Aokijima

認知症と生きる「ねえちゃ」の近況と、アルツハイマー病に関する記録です

趣味

長年勤めたスーパーマーケットを退職してから「ねえちゃ」は、陶芸、手芸、押し花など、周りの人にさそわれて習いに行ったりして、いろんな「趣味」に励んできました。

ですから、「お酒」だけが楽しみだった連れ合いと違って、一人になっても楽しみはいろいろあるだろうな、と思っていました。

ところが意外なことに、どれもこれもみんな飽きたりダメだと思ってやめてしまい、夫が亡くなったころには趣味らしきものはすっかり無くなっていたのです。

兄嫁が俳句を楽しそうにやっている、というので、県内を拠点にしている俳句会の雑誌を2年間購読したりもしました。が、「私には才能がないから」と、けっきょく一回も投句せずに終わってしまいました。

ちゃんとしていないと気が済まないところがある「ねえちゃ」は、「みんながやるからやらなきゃ」とか「みんなと同じようにできないと」とった義務感のようなものが先に立って、「自分が好きだから下手でもなんでも楽しんで続けてる」というのは趣味ではなかったのかもしれません。

そんなに格式ばらなくても、好きなテレビ番組を見つけていつもチャンネルを合わせるようにして楽しむとか、庭で好きな花を育ててみるとか、そういうので十分なんだからと言っても、残念ながら最近は「興味を持つ」ということ自体がめんどうになってきているみたいです。

主治医

「ねえちゃ」は、お客さんが来たのでキャンセルした歯科医の予約を、きのうの午前10時半、ということで取り直しました。

ところが、前日までは行く気満々でいたのが、当日の朝、いつものように洗濯など済ませたのに、「何だか調子が悪いので行かない」と頑なに言い出し、またキャンセルしてしまいました。

風邪をひいたとか、熱があるとか、カラダのどこかが悪いとかいうわけではなく、外出しようと思うといつも「ねえちゃ」の中におとずれる、例の「お断り」のパターンのようです。

旅行や冠婚葬祭だけでなく、すぐ近くの歯科へ行くのも受け付けなくなってきた、というのは、ちょっとショックです。「ねえちゃ」は、カラダはすごく健康で、これまで、これといった病気にかかったことがありません。

だから年齢を重ねたいまでも、連れ合いが存命中にお世話になっていた街中の大きな病院へ3カ月に1度ほど、検査や高血圧の薬を処方してもらいに、タクシーで出かけるくらいです。

家から歩いて5、6分ほどのところに、歯科はもちろん内科や外科の医院がありますが、これまでほとんど行ったことがありません。健康に神経をとがらせ、ずっと元気できたので、お医者さん通いの必要がなかったのです。

逆にいうと、「主治医」といえるような先生が、残念ながら「ねえちゃ」には近くに居ないことになります。「病気」や「病院」というものにも、慣れていません。

カラダは元気でも、もの忘れやボケなどアタマのほうが気がかりな昨今、「ねえちゃ」に気軽に相談できる町医者の先生がいたら、随分と気持ちの持ちようが違っていただろうにと感じます。

宅食

5年前に亡くなった「ねえちゃ」の連れあいは、家の食事はすべて手作り、スーパーの出来合いの惣菜で夕食を済ますなんてことは絶対に許さない人でした。

一人暮らしになって作ってあげる人もいなくなり、もの忘れも多くなった「ねえちゃ」は、料理をするのがだんだん煩わしくなり、実際、出来なくなってきました。

そこで、近年はやりの「ワタミの宅食」の「おかず」を取ることにしました。その日の夕食を、土曜・日曜以外の毎日、正午ごろには届けてくれます。その日の夜、電子レンジで「チン」をして食べます。

たとえば昨日のメニューは、アジの塩焼き、イカとカボチャの天ぷら、切干大根のごまドレッシング、コンニャクとニンジンの白和え、ポテトの真砂和え、漬物でした。

毎日、ちがうメニューが届き、栄養バランスにも気が配られています。これだけの種類を一人分だけ作るのは面倒でお金もかかるので、経済的でもあります。

当初は「それくらい私が自分で作ったほうが」と受けいれようとしませんでしたが、最近はすっかり「宅食」の生活がハマッてきました。

「宅食」を持って来てくれるおねえさんともすっかり仲良くなって、しばしの世間話も、楽しみにしているようです。

みすゞ飴

「ねえちゃ」は、5人ほどの兄弟姉妹の末っ子です。「ほど」というのは、本人も本当のところ、何人だったかははっきりしないというのです。

すぐ上の姉とも11歳年が離れています。ですから、だいぶ前に亡くなった年長の兄たちよりも、むしろ、その子どもたちのほうが「ねえちゃ」の年齢に近いのです。

そんな兄弟たちの中で、この世に居るのは11歳年上の姉と「ねえちゃ」の2人だけになってしまいました。

そんな大切な姉のところを訪ねるとき、「ねえちゃ」が決まっておみやげに持っていくものがあります。「姉さまの好物の『みすゞ飴』」です。

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「みすゞ飴」は、「真田丸」ですっかり有名になった長野県上田市にある飯島商店が生んだ、果物の果汁と寒天を水飴に加えたゼリー菓子。同商店のサイトによると「試行錯誤の上、明治の末に完成し」ていたのだそうです。

さすがに、伝統の一品。柔らかいけれど適度な弾力があり、アンズ、ぶどう、もも、りんごなど信州産の果汁の風味と独特の歯ごたえがシンクロして、なんともいえない味わいが醸し出されています。

いつごろ「好物」になったのか、いつごろから「おみやげ」にするようになったのかは定かでありません。でも「みすゞ飴」が、残された姉妹の絆に一役買っていることは確かなようです。

きのう「ねえちゃ」のおいが、家にあそびに来てくれることになりました。そこで「ねえちゃ」は、朝から「みすゞ飴」を求めて、近くのスーパーに出かけました。

1度目は肝心の「みすゞ飴」を買うのを忘れて帰ってきてしまいました。が、忘れたのを思い出してもう一度、スーパーへ。

「よかった。2個だけになってたけど残ってた」と嬉しそう。訪ねてくれたおいに無事、姉の好物のおみやげをたくしました。

キャンセルのメモ

抜けてしまった奥歯を治療するため、歯医者さんに予約の電話を入れた「ねえちゃ」でしたが、予約した水曜日に、お客さんが来ることになってしまいました。

そこで、きのう、歯医者さんにキャンセルの電話をすることになりました。が、いつものように、電話をしたかどうか記憶からすぐに消えてしまっています。

「忘れたときのために、どこかにメモをしてあるはず」と、あちこち探しまわって、やっと赤マジックで書かれた広告を切った紙が出て来ました。

そこには「H歯科へ、23日11時30分に電話。予約を取り消し、改めて予約し直すことにする」とありました。「電話をしたんだね」と本人は、ほっと一安心。

メモも、単に「取り消す」と書いただけでは、取り消し済みなのか、取り消すことにしたのか分かりません。そこで、行動したことを「23日11時30分」などと、日時を入れて書き込むように努めています。

そこらへんはだいぶ習慣になってきて、2度も3度も電話をして取り消したかどうかを相手に確認する、という騒動になることはだいぶ減ってきました。一歩前進です。

けれど、どこに書いたか分からなくならないように、メモはすべてコレと決めている一冊のノートにまとめて書き込む、という約束のほうは、残念ながらなかなか守るところまでいきません。

最寄りの歯医者

奥歯が1本取れてしまった「ねえちゃ」は、自宅から歩いて5、6分の、歯科医院に予約を取りました。覚えていないくらい久しぶりの歯医者さんです。

念のため、当日行けるかどうか心配になったから確かめて来ると、夕方、散歩がてら医院の場所を確かめに出かけていきました。ところが、なかなか帰ってきません。

だいぶ暗くなってから戻ってきたかと思うと「いや、たいへん。ちょっと暗くなると、道がわからなくなって、迷って、迷って。ホント、どうなるかと思った……」。

話を聞くと、歯医者までは無事にたどりつけたものの、日が長くなってきたのでちょっとそのへんまわって帰ろうと思ったところ、それが油断で、どこに居るのかわからなくなってしまった、とのこと。

「ねえちゃ」は、こんなふうに、ごく近所に出かけても道に迷うことが多くなってきました。そして、ときどき「おじいさんはヘベレケになるまで飲んだくれても、家にはちゃんと、たどり着いたのに」と、夫を思い出しては悔しがります。

夢うつつ

「きのうは、久しぶりにNさんたちと集まってべちゃくちゃ、いろいろ話が出来て、楽しかった。でも、誘ってくれた肝腎のKさんが来ないの。どうしちゃったんだろう」

と、「ねえちゃ」はいいます。何の話かな、と詳しく聞いていくと、どうも近くのショッピングセンターで約束していた、例の元同僚たちとの集まりのことらしい。

「ええ? 断ったんじゃなかったの。そう言ってたのに」

「ううん。そうだったっけぇ。じゃあ、あれは夢だったのかな」

「会う約束をしたという時間に家に電話をしたら、出たじゃない。もし行っていたら、電話に出られないでしょう」

「そうか、じゃあ夢だったんだね。最近、夢なのか現実なのか、なんだかよくわからないことばかりになっちゃって」

だれでも多少、夢とうつつが混ざり合うことってありますが、最近の「ねえちゃ」はその境界線が相当にあやふやになってきているようです。

「じゃあ、あのとき、歯がスコッと抜けちゃったのも夢だったのかしら?」と、周りを少し探していると、根っこの先からきれいに抜けた奥歯が一本、見つかりました。

どうも歯のほうは「うつつ」だったようです。さて、今度は久しぶりに歯医者へ行く算段をする必要がありそうです。 

読書

「ねえちゃ」のいまの悩みの一つは、何もやることがないことです。いつか四国八十八か所巡りをしたいと言い出したことがあったので、ガイドブックを何冊も送ったのですが、ほとんど見ることなく興味はじきに失せてしまいました。

「眼はすごくいいんだから好きな本を借りてきて読んでみたら」と、歩いて5、6分の公民館の図書室へ本を借りに連れて行ったこともあります。けれど、1回借りてはみたものの、読まずに返しただけで、それっきり。

残念ながら本の面白さからも、必要性からも、近年はトンとご無沙汰、ということになってしまっているようです。

以前も紹介した、1995年と見られる夫のアルコール依存症の日記には、次のような記述があります。

「11月14日 お父さん、仕事に行かず休む。朝より本を読んで見るがあまりに大きなショック。全部がお父さんの症状に当てはまり、このまま生活をして行く事が出来るか不安になって来る。

お父さんにも読んでもらう。自分も少しは自覚した様に見える。仕事があるので、入院は困ると云う。二人で頑張ろうと云うと、頑張ると云う」

本を読み、本をよりどころにして、病気に打ち勝とうと懸命に努めていた時もあったのですけれど……。 

お断りの「法則」

かつて勤めていた職場の同僚からの、近くのショッピングセンターで会いましょう、という約束、「ねえちゃ」はけっきょく、いつものように前日になって断ってしまいました。

旅行はもとより、いろんなイベント、「お茶」の集まりなど、友人知人からの誘いが来ると「ねえちゃ」は、いったんは快く引き受けるものの、その前日になると断るというのが、最近はニュートンの運動法則のように確かなパターンになってきました。

風邪をひいているのでも、熱があるわけでも、血圧が高いというわけでもありません。でも、「どうも気分がすぐれない、やる気が起きない。ダメだ」という思いが、前の日になると決まって頭の中を占領してしまいます。

「ねえちゃ」は、生真面目で、周りに失礼や不義理があってはならない、と人一倍考えるタイプです。物忘れがひどくなってきて、いざとなると行き慣れていたはずの約束の場所でさえ、どこだったか分からなくなってしまう。そうした不安が頭の中を混乱させて、「行けない」という結論にいたってしまうようです。

ひょっとすると「老人性うつ」的な要素も、関与しているのかもしれません。でも、行かなかったその日は、ほっと何かから解放されたようにたいてい明るくて元気。断ったことをケロリと忘れて、「楽しそうね。行けばよかった」なんて、笑いながら話すこともあります。

 

メッケル洞

2年くらい前、かかり付けの病院の定期検査で「ねえちゃ」の脳に、ちょっと判断の難しい影のようなものが見つかったので、と脳神経外科の専門病院でMRIなどによる精密検査を受けたことがあります。

眼の後ろの奥のほうに三叉神経が集まっている「メッケル洞」という空洞があるそうです。「三叉」というのは、眼神経、上顎神経、下顎神経の三つの神経に分かれる神経で、体の運動や知覚をコントロールする重要な役割を担う、脳内で最大の神経だとか。

精密検査の結果は、このメッケル洞に水が溜まっている可能性が高い、とのことでした。医師によると、最近の病変ではなく、子どものときからこうだった可能性もある。むかしは取り除く手術をしたこともあったけれど、最近はリスクをおかしてまで取る必要はないと考えられるようになった、そうです。

物忘れがはなはだしくなり、「泥棒が来た」などと突然いい出すようになったころだったので、「アルツハイマーとか脳血管系の痴呆の兆候のようなものは画像で見られなかったのですか」と尋ねると、医師は――

「痴呆は進んでこないと、なかなか画像ではとらえられません。脳血管もきれいで、特に変わったところは見られませんでした。お嫁さんを見たら、泥棒だと叫び出すくらいにならないと……」との返事でした。

松井潤
matsuijun@jg8.so-net.ne.jp
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