Aokijima

認知症と生きる「ねえちゃ」の近況と、アルツハイマー病に関する記録です

WHO

世界保健機関(WHO)が、各国に、認知症の人に優しい社会づくりを促す「行動計画案」を策定したそうです。特定の病気に関してWHOが行動計画をつくることはめったにないことだとか。

行動計画案は、社会啓発、リスクの軽減、診断、介護者支援、研究など7分野の対策を各国に求める内容で、2025年までに、194の加盟国の75%が国家戦略を策定する、すべての加盟国は認知症の人に優しい社会を作るための啓発キャンペーンをする、受診率の向上などを目標にしています。

WHOの報告書によると、世界の認知症有病数は現在、約3560万人に上り、2030年までに2倍の6570万人、2050年までに3倍の1億1540万に増えると予測されているそうです。

認知症は毎年770万人ずつ増え続け、半数以上は低・中所得国に集中し、この割合は2050年までに70%以上に上昇するとみられています。また、認知症の治療や社会的損失のコストの総計は、1年当たり50兆円(6040億USドル)以上にのぼるとか。

それでも日本のオレンジプラン(認知症施策推進総合戦略)のように全国規模で認知症対策を適切に対処するプログラムをしている国は、世界に8ヵ国しかないということです。

認知症というのは、誰かに特別なものではなく、世界のだれもがかかわり試行模索していかなければならない、身近で、遠い、人類の課題なのでしょう。

5月場所

奇跡の2連覇を果たしたものの、春場所中に左腕などを痛めた稀勢の里は、きょうの横審の稽古総見には姿を見せなかったそうです。五月場所に出場できるかどうか、心配されます。

長野県の期待の星、東小結の御嶽海も、春巡業中に申し合い稽古で左手を痛め、実戦的な稽古が十分にはできない状態がつづいているそうです。

御嶽海は、春場所では9勝6敗。5月場所では、2場所連続3度目の自己最高位で戦うことになります。

ねえちゃのお姉さんは、大相撲が大好きで、本場所中はテレビから目を放すことはありません。

共通の話題があれば電話をしても話がはずむから、と場所が近づくと相撲を観ることをいつもすすめるのですが、興味を持とうとしません。

さて、14日初日の5月場所。稀勢の里や御嶽海の活躍は? そして、ねえちゃは少しは相撲を観てくれるでしょうか?

善光寺地震

認知症になったからかどうかは知りませんが、ねえちゃは、震度2とか震度3とかの地震が近くで発生しても「揺れた」ことに気づきません。でも、長野のこのへんもけっこう地震が起こるところだという意識は持っています。

善光寺地震からもうすぐ170周年になるのを節目に催し物があるという新聞記事を見にしました。

善光寺地震は、1847年5月8日(弘化4年3月24日)、善光寺平を震源として発生しました。マグニチュード7・4と推定されるた活断層(逆断層)型の地震です。

飯山市常郷付近から長野市大岡にかけて、50~60kmに渡って断層が動いたと考えられています。長野、権堂村、妻科村、稲荷山、牟礼、野尻など全震災地を通じて、死者8,600人以上に及んだといわれています。

善光寺のご開帳の期間にぶつかったため、諸国からの参詣客が宿泊していた旅籠街のあちこちで火の手が上がり、3日間延焼し、善光寺の如来堂、鐘楼、山門は焼失を免れものの、市中のほどんどの家屋が倒壊・焼失、市中だけで約2500人が犠牲になったそうです。

地震の後、「死にたくば信濃へござれ善光寺 土葬水葬火葬までする」といったドキッする狂歌が作られたほか、地震から8年後の1855年に、母を伴って近くを旅した幕末の志士、清川八郎は「善光寺の町はさすがに復旧が進んでいるが、他は未だ寂しきありさま」と書き残しています。
 

青雲

「きょうは買って来るから」といながら、買うのを忘れてつづけてきた線香。ねえちゃは、「切らしてしまって死んだおじいさんに悪いな」と気が気でないのに、また忘れ、を繰り返してきました。

「そんなんだったら、ネット通販のほうが早いでしょ」と、きのう注文しておいたのが、今朝とどきました。

いつもは煙がたくさん出る「毎日香」ですが、「たまには煙が少ないのにしたら」ということで、「青雲」にしてみました。

どちらも、創業は天正年間にまでさかのぼるという日本香堂の製品ですが、1909年に発売されて、明治、大正、昭和、平成と愛用されてきた「毎日香」に対して「青雲」が誕生したのは、半世紀前の1965年ということです。

「時代とともに歩む若々しく明るいお線香を」という夢を乗せて生まれたという、富士山に青い雲のパッケージの箱に入った、紺色のお線香。

ねえちゃにとっては煙の量や香りはどうでもよい様子ですが、とにかくホッとして、さっそく仏壇で焚いていました。

フキとゼンマイ

きょうの晩ご飯は、庭で取れたというフキと、近所のかたからもらったゼンマイです。

ねえちゃがめずらしく、ちょっとだけ料理をしました。

フキは煮込みに、ゼンマイはゆでてお浸しにして、花かつおをかけました。いちおう、アク抜きもしたようです。

フキはやや硬めでしたが、ゼンマイはサクサク感があって、まさに春らしいさわやかな味わい。おいしかったです。

「山で採るフキはやわらかいんだけど、やっぱりウチのちょっとしたところに生えるのは硬いんだよね」とねえちゃは繰り返し言っていました。

線香

ねえちゃの家のエネルギーは、クッキングレンジや暖房、風呂など、ほとんどを電気によってまかなっています。

ですから、電源から火が吹いたとかよほどのことがなければ、火事の火元になるようなところはないといいます。

唯一の例外。ライターで火を着けているのが、仏壇のお線香です。

それについては火の始末が心配なのですが、「おじいさんは浄土真宗なので大丈夫」とねえちゃはいいます。

浄土真宗では、仏壇の線香は立てるのではなく、通常、「寝線香」が作法になっているとのこと。

1本の線香を香炉の大きさに合わせて、2つまたは3つに折って、火を付けたあと手であおいで消し、横に寝かせて供えるという方法がとられるのです。

ねえちゃの理屈では「立てないので、火の粉が落ちることがばくて安全」というわけです。

確かに一理はあるとはいえ、それは常識がまかり通っている状態のとき。最近のねえちゃは非常識がまかり通ることが多いので……。

「線香が無くなったから、あした買いに行く」といいます。そろそろ、火を使わない線香とかも検討する必要がありそうです。

「だれだか分かんない」

4日ぶりにねえちゃを訪ねると、いつものようにパジャマのまま、ポカンとしています。

冷蔵庫をのぞいてみると、きょうを含めて、宅食が3日分残っています。

「どうしたの。何、食べてたの?」というと、「分かんない!」

でも、生協にいつも注文している惣菜は冷蔵庫から無くなっているので、飢えていたわけではなくて何か適当に口に入れて過ごして来てはいるようです。

そして「私が、だれだか分かんなくなってきた」と、いつもに無いことを口にします。

「ええ! おばあさんの名前は何ていうの?」というと、「それはまだ分かる」と、自分の名前を言ってみせます。

息子の名も、孫の名も、まだ覚えてはいるようです。「だけど……」

これまでになかった、何かとんでもない混沌にまた一歩入り込んだようで怖いのだけれど、どうしようもない。そんなあたりをまた、さ迷っているのでしょうか。

新しい血圧手帳

ねえちゃは、何もかもを忘れても、日記を付けることと血圧を計って血圧手帳に書き込むことだけは忘れません。

毎日、血圧を計って、折れ線グラフを書き込むのが、生きがいのように思います。

使っているのは、薬局でくれる、医薬品メーカーが無料で配っている血圧手帳です。

きょう昼ごろ、「血圧手帳に書くところが残り少なくなってきた。どうしよう」と、いかにも一大事という感じで電話をかけてきました。

前もって新しいのを渡しておくと、いつも、どこかへ失くしてしまうので、私のほうで管理しているから大丈夫、と毎日のように言っているのですが、心配で心配でそれもすぐ忘れてしまいます。

「大丈夫、今度行ったときに渡すから」というと、ホッとして電話を切りました。
 

駒ケ岳ロープウェイ50年

きょうはデイサービスの日。水曜日、週のまん中の欠かせない行事としてだいぶ、ねえちゃの習慣になってきたようで、元気に帰ってきました。

連休を前に、中央アルプスの千畳敷、美ケ原高原、南アルプス林道など県内各地で開山祭が行われたようです。山岳観光シーズンの到来です。

標高約2600メートルの中央アルプス千畳敷カール(駒ケ根市)で開かれた開山祭では、アルプホルンの息の合った演奏も披露されたそうです。

千畳敷と、しらび平駅(宮田村)を7分半ほどで結ぶ駒ケ岳ロープウェイは、1967(昭和42)年7月に開通しました。今年でちょうど開業50周年だそうです。

開業した当時、麓の駒ヶ根市に住んでいたねえちゃにとって、できたばかりのロープウェイに乗った思い出は忘れられないようです。

ロープウェイは全長2334m。千畳敷駅の標高は2611.5mあり、索道・鉄道の駅としては日本で最も高いところにあるそうで、高低差950mも日本最高だとか。

今季は残雪が多いため、高山植物が見られるのは7月中旬になりそうだそうです。 
 

博士の愛した数式

発売2ヶ月で100万部を超えるベストセラーになった小川洋子の『博士の愛した数式』の主人公は、交通事故で新しい記憶が80分しか持続しないようになってしまった、数学の「博士」でした。

「博士」は大切なことを記したメモ用紙を体中につけていて、書斎のクッキー缶の中に、野球カードや思い出の写真などをしまっていました。

ねえちゃの場合も、「博士」と同じように、いつも一から話をやり直さなければなりません。メモをすることさえすぐ忘れてしまうので、メモ用紙をもあまり役に立ちません。

最近は必ず、毎日同じように、「何かきょうは、バカになっちゃって」「きょうは何か、お風呂へ入る気にならなくて」と口にします。

「きょうは」ではなくて、このところ「いつでも」そうなんですが、ねえちゃはいつも「きょうは」だと思っています。

玄関で話していたことを、居間へ来ると忘れちゃうので、「80分」も持続したらいいのになあ、と思ってしまいます。

『博士の愛した数式』をはじめて読んだときには、ユニークなフィクションだな、と思いましたが、最近はすっかりリアルな世界に映っています。

松井潤
matsuijunta@gmail.com
  • ライブドアブログ