Aokijima

認知症と生きる「ねえちゃ」の近況と、アルツハイマー病に関する記録です

2016年05月

作新大学園

学制が公布・施行された翌年の1873(明治6)年、ねえちゃがいま住んでいる青木島など当時の5つの村が協力して「作新学校」という学校ができました。

最初は地元のお寺を仮校舎にしていたそうですが、明治16年には、白壁瓦葺き2階建ての本館も建てられます。洋風の窓と和風の玄関を併せ持つ、ユニークでモダンな、当時の最新建築物だったそうです。

その後、この建物は、1956(昭和31)年に民間工場に譲渡されますが、後身である下氷鉋小学校の100周年記念事業の一つとして、昭和49年に同小学校の敷地内に作新記念館として移転されました。

現在は、現在は資料室、大気観測室として使われ、長野市の文化財にも指定されているそうです。

そんな作新学校の名前を引き継いで「地域の中で明るく健康に生活したい人が集い、人と交わって学び、体験し、人生の畑を耕す」ことを目的にした、「作新大学園」という高齢者大学がいまも活発に活動を続けています。

地元の盆栽クラブ、老人クラブ連合会、公民館の合議によって昭和48年9月に設立。4年制で、健康体操、防災、歴史、芸術、文学などいろんな講座があるようです。

「何もやることがない」のが悩みのねえちゃにも、「入学してみませんか」と公民館の担当者らが勧めてくれるのですが、残念ながら一向にその気にはならないようです。

大堀館跡

ねえちゃが散歩に出ると、すれちがった子供たちが、しばしば「こんにちは」と明るくあいさつしてくれます。近くに小学校や中学校があって、それらの通学路になっているからです。

そんな、近くにある更北中学校の敷地には、川中島の戦いで重要な役割を果たした大堀館があったことでも知られています。

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校門の脇のところに「大堀館跡」の石碑が建っています。大堀館は幅3間半、高さ2間半の土塁が四方を囲み、外側は幅4間、深さ9尺の堀がめぐらされていたといいます。

弘治元(1555)年の第2回川中島の戦いで、武田軍と上杉軍が犀川をはさんで、200日にわたって対陣したとき、信玄はこの大堀館を本陣とした、とされています。

大堀館は、大塚館ともいわれ、信玄、勝頼2代に仕えた町田氏が居を構えていたと考えられています。

町田兵庫正之は、1561(永禄4)年の武田氏による割ケ嶽城攻略の際、城将の山崎七郎を討ち取った軍功をあげたそうです。

正之、さらに子の光直は、信玄、勝頼2代に仕えましたが、武田家が滅亡すると武士をやめて、この地に帰農。館はその後、焼失してしまったとか。

館跡の隣にある安養寺には、信玄が奉納したと伝えられる守護仏不動明王が安置されています。

病院と鍵

きょうは3カ月1度の、ねえちゃが街の総合病院へ出かける日でした。1日1錠飲んでいる血圧の薬をもらいに行くのです。

病院の予約は午前10時20分。病院までは、車ならせいぜい15分あれば着けます。

「予約通りに病院へ行っても、どうせたっぷり待たされるんだから、10時ちょっと前にタクシーに来てもらえばいんじゃない」と言ったのですが、慎重なねえちゃは「午前9時20分に」ということで昨夜、予約していました。

そして、きょう。「予約はしたんだったっけ」と何度も問うた後で、「タクシーは少し待たせても」というズボラな私と違ってすこぶる真面目なねえちゃは、午前10時ごろから玄関前へ出てタクシーをずっと待っていました。

準備万端か、と思えば然にあらず。ややヒヤッとする事態が起こりました。いざ、タクシーが来ると慌ててしまったらしく、鍵を玄関の鍵穴に突っ込んだまま、鍵をかけずに出かけてしまったのです。

予想通り病院でたっぷりと待たされて、ねえちゃが家へ帰ってきたのは午後1時半ころ。幸い、鍵は無くなることなく、ドアにありました。

剣山

ねえちゃは朝から、きのういただいた小梅をテーブルの上に広げて、梅漬けの準備をはじめました。

最初は、シソで漬けるつもりでいたのですが、「漬けかた忘れちゃって」と姉のところに電話をしたら「らっきょう酢で漬けたほうがいい」というアドバイスをもらったようで、そっちに方針転換しました。

そして、「剣山、どこへいったけ」と、家の中を探し回って見つけてきました。「剣山」と言っているのは、花を生けるときに使う、針をたくさん束ねた剣山留めのことです。

花が動かないように支える花留めは、昔は穴の開いた金属板を用いた七宝留めが一般的だったようですが、明治時代に入って剣山留めが登場し、広く普及したそうです。

けれど、いまのねえちゃにとっての剣山は、花を生けるためではなく、梅漬けに欠かせない小道具なのです。

洗って、ヘタのところを取った後、梅の実を剣山の上でゴロゴロとまんべんなく転がして、表面に細かくトゲトゲを刺していきます。

すると、「酢が染み込みやすくなって、おいしく漬けあがる」のだそうです。慣れた手つきで、針の山をゴロゴロゴロゴロ。長年の経験から生みだされた、ねえちゃ自慢のワザです。

小梅

最近はたいていのものが、年中いつでも食べられるようになってきましたが、こと梅の実に関しては、5~6月のこの時期くらいしか手に入らないように思います。

  梅を干す甕に紅の海はあり(山口青邨)  

といったように、俳句でも梅漬や梅干は夏の季語とされています。

そんな旬の食である小梅が、きょう、ねえちゃの甥から送られて来ました。

このところ、これといった料理をしなくなったねえちゃですが、梅だけは毎年漬けつづけてきています。

「せっかく送ってもらったのらから」と、今年もさっそく甕の中に移し替えて、赤シソの葉といっしょに漬けて「しそ梅」にする準備にかかりました。

江戸時代にはもう、シソで赤く着色される梅干しが作られれようになっていたとか。

伝統的な方法で作られた梅干は、土蔵などできちんと保管していると、腐らず、100年前に作られたものでも食べられるそうです。

梅には、消化吸収を良くするほか、血糖値の上昇を抑えたり肝機能を高めたりする効果もあるとされています。

最近ちょっぴりボケ気味で、何もすることがないのが悩みのねえちゃにとって梅漬けは、頭の体操にための、ほどよい仕事にもなりそうです。

松井潤
matsuijunta@gmail.com
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