Aokijima

認知症と生きる「ねえちゃ」の近況と、アルツハイマー病に関する覚書です

お盆

ねえちゃのお盆は、七回忌で長野へ来た次男の一家四人と墓参りに行ったり、みんなでそばを食べたりして過ごしました。あしたは帰ってしまうので、またちょっぴり寂しくなります。

ねえちゃは、自分を主張することがほとんどありません。だから、本音を知ることがものすごく大変です。

これからどうやって生きていきたいのか。認知症を抱え込んでしまったので、いつまでもあやふやにして置くわけにもいきません。

いろいろと話をして、いまの望みとしてはっきり言えることは、連れ合いと一生懸命働いて建てたいまの家に足腰の動く間は暮らしていたい。そして施設に移らざるを得なくなっても、生きているあいだは家を残しておきたい、ということのようです。

周りにいるものとしては、その線に沿って、やれることをこれからも一つ一つ積み重ねていくしかありません。

大喧嘩

みんなが集まったり、どこかへ行かなければならなくなったりすると、とたんにねえちゃは、どうしたらいいのか分からなくなって制御不能になってしまいます。

きのうも、私が風呂からあがってこれから寝ようかなと思っていた午前五時過ぎ、「みんな来るというのにお金がこれしかない。どうしたらいいんだろう」と、血相を変えています。

きのう、必要なお金は、それぞれに封筒に分けて入れて、段取りをきちんと決めて用意してありました。「ちゃんと準備してあるから、何にも考えないで大丈夫だから」と何度も何度も言っておいたのですが。

さすがに私も頭にきて、連休中だとというのに早朝からねえちゃと大喧嘩をしてしまいました。私は気が短いので、喧嘩となると、大声を浴びせかけるだけでなく、電話やラジオを投げつけたり、といったこともありました。

きのうはそこまでは行きませんでしたが、大声で怒鳴った瞬間、ねえちゃは凍り付いてしまったよな姿で呆然としていました。

それでも、何もかもすぐに忘れてしまうのが、認知症のありがたいところです。そんな喧嘩のことなんかすっかりと忘れしまって、家族みんなで七回忌できたことが感無量のようでした。

七回忌

きょうは、久しぶりに家族7人が顔をあわせて、ねえちゃの連れ合いの七回忌をやりました。

夫はこれといって信じる教えがあるわけではない無宗派で、6年前に遺書を残さずに逝ってしまいました。

葬儀屋さんに「どの宗派であげられますか?」と聞かれて困ってしまいましたが、生前、親鸞に関心をもっていたからということで浄土真宗の和尚さんにお願いすることにしました。

7回忌というには極めてささやかなものですが、みんなでいっしょにお寿司を食べて、「南無阿弥陀仏」を唱えて、仏壇の前で付き合いの長い順に手を合わせました。

「みんな来てくれて、うれしぃ。これでいつ逝ってもいい」と、ねえちゃは感無量のようでした。

集まったみんなが心配なのは、むしろ、ねえちゃのこれからのほうです。七回忌は、ねえちゃの現状やこれからを考えるうえでも、いい節目になったような気がします。

「いざ」というとき

カタチだけでも七回忌を、ということで連休中にみんなが集まる、ということで、ねえちゃは「何をしたらいいんだろう」といつものように焦ってしまったようで、朝早くから「何にもできない。どうしよう」といった電話をまた何度かしてきました。

夜、長野のねえちゃの家へ行ってみると「どうしていいんだか」と、メソメソしています。線香やろうそく、花、かんばなど最低限のものは準備しました。

「要は、土曜日のみんなで集まって、仏壇の前で手を合わせて、寿司でも食べるだけでいいんだから」となだめると、少しずつ気が休まって来たようです。

カラダを動かすことはふつうにできますが、アタマのほうは、いつまで私たちの顔と名前が一致するかも定かではありません。

「いざ」という時のために、これを機に、今後ねえちゃの暮らしをどういうふうに支えていくか、家をどうするか、さらにはお葬式やお墓のことまで、ある程度具体的に話すときが来ているようです。

連休中

今年で、ねえちゃの連れ合いが亡くなって6年になります。

七回忌というほど立派なことはできないけれど、この連休中に家族みんなで集まろう、ということにしています。

いつものように「なにがなんだかわからない」状態のねえちゃですが、みんな集まるなら何かしなきゃけない、と気が急いて仕方がないようです。

きょうも「どういう用意をしておけばいいんだろう」とイライラしや様子で、3回も4回も電話をかけてきました。

そのたびに「何もせずにいつものように寝ていればいいの」と言うのですが、いつものようにすぐに忘れてしまって、また気になって仕方がなくなるようです。

松商圧勝

きょうは、デイサービスの日。ねえちゃは「いま帰ってきた」子どものように元気よく電話をかけてきました。

歳をとると子どもにかえる、とよく言われますが、認知症になると子ども以前に戻るような感じもします。

東京の気温は37度、長野も30度を超えて暑い一日でしたが、送り迎えつきのデイサービスは暑さ知らずです。

甲子園では、9年ぶり36度目出場の長野県代表、松商学園が毎回のように得点を重ねて土浦日大(茨城)に12―3で大勝、1回戦を突破しました。

2000年夏以来の甲子園勝利だそうです。そんなことを知ってか知らずか、ねえちゃの夏はすぎて行きます。

電池

「きょうは、何日だったっけ?」。以前は、1日に何度も何度も、事あるごとに聞いてきました。

こちらもたまりかねて、私の使っているデジタル時計を居間のテーブルに置き、聞かれるたびに「これを見な!」と繰り返してきました。

それがようやく功を奏してきたのか、最近は「何日だったっけ?」をいう前に、この時計を覗き見るようになってきました。このあいだ、その時計の電池が無くなったと騒いでいました。

代わりの電池に使おうとしたのか、血圧計に入っていた単三電池を取り出してテーブルの上にバラバラと置いて、そのまま眠ってしまいました。

不思議なことに、時計はちゃんと動いています。テーブルにあった電池を入れ直すと血圧計のほうもちゃんと動きます。

ともかく、安売りの20本入り単三電池を買ってきて「時計でも血圧計でも無くなったらこれを入れること」と念を押しました。

びんずる

週末に「長野びんずる」が開催されて賑わいを見せた、というニュースが流れていました。

職場や団体、趣味のサークルなどが、そろいの浴衣や法被、衣装をまとい、「そーれ」の掛け声に合わせて、しゃもじをたたき合ったりして躍ります。

「びんずる」は、善光寺に祀られている釈迦の弟子の1人「おびんずるさん」にちなんで名づけられたとか。

今年は47回目の今年は、一般の部228連、子どもの部19連の約1万1千人が参加したそうです。

「びんずる、あったんだって」というと、「そ~お」。ねえちゃもまだ、何のことなのかは、わかってはるようです。

長野市で暮らすようになった直後に「1回目」が開かれ、ねえちゃが勤めていた職場の人たちも躍っていたので、頭に残っているのでしょう。

街中から離れた昨今、観に行くことはほとんどなくなってしまいました。

しのび

次の週末、お盆で家族が集まるので、そのとき用のお金を、銀行のATMでおろしてきました。

ねえちゃは、お金や通帳を家のなかの「しのび」と呼んでいるところにしまってあります。

そこがどこにあるかは、まだ覚えているのですが、「生活費」「予備費」「取っておくお金」などなど、いろんな封筒にお金を分けて入れてあります。

どういう意味合いでお金を分類しているのか。ねえちゃ自身、なにがなんだか最近はよくわからなくなってきました。

今後、食事や掃除の手伝いは、ヘルパーさんに助けてもらうことができますが、お金の管理をお願いするわけにはいきません。差し迫った課題です。

体験

いつもは水曜日だけなのですが、きょう土曜日は「体験」で、ねえちゃはデイサービスセンターへ行きました。

「行く気になれない」と駄々をこねて拒絶することが時折あるので少し心配しましたが、難なく1日過ごすことができたようです。「体験」の経費300円もちゃんと払って、領収書をもらって帰って来ました。

本人も嫌がる感じがないので、お盆が終わった後から、水曜日と土曜日の週2回、デイサービスに通うようにしようかなと思っています。

月曜日は生協からとどく一週間分の食料品の受け取り、水曜日と土曜日はデイサービスと、インターヴァルも悪くありません。

月~金曜日は、ワタミの「おかず」を届けてもらっているので、これで日曜日以外は、最低一日1回はだれかに会う機会が確保できることにもなります。

松井潤
matsuijun@jg8.so-net.ne.jp
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