2017年01月
2017年01月31日
漬け物
夕食になって、ねえちゃは「漬け物ないかな」と思い出したように言って、冷蔵庫や物置を探し出しました。
どうも、むかし漬けたのが、どこかにたくさんあるような気がしたようです。でも実際には、最近はもう、漬けるノウハウもすっかり忘れてしまっています。
唯一、親せきから昨年もらったウメを漬けてありますが、ねえちゃはご飯などとウメを食べるのはあまり好きでありません。
日本では天平年間(729~749)の木簡に、すでにウリや青菜などの塩漬けのことが記載されているそうです。その後、奈良時代に入ると大陸から酒や味噌などの調味料が醸造されるようになり、漬け物も多彩になっていきます。
江戸時代には糠漬けも登場し、「香の物屋」という専門の店も生まれて、いよいよ庶民に浸透してきました。田舎に育ったねえちゃも、子どものころから食事には漬け物が無くてはならないものだったのです。
なにはともあれ、自分から何かを食べたいと言い出したことは喜ばしいこと。ダイコンやキュウリ、ハクサイなどの漬け物を、生協に注文することにしました。
2017年01月30日
パジャマ
ずいぶんと温かくなったきょうは、未明から屋根の雪が溶けて落ちる音がしばしば聞かれました。
30日正午までの最低気温は、長野県内30観測地点で氷点下だったのは4地点だけ。長野も1.2度と珍しく氷点下にならず、雪ではなく雨になりました。
ねえちゃは雪かきをする必要もなかったので、「きょうは、あったかいね」と、いつものように一日中、パシャマのまんま。
宅急便、宅食、生協の配達とつづいて来ましたが、最近では当たり前のパジャマ姿での応対です。
パジャマというのは、ヒンディー語・ウルドゥー語の「パージャーマー」が語源で、本来は民族服のズボンのことを言っていたそうです。
それを、インドに駐留していたイギリス人が寝巻として使って、世界中に広まったのだとか。元来の意味からすれば、パジャマは寝るときだけ、でなくてもいいことになります。
2017年01月29日
空き家
たまにぶらっと散歩で外に出たときねえちゃは、自分たちと同じ30年前頃に建った家で、空き家になっているところが一軒、二軒と増えているのが気になって仕方がないそうです。
介護施設へ入ることになったのか、子どものところにでも同居するようになったのか。家から出て行っても、新しい入居者が来る様子がないのが気がかりだといいます。
少子化を背景に、この2、3年、全国的に空き家問題がいっきに顕在化してきています。亡くなったり施設に入ったりした後、家を継ぐ人が居なくなってきているのです。
売るにも売れない、貸す相手もなかなか見つからない。そのまま放っておけば、固定資産税がかかるうえに維持管理費もかかるのでマイナスでしかない。
「気を遣ってばかりの官舎のときとか考えると、いまの自分の家がいちばんいい」とねえちゃはいいます。
空き家問題は、ねえちゃだけでなく、周辺の私たちにとっても差し迫った問題になりつつあります。
2017年01月28日
クリアケースとノリ
デイサービスセンターとの連絡カードを入れるA5版のクリアケースを、ねえちゃはどこかへやってしまったまま、依然として見つかりません。
しかたがないので、きょう、近くのホームセンターへ買いに行ってきました。
ついでに、最近、ないないと騒いでいるセロテープと、領収書などをノートに張り付けるためのノリ(水溶性のでんぷんノリ)も買いました。
ついでに、最近、ないないと騒いでいるセロテープと、領収書などをノートに張り付けるためのノリ(水溶性のでんぷんノリ)も買いました。
ノリは、口紅タイプのやスポンジトップ式のアラピックヤマトなどいろいろ試してみましたが、どれも使わずにどこかへやってしまいます。
唯一、むかし小学校のときに使った、柔らかいチューブに入ったでんぷんノリだけは、手元に置いています。
子どもの時から使い慣れているのか、ねえちゃにとってノリといえば、このでんぷんノリなのでしょう。
子どもの時から使い慣れているのか、ねえちゃにとってノリといえば、このでんぷんノリなのでしょう。
クリア・ケースには、名前を記入するところがあったので、「いざ自分の名前を書くというと、間違えないか緊張するね」といいながら、そこにマジックで書き入れました。
2017年01月27日
伊勢えびラーメン
リンゴ、野沢菜、海苔、干し柿など、ねえちゃのところにはおかげさまで、いろんな差し入れや貰い物があります。
ですが、ねえちゃは誰からいただいたのか、片っぱしから忘れていきます。なので、誰にどうお礼を言ったらいいか分からずに困ってしまうことがたびたびです。
きょう、ねえちゃの冷蔵庫を覗いてみると、派手なパッケージの見慣れない「伊勢えびラーメン」なるものが入っています。
香り良く、コクの濃厚なスープによく合うコシが自慢の熟成麺を使ったおいしい伊勢えびラーメン。濃厚なスープが決め手、伊勢海老の味を家庭で簡単に楽しむことができます。
などと、説明があります。「なんかおいしそうだけど、誰からもらったの?」と、聞いても、いつものように「忘れちゃった」というだけです。
「忘れるのは決まってるんだから、もらったらすぐにメモしなきゃ」と、いっても、それも詮無いことです。
2017年01月26日
電気敷毛布
ねえちゃは、動かなくなってしまった電子レンジといっしょに電気敷布も注文して、電気屋さんに持ってきてもらいました。
いよいよ寒冷期もピークの時節を迎えて、新しい電気毛布が欲しくなったみたいです。
電気毛布には、体に掛ける掛毛布と敷き布団の上に置く敷毛布、さらにコントローラーで敷と掛を切り替えられる敷・掛両用もあるそうです。
毛布の内部に被覆した柔らかな電熱線が埋め込まれていて、これに電気を流して発生するジュール熱で温めます。
ねえちゃは、熱が下から上へと自然にあがって来る敷毛布のほうが、掛毛布よりも好きなようです。
いずれにしても、体の一部しか温まらない湯たんぽや火傷したりすることもあった行火など、一昔前のふとんの中の“暖房”に比べると、格段に快適。
温度設定は、体温よりも少し低い程度。寝る30分くらい前にスイッチを入れて、寝るときは切るか弱くするなど調整するのがいいそうですが、ねえちゃは入れたまんまスヤスヤと熟睡しています。
2017年01月25日
技能賞に駅伝
稀勢の里の初優勝、そして19年ぶりの日本出身横綱の誕生で世は沸いていますが、初場所といえば長野県の星、御嶽海の大活躍も忘れるわけにはいきません。
木曽郡上松町出身、西前頭筆頭の御嶽海は、2横綱と2大関を、自分の相撲で破る快進撃で、11勝4敗。技能賞を獲得しました。
来場所は、三役返り咲きが濃厚。というだけではなくて、この間の小結のときとは違い、近い将来、大関をも狙える地力をつけつつある期待感をいだかせます。
それから、千秋楽の日曜日にあった全国都道府県対抗男子駅伝では、長野県は見事、史上最多となる7度目の優勝を果たしました。
ねえちゃも珍しく、途中までテレビの前で応援していましたが、アンカーにたすきがわたされるころになると、駅伝からもう注意がそれていました。
それはともかく、レースの後には、応援していた県人会の人たちは、輪になって「信濃の国」を歌って喜び合ったそうです。
2017年01月24日
整理整頓
ねえちゃの家のリビングには、送られてきた封書や書類などが束になって並んでいます。
でも、それらの大半は、数年より前に送られたり必要だったもので、いまはほとんど要らないものばかりです。
電子レンジが動かなくなったからと、取扱説明書を探しても、出て来たのは大むかしに使っていた“御払い箱”の代物。“現役”はついに見つかりませんでした。
書類でも、食器でも、何でも、用が済むとねえちゃはすぐにどこかへ片づけてしまいます。でも、どこへ片づけたのか、すぐに忘れてしまいます。
それだけでなく、それが何だかよくわからないまま、とにかく、どこかに片づけなければという思いが先行してしまい、結局自分がやっていることが何がなんやら分からなくなって消えて行ってしまいます。
それだけでなく、それが何だかよくわからないまま、とにかく、どこかに片づけなければという思いが先行してしまい、結局自分がやっていることが何がなんやら分からなくなって消えて行ってしまいます。
きょうの朝、かんぽ生命から、住所確認の返信ハガキが入った書類が簡易書留で送られてきました。
ハガキへねえちゃに書き込んでもらって、「東京へ帰るついでに、忘れないようにポストに投函しておくから」というと、すでにそのハガキももう、どこかにしまい忘れてしまっていて、探し出すのに一苦労しました。
認知症になると、片付けが苦手になるとよく言われます。これはこっち、あれはあっち、と分類して、使いやすいかたちに整理する。
こうした、日ごろ何ということなく繰り返している行動は、アタマの働きがちゃんと作動していて、はじめてできるということなのでしょう。
こうした、日ごろ何ということなく繰り返している行動は、アタマの働きがちゃんと作動していて、はじめてできるということなのでしょう。
きょうの午後、馴染みの電気屋さんが、新しい電子レンジを持ってきてくれました。が、電気屋さんが帰るともう、取扱説明書をどこかにしまい忘れてしまったようです。
どうすれば、ねえちゃにも効果的な分類や整理ができるのか。整理整頓が極めて苦手な私にとっても、重い課題です。
2017年01月23日
テレビ欄
最近は新聞をとらない家庭が増えているようですが、ねえちゃは、地元有力紙の信濃毎日新聞の統合版をずっと取り続けています。
5年前に死んだ連れ合いは、ヒマにまかせて、朝から一日かけて紙面の隅から隅まで眺めるのが日課でした。
が、活字にほとんど興味を示さないねえちゃは、目を通すところといえば、義理を欠くことにならないかと思い出したように「おくやみ欄」をのぞくくらいです。
政治や経済に興味がないのは分かりますが、眼がいいのだし、せっかくお金を払って取っているのだから、せめて、テレビ欄くらいは毎朝、目を通すようにしたら、としばしばいいます。
きょうは、この番組とこの番組は見るぞ、と決めて、その時間になったらチャンネルを合わせて楽しむ。
そんなふうになったら、アタマの体操にもなるだろうし、生きがいにもつながる。と思うのですが、いまでは、そういった気力が沸いて来るのを期待するのも、なかなか難しく思われます。
2017年01月22日
買い替え
動かなくなった電子レンジの件できょうの朝、きのう連絡した馴染みの電気屋さんから電話がありました。
修理すると1万5000円、新しいのに買い替えると、3万円くらいからある、とのことでした。
ねえちゃの話だともう20年以上は使っているレンジということなので、仮に修理しても、すぐにまた壊れてしまう公算が大です。
それに、ねえちゃの数少ない楽しみの一つの食事のために、いまや炊飯器以上に重要になっているから、というわけで新しいのを購入することにしました。
パンフレットを持って来てもらっても何が何だかねえちゃはわからないので、台所の様子もよく心得ているこの電気屋さんに、「上限は5万円、物忘れの激しい年寄りでも簡単に操作できて、使いやすいのを厳選して」持ってきてもらうことにしました。
それにしても電子レンジが使えなくなってみると、いまの主食である宅食のおかずの温めや冷凍食品の解凍などできなくなって、実に不便。電子レンジのありがたさを、実感しています。
2017年01月21日
電子レンジ
夕食にしようかと思っていると、ねえちゃが「電子レンジが動かなくなっている」と言っています。
宅食の容器を入れて「あたため」ボタンを押しても、作動しません。電源を入れ直してみても「H56」という表示が出るだけです。
しかたがないので、いつもの電気屋さんに電話をして、明日にでも見に来てもらうことになりました。
電子レンジは、電磁波(マイクロ波)を照射して、水分子をつなぐ振動子にエネルギーを与え、分子を直接、振動させて発熱する調理機器。
1959年にいまの東芝が国産第1号を開発。「電子レンジ」という名前は、1961年12月、急行電車のビュフェで東芝製品をテストした際、国鉄の担当者がネーミングしたとか。
1970年代中盤になると一般家庭にも普及し始め、2000年代にはほとんどの家庭で設置されるようになりました。
ちなみに、電子レンジを使うのを「チンする」というようになったのは、早川電機(シャープ)の開発チームが「調理が終わったのに気がつかない」と購入者からの意見があったため、自転車のベルの音をヒントに、電磁石とバネで合図音が鳴る仕組みに改良したのがきっかけだったようです。
最近、自分で料理をすることがほとんどできなくなって、冷凍品や出来合いのものを温めて食べるのが日常になったねえちゃにとって、電子レンジは無くては生きていけない必需品です。
だいぶ古くなっているので新しいのに買い替えなくてはならなくなるかもしれませんが、とにかく早く「復活」してもらいたいものです。
2017年01月20日
焦燥
きょうは、お医者さんの日。午後から天気が崩れそうだったので、朝から雪道をゆっくり30分ほど歩いて、掛かりつけの脳神経外科へ行きました。
天気が崩れるのを察知してか、待合室は患者さんでいっぱい。ねえちゃは、1時間半ほど待たなければなりませんでした。
ねえちゃは、以前はとても辛抱強くて、どんなに待たされてもグチ一つこぼすことはありませんでした。でも最近は、少し待つのにもイライラが募るようになったと感じられるのが気になります。
きょうも、待合室で周りをキョロキョロとうかがいながら、「いつまで経っても呼んでくれない」「どうしちゃったんだろう」などと盛んに小言を繰り返しています。
認知症の教科書によると、認知症の周辺症状に「焦燥」があるそうです。「周囲から見て、その人の要求や困惑から直接生じた結果とは考えられないような不適切な発声、言語、身体的行動をとること」と定義され、具体的には「いらいらする」「いてもたってもいられない」「訴えを繰り返す」「動き回る」といった言動・行動をとる、とか。
診療の際には、お医者さんから「長い間待たせて本当にごめんなさい。ちょっと雪でも降った日にはガラガラなんだけど、今日みたいな日は混んじゃって」と盛んに謝罪されて、ねえちゃもやっと微笑みを取り戻しました。
2017年01月19日
ピリピリがなくなって
「仕事に追われていつもピリピリしていた会社員のときは、話しかけるのも憚られたけど、いまは楽に話せて面倒も見てもらえて、こんなありがたいことはない」
何年か前に選択定年で長年勤めた会社を辞め、1カ月の半分ぐらい面倒を見に来るようになった私に、ねえちゃはよくこんなふうに言います。
少しでもいい会社に入って、仕事をバリバリやって、少しでもいいところを見せてやれれば親も喜ぶのでは、と思ってそれなりにガンバってきたつもりだったのだが……
実は、そんなのぜんぜんどうでもよくって、少しでもいっしょに暮して、いっしょに話したり、笑ったり、怒鳴ったりできることを心の底から願っていた。
あたり前と言えばあたり前のことに、長い歳月をかけてやっと気がついたときには、容易く整理しきれないショックを感じました。
まして、「よかった、きょうはまだ息子の顔は覚えている」と、真顔で不安がる昨今では、肩書も、見てくれも、しょせんはどうでも良かったんだ、とホッとするような、後ろめたいような、妙な気持ちになります。
2017年01月18日
見当識
最近ねえちゃは、「バカになっちゃって、どこに居るのか、何がなんだかわからなくなっちゃって」と、電話などで事あるごとに決まって言います。
きょうはデイサービスの日。最近はだいぶ習慣になってきて、迎えに来てもらうと、さほど抵抗なくセンターへ出かけられるようになりました。
でも、どこに来ているのか、何をしているのか、といった状況把握はチンプンカンプンで、うまくできていないようです。
いまの季節、日付、朝、昼、夜の区別や時刻、自分がいるここはどこで、なぜここにいるのか、といった基本的な状況把握のことを「見当識」というそうです。
そして、アルツハイマー病患者には、こうした見当識の障害がよく発生するそうです。
見当識障害には、「夜なのに昼と勘違いする」「季節感がなくなる」「よく知っているはずの道に迷ってしまう」といった症状もあるとか。
ハタから見ていて、いずれも、ねえちゃの症状に一致しています。冒頭のことばも、自分の見当識がおかしくなってきていることの率直な訴えなのかもしれません。
2017年01月17日
「御嶽噴火」提訴
犠牲者58人、行方不明者5人を出した2014年9月の御嶽山噴火災害の遺族が、噴火警戒レベルを引き上げなかったことや地震計の故障を放置したことに対して、国と県に総額1億5千万円の損害賠償を求める訴訟を起こすそうです。
もうあれから2年半近く経つのだな、というのと、信仰の山「御嶽」も損害賠償が争われるのか、という何とも言えない驚きを感じたニュースでした。
連れ合いの仕事で、以前、木曽で暮らしていたこともあるねえちゃや私にとって、御嶽山といえば、
木曽のナーなかのりさん 木曽の御嶽ナンチャラホイ
夏でも寒いヨイヨイヨイ
袷(あわしょ)ナーなかのりさん 袷やりたやナンチャラホイ
足袋ょ添えてヨイヨイヨイ
と、盆踊りの定番、木曽節でうたわれる神聖な信仰の山です。
御嶽信仰を普及させた一人、普寛行者は辞世に、「なきがらはいつくの里に埋むとも心御嶽に有明の月」という句を詠んだそうです。
神の山に登って、噴火に遭遇することになった。それは、もはや「天のさだめ」というようなあたりで落着する時代ではないということなのでしょう。
神さまの山をめぐり、法廷でどうんなふうに裁かれることになるのか。先行きを、静かに見守りたいと思います。
2017年01月16日
恍惚の人
いま「認知症」と呼ばれているものを私がはじめて知ったのは、45年前に出版された有吉佐和子の小説『恍惚の人』でした。
私に限らず、日本人がボケ、痴ほうといった症状を意識するようになったのは、この小説がきっかけだったといっても過言ではないかもしれません。
1972年に新潮社から「純文学書き下ろし特別作品」として出版され、翌1973年には森繁久彌の主演で映画化されました。
主人公の立花昭子は、小雪が舞うある日、仕事から帰る途中で舅に出会います。話を聞くと、姑が起きないのでお腹が空いたと言います。そこで急いで家に帰ってみると、姑は玄関に倒れ、すでに死んでいました。
舅は惚けてしまっていて自分の息子の顔すら忘れているのに、なぜかさんざん虐めていた嫁の昭子のことは、しっかり覚えています。
こうして昭子は仕事のかたわら舅の面倒をみることになり、暴れたり徘徊したりする舅の介護に苦悩する日々がはじまります。
夫は舅の世話を昭子に押しつけるだけで、福祉施設の職員に相談しても、老人ホームに入れるより家庭の主婦がしっかり世話をすべきだと言うだけ。
ある日、舅は風呂で溺れて肺炎にかかります。責任を感じた昭子は、舅の面倒を真剣に見ることを決意しますが、舅の痴呆はますますひどくなって子供のような無邪気さも見せようになり、やがて安らかに息を引き取ります。
1972年の年間売り上げ194万部の大ベストセラーとなり、「恍惚の人」は当時の流行語にもなりました。
しかし文壇からは、「あんなもの小説じゃない」との声が上がったりして、あまり評価されなかったそうです。
家の高齢者の面倒は嫁が見るのが当たり前と考えられていた当時は、嫁と舅のあいだの問題をあれこれ描いた、という読み方がされたのでしょうか。
現代では、認知症の問題は家庭内に閉じ込めず、デイサービスなど社会的に解決をさぐる道が開かれつつあります。しかし有吉が提起した問題の本質は、いまも変わらず残されたまま、のようにも思います。
2017年01月15日
軽井沢スキーツアーバス事故1年
軽井沢町でスキーツアーの15人が死亡、26人が重軽傷を負ったバス転落事故からちょうど1年となりました。
犠牲になった大学生の親族や友人たちが、国道18号碓氷バイパスの事故現場を訪れて、冥福を祈り、再発の防止を願ったそうです。
事故は昨年1月15日午前1時55分ごろ、バスが対向車線側のガードレールをなぎ倒して道路の外に転落しました。
亡くなったうち乗客の13人はすべて大学生でした。
国が定める基準(約27万円)を下回る金額(約19万円)でバスツアーを引き受けていたなど、バス会社や旅行会社に多くの法令違反が分かっています。
国が定める基準(約27万円)を下回る金額(約19万円)でバスツアーを引き受けていたなど、バス会社や旅行会社に多くの法令違反が分かっています。
雪が少なくてスキー客がなかなか集まらないので、値段を下げていたともいわれます。
私は、高速バスで東京と長野の間を行き来しますし、ねえちゃも乗るとすればバス。
1年に合わせるように、きのう、きょうと大雪に見舞われたので、なおさら他人事でないように思われます。
2017年01月14日
雪かき
この冬最強の寒気が入り込んだきょう、長野市内も、この冬初めての本格的な積雪となりました。
一日中パジャマのことが多いねえちゃも、珍しくきょうは、朝早くから暖かめの普段着に着かえて、雪かきに精を出しました。
「向かいの人が前の道をかき始めたので、やらなきゃと思って。お隣より早かったよ」と言っていました。
認知症が進んできても、雪かきは隣近所で協力してやらなければいけないもの、という義務的な意識は決して消えていないようです。
帰ってこれなくなったりするので最近は散歩を控え気味のねえちゃにとって、雪かきは、気持ちも体もリフレッシュできる絶好の機会かもしれません。
冬型の気圧配置はあしたも続き、15日午前6時までの24時間降雪量は長野県北部の多いところで70センチになるそうです。
私は東京へ戻りましたが、「明朝も雪かきがんばってね」というとやる気満々でした。
一日中パジャマのことが多いねえちゃも、珍しくきょうは、朝早くから暖かめの普段着に着かえて、雪かきに精を出しました。
「向かいの人が前の道をかき始めたので、やらなきゃと思って。お隣より早かったよ」と言っていました。
認知症が進んできても、雪かきは隣近所で協力してやらなければいけないもの、という義務的な意識は決して消えていないようです。
帰ってこれなくなったりするので最近は散歩を控え気味のねえちゃにとって、雪かきは、気持ちも体もリフレッシュできる絶好の機会かもしれません。
冬型の気圧配置はあしたも続き、15日午前6時までの24時間降雪量は長野県北部の多いところで70センチになるそうです。
私は東京へ戻りましたが、「明朝も雪かきがんばってね」というとやる気満々でした。
2017年01月13日
一番の寒気
きのうから、長野の天気予報は「雪だるま」のイラストがずらりと並んでいます。
今朝もかなり積もっているのかな、と思っていたら「ほうきでサッと掃くだけで片付いた」と、ねえちゃは拍子抜けのように言っています。
家には2台分の駐車スペースがありますが、いまは車がないので「大雪が降っても、そこへ放り込んでおけば大丈夫」と、ねえちゃは自信を持っています。
土日は、この冬一番の寒気が入り込んで、14日夕までの24時間予想降雪量は、北陸の多いところで100センチ、関東甲信で70センチにも及ぶとか。
雪で外へ出られなくても大丈夫なように、スーパーで惣菜、野菜、バナナなどを買って来ました。
今度の寒気は、センター試験とぴったり重なります。ほどほどの雪で終わってくれるといいのですが。
2017年01月12日
電話
先日、「あくびコミュニケーションズ」というところの担当者から、NTTの電話やネットのサービスなどを一括代行してやることになった。こういうプランにすると、大幅に安くなるのでいかがですか、といった内容の電話がありました。
ねえちゃは何が何だかわからないでオロオロしていましたが、「こういった時代なので、別の係りのものが契約内容の確認の電話を30分後くらいにまた入れさせていただきます」ということで、同じことについて別の人とあらためて確認のやり取りしなければなりませんでした。
ねえちゃは何が何だかわからないでオロオロしていましたが、「こういった時代なので、別の係りのものが契約内容の確認の電話を30分後くらいにまた入れさせていただきます」ということで、同じことについて別の人とあらためて確認のやり取りしなければなりませんでした。
こういうのは「オレオレ、***なので金振り込んで」というわけではないので、そんなに警戒する必要がないのでしょうが、最近のねえちゃを見ていると「電話」は、相当に気をつけなければならないな、と思います。
私は、自分の時間に問答無用で割り込んでくる「電話」が大嫌いで、常時サイレントマナーモードにしておくなどして極力出ないことを信条にしています。代わりに、手紙やメールは必要に応じてしばしば書きます。
ねえちゃにも、家族や親戚、近所の人以外には出ないように言っているのですが、もちろんそんなのは忘れてしまっていて、電話が来れば何でもすぐに出てしまいます。基本的に、電話で話すのが好きなようです。
長野県警によると、2016年の特殊詐欺被害は215件、被害額は4億8952万円で、前年よりだいぶ減ったようです。が、医療費が戻るなどとうそを言って金を振り込ませる「還付金詐欺」など手口は多様化している模様。油断は大敵、なのでしょう。
2017年01月11日
メニュー
きょうはデイサービスの日。ねえちゃは、無事に行って帰って来ました。
いつもどっかへやってしまう連絡カードがめずらしくあったので、見せてもらいました。
名前の書かれたビニールのケースがあるはずですが、またどこかへ“行方不明”にしてしまったみたいです。 カードには、一日にやったメニューがいろいろと記載されています。
【食事】ご飯、味噌汁、蟹クリームコロッケ、ひじきの煮物、しらす和え、パインのシロップ煮、白玉しるこ(おやつ)
【訓練・レクリエーション】リクリエーション、ストレッチ体操、脳活体操、口腔・嚥下体操、塗り絵、漢字パズル、運動器、メドマー(マッサージ機の一種)、屋内歩行トレ(100m)、セラバンド(ゴムバンド)トレーニング、日常生活訓練
驚くほど盛りだくさんのことやってんだな、と感心します。ただし、いつものように、ねえちゃはこれらのメニューのほとんどみんな忘れてしまっています。
ほとんど唯一覚えているのは、お風呂のこと。「デイサービスで入ってきたので、きょうは沸かさないから」とのことです。
名前の書かれたビニールのケースがあるはずですが、またどこかへ“行方不明”にしてしまったみたいです。 カードには、一日にやったメニューがいろいろと記載されています。
【食事】ご飯、味噌汁、蟹クリームコロッケ、ひじきの煮物、しらす和え、パインのシロップ煮、白玉しるこ(おやつ)
【訓練・レクリエーション】リクリエーション、ストレッチ体操、脳活体操、口腔・嚥下体操、塗り絵、漢字パズル、運動器、メドマー(マッサージ機の一種)、屋内歩行トレ(100m)、セラバンド(ゴムバンド)トレーニング、日常生活訓練
驚くほど盛りだくさんのことやってんだな、と感心します。ただし、いつものように、ねえちゃはこれらのメニューのほとんどみんな忘れてしまっています。
ほとんど唯一覚えているのは、お風呂のこと。「デイサービスで入ってきたので、きょうは沸かさないから」とのことです。
2017年01月10日
雪不足
この冬は、長野は雪が少なくて、スキー場などでは困っているとか。そういえば冬になれば、朝、家の前の雪を掻くのが日課のねえちゃも、この冬はまだ一度もやっていません。
たとえば、長野オリンピックの会場にもなった白馬村では、村内5スキー場のうち全面滑走可能なのは一つだけ。特に標高の低いコースが主のスキー場が苦戦しているそうです。
それでも寒気の影響を受けて、明日あたりからかなり冷え込んで雪が降る見込み。今週末には、長野市内も本格的な積雪になるかもしれません。
物忘れがひどいねえちゃですが、最近ようやく「水曜日はデイサービスの日」ということは、頭のどこかに留まっているようになりました。
「雪は大丈夫かな?」「お嫁さんが、いつものように電話で起こしてくれるかな?」と、明日がちょっと気になっているようです。
2017年01月09日
やりたいコト
御嶽海、日馬富士から初金星、という朗報を気にかけるでもなく、ねえちゃはきょうも寝たり、起きたりの生活です。ここ二夜ほど、好きなお風呂にも入っていません。
親せきが、シンガポールへいった、イタリアを旅行した、といった話をしても、いっこうに興味を示しません。海外旅行の入国審査などで英語で質問されたり、といった「恐怖」は、ねえちゃにとっては、とてもじゃないけど受け入れられるシロモノではないようです。
6年前に死んだ連れ合いは、何も口にできないようになっても、指でサカズキをはさむ仕草をしたりして最後まで大好きだった酒を飲むことだけを楽しみにしていました。
「あの温泉に浸かってからいとか、アレだけは食べておきたいとか、死ぬ前になにかやりたいことないの」と、繰り返しても、いつものようにキョトンとしているばかりです。お金さえあれば、あれもやりたい、これにも手を出してみたい、ということだらけの私にはなんとも信じられません。
タテマエではなく、ヒトがなんと言おうとホントに好きなモノ、コトに出あえるかどうかって、人生を相当に左右するかもしれないなと、改めて感じます。
2017年01月08日
初場所
大相撲初場所がはじまりました。初日、長野県期待の星、前頭筆頭の御嶽海は、元気な相撲で大関豪栄道を破って、幸先よいスタートを切りました。
御嶽海は立ち合い、激しい突きでもろ差しになって左に逃げる相手を追い詰め、大関がよく見せる首投げをしのいで寄り切りました。
御嶽海らしい動きの良さで、気持ちがスッキリする快勝。ところが、ねえちゃのほうは相変わらずアタマも気持ちもスッキリとはいかないようです。
相撲のテレビ観戦どころではなく、「ねにがなんだかわからない」と嘆きながら一日中ふとんと家の中のぶらぶらを繰り返していました。
相撲のテレビ観戦どころではなく、「ねにがなんだかわからない」と嘆きながら一日中ふとんと家の中のぶらぶらを繰り返していました。
実姉が相撲がすごく好きなので、場所中はテレビをちゃんと見て、姉と電話で相撲の話ができるようになる。
というのが、今年のねえちゃの一つの目標です。
が、残念ながら、こちらのほうは御嶽海のような幸先のいいスタート、というわけにはいきませんでした。
が、残念ながら、こちらのほうは御嶽海のような幸先のいいスタート、というわけにはいきませんでした。
2017年01月07日
問答無用
“暗くなったらすぐに食事にする”と、ねえちゃの頭の中にある“生物時計”には刻まれているのでしょうか。
きょうもいつものように午後6時前にせっせと一人で夕食を済ませ、食器を片付けて日記を書いています。
きょうもいつものように午後6時前にせっせと一人で夕食を済ませ、食器を片付けて日記を書いています。
「夜はいっしょに正月用のタコを切って食べよう」と、昼には約束していたのですが、やはりそんなことはどこかに吹っ飛んでしまっていて、冷蔵庫にあるおかずで「一人で食べちゃった」。
私が居ることは認知しているようではあるのですが、食べることに関しては、まるで意地悪バアさんのように問答無用にマイペースを貫いています。
最近はそれが当たり前になってきたので、こちらも怒る気力もわいて来なくなりました。
一人で正月用のタコ、というのもなんなので、午後6時ごろ近くのスーパーで見切り品を少しと、ねえちゃの好きな饅頭を買って来ました。
私が自分のおかずを作っていると、夕食後の“お茶”の時間なのか、その饅頭を一人でパクパクおいしそうに食べています。
2017年01月06日
タコ三昧
今年の正月は何を食べたいとねえちゃに聞くと「タコだ」というので、年末に、冷凍の、大きな真ダコと酢ダコを注文しておきました。
もう食べたかなと思い、きょう行って冷蔵庫をのぞいてみると、注文したいろんなタコが冷凍室に置かれたまんまになっています。
タコを注文したことだけでなく、冷蔵庫に何が入っているのか、いつが正月なのかさえも、ちんぷんかんぷんのようです。
日本人とタコとの結びつきは古く、大阪府の弥生時代の遺跡からは蛸壺形の土器がいくつか出土しているとか。とくに、鮮やかな紅色をした酢だこは、正月のおせち料理にはなくてはならない一品となっています。
タコは低カロリーで、タンパク質、タウリン、亜鉛などが豊富。きっと認知症にも、悪くはないはず。あすからの連休は、タコ三昧ということになりそうです。
2017年01月05日
75歳高齢者
日本老年学会などが、これまで65歳以上と定義されている「高齢者」を、75歳以上に引き上げる提言を発表したそうです。
医療の進展や生活環境の改善によって、10年前に比べて身体の働きや知的能力が5~10歳は若返っていると判断したことによるそうです。
2015年10月1日現在の65歳以上の高齢者人口は3392万人。総人口に占める割合(高齢化率)は26.7%にあたります。
たしかに、4分の1以上の人たちが支えられる立場になる「高齢者」という定義というのは、支える人たちの負担の大きさを考えると、どうかなという気がします。
ちなみに75歳以上の人口は1641万人、全体の12.9%になります。人口のピラミット構成からすれば、こっちのほうが現実的に受け入れやすい面が多いかもしれません。
ねえちゃも75歳までは、アルコール依存症や癌などいろんな病を抱えていた連れ合いの世話もあって、ボケているヒマなどありませんでした。
ところが、連れ合いが亡くなった75歳から現在までの5年間に、本人も思いがけないほど急速に老化や認知症が進んできました。
「75歳高齢者」というのは、ねえちゃの場合にはけっこう適合しているようにも思います。
2017年01月04日
「仕事始め」
きょうは、ねえちゃも「仕事始め」です。いつものようにお嫁さんの電話で起きて、だいぶ慣れてきたらしく元気にデイサービスセンターへ出かけました。
帰って来てから「新年だから何かいつもと違った出来事あったの?」と聞くと、いつものように「みんな忘れちまって」といいます。
ただ、センターでお風呂へ浸かった記憶は残っているそうで、「きょうは風呂へ入らずに寝ることにした」そうです。
ただ、センターでお風呂へ浸かった記憶は残っているそうで、「きょうは風呂へ入らずに寝ることにした」そうです。
いつもは毎週月曜日に届けられる生協の宅配ですが、正月なので今週だけは水曜日のきょうが届出日でした。
センターに行っている間に玄関にちゃんと届けられてかどうか尋ねても、どうだったか、こちらもすっかり記憶から消えているようです。
ただし、「冷蔵庫の中はいっぱいになって、これ以上いらない」といっているところからすると、無事、届いているようです。
これで食べるもの心配はなく、いつもの生活にもどっていけそうです。
ただし、「冷蔵庫の中はいっぱいになって、これ以上いらない」といっているところからすると、無事、届いているようです。
これで食べるもの心配はなく、いつもの生活にもどっていけそうです。
2017年01月03日
善光寺詣
早いもので、もう正月三が日が過ぎていきます。毎年、三が日には50万人が訪れるという、長野の善光寺。今年も、初詣で賑わったようです。
私は毎年、正月は長野へ戻って善光寺の初詣をつづけて来ましたが、ここ2年ほどは都合があわず、ご無沙汰しています。
3年前にはねえちゃと三が日に映画を見て、善光寺参りをしました。映画はトンと興味を示しませんでしたが、タッタッタッタと参道を元気よく上がっていったのを覚えています。
あのころに比べて、カラダのほうはそんなに衰えたとは思えませんが、認知症のほうはずいぶん進んでしまったな、と実感します。
善光寺といえば昨年は、天台宗側のトップである小松玄澄貫主が女性職員に不当な人事異動や差別的な発言、セクハラをしたと辞任を求められる不名誉な騒動が起きて、全国的な話題となりました。
今年は、名誉回復の年、となるのでしょうか。
2017年01月02日
七回忌の年
ねえちゃの年末年始は、次男が来て、いっしょに買い出しやらなんやらしながら、のんびりと過ごしました。
楽しく元気に新年を迎えられたようですが、きょう次男が帰ったあとに電話をすると、いつものように「来たこと、ぜんぜん覚えていない」といいます。
今年は、ねえちゃの連れ合いが亡くなって6年。七回忌がやってきます。
長年の連れ合いの世話から解放されて、好きなことができるかな、と思っていたら、逆に、やることも、やりたいことも見いだせないまま、いつの間にか認知症と対峙しなくてはならなくなりました。
なってしまったのだから仕方がないのです。デイサービスなどで少しでも何か楽しいなってことを見つけて、味わい深い1年になればいいなと思います。
2017年01月01日
克服できない病
あけましておめでとうございます。家族の連絡や忘備メモになればとはじめたブログですが、いつのまにか1年近くがたち、300回以上更新しました。今年もできる限りつづけたいと思っていますので、お付き合いいただくことができれば幸いです。
もう四半世紀も前になりますが、癌が遺伝子の病として認知されるようなったころ、癌遺伝子研究で世界的に知られるある医学者に「将来、癌が克服されることがあるのでしょうか?」と尋ねたことがあります。
こたえは「人間が遺伝子をもつ生物である限り、いくら医学が進んでも、一つ目、二つ目の癌は治癒できても三つ目の癌で亡くなる、というように完全に克服するということはないだろう」というものでした。
外科手術や抗癌剤のほか、内視鏡、放射線、免疫療法、分子標的療法などいろんな治療の道が開けてきた昨今でも、確かに、癌で亡くなる人が減っているわけではなく、いまだ克服の道筋はついていません。
それでも、癌なら医学的に対処する方法がいろいろとあります。あるところまでは、お医者さんを頼りにできます。
けれどもアルツハイマー病は、病院へ通っても治ることはありません。進行を遅らせると期待される薬はいくつか出ていますが、それらが治療に結びつくわけではありません。
けれどもアルツハイマー病は、病院へ通っても治ることはありません。進行を遅らせると期待される薬はいくつか出ていますが、それらが治療に結びつくわけではありません。
お医者さんに頼ることができない以上、アルツハイマーとどう生きていくかを考え、ともに生きていけるような環境を少しずつでも整えていくよう、患者とその周辺で努めていくしかありません。
癌が遺伝子の病なら、認知症はエイジング(加齢)の病と言えるのかもしれません。高齢化が進む限り、克服どころか、誰もがますますかかわりをもって生きていかなければならない病気となりそうです。
ねええちゃと対峙することを通じて、このやっかいな病気について少しでも深く考え、ともに生きていく方途をさぐっていければと思っています。