Aokijima

認知症と生きる「ねえちゃ」の近況と、アルツハイマー病に関する記録です

母の死

  糸を取るおばあちやんちのありしかな

「ねえちゃ」のふるさとを詠んだ私の句です。「ねえちゃ」は、長野県南部の飯田市の近くにある下條村の農家に生まれ、結婚するまでそこで暮らしました。

信州は養蚕の国。「ねえちゃ」の家でも、何よりも蚕(かいこ)が大切にされていました。「糸取り」は、糸を紡ぐ作業のこと。繭を煮て、鍋の湯の中に踊る繭から一本の糸を引き出していきます。

そんな糸取りが、「ねえちゃ」のおかあさんたちにとっても農家を支える重要な内職でした。農作業のあいまにきっと、汗をかきながら懸命に繭から糸を引いていたことでしょう。

「ねえちゃ」の実母は、一家でくつろいでいるときに突然、発作を起こして急死してしまったのです。まだ、50歳を少し過ぎたくらいの若さだったそうです。疲労などが引き金になって心不全でも起こしてしまったのでしょうか。

末っ子だった「ねえちゃ」は、まだ幼くて「母の死」というものをすぐにはのみこめなかったようですが、そのとき受けたショックは、いまも記憶に焼き付いたまま離れないといいます。

愛犬

「ねえちゃ」の以前すんでいた家では、犬を二匹飼っていました。室内犬のマルチーズ「まり」と、番犬の柴犬「ころ」です。

いっしょに寝たり、いっしょに散歩したり、家族同然に仲良くしていました。けれど、やがて寿命が来て、二匹とも先に逝ってしまいました。

「ねえちゃ」は、その愛犬たちの死で味わった痛烈な悲しみが、いまも頭から離れないようです。

お隣も、親しくしていただいている近所のかたも犬を飼っています。「一人暮らしの心の支えになるよ。元気が出るよ」と犬を飼う話が浮上することがしばしばあります。

けれど、いったんはその気になりかけてもやっぱり、あの別れの悲しみを思うとどうしても踏み切ることができずに、躊躇してしまうのです。

生協

「ねえちゃ」は、昨年の夏、生協の会員になりました。しばらくは、何もたのまなかったのですが、毎週、手数料だけを取られるのももったいないので、秋になって少しずつ注文するようになりました。

マークシートの大きな注文用紙に書き込むのは、いまでも苦手ですが、毎週月曜日の午後3時、注文品をおねえさんが持ってきてくるのを待っていて、受け取るのは、習慣になってきました。

注文の中には、「ねえちゃ」の好物が必ず含まれています。秋のころは、柿、いまの時節は、酢ダコを、毎週たのんでいます。

ただし、届けてもらってすぐに食べてしまったのに、「来ていない。どうしたんだろう」と首をかしげていることが、しばしばあります。

外出の悩み

「ねえちゃ」はバス旅行が好きで、以前は、近所や元の職場の人たちとよく温泉や名所に出かけていました。連れ合いが亡くなってからも、県内のお寺巡りのツアーに月1回くらいのペースで参加してきました。

ところが最近は、もの忘れがひどくなって、外出する自信がすっかり失せてしまったようです。

バスで出かけるのを楽しみにしていた、元職場の同僚たちとの旅行や、実家の冠婚葬祭も、いったんは行くことにしても、直前になって断わるのが常になっています。

そして断っても、断ったかどうかを忘れてしまって、何度も電話をして周りを驚かせることも増えてきました。

そんなこんなで最近はめったに外出しなくなったのですが、きのう、久しぶりに元同僚の友だちからお誘いの電話がありました。

そんなには遠くない街の大きなショッピングセンターで会いましょう、という約束で「楽しみにしてます」と二つ返事でした。

しかし、いざとなってみると、約束の日時を間違えず、そこまで迷わずに行けるかどうか、すっかり不安になったようです。

「断ったほうがいいだろうか」。いつもの「悩み」がまたはじまりました。

依存症

最近、整理をしていて出てきた「ねえちゃ」のノートは、こんな記録からはじまっていました。

「11月13日午後2時より精神保健センターに出向き、保健婦と面会2時間程お話を聞いてから、お医者さんよりアルコール依存症と診断された時には入院、治療する方向と考えなければと云われる。ショック。アルコール症治療のしおりをもらって来る。目がぱっちりしてくる」

ノートに挟んだり、貼りつけてある新聞の切り抜きからすると、どうも、いまから20年前の1995年に記したもののようです。

1995年といえば、阪神大震災やオウム真理教事件など大ニュースがたて続けにあった年ですが、「ねえちゃ」にとっては夫のアルコール依存症という一大事が「勃発」した年だったのです。

連れ合いの「唯一の趣味」といってもよかった「お酒」が、いつ治るとも知れない病気になってしまった。その「ショック」は計り知れないものだったにちがいありません。

美容院

散歩に行っても道に迷うようになってきて「ねえちゃ」は最近、外出することにすごく臆病になってきました。そのため、美容院に行くのも随分ご無沙汰になっていました。

そんな矢先の昨日の朝、近所で親しくしていただいている奥さんがさそってくれて、車で美容院へ連れて行ってもらいました。いつも行っているのとは別の、初めてですがなかなか気持ちのいいところだったそうです。

これまでボサボサにしていた髪がすっかり整って、気持ちまでスッキリしたみたいです。髪の毛が少ない私にはわかりませんが、やはり、いくつになっても特に女性にとって「美容院」というところは、特別な場所なのでしょう。

夫の病

「ねえちゃ」は、5年前に亡くなったおじいさんと52年間連れ添いました。このうち後半の20年ほどは、連れ合いの病気の世話とお酒との闘いに追われる日々だったようです。

山崩れや地滑り、洪水対策など、山奥で治山・治水の仕事に携わっていた夫は、いつも危険と隣り合わせでした。まだ30代で子どもも小さかったころ、橋から転落して1週間くらい意識不明になり、死を覚悟したこともありました。

年をとってからも、胃がん、高血圧症、腰痛など、いろんな病気を患いました。そんな中でも「ねえちゃ」がいちばん辛く、ショックだったのは、お酒の病だったようです。

結婚したてのころから、連れ合いは仕事が終われば飲む毎日でした。山のなか、遠くにある酒屋さんまで歩いて行っては、重たい瓶を抱えて帰ってくる。それが「ねえちゃ」の毎日欠かせない「思い出すのもイヤ」な大仕事でした。

それでも飲むだけ飲んで、寝て起きれば山を歩き回って仕事に明け暮れている、そんなむかしは、まだよかったようです。やがて定年を迎えると、朝から晩まで飲みつづけてという生活が始まってしまったのです。

日記

「ねえちゃ」は、日記を書いたりノートに記録したりするのがとても好きです。「3年日記」や「5年日記」をもう20年以上、毎日忘れずに続けています。

ほかに、毎日、血圧を測って書きためた「血圧手帳」はもう13冊になりました。散歩の歩数を記した「歩数ノート」も、ぎっしり数字が埋まっています。

さらに、むかしやっていた菜園に関する日記や、編み物について細かく綴ったノート、連れ合いの病気にかかわる記録なども出てきました。

まだ結婚して間もないころ、三日坊主でやめてしまった夫の日記帳の余ったページを使って、「ねえちゃ」が代わりに細かく綴っている日記もあります。

もの忘れが多くなった最近は、忘れても思い出せるように何でもメモしておこうと忘備録的なノートも何冊か作りました。

でも、せっかく書いても、それを見るということを忘れてしまっているのが常なので、いまのところあまり役立っているとはいえません。

いくらもの忘れがひどくなっても、日記だけは欠かさず律儀に続けているのは、本当に偉いなと思います。

ただし最近は、その日の日記をもう書いてしまっているのに、それを忘れて次の日付の欄にまた書いて、と1日に2回、つまり「あしたの日記まで書いてしまう」という、ちょっとしたミステイクがしばしば起こっています。

散歩とスーパー

「ねえちゃ」は、天気と気分がいいときには、万歩計機能の付いた携帯電話をもって散歩にでかけます。

だいたい同じコースを歩くようですが、最近はたまに「どこにいるのか分からなくなっちゃった」と、SOSを発することも出てきました。

そこで一案。散歩の途中でもし迷ったら、「スーパー『**屋』はどこですか」と家のすぐ近くにある通いなれたお店の名をあげて、近くにいる人に道順を聞く。ということを忘れずに守ることにしました。

そんなこともあって最近は、ひととおり歩いた最後にそのスーパーに寄る、というのが「私の散歩コース」として本人のなかでも定着しつつあります。

ただし、そう決めてから、たこ、いか、納豆など、毎日のようにスーパーで同じものを買ってきては冷蔵庫にあふれかえる、という新たな事態が発生するようになりました。

お隣のお葬式

ちょうど昭和から平成に変わったころ、「ねえちゃ」は、5年前に死んだおじいさんと、いまの家に引っ越してきました。分譲住宅として売り出されていた区画の、最後の一戸だったそうです。

ちょうど同じ時期に住みはじめ、ずっと親しくしてきたお隣のおばあさんが、年明け早々に亡くなりました。「ねえちゃ」より一回り上の90歳を過ぎたかたです。

年をとってからも一生懸命に働き通している姿などを見て、「ねえちゃ」はずっと尊敬し生きる励みにしてきたのだそうです。そんな大切なお隣さんの死に、彼女はなんだかとても動揺したようです。

お通夜やお葬式の日取りを聞いては忘れ、聞いては忘れて、何度も何度も隣近所の人たちを訪ねまわったり、1月8日にあったお葬式の直前になって急に「行きたくない」と言い出して困らせたり。

それでも、神道で行われたお葬式に参列して玉串奉奠をさせていただくと、気持ちがふっ切れたようでした。終わってから葬儀場の向かいの喫茶店に入って「来てよかった。よかった」と晴れ晴れした顔つきで、マロンケーキを一つ平らげました。

松井潤
matsuijun@jg8.so-net.ne.jp
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