Aokijima

認知症と生きる「ねえちゃ」の近況と、アルツハイマー病に関する記録です

血圧手帳

きのう「ねえちゃ」は、だいたい3か月に1度の割合で通っている街の総合病院へ出かけました。最近、自分ひとりでトラブルなく行ける外出先は、ほとんどこの病院だけになってしまいました。

通院といっても、重い持病があるわけではありません。念のためにと、毎日1粒ずつ飲んでいる高血圧の薬の処方をしてもらいに行くのです。でも、この時だけは、ひとが変わったように率先して自らタクシーを予約して、きのうもトラブル無く帰ってきました。

友だちと遊ぶ約束や近くの歯医者の予約など、ことごとくキャンセルをして周りを困らせ続けている「ねえちゃ」なのに、距離的にはいちばん遠いこの病院だけは、どうして忘れずに自主的に行くのでしょう。病院でだれか友だちでもできたのかな?などと、ずっと不思議に思っていました。

実際は病院へ行っても待っている時間が大半で、診療といっても先生とは事務的な話をするだけ。血圧を測ることすら無いといいます。大きな病院なので、待合室での顔見知りもできないそうです。

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「ねえちゃ」はこのごろ、「頭がボケてきて」とか自分でもしばしば口にするようになりました。なので「せっかく高いタクシー代払っていくんだから、ボケが進まないようにするにはどうしたらいいのかとか、ひとこと相談したらいいのに」と、いつも口うるさくいいます。

でも、いつでも聞き流すだけで終わってしまいます。よくよく問い詰めてみると、家族がそういうので謙遜気味に「頭が……」と周りに切り出すだけで、本当は「少し物忘れはあるけど、ボケてきたとは全然思っていない」のだというのです。

だから、思ってもいないことを先生に言えない(プライドが許さない)というのが、周辺にはやや意外な、本音のようです。

それにしても、友だちと遊ぶのまで「行く自信がない」とキャンセルするようになったのに、どうして、この病院に行くことだけは忘れず、律儀に続けているのでしょう。その理由の一つに、どうも「血圧手帳」がありそうに思われてきました。

「ねえちゃ」の欠かさない習慣に血圧測定があります。毎日必ず測って、グラフにしていきます。そんな書き込みが、もう13冊びっしり埋まりました。グラフを書き込んでいくのが「ねえちゃ」にとって、どこか生きる張り合い、楽しみにもつながるところがあるのでしょう。

ちゃんと毎日書き込んで、きちんとやった証のグラフを先生に見てもらう。それは、学級日誌をちゃんと書いて先生にマルをもらって励みにする子どもに、どこか似たところがあるような気がします。

きのう、病院で14冊目の「血圧手帳」をもらってきた「ねえちゃ」は、帰ってくるとさっそく血圧を測って、新しい最初のページに記入しました。

物忘れが多くなっても、血圧のグラフをコツコツと毎日、書き続けていく。立派だ、と思います。でも、そんな立派さが、なんとも言えない寂しさを誘うのです。

優等生

「ねえちゃ」は、優等生です。戸棚を整理していると、高校生のときの皆勤賞の賞状、職場での論文コンクールのトロフィーなど、いろんな“勲章”が出てきます。

お酒も、たばこも、カラオケも、パチンコも、マージャンも、まして競馬も、競輪も、やりません。こういったタグイは「男の人がやるもの」と決めてしまっているようです。

冠婚葬祭などで「カタチだけでも」とお酒をすすめられても、夫が依存症だった関係もあるのか、頑なに断りつづけています。

女子高生だった時かなにかに「良妻賢母の心得」を叩きこまれでもしたのでしょうか、男性と口を聞くのにも、“必要以上”とも思える気配りをしています。

親類縁者やごく限られた隣人以外で男性としゃべるのは、宅急便の配達やタクシーの運転手さんくらい。宅食も、生協も「女性が届けてくれるので」と続いています。

老人大学や老人クラブ、男性もいっしょのサークルや集まりにも、参加しようとはしません。

「**のおばあさん、彼氏ができたんだって……」と水を向けても、なんとなく冷たい眼差しになって、そっけなく「いいわね」と応じるだけです。 

満面の笑顔

南から暖かい風がやってきて、20度を超える陽気になったきのう、「ねえちゃ」は、すっかり普段着になってきたパジャマから、ズボンとセーターに久しぶりに着替えて、スーパーへ買い物に出かけました。

ちょうど帰ってきたところに、先日亡くなってお葬式があった、お隣のおばあさんの娘さんが、服をいっぱいもってやって来ました。

そでの短いカーデガンに、新品のスラックス、高級そうなコートもあります。それに、パジャマも3セット。亡くなったおばあさんの衣類だけれど、着る人が居ないからもらって欲しい、とのことだったようです。

お隣のおばさんは「ねえちゃ」よりも、ひとまわり小柄だったようですが、着てみると、どれもぴったり。

すると、何もやりたくないといっていた「ねえちゃ」が人が変わったように、コートやカーデガンを着ては脱ぎ、また着て「いいでしょう」の見せびらかしを繰り返します。

最近、家ではパジャマで居ることが多いのですが、「これだけパジャマがあれば、死ぬまでもう買う必要がないね」と喜んでもいます。

すてきな服が着られたときって、年齢も、カラダも、アタマも関係なく、はしゃぎ回れるものなのでしょうか。久しぶりに見た「ねえちゃ」の満面の笑顔でした。

「きょうは何日だったっけ」

「ねえちゃ」といると、なん度もなん度も「きょう何日だったっけ」と聞かれます。

1日に1回や2回だったらいいのですが、聞いたとたんに忘れてしまうので、10分ごと、20分ごとに尋ねられるということも珍しくありません。

さすがに頭に来て、「そんなの自分で確かめてよ」というと、まずは食卓にある新聞に目を向けます。でも、それだと必ずその日の新聞が置いてある保証はありませんし、休刊日のときだってあります。

次に見るのが、日記。でも、いくら毎日つけているからといっても、その日にもう書いているのか、それともまだ書いていないのかもたいていは忘れているので、きょうが何日かを確認するというわけにはいきません。

そこで次は、携帯電話。ところが、「ねえちゃ」の携帯の最初の画面には、天気予報がドンと出てくるようになっていて、あしたの天気の「あした」の日付が大きく表示されます。

そのため、「きょう」を「あした」と勘違いしたり、「おかしい、私の携帯の日にち狂ってる」と首をかしげていたりすることもあります。

というわけで、仕方ないので、その日が何日かを知るためだけ用のデジタル時計を食卓の上に置いて、「きょうが何日か分からなくなったら、とにかくこれを見るように」と口が酸っぱくなるほど言うのですが、なかなか習慣になってはくれません。

歯医者嫌い

子どものころ、いちばん嫌だったのが歯医者通いでした。あのキ~ン、キ~ンという高い音。神経の近くきたときの防ぎようのない痛み。

頭に浮かべるだけで、恐怖が走りました。学校の検診で虫歯があると判定されたときのショックといったらありません。

歯医者さんの門の前まで来ても何か言いわけをみつけて、寄らずに家に帰る、といったことを何度も繰り返しました。

そんなことしていると、母から「歯だけは、寝ていれば治るってことはなくて、悪くなるだけ。つべこべ言わずに行ってきなさい」と怒られたものです。

ところで、奥歯がスコーンと抜けてしまった「ねえちゃ」。近くの歯医者さんに、電話で予約をしてはキャンセル、再度、予約を入れてもまたキャンセルしてしまいました。

「だったら、近くなんだから散歩のついでに寄って、すいてるようだったら治療してもらい、混んでたら予約を取ってくればいいじゃない」というと、すんなりと「そうだね」。

ところが、この1週間、たびたび歯科医院の入口の前まで出かけては、「きょうは、診療日時を確かめるだけにした」などと言いわけをして、行っては寄らずに帰る、を繰り返しています。

「ねえちゃ」も「痛い」のが相当に嫌いなのでしょうか。それとも、「外出して何かをする」ということ自体を受け付けない、こころのバリケードのようなものが出来てしまっているからなのでしょうか。

むかしは「ねえちゃ」も、「きょうは歯医者さんに行かないとダメよ」と怒っていたお母さんだったはず、なのですが。

5年の節目

「ねえちゃ」には、東日本大震災が特別なかたちで、印象に強く刻まれています。

震源からは遠い山国にいたので直接の被害があったわけではありませんが、奇しくも2011年3月11日は、入院していた連れ合いが危篤の状態に陥った日だったのです。

震災でなにもかもが混乱を極めるなか、ようやく病院にたどり着いた家族に看取られて、3日後の14日未明、83歳で夫は逝きました。

ほとんど意識がなかった連れ合いが、あの日の地震の揺れ、あるいは、いつもと違う看護師さんたちの話ぶりなどで、日本に未曽有の大震災が起こっていたことが察知できていたのかどうか。

それは、「ねえちゃ」にも分からないそうです。

毎年、この時期になると、テレビや新聞で、震災にかかわる特集や企画が集中するようになります。ですから、いくら忘れぽくなった「ねえちゃ」でも、こうした報道とともに、夫の命日が近づいていることに気が付きます。

今年は、あれから5年の節目。テレビからも「まもなく震災から5年です」といったアナウンスが頻繁に聞かれるようになりました。

そんなニュースを耳にした「ひなまつり」の夜、「おじいさんが死んで、もう5年になるんだ。早いね」と、「ねえちゃ」はポツリ、もらしていました。

ワンカップ大関 ローソク

5年前に亡くなった連れ合いのために「ねえちゃ」は、仏壇に「ワンカップ大関 ローソク」や「ミニジョッキ ローソク」など、お酒をかたどったキャンドルをお供えしています。

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アルコール依存症を患うくらい、とにかくお酒好きだった夫は、ほとんど寝たきりで病院を転々としている間も「家に帰って一杯やりたい」と口癖のように言っていました。

けれど、やがて口から食べたり飲んだりすることができなくなり、最後の1年ほどは、食道のあたりに小さな穴を開けてチューブでお腹へ直接栄養剤を注入する方法を取らざるをえなくなってしまいました。

チューブを注入して満足に声を出すこともできなくなってしまったので、連れ合いはよく、親指と人差し指の間をおちょこを持つくらいの間隔にして見せては、お酒を懇願していました。

それでも「ねえちゃ」にできるのは、せいぜい、ガーゼに少しお酒を含ませて、唇に塗ってあげることくらいだったのです。

「あっち」へいったら思う存分、飲ませてあげたい。お酒のキャンドルには、そんな「ねえちゃ」の想いが込められています。

整理整頓

「ねえちゃ」は、整理整頓が大好きです。ちゃんと片付いていないと、居ても立ってもいられなくなるようなところもありました。

食事が済むと、すぐに茶碗やお皿を片づけて、食器棚の決まったところにしまうのが習慣になっていました。

正月やお盆に、息子や孫たちがやってきて部屋を散らかしっぱなしにしているのが、気になって仕方がない様子でした。せっかく来たのだからと、決して口に出すことはありませんが。

何か、おいしいものを食べたり、遊んだりするよりも、片づけをしているときが、いちばん楽しそうに見えることもありました。

でも、最近ちょっと変わってきたように思われます。

食事が済むと、以前のように食器をつぎつぎ片づけるのは以前と変わりませんが、定位置と違うところに置くのか、定位置自体を忘れてしまうのか、どこにしまったのか分からななくて探し回ることがたびたびになりました。

自分の部屋も、あちこちに物が乱雑に置きっぱなしになったままの状態です。始終、あちこちを探し回るので、整理している余裕がないのでしょうか。特別に具合が悪いわけではないのに、一日中パジャマ姿で居ることも少なくありません。

「ねえちゃ」は「だらだらしてばかりで自分がイヤになる」と反省しきりですが、私などにしてみると、むしろ、もの忘れの効用。「だらり」とできるようになって、ホッと楽になった気がしています。

2人分

「ねえちゃ」は、連れ合いが亡くなって5年になるいまも、長年の習慣でついつい2人分のご飯を炊いてしまいます。

食事の前には必ず仏壇にご飯を供えますが、ときどき「おじいさんにあげても食べてくれないし、いつもご飯が余っちゃって」と、ぶつぶつ言っています。

若いころ、「ねえちゃ」が仕事や行事で少しでも食事を作るのが遅くなると、夫はしばしばかんしゃくを起こして怒鳴りつけました。

ですから、決まった時間にご飯を炊いて食事を作らなければというのが、「ねえちゃ」の頭の中を、時には“強迫観念”のようになって占領していたのかもしれません。

例の「アルコール依存症」日記の中に、こんな記述がありました。

「11月15日 みかん狩りに行ったが、心配でならない。帰りの時間が1時間遅くなったので帰ってからの事が心配だったが、帰ってみると割合に機嫌よくびっくりした。ビール2缶をさがし出し飲んで居た。がっかり。だんだん話す声が大きくなる」

このときは連れ合いも、禁酒中にビールを飲んでしまったのが後ろめたかったらしく、さすがに怒鳴りまくることはできなかったようです。

さて、「だんだん話す声が大きくな」っていった先には、何があったのでしょう。辛抱強い「ねえちゃ」もとうとう堪忍袋の緒が切れて、“爆発”してしまったのでしょうか?

春の目標

暖かい日曜でしたが「ねえちゃ」は、「何もすることもないし」と一日、布団のなか。それでも、食欲はいつもと変わることなく、三食、たっぷり食べました。

何もすることがないのは、平和でいちばんいいのですが、「なにかしなきゃ」という焦りも「ねえちゃ」の心の中に沸いたり消えたりして、落ち着かないようです。

先日、おいの長男から、4月に行われるという結婚式の招待状をいただきました。行くには3時間近くバスに乗らなければなりません。

無理かな、と一時は断るつもりだった「ねえちゃ」でしたが、周りに励まされて「喜んで出席させていただきます」という返信を書きました。

結婚式に出席させてもらうことが、いまの「ねえちゃ」のいちばんの目標なのです。

あと1カ月と少し。

こころとカラダのコンディションを整えて、いつもの「直前のお断り」にならずに、おめでたい「春の目標」を何とか無事に達成してほしい。

いまから、祈るような気持でいます。

松井潤
matsuijun@jg8.so-net.ne.jp
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