「仕事に追われていつもピリピリしていた会社員のときは、話しかけるのも憚られたけど、いまは楽に話せて面倒も見てもらえて、こんなありがたいことはない」

何年か前に選択定年で長年勤めた会社を辞め、1カ月の半分ぐらい面倒を見に来るようになった私に、ねえちゃはよくこんなふうに言います。

少しでもいい会社に入って、仕事をバリバリやって、少しでもいいところを見せてやれれば親も喜ぶのでは、と思ってそれなりにガンバってきたつもりだったのだが……

実は、そんなのぜんぜんどうでもよくって、少しでもいっしょに暮して、いっしょに話したり、笑ったり、怒鳴ったりできることを心の底から願っていた。

あたり前と言えばあたり前のことに、長い歳月をかけてやっと気がついたときには、容易く整理しきれないショックを感じました。

まして、「よかった、きょうはまだ息子の顔は覚えている」と、真顔で不安がる昨今では、肩書も、見てくれも、しょせんはどうでも良かったんだ、とホッとするような、後ろめたいような、妙な気持ちになります。