認知症になったからかどうかは知りませんが、ねえちゃは、震度2とか震度3とかの地震が近くで発生しても「揺れた」ことに気づきません。でも、長野のこのへんもけっこう地震が起こるところだという意識は持っています。

善光寺地震からもうすぐ170周年になるのを節目に催し物があるという新聞記事を見にしました。

善光寺地震は、1847年5月8日(弘化4年3月24日)、善光寺平を震源として発生しました。マグニチュード7・4と推定されるた活断層(逆断層)型の地震です。

飯山市常郷付近から長野市大岡にかけて、50~60kmに渡って断層が動いたと考えられています。長野、権堂村、妻科村、稲荷山、牟礼、野尻など全震災地を通じて、死者8,600人以上に及んだといわれています。

善光寺のご開帳の期間にぶつかったため、諸国からの参詣客が宿泊していた旅籠街のあちこちで火の手が上がり、3日間延焼し、善光寺の如来堂、鐘楼、山門は焼失を免れものの、市中のほどんどの家屋が倒壊・焼失、市中だけで約2500人が犠牲になったそうです。

地震の後、「死にたくば信濃へござれ善光寺 土葬水葬火葬までする」といったドキッする狂歌が作られたほか、地震から8年後の1855年に、母を伴って近くを旅した幕末の志士、清川八郎は「善光寺の町はさすがに復旧が進んでいるが、他は未だ寂しきありさま」と書き残しています。