「飯田大火」から、70年を迎えたという特集番組をやっていました。「あのとき街全体が焼け野原になった光景は、いまでも目に焼き付いている」とねえちゃはいいます。

飯田大火は、1947(昭和22)年4月20日午前11時48分ごろ発生。おりからの強風にあおられて延焼を重ね、約10時間ほど燃え続けました。飯田中心街の約7割、3742棟、48万平米を焼失。死者行方不明者3人、17,778人が罹災しました。

城下町として発展してきた飯田は京都の町割に倣って作られ、その通路幅は狭く、木造の建物が密集していました。それから、一斉に消火栓を開いたため水圧が低下し、警防団(消防団)による初期消火の失敗につながったことなどが大火につながった原因と考えられています。

この大火を教訓に、延焼を防げるように防火帯道路の緑地帯に、地元中学生によってりんごの木が植えられ、有名な「飯田りんご並木」として復興のシンボルとなりました。

ねえちゃの出身は飯田市近郊の下條村で、高校のときには飯田で暮らしていた経験もあります。大火のときはまだ小学生で下條にいたはずですが、なぜか飯田にいた高校生のときに間近で体験したような気がしているそうです。