Aokijima

認知症と生きる「ねえちゃ」の近況と、アルツハイマー病に関する覚書です

2017年02月

改修

シロアリの予防・駆除、湿気対策、地震対策など、木造住宅を長持ちさせるサービスをしている「アサンテ」という会社の担当者の人から、きょう私の家に電話がありました。

ねえちゃの家の床下の検査をした結果、差し迫った問題はなかったようですが、将来のために、いろいろと手を入れられるところはあるがどうしましょう、といった内容のようです。

知らない人から電話がかかってくると、ねえちゃはわけもわからずすぐに言われるまま、引き受けたり買ったりしてしまいます。

なので、何だかわからないことで電話がかかってきたら軽請け合いはせず、東京の私の自宅へ電話を回すように言っています。

最近やっとそれが習慣的に出来るようになってきて、あれこれ私のところへ回ってきます。

平成の始まりとともに新居に入ったので、ねえちゃの家は築30年になります。

すぐにリフォームしなければ住めないというわけではありませんが、あちこちボロくなってきたところは出てきています。

最近、ねえちゃは、ときおり「どこか施設へ入れればいいんだけど」といった言葉も口にするようになりました。

今後、長く住む予定が立たないこの家にどこまで手を加えるべきなのか、悩みどころです。

ドラえもん

つい最近まで私は、あのドラえもん役の大山のぶ代さんとねえちゃは同い年だと思っていました。

だから、認知症で闘病生活中だという大山さんに関する話題がテレビで流れたりすると、ねえちゃのことのように思えて注目してました。

1936年10月16日ということで通ってた大山さんの生年月日は、本当は1933(昭和8)年10月16日だと、夫の砂川啓介さんがだいぶ前に会見で明らかにしていたそうです。

結婚した当時は「姉さん女房」というのに抵抗があったそうで、夫の両親に対する心遣いからそうしたようです。実際は、ねえちゃよりも3歳年上ということになります。

大山さんがアルツハイマー型認知症であることを砂川さんがラジオで明らかにしたのは2015年、ということからすると、認知症との付き合いも大山さんのほうが少し先輩といえるかもしれません。

砂川さんは、大山さんが最近は「自分がドラえもんだったことさえ覚えていないのかもしれない」と吐露しておられるとか。

一方、ねえちゃのほうも最近は、人気アニメのことなど、ほとんど頭から消えさってしまっているように思われます。

昔の同僚

スーパー「ダイエー長野店」がオープンしたのは、1976(昭和51)年4月のことでした。これに合わせて、大量のパート募集がありました。

「40歳まで」が条件でした。この年、ちょうど40歳になったねえちゃは、働くなら最後のチャンスと応募しました。

連れ合いは、そんなに乗り気ではありませんでしたが、このときのねえちゃはいつもになく積極的でした。

レジ係とか、野菜とか、肉とか、いろんな部署がありましたが、家族で話して「魚屋さん」で働くことにしました。

肉体的には大変かもしれないけれど、お金の扱いに神経をすり減らしたりすることなく長続きしそうだと思ったからです。

それから十数年、ダイエーの経営が傾くまで、魚屋さんとしてガンバって働きました。ねえちゃの人生の中でも最も、活気にあふれた日々だったのかもしれません。

そんなダイエー長野店でねえちゃと同じように働いていた人と、この間、デイサービスセンターでたまたま話すことができたそうです。

明日はデイサービスの日。きょうは、いつもになく行くのが心待ちなようです。

届印

先日、料金の銀行口座引き落としを申し込んだ、電話や光回線サービスの代行会社から「金融機関届印との印鑑相違」の不備で決済情報再登録を、という手紙がきょう届きました。

いつも利用している銀行の通帳にある口座番号をきちんと記入して、ねえちゃに「これが届印だから」という印鑑を押して送ったはずなのに、いったいどうしたことでしょう?

ねえちゃに問いただしてみると、ホントのところ通帳の届印がどれだったのか、忘れてしまって分からないのだといいます。

古い通帳を見れば届印が押してあるはずだから出してくれ、といっても、新しいの以外はどこかへやっちゃったといいます。

しかたがないので、届印が押してあった郵便貯金のほうの口座を書き込んで再送することにしました。

公共料金や生協など、これまではちゃんと届印を覚えていて手続きをしてきたはずです。

いちばん大事な銀行の届印も忘れてしまった、というのはなんともショックです。

お金の管理をどうしていくか。真剣に考えなければなりません。
 

パック入り

きょうは、宅食が来ない日曜日なので、ねえちゃはちょっとだけ料理をしました。

朝は、パックに入った冷凍シジミを鍋にあけて、みそ汁を作りました。夜は、ゆでてパックされたタケノコを煮込んでおかずの一品にしました。

シジミ汁はおいしく食べられましたが、タケノコの煮込みは焦げ茶色になってはいたものの、なぜか味はほとんどありませんでした。

最近は、生の野菜や魚を料理して何かを作るということはほとんどできません。

その代わり、生協などに注文した、真空パック入りの冷凍品や冷蔵品を解凍するなどして食べる習慣は、だいぶ身についてきました。

夕方、テーブルにマグロの刺身がお皿に盛られていました。「これ、どうしたの」と聞くと、「マツヤで買って来た」といいます。

でも、きょうは一歩も外へは出ていないはずです。どうも、生協の冷凍パックを夕食用に解凍して用意したのをすっかり忘れて、お店で買ってきたと思い込んでいたようです。

松井潤
matsuijun@jg8.so-net.ne.jp
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