Aokijima

認知症と「ねえちゃ」に関する覚書です

2017年02月

先日、電話や光回線の料金を銀行引き落としにしようと思って、ねえちゃ指定の印鑑を押して書類を送ったら「銀行印が違うので至急再登録を」という手紙が返ってきました。

1年半ほど前、ひとりで手続きをした生協の引き落としのときは、ちゃんとどの印鑑か覚えていたはずなのですが。

あれか、これか、戸棚の奥からいろんな印鑑を引っ張り出して来たら、可能性がありそうなのが五つもあります。

しょうがないので、きょうの午前中、これらを全部持って最寄りの八十二銀行の支店へねえちゃと出かけました。相談窓口で、若い女性の担当者が親切に相談に乗ってくれました。

五つの中から「おそらくこれだろう」と思われる本命の印鑑から照合してもらうと、一発目で「はい、これですね」。幸い、あっさりと確認作業は済みました。

「もうこれからは、大事なとき使うのはこれだけと決めて、残りのは別のところにしまっておくこと」 と約束はしましたが、帰宅するともう何をしに出かけてきたのかすっかり忘れています。
 

大相撲春場所の新番付が発表になりました。稀勢の里は「西の横綱」となり、番付には17年ぶりに4人
の横綱がならびました。

初場所で、初金星を含む2横綱2大関撃破と大活躍した長野県の星、御嶽海は「東小結」に昇進し、2場所ぶりで三役返り咲きを果たしました。

そんな御嶽海に関する地元のニュースをねえちゃと見ていたら、雷電のことが取りあげられていました。

長野県(信濃国小県郡大石村)が生んだ、史上最強ともいわれる江戸時代後期の力士、雷電爲右エ門(1767-1825)のことです。

身長2メートル近い大型力士で、江戸本場所在籍36場所中の総成績は254勝10敗。なんと96.2%という驚くべき勝率は、あの白鵬でも遠く及びません。1795年から16年間、大関の地位を守り、43歳で引退したそうです。

いまなら当然横綱になっていたはずですが、当時の横綱という地位は将軍が観戦する上覧相撲を機に免許される土俵入りの資格で、番付の最高位は大関でした。そのため、運が悪かったのか、雷電には横綱免許の機会がなかったようです。

御嶽海は、新三役だった昨年の九州場所では、残念ながら6勝9敗と負け越しに終わりました。でも今度は、地力がグ~ンと増して、十分、三役に定着できる実力を備えてきたと思います。

いまの勢いなら近い将来、雷電と同じ大関、さらにはその上だって夢ではないでしょう。注目の来場所、ねえちゃもその気になってテレビ観戦してくれればいいのですが。

夕方、長野のねえちゃの家へ行ってみると珍しく私が行くのを覚えていたようで、刺身の盛り合わせを用意して待っていてくれました。

私も途中でスーパーへ寄って、タイムサービスで割引になったツブ貝などを買っていったので、ちょっぴり豪華な夕食となりました。

ねえちゃは刺身も好きですが、買うと刺身の下に敷いてある、細かく大根をせん切りした「つま」が大好物です。

もともとは「けん」と呼ぶのが正しいようですが、ともかく、シャキシャキした舌ざわりがなんとも言えなくいいのだとか。

「つま」は、基本的には桂剥きで大根を薄くむいて、トントンと包丁で細かく切って作ります。そうした芸当を、料理名人だったねえちゃの父親は見事にやってのけていたそうです。

そんな血を引き継いだはずのねえちゃですが、スーパーの魚屋さんに勤めていたときも工場で出来上がったものを詰める作業だけだったようで、「あんなに細かく切る芸当は私にはとってもできない」のだそうです。

ねえちゃの家の2階へ上がる階段は、かなり急で、ちょっと足を踏み外すと下まで雪崩のような勢いで落っこちていきそうです。

もともと手すりは片側だけでした。が、それだけだと体に衰えてきた連れ合いが心配だったので、家を建てて早々に、増設して両サイドにしました。

1階で寝起きしているねえちゃは、最近はあまり2階へ上がる必要はありません。でも、毎晩、お風呂上りに2階に置いてあるクリームをぬるため、階段をのぼるのが習慣になっています。

「アタマがおかしくなって」しまったねえちゃですが、内心、カラダにはすこぶる自信を持っています。

とはいえ、「年を取ると知らないうちに足は衰えている。特に一人暮らしの場合、極力、急な階段は使わないほうがいい」と、このあいだ脳神経外科の先生から注意されました。

別に2階へ行かなければ事が済まない特別な用件があるわけではありません。クリームを一つ1階へ下ろしてきて、寝室に置くようにすれば済むのです。

なのだからと、このたびクリームを1階に下ろして来て寝床に置くようにしました。ところが、長年の習慣はそう簡単には変えられません。

いつもクリームを移動したことを忘れて、いまでも、お風呂の後は階段を上っていくのが常です。2階にない事に気づくと、「あそうか」と下りていくのが習慣になってきました。

ねえちゃの家には、6年前に連れ合いが亡くなりまで、ちゃんとした仏壇はありませんでした。檀家となっているお寺もなければ、特に信仰している宗派もありません。

ねえちゃの実家は代々、地元の臨済宗のお寺にお世話になっています。一方、連れ合いの実家はあまり訪ねることがなかったのでよく分かりませんが、浄土宗だったようです。

が、連れ合いはそうしたことを何も語っていかなかったので仕方なく、遺品の中に親鸞の本があったからという苦しい理由で、葬儀は浄土真宗の住職に“アルバイト”でお願いしました。

けれど、その後、浄土真宗の催しの案内が来ても、やさしい親鸞の本を渡してみても、ねえちゃはぜんぜん興味を示してくれません。

「死んだらどういう宗派で、お葬式をあげたらいいの?」とここ数年、事あるごとにたびたび聞くのですが、こたえは一向に返ってきません。「死」なんて、他人事でしかないようです。 

お寺との付き合いはまったくありませんが、神棚だけはずっと前から家にちゃんと置かれていて、ねえちゃは日々、ありがたそうに拝んでいます。

こうした信仰ぶりを見ているかぎりでは、お葬式は神さまにお願いするのがいちばん正直なのかな、という気になります。

シロアリの予防・駆除、湿気対策、地震対策など、木造住宅を長持ちさせるサービスをしている「アサンテ」という会社の担当者の人から、きょう私の家に電話がありました。

ねえちゃの家の床下の検査をした結果、差し迫った問題はなかったようですが、将来のために、いろいろと手を入れられるところはあるがどうしましょう、といった内容のようです。

知らない人から電話がかかってくると、ねえちゃはわけもわからずすぐに言われるまま、引き受けたり買ったりしてしまいます。

なので、何だかわからないことで電話がかかってきたら軽請け合いはせず、東京の私の自宅へ電話を回すように言っています。

最近やっとそれが習慣的に出来るようになってきて、あれこれ私のところへ回ってきます。

平成の始まりとともに新居に入ったので、ねえちゃの家は築30年になります。

すぐにリフォームしなければ住めないというわけではありませんが、あちこちボロくなってきたところは出てきています。

最近、ねえちゃは、ときおり「どこか施設へ入れればいいんだけど」といった言葉も口にするようになりました。

今後、長く住む予定が立たないこの家にどこまで手を加えるべきなのか、悩みどころです。

つい最近まで私は、あのドラえもん役の大山のぶ代さんとねえちゃは同い年だと思っていました。

だから、認知症で闘病生活中だという大山さんに関する話題がテレビで流れたりすると、ねえちゃのことのように思えて注目してました。

1936年10月16日ということで通ってた大山さんの生年月日は、本当は1933(昭和8)年10月16日だと、夫の砂川啓介さんがだいぶ前に会見で明らかにしていたそうです。

結婚した当時は「姉さん女房」というのに抵抗があったそうで、夫の両親に対する心遣いからそうしたようです。実際は、ねえちゃよりも3歳年上ということになります。

大山さんがアルツハイマー型認知症であることを砂川さんがラジオで明らかにしたのは2015年、ということからすると、認知症との付き合いも大山さんのほうが少し先輩といえるかもしれません。

砂川さんは、大山さんが最近は「自分がドラえもんだったことさえ覚えていないのかもしれない」と吐露しておられるとか。

一方、ねえちゃのほうも最近は、人気アニメのことなど、ほとんど頭から消えさってしまっているように思われます。

スーパー「ダイエー長野店」がオープンしたのは、1976(昭和51)年4月のことでした。これに合わせて、大量のパート募集がありました。

「40歳まで」が条件でした。この年、ちょうど40歳になったねえちゃは、働くなら最後のチャンスと応募しました。

連れ合いは、そんなに乗り気ではありませんでしたが、このときのねえちゃはいつもになく積極的でした。

レジ係とか、野菜とか、肉とか、いろんな部署がありましたが、家族で話して「魚屋さん」で働くことにしました。

肉体的には大変かもしれないけれど、お金の扱いに神経をすり減らしたりすることなく長続きしそうだと思ったからです。

それから十数年、ダイエーの経営が傾くまで、魚屋さんとしてガンバって働きました。ねえちゃの人生の中でも最も、活気にあふれた日々だったのかもしれません。

そんなダイエー長野店でねえちゃと同じように働いていた人と、この間、デイサービスセンターでたまたま話すことができたそうです。

明日はデイサービスの日。きょうは、いつもになく行くのが心待ちなようです。

先日、料金の銀行口座引き落としを申し込んだ、電話や光回線サービスの代行会社から「金融機関届印との印鑑相違」の不備で決済情報再登録を、という手紙がきょう届きました。

いつも利用している銀行の通帳にある口座番号をきちんと記入して、ねえちゃに「これが届印だから」という印鑑を押して送ったはずなのに、いったいどうしたことでしょう?

ねえちゃに問いただしてみると、ホントのところ通帳の届印がどれだったのか、忘れてしまって分からないのだといいます。

古い通帳を見れば届印が押してあるはずだから出してくれ、といっても、新しいの以外はどこかへやっちゃったといいます。

しかたがないので、届印が押してあった郵便貯金のほうの口座を書き込んで再送することにしました。

公共料金や生協など、これまではちゃんと届印を覚えていて手続きをしてきたはずです。

いちばん大事な銀行の届印も忘れてしまった、というのはなんともショックです。

お金の管理をどうしていくか。真剣に考えなければなりません。
 

きょうは、宅食が来ない日曜日なので、ねえちゃはちょっとだけ料理をしました。

朝は、パックに入った冷凍シジミを鍋にあけて、みそ汁を作りました。夜は、ゆでてパックされたタケノコを煮込んでおかずの一品にしました。

シジミ汁はおいしく食べられましたが、タケノコの煮込みは焦げ茶色になってはいたものの、なぜか味はほとんどありませんでした。

最近は、生の野菜や魚を料理して何かを作るということはほとんどできません。

その代わり、生協などに注文した、真空パック入りの冷凍品や冷蔵品を解凍するなどして食べる習慣は、だいぶ身についてきました。

夕方、テーブルにマグロの刺身がお皿に盛られていました。「これ、どうしたの」と聞くと、「マツヤで買って来た」といいます。

でも、きょうは一歩も外へは出ていないはずです。どうも、生協の冷凍パックを夕食用に解凍して用意したのをすっかり忘れて、お店で買ってきたと思い込んでいたようです。

ねえちゃは毎朝、きちんと洗濯をしています。なのに最近は普段着と化しているパジャマをみると、腕や胸、お尻のあたりなどに汚れが染み込んで、いまにも臭って来そうです。

着た切りすずめで、清潔さとはほど遠い私ですら、さすがにその汚れが気になってきました。

「ずっとそのパジャマを着つづけてるけど、今年になってまだ洗濯してないんじゃないの?」

「そんなことはないと思うけど……。寝るときに着るだけだから、そんなに洗わなくてもと思って」

「寝るときに着るだけ」といっても、最近はデイサービスの水曜日以外は、もっぱら寝たり起きたりなので一日中“着た切りパジャマ”の状態です。

一日中パジャマで居るから、着替えるタイミングも、必要性も無いのです。パジャマが一着しかないというわけではありません。
 
昨年亡くなったお隣のおばあさんが着ないまま残していったからと頂いて「これで死ぬまでパジャマには不自由しない」と喜んでいたばかりです。

宅食や生協の受け取りも、最近はもっぱらパジャマ姿。「せっかく大きな洗濯機をまわすんだから、あしたは下着だけでなくてパジャマも放り込みな!」。

夕飯、いつものように冷蔵庫からパックに入ったおかずを取り出して食べているので、「何を食べているの」と聞くと、ねえちゃは「何だかわからん」といいます。

「パックに書いてあるでしょ?」といっても、フタはどこかへやってしまって見当たりません。

ようやくゴミ箱から見つけ出してきた、いつか食べたパックのフタに「ピリ辛メンマ」とあったので、「食べてるのはピリ辛メンマだ」といい切ります。

ちょっと待って! いま箸をつけているパックに入っているのは、どう見てもメンマではなくて、スブタなのです。

いま実際にスブタを食べているのに、それが「メンマだ」と真顔で言う。びっくりして、テーブルにあるものを指さして「これは何」と聞いてみると、自信をもって答えられるのはたくあん漬けくらい。

「昼に何を食べた」と聞くと決まって「忘れちゃった」と答えます。ですから、すぐ忘れちゃうんだなと思っていました。

しかし実のところは、冷蔵庫にあるものを何それ構わず取り出して来ているだけで、食べているそのときも、何を食べているのか分かっていないのではないのか。

そもそも記憶にインプットされてないのだから、思い出せるはずはないのです。忘れるもなにもなく、「これを食べている」という意識ももはや持てなくなっているのか!

最近は、食べるのとお風呂に入るのだけが楽しみだというねえちゃだけに、ショッキングな発見でした。

夕飯を食べながらねえちゃとテレビを見ていたら、青と白の美しい装飾が施された染付陶器便器が登場して、思わず「懐かしい」と声をあげました。

江戸時代から、染付の器や藍染めの着物など青と白の装飾が人気だったようですが、明治に入ると、陶磁器製の便器にもこうした藍染風の装飾が施されるようになります。

中には、銘が入ったブランド便器まで登場したそうです。そんな芸術性の高いシロモノで用を足した経験はありませんが、子どものころ、花鳥や草木などの文様が入った染付便器をよく見かけた記憶は私にも残っています。

農村ではむかし、し尿を、農作物栽培のための肥料として使い、お金で取引されることもあったそうです。農家だったねえちゃの実家には和式便器のトイレが3カ所にあって、以前はやはり肥料として用いていたとか。

いまでは洋式トイレが主流になり、高機能のウォシュレットが世界的に有名です。が、染付陶器の古便器に見られた日本人の美意識も大切にしたなと感じます。
 

きょうは、デイサービスの日。最近はすっかり習慣になって、それを楽しむというところまではまだいかないようですが、以前のような抵抗感は消えました。

以前、少し高めだった血圧も、きょうのセンターでの数値は、上128、下82と安定しています。

「きょうやったことで、何か覚えてることないの」と聞くと、

いつも返ってくる「お風呂へは入ったのは覚えている」だけでなく、「何言ったか忘れちゃったけど、みんなとガヤガヤしゃべった」という返事が加わりました。

また、「食べたもので何か記憶にあるものないの?」と聞くと、口の前に、親指、人差し指、中指を持って来て「こういうお菓子」といいます。

どうも、メニューにある「お米のメイプルマフィン」なるもののようです。

マフィン(muffin)は、カップケーキ型のような型を用いて焼く、甘くふんわりとしたケーキのようなパンのこと。パンは普通イーストを使いますが、ベーキングパウダーを用いてふくらませます。

メイプル(maple)は、もともとサトウカエデの樹液をいうそうですが、ここでは甘味料のメイプルシロップのことなのでしょう。

もちろん、ねえちゃは「マフィン」なんてシロモノ、なんだか知りもしません。でも、指で示す記憶にしても、あった、ということは一歩前進です。

きょうは、そろそろ薬も残り少なくなってきたので、かかりつけの脳神経外科へ行きました。道路に積もっていた雪もだいぶ融けかけて、散歩には最高の日和です。

ピンポイント天気予報で、晴れて、気温が高くなりそうな午後2時に、小路を曲がり曲がって歩き、いちばん近いだろう道を見いだしました。

医院では、三か月ぶりに認知症のテストをしました。

結果、先生が「ちょっと気になるな」といわれたのが、円の周りに時計の数字を書き込む作業ができなくなっていたこと。

迷いに迷ってねえちゃが1から12まで書き込んだのは「逆時計まわり」でした。「10時10分の針を入れて下さい」と言われても、うまく記入することはできませんでした。

いまは自信を持っているカラダのほうも、アルツハイマー型だと徐々に悪化していくそうです。階段の上り下りなど、留意していかなくてはなりません。

窓からぼんやり眺めていても、道をだれも通らなくなった。ちょっと散歩に出ても、誰とも会わない。

そんなふうに最近、ねえちゃは、周囲に人の気配がなくなったと言って妙に寂しがります。

「寒さの厳しい2月の真ん中なんだから、人が家から出て来ないのは当たり前じゃない」というと、

「それにしても、以前はそうでもなかった」といいます。

近年、近所の人たちの数がとくに減ったといったこともありませんし、実際はしばしば人の声も聞こえてきます。

夕方になると、近くの田んぼの脇道を不自由な体で毎日必ず、ゆっくり、ゆっくり歩いている老人がいます。

「散歩で、あの人に会うこともなくなったの?」と詳しく聞いてみると、ホントのところはよくすれ違って、あいさつを交わしているようです。

周囲の人たちが少なくなった、といういうよりも、ねえちゃ自身の気持ちの持ちようが変わったのかもしれないな、とも感じます。

「なにがなんだかわからなくて」と繰り返す日々の中で、誰ということもない“人恋しさ”が深まってkているせいなのかもしれません。

きょうは日曜日でワタミの宅食もないので、生協に注文して随分前から冷凍してあった秋刀魚を焼いて食べようと、ねえちゃに久しぶりに料理をしてもらうことにしました。

料理といっても、冷凍秋刀魚をクッキングシートに乗っけて解凍して、解けたら塩をふって焼けばいいだけです。

ねえちゃはしばらく料理らしい料理をしていなかったので、「ここを開けて、スイッチはこれで」と、赤外線クッキンググリルの使い方を復習しました。

それから、容器が似ていて味の素と食塩をよく間違えるので、グリルの近くに食塩のビンだけを置いておきました。

秋刀魚を冷凍庫から出して夕方、私が少し外出すると、その間にもうねえちゃは秋刀魚を焼いていました。

ところが、テーブルの上に置いてある秋刀魚を見ると、全体が焦げあがって水分もなく硬直しています。

何を思ったのか、せっかく準備しておいたグリルを使うのを忘れて、フライパンで焼きまくったようです。

「あ~あ。久しぶりの焼き秋刀魚を楽しみにしてたのに!」と、ガックリ。かなりしつこく小言をならべました。
 

ねえちゃは、毎晩、体温と血圧を測っています。体温のほうは大抵、35度台、今夜は35.5度でした。

体温は、周囲の温度と生命の体内で作られる熱エネルギーによって変化するそうです。

激しい活動をすれば多くの熱エネルギーが生じるので体温は上がり、逆に、活発な行動をするためにはある程度以上の体温が必要となります。

人の平熱は36度台で、37度以上だと高く、35度台になると低すぎると単純に思っていましたが、体重や身長と同じように体温も、年齢やライフスタイルによって個人差があります。

一般に、乳幼児では平均37℃台と高いものの、年を経るごとに少しずつ下がり、10歳くらいで落ち着きます。が、高齢になるとふたたび低下していくそうです。

乳幼児は、熱をたくさん産み出しますが、体温調節機能が十分に発達していないため、熱放散がうまくいかずに発熱しやすいとか。

逆に、高齢者は、熱産生が弱まり、体温調節機能も低下して体温を維持する力が弱くなるため体温が低くなるようです。

パジャマで寝てばかりいて、とても活発とはいえないねえちゃの生活ぶりからすると、35度台は低すぎるというわけではないのかもしれません。
 

亡くなったご近所の御主人のお通夜は今晩、お葬式は明日行われるようです。ねえちゃは、お葬式には出席しないという予定で、今朝、香典をお宅まで届けました。

ところが、その後、どういう話になったのか知りませんが、お葬式に出席される奥さんたちといっしょに、美容院へ連れていってもらったようです。

帰ってきてから「どうしたの、きれいになって。お葬式に行くことにしたの?」と聞くと、いつものように「何が何だか分からなくなっちゃって、どうしよう」と泣きだしそうです。

今朝、香典を届けたことも、自分が美容室へ行ったことももうすっかり忘れてしまっています。居間を見渡しても、きのう用意した香典袋らしきは見当たらないので、確かに届けたようです。

「お葬式に出ないからということで、前もってお宅に香典を届けてきたんでしょ」というと、「そうだよね」といいながらまた確信がもてず、また、ご近所へ確認に出かけました。

明日になるとまた、「あれ香典どうしたろ。お葬式、いかなくていいんだろうか」とパニックに陥るのは必定です。

ノートに明日の日付け(2月11日)を入れて「もう香典は届けた。お葬式は出ない」と大きな字で書き、テーブルの上に開いて置きました。

さて、明日はパニックにならず静かしていてくれるかどうか?

ねえちゃのまちの自治会には、26の組があります。そのうちの、11世帯で構成する第21組にねえちゃは所属しています。

最近、自治体へ入らない人が増えているといわれます。ここではそうした心配はないようですが、高齢化や病気で自治会活動に参加しようと思っても体や頭が付いていけないケースは増えているようです。

ねえちゃ自身も、最近は積極的に参加したくてもそれができなくなりつつあります。きょう、同じ自治会の10組の家の旦那さんが亡くなられたと、近くのかたに教えてもらいました。

ねえちゃは、そのかたの奥さんとは顔見知りですが、旦那さんのことはほとんど知らないそうです。組も違うので、ということで、あすの朝、ご自宅に香典を届ける、ということになりました。

お葬式に出席するのではないとはいえ、さすがにパジャマのまま出かけるというわけにはいきません。香典を緑色の包みに入れて、それなりの服も用意しました。

あした何とかやるべきことを思い出して、香典を無事とどけることができればいいのですが。
 

きょうはデイサービスの日。朝、ねえちゃは、お嫁さんに電話で記憶を呼び覚まして元気に出かけました。

7時間半ほどの日程を終えて家に戻って来ると、「無事に帰ってきた」旨、電話で少し興奮気味に報告をしてきました。

いつものように何をやってきたかはほとんど忘れていまっているようですが、悦ばしいことに、毎週センターへ通うのが楽しみになってきたようです。

厚労省の情報サイトによると、通所介護(デイサービス)というのは━━

利用者が可能な限り自宅で自立した日常生活を送ることができるよう、自宅にこもりきりの利用者の孤立感の解消や心身機能の維持、家族の介護の負担軽減などを目的として実施します。
 
利用者が通所介護の施設(利用定員19人以上のデイサービスセンターなど)に通い、施設では、食事や入浴などの日常生活上の支援や、生活機能向上のための機能訓練や口腔機能向上サービスなどを日帰りで提供します。

生活機能向上グループ活動などの高齢者同士の交流もあり、施設は利用者の自宅から施設までの送迎も行います。

とありました。これからは、何らかの「高齢者同士の交流」にも積極的に加わっていってくれるようになったらいいな、と思います。

最近、ねえちゃはたいてい一日中パジャマのまま、ふとんの中にいます。

何か気になることができて、時折り起きてうろうろしますが、なぜ起きてきたのか忘れてまた床に戻ります。

もともと几帳面で、お客さんが来たときなどは、ちゃんとした身支度で応対しなければと人一倍気を遣う人でした。

が、最近は宅配や郵便など誰か来た時の応対も、近所に何かを届けるときも、すっかりパジャマままが平気になりました。

食欲はありますが、「食べたいもの」への意欲はありません。相変わらず、見たいテレビも、やりたいことも無い状態がつづいています。

普通なら感情が動かされる刺激対象に対して、関心がわかない状態のことを、アパシー(無気力・無関心)というのだそうです。

アパシー(apathy)は、ギリシア語で「感情の欠如」を意味する「apatheia」が語源。

古くからある言葉なのに、医学的な注目がなされ始めたのはごく最近で、その定義や病態についてもまだいろいろ議論されている状態だそうです。

アルツハイマー病患者は、高い比率でアパシーを示すことが再三報告されているとか。ねえちゃも、それに含まれそうです。

運転免許証の書き換えの通知が来ました。私は、ゴールド免許ですが、近年は、もっぱら身分証明に使っているペーパードライバーです。

地下鉄が張り巡らされている東京の都心に住んでいると、自動車が無くてもぜんぜん不自由しませんが、長野で普通に暮らすには車はやはり不可欠なのだなと思います。

ねえちゃはずっと長野県で暮らして来ましたが、連れ合いが「運転は男がやるものと頑固に思っていたので取らせてもらえなかった」そうで、免許証は持っていません。

不便ではありますが、最近、高齢者の交通事故の多発が問題になっているの耳にすると、車にひかれることはあっても、人をひくことはないなと、安心していられます。

東京の街は車も多いですが、それにも増して人が多いので、威張って歩いていられます。でも、長野の道路では車ばかりがのさばっていて、歩行者には「人権」が与えられていないのではないかと、頭を傾げたくなることがしばしばあります。

学校がたくさんあるねえちゃの家の近くも、歩道が整備されていないところが目立ちます。横断歩道を渡ろうとしていても、車が突っ込んできてひかれそうになることもしょっちゅうです。

昨年、全県に「交通死亡事故多発非常事態宣言」が出されて事故防止の取り組みが行われましたが、車のマナーの悪さ、なんとかしてもらいたいものです。

アルツハイマー病の薬としては現在、ねえちゃの飲んでいるアリセプトをはじめ4種類が国内で認可されています。

けれど、認知症状の進行を遅らせたり緩和する薬はありますが、記憶力を甦らせたり、根治する薬はまだありません。

昨年秋、「アデュカヌマブ」という新薬の効果を示す写真が、世界有数の科学誌ネイチャーの表紙を飾って話題を呼びました。

アルツハイマー病患者の脳には、「老人斑」というシミがあり、その正体はアミロイドベータというたんぱく質であることがわかっています。

米国とスイスの研究チームが60代から80代の初期アルツハイマー病患者165人を対象に、アデュカヌマブを月1回、1年間投与しつづける治験をしたところ、アミロイドベータが解消されることがわかったのだそうです。

脳のしくみがどうなっているのか、それ自体まだはっきりとはわかっていないのですから、アルツハイマー病を治す薬がそう簡単にできるとは思えません。

アデュカヌマブにしてもいつ、国内で使われるようになるかはわかりません。けれど、何らかの希望がもてる薬が少しずつでも増えていくことは、うれしいことです。

「認知症の人と家族の会」の入会の案内というのを見ていたら、家族がつくった「認知症」早期発見のめやす、というのがありました。

ねえちゃは、「今切ったばかりなのに、電話の相手の名前を忘れる」「同じことを何度も言う・問う・する」「慣れた道でも迷うことがある」など20項目のうち、「自分の失敗を人のせいにする」以外の19項目にあてはまりました。

それから、認知症を理解するための9大法則・1原則、というのも載っていました。

第1法則は、記憶障害に関する法則で、「新しく言ったこと、見たことやったことを直後には忘れる」(記銘力の低下)、「経験したことそのものを忘れる」(全体記憶の障害)、「現在から過去にさかのぼって忘れていく」(記憶の逆光性喪失)の三つ。

第9法則の衰弱の進行に関する法則は、認知症の人の老化は、そうでない人の約3倍のスピードで進む。

それから、介護の1原則というのは「認知症の人がつくる世界を理解し、大切にする。本人が取り繕わなくてもいい「気配り」をすること。

うん、うん、なかなか説得力があるな、と思ってながめていました。

ねえちゃの家からいちばん近い店はコンビニの「ファミリーマート」です。田んぼのわきの道から道祖神の前を通って、5分ほどでたどりつきます。

けれど、コンビニで何かを買うことはほとんどありません。いまだに夜中の何時に行っても開いていることが、信じられない様子です。

国道を隔てたファミリーマートの向かいにはドラッグストア「クスリのアオキ」があります。常用している「葛根湯」などをここで買っていますが、最近、おかずやお菓子、飲み物などもスーパーのように安く売っていることを知って驚いています。

コンビニは、1971年代に、セイコーマート、ファミリーマート、セブン・イレブンなどが出店をはじめてから、爆発的に広まっていったようです。

このころ以降、若者であった世代にとってコンビニは、生活になくてはならない“必需品”。でも、コンビニとは無縁に育ってきたねえちゃには、その使い勝手はピンとこないのでしょう。

値段は平均すれば、スーパーのほうがコンビニより安いでしょう。でも、一人でちょっと食べるお弁当やお惣菜には、コンビニの方が便利でお得なものも少なくありません。

「せっかく近くにあるのだから、一人で食事していて何か一品ほしいな、と思うときにコンビニものぞいてみたら」というと、ねえちゃは半信半疑で頷いていました。

薬を15セット、5列3段で置くことのできるピルケースが、ねえちゃのテーブルの上に貼り付けてあります。

ひとつのセルには、アルツハイマー病の薬「アリセプト(5mg)」と高血圧症の薬「アテレック(10mg)」を一粒ずつ入れてあり、セルごとに月日と曜日を書いたラベルを貼ってあります。

そろそろ薬がなくなってきたので、今晩、ラベルを貼り替えて、空いているセルに薬を補充しました。

このピルケースを始めたころは、一晩に2日分を飲んでしまったり、薬の袋がどこかへ行ってしまったと探し回ったり、といったことがよくありました。

でも、最近はだいぶ習慣になってきたようで、毎日、順調に飲みつづけています。

飲み終えるとピルケースの上に置いておくことにしている、「きょうはもう飲んだ」とマジックで大きく書いた段ボールの切れ端も、有効に作用しているようです。

もともと几帳面なねえちゃ。認知症が進んできてもまだ、習慣化することができれば毎日つづけていけることがある。そう考えると、少しほっとします。

きょうは、デイサービスの日。ねえちゃは、このあいだ買ってきたクリアケースに連絡のカードを入れて、出かけました。

だいぶ習慣になって来たようで、最近は「きょうも、さんざん楽してもらって」と、元気に笑顔で帰って来るようになりました。

新聞によると、ねえちゃのふるさと下伊那郡の名産「竜峡小梅」の花がほころび始め、地元の村で開花宣言が出されたそうです。

ここ数日の暖かさで開花が一気に進んだようです。開花は例年並みで、見ごろは2月下旬から3月上旬の見込み。 

長野県の小梅生産量では全国一で、その大半を竜峡小梅が占めるとか。

大正期に、当時の松川村で栽培されていた自生種から選抜された優良品種で、果実は円形で種が小さく、小梅ながら果肉が多いのが特徴。

きょうからもう2月。プロ野球もキャンプインしました。春も、もうすぐのところに来ています。

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