Aokijima

認知症と生きる「ねえちゃ」の近況と、アルツハイマー病に関する記録です

雷電

大相撲春場所の新番付が発表になりました。稀勢の里は「西の横綱」となり、番付には17年ぶりに4人
の横綱がならびました。

初場所で、初金星を含む2横綱2大関撃破と大活躍した長野県の星、御嶽海は「東小結」に昇進し、2場所ぶりで三役返り咲きを果たしました。

そんな御嶽海に関する地元のニュースをねえちゃと見ていたら、雷電のことが取りあげられていました。

長野県(信濃国小県郡大石村)が生んだ、史上最強ともいわれる江戸時代後期の力士、雷電爲右エ門(1767-1825)のことです。

身長2メートル近い大型力士で、江戸本場所在籍36場所中の総成績は254勝10敗。なんと96.2%という驚くべき勝率は、あの白鵬でも遠く及びません。1795年から16年間、大関の地位を守り、43歳で引退したそうです。

いまなら当然横綱になっていたはずですが、当時の横綱という地位は将軍が観戦する上覧相撲を機に免許される土俵入りの資格で、番付の最高位は大関でした。そのため、運が悪かったのか、雷電には横綱免許の機会がなかったようです。

御嶽海は、新三役だった昨年の九州場所では、残念ながら6勝9敗と負け越しに終わりました。でも今度は、地力がグ~ンと増して、十分、三役に定着できる実力を備えてきたと思います。

いまの勢いなら近い将来、雷電と同じ大関、さらにはその上だって夢ではないでしょう。注目の来場所、ねえちゃもその気になってテレビ観戦してくれればいいのですが。

大根のつま

夕方、長野のねえちゃの家へ行ってみると珍しく私が行くのを覚えていたようで、刺身の盛り合わせを用意して待っていてくれました。

私も途中でスーパーへ寄って、タイムサービスで割引になったツブ貝などを買っていったので、ちょっぴり豪華な夕食となりました。

ねえちゃは刺身も好きですが、買うと刺身の下に敷いてある、細かく大根をせん切りした「つま」が大好物です。

もともとは「けん」と呼ぶのが正しいようですが、ともかく、シャキシャキした舌ざわりがなんとも言えなくいいのだとか。

「つま」は、基本的には桂剥きで大根を薄くむいて、トントンと包丁で細かく切って作ります。そうした芸当を、料理名人だったねえちゃの父親は見事にやってのけていたそうです。

そんな血を引き継いだはずのねえちゃですが、スーパーの魚屋さんに勤めていたときも工場で出来上がったものを詰める作業だけだったようで、「あんなに細かく切る芸当は私にはとってもできない」のだそうです。

階段

ねえちゃの家の2階へ上がる階段は、かなり急で、ちょっと足を踏み外すと下まで雪崩のような勢いで落っこちていきそうです。

もともと手すりは片側だけでした。が、それだけだと体に衰えてきた連れ合いが心配だったので、家を建てて早々に、増設して両サイドにしました。

1階で寝起きしているねえちゃは、最近はあまり2階へ上がる必要はありません。でも、毎晩、お風呂上りに2階に置いてあるクリームをぬるため、階段をのぼるのが習慣になっています。

「アタマがおかしくなって」しまったねえちゃですが、内心、カラダにはすこぶる自信を持っています。

とはいえ、「年を取ると知らないうちに足は衰えている。特に一人暮らしの場合、極力、急な階段は使わないほうがいい」と、このあいだ脳神経外科の先生から注意されました。

別に2階へ行かなければ事が済まない特別な用件があるわけではありません。クリームを一つ1階へ下ろしてきて、寝室に置くようにすれば済むのです。

なのだからと、このたびクリームを1階に下ろして来て寝床に置くようにしました。ところが、長年の習慣はそう簡単には変えられません。

いつもクリームを移動したことを忘れて、いまでも、お風呂の後は階段を上っていくのが常です。2階にない事に気づくと、「あそうか」と下りていくのが習慣になってきました。

神棚

ねえちゃの家には、6年前に連れ合いが亡くなりまで、ちゃんとした仏壇はありませんでした。檀家となっているお寺もなければ、特に信仰している宗派もありません。

ねえちゃの実家は代々、地元の臨済宗のお寺にお世話になっています。一方、連れ合いの実家はあまり訪ねることがなかったのでよく分かりませんが、浄土宗だったようです。

が、連れ合いはそうしたことを何も語っていかなかったので仕方なく、遺品の中に親鸞の本があったからという苦しい理由で、葬儀は浄土真宗の住職に“アルバイト”でお願いしました。

けれど、その後、浄土真宗の催しの案内が来ても、やさしい親鸞の本を渡してみても、ねえちゃはぜんぜん興味を示してくれません。

「死んだらどういう宗派で、お葬式をあげたらいいの?」とここ数年、事あるごとにたびたび聞くのですが、こたえは一向に返ってきません。「死」なんて、他人事でしかないようです。 

お寺との付き合いはまったくありませんが、神棚だけはずっと前から家にちゃんと置かれていて、ねえちゃは日々、ありがたそうに拝んでいます。

こうした信仰ぶりを見ているかぎりでは、お葬式は神さまにお願いするのがいちばん正直なのかな、という気になります。

改修

シロアリの予防・駆除、湿気対策、地震対策など、木造住宅を長持ちさせるサービスをしている「アサンテ」という会社の担当者の人から、きょう私の家に電話がありました。

ねえちゃの家の床下の検査をした結果、差し迫った問題はなかったようですが、将来のために、いろいろと手を入れられるところはあるがどうしましょう、といった内容のようです。

知らない人から電話がかかってくると、ねえちゃはわけもわからずすぐに言われるまま、引き受けたり買ったりしてしまいます。

なので、何だかわからないことで電話がかかってきたら軽請け合いはせず、東京の私の自宅へ電話を回すように言っています。

最近やっとそれが習慣的に出来るようになってきて、あれこれ私のところへ回ってきます。

平成の始まりとともに新居に入ったので、ねえちゃの家は築30年になります。

すぐにリフォームしなければ住めないというわけではありませんが、あちこちボロくなってきたところは出てきています。

最近、ねえちゃは、ときおり「どこか施設へ入れればいいんだけど」といった言葉も口にするようになりました。

今後、長く住む予定が立たないこの家にどこまで手を加えるべきなのか、悩みどころです。

ドラえもん

つい最近まで私は、あのドラえもん役の大山のぶ代さんとねえちゃは同い年だと思っていました。

だから、認知症で闘病生活中だという大山さんに関する話題がテレビで流れたりすると、ねえちゃのことのように思えて注目してました。

1936年10月16日ということで通ってた大山さんの生年月日は、本当は1933(昭和8)年10月16日だと、夫の砂川啓介さんがだいぶ前に会見で明らかにしていたそうです。

結婚した当時は「姉さん女房」というのに抵抗があったそうで、夫の両親に対する心遣いからそうしたようです。実際は、ねえちゃよりも3歳年上ということになります。

大山さんがアルツハイマー型認知症であることを砂川さんがラジオで明らかにしたのは2015年、ということからすると、認知症との付き合いも大山さんのほうが少し先輩といえるかもしれません。

砂川さんは、大山さんが最近は「自分がドラえもんだったことさえ覚えていないのかもしれない」と吐露しておられるとか。

一方、ねえちゃのほうも最近は、人気アニメのことなど、ほとんど頭から消えさってしまっているように思われます。

昔の同僚

スーパー「ダイエー長野店」がオープンしたのは、1976(昭和51)年4月のことでした。これに合わせて、大量のパート募集がありました。

「40歳まで」が条件でした。この年、ちょうど40歳になったねえちゃは、働くなら最後のチャンスと応募しました。

連れ合いは、そんなに乗り気ではありませんでしたが、このときのねえちゃはいつもになく積極的でした。

レジ係とか、野菜とか、肉とか、いろんな部署がありましたが、家族で話して「魚屋さん」で働くことにしました。

肉体的には大変かもしれないけれど、お金の扱いに神経をすり減らしたりすることなく長続きしそうだと思ったからです。

それから十数年、ダイエーの経営が傾くまで、魚屋さんとしてガンバって働きました。ねえちゃの人生の中でも最も、活気にあふれた日々だったのかもしれません。

そんなダイエー長野店でねえちゃと同じように働いていた人と、この間、デイサービスセンターでたまたま話すことができたそうです。

明日はデイサービスの日。きょうは、いつもになく行くのが心待ちなようです。

届印

先日、料金の銀行口座引き落としを申し込んだ、電話や光回線サービスの代行会社から「金融機関届印との印鑑相違」の不備で決済情報再登録を、という手紙がきょう届きました。

いつも利用している銀行の通帳にある口座番号をきちんと記入して、ねえちゃに「これが届印だから」という印鑑を押して送ったはずなのに、いったいどうしたことでしょう?

ねえちゃに問いただしてみると、ホントのところ通帳の届印がどれだったのか、忘れてしまって分からないのだといいます。

古い通帳を見れば届印が押してあるはずだから出してくれ、といっても、新しいの以外はどこかへやっちゃったといいます。

しかたがないので、届印が押してあった郵便貯金のほうの口座を書き込んで再送することにしました。

公共料金や生協など、これまではちゃんと届印を覚えていて手続きをしてきたはずです。

いちばん大事な銀行の届印も忘れてしまった、というのはなんともショックです。

お金の管理をどうしていくか。真剣に考えなければなりません。
 

パック入り

きょうは、宅食が来ない日曜日なので、ねえちゃはちょっとだけ料理をしました。

朝は、パックに入った冷凍シジミを鍋にあけて、みそ汁を作りました。夜は、ゆでてパックされたタケノコを煮込んでおかずの一品にしました。

シジミ汁はおいしく食べられましたが、タケノコの煮込みは焦げ茶色になってはいたものの、なぜか味はほとんどありませんでした。

最近は、生の野菜や魚を料理して何かを作るということはほとんどできません。

その代わり、生協などに注文した、真空パック入りの冷凍品や冷蔵品を解凍するなどして食べる習慣は、だいぶ身についてきました。

夕方、テーブルにマグロの刺身がお皿に盛られていました。「これ、どうしたの」と聞くと、「マツヤで買って来た」といいます。

でも、きょうは一歩も外へは出ていないはずです。どうも、生協の冷凍パックを夕食用に解凍して用意したのをすっかり忘れて、お店で買ってきたと思い込んでいたようです。

着た切りパジャマ

ねえちゃは毎朝、きちんと洗濯をしています。なのに最近は普段着と化しているパジャマをみると、腕や胸、お尻のあたりなどに汚れが染み込んで、いまにも臭って来そうです。

着た切りすずめで、清潔さとはほど遠い私ですら、さすがにその汚れが気になってきました。

「ずっとそのパジャマを着つづけてるけど、今年になってまだ洗濯してないんじゃないの?」

「そんなことはないと思うけど……。寝るときに着るだけだから、そんなに洗わなくてもと思って」

「寝るときに着るだけ」といっても、最近はデイサービスの水曜日以外は、もっぱら寝たり起きたりなので一日中“着た切りパジャマ”の状態です。

一日中パジャマで居るから、着替えるタイミングも、必要性も無いのです。パジャマが一着しかないというわけではありません。
 
昨年亡くなったお隣のおばあさんが着ないまま残していったからと頂いて「これで死ぬまでパジャマには不自由しない」と喜んでいたばかりです。

宅食や生協の受け取りも、最近はもっぱらパジャマ姿。「せっかく大きな洗濯機をまわすんだから、あしたは下着だけでなくてパジャマも放り込みな!」。

松井潤
matsuijunta@gmail.com
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