の来訪がありました。

ねえちゃはいつものようにパジャマで床の中です。寝ていたので最初は気づかなかったようですが、何度もインターフォンが鳴るので起き上がって玄関に出ました。

「朝起会」なるものをやっているからどうの、ということを話したうえで、「さしあげますから」と実践倫理宏正会というところが発行している『倫風』という雑誌を置いて、「また伺います」と去って行きました。

読むことが嫌いなねえちゃが、そういうのに興味をもてるはずはありません。「なら、せっかくインターフォンがあるのだから、玄関へ行かずにインターフォン越しに断ればいいじゃない」というと、一応うなづきます。

でも、インターフォンの使い方も忘れてしまったのか、もともと使わずに済ましてきて習慣がないのか?。考えて見れば、少々物騒です。

ねえちゃのところに、「後期高齢者健診」の受診券が来ました。

昨年までは3カ月に一度、高血圧の薬をもらいに行っていた街の総合病院で健診も受けていたようですが、いまはアルツハイマー病の治療で毎週、近くの脳外科へ通う日々です。

血液検査は最近受けたばかりですし、CTやMRI検査も少し前に受けています。本来なら癌検診とかも受けたほうがいいのでしょうが、私的にはあまりすすめる気にはなりません。

人間は、必ず死ぬものです。長くても、短くても、それなりに味わい深く生きられたな、と思えて最期を迎えられたらそれでいいのではないのかなと思うのです。

これまで、カラダの悩みをほとんど感じることなく生きて来たねえちゃ。ところがいま、本人が予想だにしなかったアタマの悩みを抱えることになりました。

「元気だけど、バカでどうしようもない」。ねえちゃは、そのアンバランスをどうにもうまく受け入れられないでいるようです。それをねえちゃなりにちゃんと受け止めて、自分なりの最後の生き方を見つけてほしい。いまは、それを願うばかりです。

ねえちゃは、雨が降る前にと、きょうは、午前中に歩いてお医者さんのところに行きました。

新しい薬を増やして1週間、朝と夜とに分けて、“奇蹟的”にきちんと飲み続けることができました。

血圧もまずまず。薬の影響と見られる症状もまったくありません。

というわけで、プロトコルに従って、メマリー錠を5mgから10mgへ量を倍に増やして、1週間また飲んでみることになりました。

きょうからは、朝と夜とに分けずに、血圧の薬と合わせて夜3錠ずつまとめて飲むので、負担は減ります。

帰りにねえちゃは、お医者さんの近くの大型スーパーで天丼を買って、「おいしい。おいしい」と、家でそれを一気に平らげました。

夕方、ねえちゃの家を訪れると、またパジャマのまんま「なんだかわからなくなっちゃって」。そして「これ、なんだろう」と開封式のハガキを差し出しました。

見ると「互助会 掛金お積立状況のお知らせ」とあります。会費の状況についての案内のようです。

入会日は2001年8月22日、60回の掛金は2006年7月3日に「完納・満期」になっています。

最近は、お葬式も人によってさまざまなタイプがあるようです。

ねえちゃに「どんな葬式を挙げて欲しいと思っているの?」とたまに聞くことがあります。

以前は「ごくふつうにやってもらえればいい」と言っていましたが、このごろは「家族やごく近い親せきだけの簡単なの」と話すようになってきました。

きょうは、デイサービスセンターの水曜日です。が、いつものようにねえちゃは、風呂へ入ったことくらいで他はすっかり忘れています。

センターでは、アタマもカラダも適度にに動かしたはずですが、こういうときに限って、帰ってくるとすぐに徘徊してまわります。

早寝・早起き、酒も、たばこもやらず、一日の決まった時間に散歩をして、きっちり血圧を計ります。本や新聞、テレビもほとんど読まないので、年齢の割には目もすこぶるいいのも自慢です。

ねえちゃは、健康に悪そうなことは一切やらないこうした生活に、絶対の自信を持ってきました。でも、気がついてみたら、やりたいこと、楽しいなと思えることが何もないというのが現実でした。

そして、カラダは元気でも、アタマが思うにまかせなくという日々進行する深刻な事態を経験することになってしまっています。

それでも、ねえちゃは、これが一番いいことだと思って一途に徘徊に出かけます。

ねえちゃは最近、携帯電話を使うことはほとんどありません。たまに出歩くとき、歩数計の代わりに使うくらいです。

固定電話のほうも、家族以外からはほとんどかかって来ることはありません。

電話で調子よく受け答えしてもまったく頭に留まらず通過していくだけで、電話があったことも記憶に残りません。

ですから、電話でのやり取りはほとんど意味を成さなくなってきてるだけでなく、連絡をした、しないでかえって混乱を招くこともあるのです。

電話が来たという記憶がすぐに飛んでしまうので、電話がかかってきたかどうかは着信履歴を見て確かめるしかありません。

着信履歴に知らない番号が載っていると、ネットで、その番号がどこからのものかを調べるようにしています。

たいていは何らかのセールスなので、どこの会社なのか、それがつかめなくても、どこのあたりからかかってくるどういう系統の電話なのかは掴めます。

そして、それらの番号には、機械的に「こちらは○○○△△△□□□□です。この電話はお受けできません。ご了承ください」のメッセージで応じてくれる「迷惑電話」機能を用いることにしています。

けさ、JR長野駅善光寺口の公衆トイレで、異臭騒動があったというニュースが全国中継で流れ、ねえちゃもびっくりしていました。

多機能トイレに入った高校生たちが「異臭がして目が痛くなり、吐き気がする」などと訴えたそうです。消防車8台が出動、化学防護服を着た県警機動隊員も駆け付けたとか。

警察が調べたところ、異臭は確認されず不審物も見つからず。病院に運ばれた高校生2人も幸い、大事には至らなかったようです。

2015年の北陸新幹線金沢延伸に伴って、長野駅は、大庇と列柱が特徴的な5代目駅舎に建て替えられました。

それまであった飲食店は取り壊されて、お店は新駅ビルのなかに収められました。駅へ行くとねえちゃがよく立ち寄っていたおやき屋さんも、どこかへ行ってしまいました。

ねえちゃは新しい駅はまだ見たことがありません。だから「善光寺口の公衆トイレ」と言われても、どこのことなのかサッパリわかりません。

ねえちゃは、朝起きるとまず、洗濯機のスイッチを入れます。日曜日のきょうも、朝6時前から洗濯機が動いていました。

近ごろは昼間でもパジャマを着たままでいるので、洗濯するのは、その日の下着くらいしかないのですが。

私がのんびりテレビを見ながら食事をしていると、食器を次々に片づけて、いつのまにか洗い物をしています。ときどき、意地悪をしているのではないかと思うこともあります。

熱戦がつづく大相撲もきょうは、中日。中継の途中で、私がテレビの前を少し離れると、すぐに消してしまいます。まるでテレビは見るものではなくて、消すためにあるかのようです。

「相撲くらいゆくり見たら」といっても、いつものように「そうだね」とこたえはしても、集中して見る気にはならないようです。

人それぞれ、やりたいことも、愉しいなと思えることも違います。ねえちゃが、心底やりたいと思っているは「片づけ」なのかもしれないなと思うことがよくあります。

愉しければ、それはそれでいいのかもしれませんが、「バカになっちゃって、ダメだ、ダメだ」とこぼしながら「片づけ」にばかり精を出す姿には、やはり寂しいものを感じます。

ねえちゃは、きのう処方してもらったアルツハイマー病の新たな薬、メマリー(5mg)を、きょうから飲みはじめました。

これまで飲んできたアルツハイマー薬のアリセプトD錠(5mg)と、血圧を下げるためのアテレックも、そのままのみつづけます。

アリセプトとアテレックは1錠ずつ、毎夕食後に飲んでいます。それでも、飲み忘れや飲み過ぎをしてしまうので、工夫したピルケースをテーブルにくっつけて何とか飲みつづけています。

しかし、今度のメマリーは、朝食後に飲まなければなりません。朝と夜、忘れずに飲むにはどうしたらいいのか。悩みどころです。

とりあえず当面はいまのピルケースを使い、朝飲むメマリーについては赤いマジックでラベルに月日と曜日を書き込み、そこに薬を入れておくことにしました。

ピルケースには、黒い日付のところは夜、赤い日付のところは朝食後飲むこと、と記したラベルも貼りました。これで、間違えずに飲みつづけられるかどうか?

きょうは、降水確率ゼロの快晴。ねえちゃは、少し汗をかきながら、掛かりつけの脳神経外科まで歩いていきました。

先生の話では、このあいだの血液検査の結果は腎臓などに特別問題はなかったので、薬を増やしても大丈夫とのこと。

徐々に進んできているのが分かるので、さっそく、新たに「メマリー」という新しい薬を処方してもらうことにしました。

メマリーは、1日1回20mgをのみ続けることで効果が期待できる薬だそうです。飲み始めるときは、体を慣らすために、1週間ごとに薬の量を増やしていかなければなりません。

まず、きょうから最初の1週間は5mg、その後1週間ごとに10mg、15mg、20mgと増やしていきます。

ですから、これから1カ月弱は、毎週、お医者さんに通って診察を受けなければなりません。

ねえちゃは、一人では病院へ通うことが出来ないので、私が連れていける日程を何とかやりくりしなければならなくなってきました。

夕方、ねえちゃのところへ行くと、いつものようにパジャマ姿で「ほんとバカになっちゃって、なんだか分からない」と、いつものように繰り返します。

おみやげ渡すと、いつも美容院などに連れて行ってくれているご近所の奥さんのところに出かけて行きました。言うことを聞かず、最近はご近所に行くときもパジャマのまんま出掛けるようになっています。

奥さんのところに行って「バカになっちゃて困る」と言うと、「そんな格好でいるからだよ。朝になったらちゃんと着換えなきゃダメ」と怒られたそうです。

最近、私がいくら怒っても言うことを聞かなくなってきていますが、近所のかたから注意されるとさすがにねえちゃも少ししょげたみたいです。

「あしたから朝になったらちゃんと着替えること!」「そうしないと、付き合ってもらえなくなるんだよね」

きょうはデイサービスの日です。センターから帰ってきて、ねえちゃの記憶に残っているのはお風呂に入ったこと。それから、きょうはみんなで近くを散歩したのだそうです。

以前は、一日一回、散歩をするのがねえちゃの日課でしたが、道を忘れて帰れなくなるようなことが起こるようになりました。

最近は、外へ出かけると、自分でもよくわからず拾い物をしてきたりすることもあります。散歩から徘徊へとシフトしてきているようです。

「散歩」という名前は、むかし中国の貴族や文化人の間ではやった「五石散」という滋養強壮薬に由来するとか。この薬を飲むと体が熱くなる(散発)が、散発がないと体に毒が溜まって害になるとされていたそうです。

そこで、散発を促すように歩き回るようになった。つまり散発のために歩くことを散歩というようになり、これがただ歩くことに拡張して使われるようになったというわけです。

ともかく、これからは、デイサービスとか、お隣の犬の散歩に便乗させてもらったりとか、一人で行かない散歩に切り替えなくてはならなくなりそうです。

2015年国勢調査の「就業状態等基本集計」によると、長野県内の65歳以上の高齢者の就業率は、都道府県別で最も高い28.7%だったそうです。

信州の高齢者は日本一の働き者、というわけです。10年の前回調査も、1位で2.0ポイント上昇したとか。

15年10月時点の県内の高齢者は62万6085人で、うち就業者は17万9678人。

高齢者の就業率は、全国平均は22.5%で6.2ポイントも上回りました。

「中小規模の農家戸数が多く、高齢になっても働く人が多い」ことなどが原因としてあげられるそうです。

ねえちゃの姉は90歳を過ぎても毎日畑に出るそうです。

が、ねえちゃは、病気をかかえた連れ合いの世話をしなければならなかったこともあって、高齢者になってからは外へ出て働いたことはありません。

月曜日は、ねえちゃがその1週間なにを食べるかという意味では、大切な日です。

正午少し前に、ワタミの宅食の女性担当者が黒いパックに入った夕食のおかずといっしょに、その週のおかずのメニュー表を届けてくれます。

「いつも会えてうれしいわ、今週もよろしくね」と、ねえちゃは愛想よくおかずを受け取っています。

午後3~4時の間に生協の担当者が、前の週に注文しておいた1週間分の食料品を届けてくれます。最近、担当者の人が女性から男性に変わりました。

「生協」が届けられると、担当者に言われた通り「これは冷蔵」「これは冷凍」「これは常温」と分けて保管することが、最近は一人でどうにかやれるようになりました。

でも、帰るとすぐに、来たことも持って来たたもののことも忘れてしまいます。何が宅食で何が生協なのかもすっかり分からなくなって、気分にまかせて手あたり次第に食べていきます。

待ちに待った大相撲5月場所の初日。だというのに、ねえちゃは朝からいつものようにテレビも着けずに寝床のなかです。

「相撲くらいみないと、ますます世間から見放されちゃうよ」とやかましくいうと、大関が登場するあたりからやっと起き出してきました。

地元期待の小結御嶽海は、結び前の取り組みで、先場所の初日と同じ横綱鶴竜が相手。

立ち合い、鶴竜の突き押しに下がりながらも食い下がり、横綱が引いた瞬間に一気に押し出しました。

御嶽海はインタビューで「今後いい流れでいける」と、自信の表情を浮かべていました。

ねえちゃも、さすがに「あっ、勝った、勝った」と嬉しそうです。

場所中は相撲をテレビで観る、というだけでもいいので、ねえちゃの生活も「いい流れ」が生まれて欲しいものです。

今週の月曜日、ねえちゃの家の玄関にある宅食を入れるボックスの隣に、見慣れない容器があるのを見つけました。小ぶりの寿司桶のような、円いかたちの蓋のついた容器です。

「何か出前でも取ったの?」とねえちゃに聞くと、「何にも、記憶にない。それが何なのか、何で置いたかさっぱり分からない」といいます。

出前とせれば、お店の名前も連絡先も書かれていないのでヘンです。が、門から引っ込んだ玄関先までわざわざ誰かが置いていったとも考えにくい。

そのまま玄関に1週間おいみましたが、取りに来る気配はありません。もし、どなたかが差し入れをしてくれたときの容器なら、返さなければいけません。そこで、きょうもう一度、ねえちゃに確認してみました。

ところが、やっぱり思い出すことはできません。近所の人たちに聞いても心当たりはないといいます。ただ、親しいかたは「ゴミ置き場かなんかにあったのを、持ってきたのではないですか」といいます。

ゴミ置き場ならまだしも、どこかのお宅のものを勝手に持って来るようになってしまったとしたら、たいへんです。また少し心配になってきました。

“欽ちゃん”こと、萩本欽一さんが、76歳で元気に駒澤大学に通う様子がテレビで紹介されているのを、ねえちゃは羨ましそうに眺めていました。

先生も含めて大学でいちばんの年長者。「若い人の3倍くらい時間がかかる」そうですが、ちゃんと予習したノートを携えて授業にのぞんでおられるようです。

連れ合いが亡くなった直後の6年前、ねえちゃを近くの公民館へ連れて行って、老人大学の説明を受けたことがあります。アルツハイマー病になるずっと前のことです。

係りの女性から「お待ちしています」と入学申し込み書をもらって来たのですが、家に帰るとすっかりその気は失せてしまっていました。

尻込みせずに、ちょっとでもいいから、“欽ちゃん”のように何かに挑戦してみようという気になってくれていたらと、いつも思います。

最近は、電話をかけたりすることが少なくなってきたねえちゃですが、生きている唯一の姉とは話をしたいという気持ちが強いようです。

「こっちから電話することはあっても、向こうから電話をくれない」と、たまに愚痴をこぼすこともあります。

でも、様子を見ていると、電話を掛けたくなくて掛けて来ないというわけではなさそうです。そんな必要もないくらい、ねえちゃは頻繁に電話をしているからです。

ねえちゃは、電話の冒頭「随分、ごぶさたしてまして」といって話し出しますが、「ごぶさた」どころか、きのう掛けたばかりだったり、さっき掛けたばかりのことがけっこうあるのです。

こちらから頻繁にかけているので、向こうから掛けてもらう必要がないのです。しかも、「バカになっちゃって、バカになっちゃって」と、話すことはいつも同じなのですから。

きょうは、デイサービスセンターの日です。

「サービス提供体制」「介護職員処遇改善」のため4月から「加算」が変更されたそうで、その確認書に署名・捺印をして、センターへ無事に届けました。

「きょうはセンターで何をやったの?」と聞くと、いつものように「お風呂へ入った」という返事。

「みんなでいっしょに何かしたんでしょ?」というと、「みんなで輪になって、手をつないで楽しく歌をうたったのは覚えてる」といいます。

センターから帰って来たところで、ちょうど、お隣の女性が犬の散歩に出かけるのに出くわしました。

「いっしょに行ってくる」ということになって、犬の散歩のお供の散歩をすることができました。

ねえちゃの甥が、取り立ての竹の子を、買ったばかりだというピカピカの新車で、とどけてくれました。実家の山できのう掘りに行ったのだそうです。大小10個近くあります。

戦後、竹材需要が減って、竹林が密になって荒れるとともに人が入らなくなった里山や休耕田などに広がっていく傾向にあるそうです。

竹の子にはセルロースが多く、動脈硬化や大腸がん、高血圧の予防、さらには、切ったときに節や切り口にでる白い粉のチロシンは新陳代謝を活発にして、脳を活性化する働きもあるとか。

ねえちゃは、さっそく隣近所におすそ分けをしたあと、頑張って竹の子の煮物を作りました。ややしょっぱかったですが、ありがたくいただきました。

宅食や生協の配達が、ほぼ習慣的になり、支払いも銀行の引き落としになったいま、ねえちゃのほとんど唯一の仕事は、ゴミ出しということになりました。

長野県は、ごみ排出量の少なさランキングで2年連続日本一です。

環境省の発表では、平成 27 年度実績の1人1日当たりのごみ排出量は、①長野県836g、②沖縄県841g、③滋賀県843gの順で全国平均の939gを大幅に下回っています。

長野県は、平成 26 年度実績と比べても2g減っているそうです。食べ残しやレジ袋を減らしたりするほか、資源物として再利用する取り組みが効果を上げてきているのでしょう。

「収集カレンダー」を眺めてみても、一番目のつくところに「資源物(リサイクルするもの)」があって、プラスティック製容器包装、紙、缶、ビン、剪定枝葉、ペットボトル、乾電池など、処理の仕方が細かく記載され、収集日もそれぞれ分かれて細かく決まっています。

ねえちゃも「ゴミいつだったっけ」と毎日のように口にしながら、「紙をしばるときはガムテープを使わずひもで」とか、「ペットボトルはゆすいで軽くつぶしフタとラベルをはずして」とか、規則をきっちり守ろうと、やれるだけの努力はしているようです。

「あした竹の子を掘りに行こうと思ってるけど、取れたらねえちゃのとこへ持っていこうかどうかと思って」と、親戚から電話がありました。

ねえちゃは最近、料理らしい料理をすることはなくなったので、竹の子をもらって果たして何か作れるかどうか?

持って来てもらえれるのはありがたいことですが、最近はそのあたりが微妙になりつつあります。

「バカんなっちゃって、何にもやる気が起こらない」と、ねえちゃはあまり元気がありません。

「連休疲れじゃないの」と聞くと、「バカんなっちゃって、疲れるようなことなんにもしてない」と応じます。

「頭がおかしくなっちゃって、何だかわからなくて。一日寝てた」

3日ぶりに電話をすると、ねえちゃはいつものようにそう言います。

「きょうの朝は可燃物のゴミに日だったはずだけど、出した?」――「うん、出したと思うけど……」。

連休中には、次男夫婦がねえちゃのところを訪れました。

「どこかへ行ってきたの?」――「お墓へ行って来た」

「どうだった。楽しかった?」――「行ったことは覚えてるけど、どんなだったか寝たらみんな忘れちゃった」

「ほかには、どっかへ行ったの?」――「どこかへ行ったかな? どこかで何か食べたような気もするけど……」

「孫のこととか、どんなことを話したの?」――「何か話したかな? ぜんぜん覚えてない」

「明日は資源ゴミを出す日だったっけ?」――「かもしれないけど、特に出すものはないと思う」

「ネットでゴミの収集カレンダーを見つけたから、月曜日にプリントアウトするよ。じゃね」
 

このあいだ、ねえちゃがずっと取っている信濃毎日新聞の担当者の人が、最後の集金に来ました。といっても、新聞をやめるわけではありません。

現金でのやり取りが困難になってきたので、銀行での引き落としに変更したのです。宅食なども、クレジットカードでの支払いに変更しました。

これで、スーパーとか、美容院とかの支払い以外で、現金のやり取りすることは無くなりました。

4桁の暗唱番号を忘れてしまって、クレジットカード会社に問い合わせていた回答のハガキも、送られてきました。

ところが、その番号を見ても、何でその数字にしたのか、ぜんぜん覚えがないといいます。何かの記念日とか、電話番号とか、番地とか、とも違うようです。

ずいぶん前になるはずですが、ねえちゃが何を思ってその番号にしたのか、どういうきっかけで決めたのか、ナゾのままです。

世界保健機関(WHO)が、各国に、認知症の人に優しい社会づくりを促す「行動計画案」を策定したそうです。特定の病気に関してWHOが行動計画をつくることはめったにないことだとか。

行動計画案は、社会啓発、リスクの軽減、診断、介護者支援、研究など7分野の対策を各国に求める内容で、2025年までに、194の加盟国の75%が国家戦略を策定する、すべての加盟国は認知症の人に優しい社会を作るための啓発キャンペーンをする、受診率の向上などを目標にしています。

WHOの報告書によると、世界の認知症有病数は現在、約3560万人に上り、2030年までに2倍の6570万人、2050年までに3倍の1億1540万に増えると予測されているそうです。

認知症は毎年770万人ずつ増え続け、半数以上は低・中所得国に集中し、この割合は2050年までに70%以上に上昇するとみられています。また、認知症の治療や社会的損失のコストの総計は、1年当たり50兆円(6040億USドル)以上にのぼるとか。

それでも日本のオレンジプラン(認知症施策推進総合戦略)のように全国規模で認知症対策を適切に対処するプログラムをしている国は、世界に8ヵ国しかないということです。

認知症というのは、誰かに特別なものではなく、世界のだれもがかかわり試行模索していかなければならない、身近で、遠い、人類の課題なのでしょう。

奇跡の2連覇を果たしたものの、春場所中に左腕などを痛めた稀勢の里は、きょうの横審の稽古総見には姿を見せなかったそうです。五月場所に出場できるかどうか、心配されます。

長野県の期待の星、東小結の御嶽海も、春巡業中に申し合い稽古で左手を痛め、実戦的な稽古が十分にはできない状態がつづいているそうです。

御嶽海は、春場所では9勝6敗。5月場所では、2場所連続3度目の自己最高位で戦うことになります。

ねえちゃのお姉さんは、大相撲が大好きで、本場所中はテレビから目を放すことはありません。

共通の話題があれば電話をしても話がはずむから、と場所が近づくと相撲を観ることをいつもすすめるのですが、興味を持とうとしません。

さて、14日初日の5月場所。稀勢の里や御嶽海の活躍は? そして、ねえちゃは少しは相撲を観てくれるでしょうか?

認知症になったからかどうかは知りませんが、ねえちゃは、震度2とか震度3とかの地震が近くで発生しても「揺れた」ことに気づきません。でも、長野のこのへんもけっこう地震が起こるところだという意識は持っています。

善光寺地震からもうすぐ170周年になるのを節目に催し物があるという新聞記事を見にしました。

善光寺地震は、1847年5月8日(弘化4年3月24日)、善光寺平を震源として発生しました。マグニチュード7・4と推定されるた活断層(逆断層)型の地震です。

飯山市常郷付近から長野市大岡にかけて、50~60kmに渡って断層が動いたと考えられています。長野、権堂村、妻科村、稲荷山、牟礼、野尻など全震災地を通じて、死者8,600人以上に及んだといわれています。

善光寺のご開帳の期間にぶつかったため、諸国からの参詣客が宿泊していた旅籠街のあちこちで火の手が上がり、3日間延焼し、善光寺の如来堂、鐘楼、山門は焼失を免れものの、市中のほどんどの家屋が倒壊・焼失、市中だけで約2500人が犠牲になったそうです。

地震の後、「死にたくば信濃へござれ善光寺 土葬水葬火葬までする」といったドキッする狂歌が作られたほか、地震から8年後の1855年に、母を伴って近くを旅した幕末の志士、清川八郎は「善光寺の町はさすがに復旧が進んでいるが、他は未だ寂しきありさま」と書き残しています。
 

「きょうは買って来るから」といながら、買うのを忘れてつづけてきた線香。ねえちゃは、「切らしてしまって死んだおじいさんに悪いな」と気が気でないのに、また忘れ、を繰り返してきました。

「そんなんだったら、ネット通販のほうが早いでしょ」と、きのう注文しておいたのが、今朝とどきました。

いつもは煙がたくさん出る「毎日香」ですが、「たまには煙が少ないのにしたら」ということで、「青雲」にしてみました。

どちらも、創業は天正年間にまでさかのぼるという日本香堂の製品ですが、1909年に発売されて、明治、大正、昭和、平成と愛用されてきた「毎日香」に対して「青雲」が誕生したのは、半世紀前の1965年ということです。

「時代とともに歩む若々しく明るいお線香を」という夢を乗せて生まれたという、富士山に青い雲のパッケージの箱に入った、紺色のお線香。

ねえちゃにとっては煙の量や香りはどうでもよい様子ですが、とにかくホッとして、さっそく仏壇で焚いていました。

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