Aokijima

認知症と生きる「ねえちゃ」の近況と、アルツハイマー病に関する記録です

黄色い保険証

きのう「ねえちゃ」は朝から、「保険証がおかしい」「保険証がおかしい」と言って騒いでいました。

突然なにを言い出しのか、あれこれ聞いてみると、どうも自分が持っている「後期高齢者医療被保険者証」の有効期限が切れているようなのです。

確かに、オレンジ色をした保険者証には「有効期限 平成27年7月31日」とあります。ずいぶん前に期限が切れているわけです。

でも、どうして急にきのうになって、それに気が付いたのでしょう。考えられるのは、一昨日行った歯医者さんです。

「ねえちゃ」は、どこの歯を診療したかはもちろん、歯医者へ行ったかどうかも、すでに覚えていませんが、診察券に次の予約日が入っていることからすると、行ったことは間違えなさそうです。

とすると、歯医者の受付の人あたりに、保険証の有効期限が切れていることを指摘されて、「こんどは新しい保険証を見せて下さいね」とかなんとか言われたことが予想されます。

不確かな記憶をたぐり寄せながら、「そういえば、黄色い保険証のはず、とかなんとかどこかで言っていた記憶がある」と「ねえちゃ」も言います。

新しい黄色い保険証は、財布やバックにも見当たりません。いま有効な保険証が「ねえちゃ」の手元にないことが判明したのです。

とすれば手掛かりは、昨年の切り替え時に市役所から簡易書留で送られてきたはずの封筒にありそうだと、家のあちこちを探し回りました。

結果は、保険証が送られてきたことが分かる一昨年まで3回分の封筒は出てきましたが、肝心の昨年のものが見つかりません。

当然「ねえちゃ」に、受け取ったか受け取らないかの記憶はありません。でも、毎年来ていたのに、昨年だけ送られて来なかったというのも考えずらい。

とすれば、家のどこかにきっとあるはず。というわけで「保険証の捜索」が、「ねえちゃ」の連休の最大の“仕事”、ということになりそうなのです。

ちょこっトリップ

「ねえちゃ」の家の戸棚を整理していたら、「ちょこっトリップ」の添乗員さんからのハガキがたくさん入ったホルダーが出てきました。

「ちょこっトリップ」は、「裾花観光」という会社がやっている「アットホームな雰囲気」が魅力のバスツアー。旅行が終わると、毎回、添乗員さんから参加者たちの集合写真が入ったハガキが送られてくるのです。

平成16年7月から平成20年9月まで、「富士見高原ゆりの里」「トロッコ列車で行く黒部峡谷」「草津温泉を遊ぶ」「長岡まつり花火大会」「伊勢神宮初詣の旅」「小京都・高山散策と飛騨高山温泉の旅」「雲上の温泉~万座温泉ホテル~の旅」などなど、20カ所を超える観光地に、連れ合いといっしょに出かけていることがわかります。

ハガキの写真を見ると、「ねえちゃ」夫妻は意外に真ん中のほうにドンと陣取って、穏やかで楽しそうに写っているのが多いように思われます。夫がいつもの帽子にいつものジャンパーといった感じなのに対し、「ねえちゃ」は旅にあわせて、なかなかおしゃれな服装をしています。

「ねえちゃ」はこの旅のことを今はあまり覚えていないようですが、夫が「アルコール依存症」をなんとか克服して、入院前のまだ歩くことができていたころ。きっと、ふたりの安らぎと思い出が刻まれていった旅だったに違いありません。

 

電気屋さん

営林署の職員だった夫に伴って山里を転々としてきた「ねえちゃ」は、行く先々で町の数少ない電気屋さんと親しくなって、掛かり付けのお医者さんのように、購入から修理まで家電の一切をそこに任せてきました。

転勤の際には、そんな電気屋さんに送別会を開いてもらったりすることもありました。いま住んでいる長野でも、もう40年以上、一軒の電気屋さんに一切を任せています。

電気屋さんに言われるままに、電気製品をそろえてきたので、一人暮らしの割には家電は充実しています。

大型のテレビが2台、コンロやグリルなどキッチンやお風呂もオール電化、床暖房も完備、昨年は冷蔵庫も最新のものに買い替えました。

「家の中のものみんな電気だから、火事を起こす心配がない」というのが「ねえちゃ」の自慢です。

でも最近、自分で料理をすることが少なくなったうえ物忘れがひどくなり、グリルの使い方さえ忘れてしまうことが多くなりました。

そのたびに電気屋さんの、お馴染みの担当者に電話をかけて聞いたりしていましたが、最近、定年になったのか、そのお馴染みさんが店を辞めたらしく電話がつながらなくなって来ました。

近頃は、大型量販店や通販が増えてきて、気軽に修理の相談などにのってくれる電気屋さんが少なくなってきました。

「これから、壊れちゃったらどうしよう」。オール電化の家に住む「ねえちゃ」は、ちょっぴり不安になっています。

カントのように

最近は、一日中パジャマで家にいることが多い「ねえちゃ」ですが、以前は「カントのように」規則正しい生活を送っていました。

カントはドイツの大哲学者です。生涯独身で、大学から帰宅すると、決まった道筋を決まった時間に散歩をしました。その時間があまりに正確なので、散歩の通り道にある家では、カントの姿を見て時計の狂いを直したと言われています。

この逸話を知っていた「ねえちゃ」の夫は、規則正しいことを表わすのに「カントのように」という比喩をよく使っていたのです。

「ねえちゃ」の場合、散歩は朝でした。4時半ごろ起きて、5時くらいに出かけてNHKのラジオ体操がはじまる6時30分の寸前にピッタリ帰って来るというのを日課にしていました。

カントほどではないにしても、散歩では「いつも同じあたりで同じ人に会って、おはようございますというの」と自慢していました。

けさはあれを見てあっちで一休みして、といういい加減な散歩ではなくて、ただいつもの道を、いわば虚無僧のように歩いて時間までに帰って来る、というタイプ。

帰ってきてラジオ体操が終わると、ご飯に味噌汁、海苔、納豆といったいつもの朝食を取って、洗濯にかかるのです。

とても健康的で良いことは良いのですが、生真面目な「ねえちゃ」は「ラジオ体操に間に合うように散歩ができる時間に起きないと」と、眠れないのが気になり、しばしば睡眠導入剤を飲むようになりました。

やがて、そんな朝の散歩になんとなく疲れてしまったみたいです。でも、気が向くとラジオ体操はときおりやっています。

お寺さん

「ねえちゃ」の連れ合いが亡くなって、きのうでちょうど5年になりました。5年前、夫が亡くなったとき、いちばん困ったのが、お葬式をお願いするお寺さんのことでした。

2人とも実家を離れ、先祖との結びつきのない町で暮らしていました。特に夫のほうは晩年、その親族とほとんど交流がありませんでした。

しかも、近くにお世話になっているお寺もなければ、特に信仰している宗派があるわけでもありません。

市営の霊園にお墓はつくりましたが、そこにはまだ、だれも入ってはいませんでした。

亡くなって葬儀の日程を決めなければならない慌ただしさの中、連れ合いが生前、親鸞の本を読んでいて、関係する京都のお寺を旅したことがあったことから、お葬式屋さんを通して、浄土真宗のお坊さんをお願いすることになりました。

お葬式の後、実は、連れ合いの実家ではずっと浄土宗を信仰していて、この宗派のお寺の檀家だったことがわかりました。

一方、「ねえちゃ」の実家はというと、代々、臨済宗のお寺さんにお世話になっているのだそうです。

「浄土真宗でよかったのか。本来なら浄土宗のお寺にお願いすべきだったんじゃなかったのか。生きてるとき、おじいさんにちゃんと聞いておけばよかった」と、「ねえちゃ」は後悔しています。

他人事ではありません。「ねえちゃ」自身も、信じている宗派も無ければ、親しくしているお寺さんもありません。このままいけば、最近話題のAmazonの「お坊さん便」にでも、依頼するしかないかもしれません。

「自分はどういうふうに葬られたいのか。ちゃんと考えておいてくれなければ困る」と、口うるさく言うのですが、あの世へゆくことなどはるか先のこと、と思っているらしく、なかなかその気になってはくれません。

ゆでだこ

週に1回、届けてくれる生協で、「ねえちゃ」が毎回かならず注文するものがあります。冷凍の「ゆでだこ」、あるいは「酢だこ」です。

毎週月曜日に、前の週の注文品を届けてくれるのですが、最近の「ねえちゃ」は、どんな物が届いたのかどころか、受け取ったかどうかもすぐに忘れてしまいます。

冷蔵庫の中には、注文したまま忘れて食べないでいるものがゴロゴロしています。でも、絶対に忘れず、届くとすぐに食べてしまうのが「たこ」なのです。

山間の小さな村の農家で育った「ねえちゃ」。近くに魚屋さんも無ければ、むかしは冷蔵庫もありませんでした。

魚といえばアユやコイといった川や沼でとれるものばかり。海の魚介類を新鮮なまま、ましてや生で食べることなど、ほとんどできませんでした。

ですから、子どものころの海の幸といえば、日持ちのする、ゆでた「たこ」くらいしかなかったのだそうです。

「ねえちゃ」だけでなく、両親ら一家そろって「たこ」が大好き。みんな、食べるのを楽しみにしていたということです。

最近は、「**を買おう」と紙に書いてスーパーへ出かけて行っても、たいてい忘れて帰って来る「ねえちゃ」ですが、「たこ」だけは忘れません。

嫁姑

「ねえちゃ」の連れ合いは、もともと群馬県の中学で数学の教師をしていました。

ところが、広島県で起こった生徒の自殺問題のような、相当に深刻な出来事に絡んで2年足らずで辞めざるを得なかったようです。

それで縁もゆかりも無かった長野県へやってきて、山で、営林署の職員として働くようになります。転勤していった営林署の事業所で働いていた「ねえちゃ」と知り合い、1959年に結婚しました。

2人とも年の離れた末っ子同士。当時、2人の両親で生きていたのは「ねえちゃ」のお父さんだけでした。

県南の天竜峡というところで挙げた結婚式で、新郎側で職場関係以外から出席したのは、たまたま県内に住んでいた親族1人だけだったそうです。

そんなわけなので「ねえちゃ」は、舅、姑にあたる人を知りません。当然、いっしょに暮らすこともありませんでした。

お酒などで夫には相当に苦労した「ねえちゃ」でしたが、「おかげさまで両親の介護や姑との諍いとかには無縁だったのは、幸せ」とよく言います。

「ねえちゃ」にはいま、お嫁さんが2人いますが、いっしょに暮していないこともあって、これまで、これといったトラブルもなく順調な関係を保っています。

ひょっとすると「嫁いびり」を伝授される機会がなかったのが、幸いしているのかもしれません。

 

特別な「3・11」

「3・11」から5年。あの日の津波の実態を追ったNHKの特集番組などを「ねえちゃ」も、「恐ろしことが起きてたんだね」などと大きな声をあげながら、いつもになく熱心に見つめていました。

でも、あの日、どこでどうしていたのか、いまではもう「ねえちゃ」の記憶にはあまり残ってはいません。津波からは遠い山国にいたとえはいえ、夫が死の床につくという、差し迫った現実に直面していたはずなのですが。

5年前の3月11日は、いよいよ臨終が近づいてきて個室に移されたころのはずです。「そういえば、看護師さんにベッドの隣に寝るところ用意してもらって、病院にずっといたかもしれない……」といったあたりまでで、それ以上ははっきりしないといいます。

東日本大震災から3日後の3月14日未明、夫は天寿を全うして病院で亡くなりました。「ねえちゃ」は、悲しみに打ちひしがれる、というよりも納得した感じで、比較的落ち着いて見送っていました。

「ねえちゃ」は、ふだんは地震には無頓着です。家の近くが震源で緊急地震速報が流れても「たいして揺れなかったよ」と平然としています。

それでも、連れ合いの死といっしょに訪れたこの大震災には、やはり特別なものがあったようです。現地の自治体へ応援で行った人の講演を聞きに出かけたり、長年貯めたコイン貯金を寄付したりもしていました。

山国で暮らしてきた「ねえちゃ」には津波の経験はありません。でも、山崩れや洪水などの治山・治水対策を仕事にしていた夫とともに、いろんな被災地の近くで暮らしてきた長い月日があります。

そんな「ねえちゃ」だけに、人並み以上に、被災者のかたたちの気持ちに寄り添えるところがきっとあるに違いありません。

歯医者初日

きのうは、「ねえちゃ」が久しぶりにパシャマを普段着に着替えて起きてきました。天気もまずまずで、暖かな陽気。

「宿題」の歯医者さん、きょうは絶対に行きなよ、と厳しくいうと、3時少し前、やっと重い腰をあげて出かけていきました。

歩いて5分ほどの歯医者さんの後、いつものスーパーなどに寄って帰宅したのは5時半ころ。帰って早々「もう、待たされて、待たされて。待合室に患者さんなんてほとんどいないのに」と、かなりご立腹のようです。

それでも、スコンと抜けた奥歯を持っていったら応急処置で入れてくれた。X線撮影などの検査もして、次からちゃんとした治療に入るようで、予約日の書かれた診察券ももらってきました。

痛くもなんともなかったそうで、応対も親切だったといいますが、ただ、1時間半くらい待たされたのが、なんとも気にくわなかったようです。

「そんなこと言ったって、予約しないでいきなり行ったんだから待つのは当たり前でしょ。その場でやってくれたんだから、むしろ良心的な歯医者さんといえるんじゃない。

それに、電話予約しておきながらキャンセル、というのを2回も繰り返しておきながら、今度はいきなり行って、すぐやってくれなかったとグチるっていうのは虫がよすぎるよ。

帰ってきたってやることないんだから、待合室で、のんびり週刊誌とかいろいろ読んでくればよかったのに」

というと、「ねえちゃ」はそれなりに納得したらしく、シュンとおとなしくなりました。

なにはともあれ、3週間くらいかかって、やっと懸案の「歯医者さん初日」にたどり着くことができました。

これで、「やることがない」のが悩みの「ねえちゃ」にも、月曜日は生協の注文品受け取り、水曜日は宅食の集金、木曜日は歯医者さん、とルーティンの「仕事」がだいぶ増えてきました。

そばの腰

「ねえちゃ」が暮らしている長野は、日本そばの産地として有名です。どこのスーパーでもたいてい、生そばを各種そろえています。

「ねえちゃ」も以前は、生そばを買ってきては茹でて笊に盛って、時々ごちそうしてくれていました。

でも、好みもあるのでしょうが、「ねえちゃ」の茹でる麺はどうにも軟らか過ぎて腰らしきが無く、私には合いません。

それで最近はもっぱら、「自分で作るから」ということになっています。軟らかいのは、そばだけでなく他の麺類も、ご飯もそうです。

「ねえちゃ」の連れ合いは、30代のときに橋から落っこちる大けがをして、歯の半分近くを入れ歯にしなければなりませんでした。

さらにその後、60歳ぐらいのときに胃癌を患い、手術で胃の多くの部分を切り取ってしまいました。

そんなわけで、夫のからだに合わせて、どんどんどんどん軟らかく、煮たり、炊いたりをするようになっていったようです。

きのう、割引で買ってきた生そばが消費期限だったので、まとめて茹でて、ざるそばとかき揚げで昼食にしました。

「食欲満々、胃も腸も丈夫な信州人なんだから、たまには腰があるそば食べたら」と「ねえちゃ」を誘ってみましたが、「軟らかいのじゃないともう胃が受け付けないの」と断られました。

松井潤
matsuijun@jg8.so-net.ne.jp
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