いま「認知症」と呼ばれているものを私がはじめて知ったのは、45年前に出版された有吉佐和子の小説『恍惚の人』でした。

私に限らず、日本人がボケ、痴ほうといった症状を意識するようになったのは、この小説がきっかけだったといっても過言ではないかもしれません。

1972年に新潮社から「純文学書き下ろし特別作品」として出版され、翌1973年には森繁久彌の主演で映画化されました。

主人公の立花昭子は、小雪が舞うある日、仕事から帰る途中で舅に出会います。話を聞くと、姑が起きないのでお腹が空いたと言います。そこで急いで家に帰ってみると、姑は玄関に倒れ、すでに死んでいました。

舅は惚けてしまっていて自分の息子の顔すら忘れているのに、なぜかさんざん虐めていた嫁の昭子のことは、しっかり覚えています。

こうして昭子は仕事のかたわら舅の面倒をみることになり、暴れたり徘徊したりする舅の介護に苦悩する日々がはじまります。

夫は舅の世話を昭子に押しつけるだけで、福祉施設の職員に相談しても、老人ホームに入れるより家庭の主婦がしっかり世話をすべきだと言うだけ。

ある日、舅は風呂で溺れて肺炎にかかります。責任を感じた昭子は、舅の面倒を真剣に見ることを決意しますが、舅の痴呆はますますひどくなって子供のような無邪気さも見せようになり、やがて安らかに息を引き取ります。

1972年の年間売り上げ194万部の大ベストセラーとなり、「恍惚の人」は当時の流行語にもなりました。

しかし文壇からは、「あんなもの小説じゃない」との声が上がったりして、あまり評価されなかったそうです。

家の高齢者の面倒は嫁が見るのが当たり前と考えられていた当時は、嫁と舅のあいだの問題をあれこれ描いた、という読み方がされたのでしょうか。

現代では、認知症の問題は家庭内に閉じ込めず、デイサービスなど社会的に解決をさぐる道が開かれつつあります。しかし有吉が提起した問題の本質は、いまも変わらず残されたまま、のようにも思います。