Aokijima

「認知症」と「ねえちゃ」に関する覚書です

ねえちゃの毎日欠かせない日課は、血圧を計って手帳手帳に折れ線を書くことと、日記をつけることです。

家にいるときは、夜寝る前に、血圧を測って日記をつけて、という作業をいっしょにやっていましたが、グループホームへ入ってからは、血圧は午前中に測るようになりました。

そのため戸惑って、夜、ときおり「血圧計がない、どうしよう」と電話をかけてくることもあります。

グループホームへ入ってから、食事の下ごしらえや食器洗いをするといった「仕事」もやらせてもらっています。

それから、ホームの行事でお花見に行って団子を購入したときに団子代を代表して払ったりといった「仕事」もさせてもらっているそうです。

ホームにそれなりに役立ってみなさんに喜んでもらうのが、生きがいにつながっているようです。



ビタミンCがアルツハイマー病による認知症を発症するリスクを下げる可能性があることが、金沢大学の研究で分かりました。

研究者たちは2007~08年に、石川県七尾市で認知機能が正常な65歳以上の人の血液を採取。 アルツハイマー病発症の危険を高めるタンパク質を持つかどうかと、血中のビタミンC濃度を検査しました。

さらに2014~16年に、このタンパク質をつくる遺伝子を持つ女性47人を調べたところ、ビタミンC濃度が高い16人は、低いか中程度の31人に比べ、認知症や軽度の認知障害を発症した割合が際立って少なかったそうです。

ビタミンCの多い食品といえば、かんきつ類やイチゴ、野菜、いもなど。新鮮な果物や野菜は、認知症予防にも期待されるのですね。

「だけど、おばあさん、ここにいていいの?」。今晩8時40分ごろ、いつもの電話がかかって来ました。声は落ち着いています。

「あしたウチへ帰るのに、カギもないし、お金もないし?」。

「ウチへ帰るったって、もう、布団も寝巻も何もないよ。冷蔵庫も空っぽだ」

「ええっ。じゃあ、おばあさん、ここにずっといるの?」

「そこなら、三食ごはん作ってもらえるし、何にも心配することないでしょ」

「そうだけど。ほんとに、ここにいてもいいんだね」

「部屋代も食事代も、ちゃんと払ってるんだから心配ない。もう9年以上いる人も居るんだよ」

「じゃ、ここに居ていいんだ。明日帰らなくても……」

といったことを話しているあいだに、眠くなってきたようで、いつものように「おやすみ」を交わしました。

このあいだ(25日午後9時13分)、長野県北部を震源地とする最大震度5強(M5.2、深さ6キロ)の地震がありました。

幸い人的被害は確認されていないようですが、これまでの県の調べなどで、地震で水田に穴ができて水が抜けてしまったり、道路の亀裂や落石、墓石が倒れるといった被害がかなりあったことがわかったそうです。

地震の直後、ねえちゃに「地震があったけど、大丈夫だった?」と聞いてみましたが、「えっ、ぜんぜん知らなかった!」という返事でした。

2011年の「3.11」以来、長野でも体に感じる地震がときおり起きています。けれど、いつ連絡しても「えっ、地震あったの?」が、ねえちゃの返事です。

体感のほうも鈍くなってきているのか、それとも、その瞬間「地震」と感じてもすぐに忘れてしまうのか。定かではありません。

きのう、きょうと、夜8時ごろ、ねえちゃから電話がありました。

内容は、いつもと同じで、「いままでみんなと話してて部屋へ戻ってきたんだけど、おばあさん、ここに居ていいんだろうか?」といった話です。

でも、眠いからか、慣れたのか、落ち着いてゆったりとした声です。

それに先週末、グループホームの10周年記念の催しで、いっしょに弁当を食べたり、歌をうたったりしたことは覚えているようです。

同じところを、行ったり、来たり、でも、あまり行きすぎにならず、ゆったりしていられればそれでいいのかな、という気がしています。

高齢者の認知症の発症しやすさが分かる「認知症のリスク評価スコア」(参考指標)を、京都大の研究者らのチームが開発したそうです。

「バスや電車で1人で外出しているか」「預貯金の出し入れをしていますか」など生活にかかわる13項目の質問や検診の状況、年齢などの基礎情報に答えることで、自己採点できるようになっているそうです。

合計スコアと約4年以内の発症割合を調べると、10点の人が1%だったのに対し、20点4%、30点13%、40点32%、50点50%の確率で発症との結果が確認できたそうです。

まだまだ分からないことだらけの認知症だけに、こうした信頼できる指標が示されていくことの意義は大きいな、と思います。

セクハラなどの問題で、善光寺のトップ、小松玄澄貫主がこの3月、天台宗から解任されました。これを受けて、新しい貫主が任命辞令を受けたというニュースが流れていました。

新しい貫主となった瀧口宥誠さん(84)というかたが、大津市の滋賀院門跡で大勧進住職(貫主)の親授式に臨んで、天台宗の座主から任命辞令を受け取ったのだそうです。

そういえば、ねえちゃのグループホームでは、6月に、新しい貫主になった善光寺に出かける行事を予定しているようです。

瀧口・新貫主は、「大勧進の信仰の回復、発展のために少しでも一助になれば」と述べたとか。ねえちゃを含めて長野市民の誇りである善光寺。新しいトップのもと、少しでもはやく信用が回復されるといいですね。

きょう、ねえちゃのグループホームの「10周年祝い」の催しがありました。

理事長先生の挨拶などのあと、ボランティアのかたたちによる大正琴やケーナの演奏に合わせて、「荒城の月」「月の砂漠」「知床旅情」など、みんなで歌いました。

なかでも、ことし県歌制定50年を迎えた「信濃の国」は、ひときわ声高らか、でした。

ホームで暮らしている2グループ18人の平均年齢は87歳。施設に入ってから9年10カ月のかたから、ねえちゃの2カ月余りまで、入所期間や認知症の程度もさまざまです。

でも、ねえちゃを含めてみなさん、落ち着いた、穏やかな表情を浮かべているのが印象的でした。

2週間ぶりにねえちゃの家を訪ねました。どこか分からない番号の着信履歴は二、三ありましたが、固定k固定電話に大事な連絡が入っている様子はありませんでした。

郵便受けは、間違えて入れたらしい新聞が1部。重要そうな郵便はありませんでしたが、投げ込みのチラシはごっそり入っていました。

なかには「そろそろ塗装しませんか」という塗装業者からのパンフレットもありました。

確かに、外から見まわしても、この付近では最も古く、あちこちに傷みが出ているボロ家となってきています。

「ここは壁の塗り替えや改修が必要だな」と、チラシを入れる気になってもしょうがないかな、という気はします。

ねえちゃにとってテレビが特別に好き、というわけではありません。でも、ひとりで寂しいとき、テレビをつけておくと気がまぎれるようです。

グループホームに入って、テレビで気をまぎらす必要もなくなりました。このあいだは、五木ひろしの古稀祝い公演のテレビ番組を楽しんだそうです。

ねえちゃは、1971年の「よこはま・たそがれ」の大ヒット以来、ずっと五木さんのファンです。当時から「この人は歌うまいね」とずっと言っていました。

いろんなことを忘れても、むかし親しんだ歌はけっこう頭の中にこびりついているようです。

グループホームへ入ったことで、いつでも、テレビをみんなで観る喜びを味わうこともできます。

私は車を持っていないので、青木島のねえちゃの家に泊まってから、歩き、あるいは途中でバスを使ってグループホームを訪ねています。

バスといっても1時間に2本とか、便が少ないうえ、バス停まで歩く距離が相当にあります。

長い散歩だと思ってがんばって歩けばいいだけなのですが、最近困るのは、横断歩道を渡っていたり信号どおりに歩いていても、車が突っ込んできて轢かれそうになることがしばしば起こることです。

大けがはありませんが、足の軽い打撲や荷物を潰されたりといったこともありました。相手の運転手さんは、たいてい高齢なかたです。

警察庁が2017年3月、認知機能検査で早期発見を進めたところ、「今後、認知症の恐れ」のあるドライバーが約7000人に上ることが判明したとか。

地下鉄が張り巡らされた東京と違って地方では車が欠かせないのは分かりますが、道路は車だけのものではなく、スタスタ歩いている私のような歩行者もいること、どうかお忘れなく。

いまから5年前、長野県の特別養護老人ホーム「あずみの里」で、85歳の女性利用者がおやつのドーナツを喉に詰まらせて窒息し、1カ月後に亡くなるという惨事がありました。

その際に、注意義務を怠ったとして、間食の配膳・食事介助支援をしていた松本市の准看護師(58)が、業務上過失致死で起訴されました。

老人介護施設の介護従事者が、業務上過失致死で刑事訴追されることは聞いたことがありません。被告となった准看護師の無罪を求めて支援する運動の輪が広がりを見せているそうです。

最近開かれた「無罪を勝ち取る会」には、介護、医療関係者ら約420人が参加。署名も計約35万9千筆に上っているそうです。

この事故の真相について、私はちゃんと取材しているわけではないので何も言えませんが、急増する認知症や高齢化の問題に、いまの法律や検察がどこまでついて行っているのだろうか、という疑問は、常々感じています。

きょうの午後9時少し前、ねえちゃから電話がかかって来ました。

「元気でやっている?」と聞くと、眠たいようなゆっくりとした声で「元気じゃない」といいます。

「どうしたの! 何か困ったこととか、嫌なこととかあったの?」と聞くと、「何もない。でも、おばあさん、どこにいるのか分からない」といつものようにいいます。

そこで、いつものように、グループホームへ入ったいきさつを説明して、「そこが、おばあさんの家なんだから、ずっと居ていいんだよ」。

そうするとすると、いつものように、少しホッとした様子になって「じゃあ、ここに居ていいんだね。眠くなってきたから、寝る。おやすみ」。

俳優、歌手、舞踊家など幅広く活躍していた朝丘雪路さんが4月27日に亡くなっていた、というニュースが流れています。

享年82歳。ねえちゃは、今年の8月に82歳になりますので、ほぼ同い歳ということになります。

報道によると、朝丘さんもアルツハイマー型認知症にかかって、近年は闘病生活を送っておられたようです。

同世代といっても、映画やテレビ、舞台で華々しく活躍された朝丘さんと、信州の山のなかを転々と暮らし、目立つことが苦手なねえちゃでは、住む世界も、志向もまったく違っています。

けれど、認知症は、有名な俳優さんも、平凡な一おばあさんにも、関係なくやってくるのです。

たとえば「2カ月前にグループホームで住むようになった」というように、その人が経験した「ある時に、何をした」というタイプの記憶を、エピソード記憶といいます。

「いつ」という時間の認知や記憶は人の脳はあまり得意ではなくて、アルツハイマー病になると場所の認知や記憶とともに困難になり、最も早くやられやすいと考えられているそうです。

同じエピソード記憶でも、アルツハイマー病の初期の段階では、一度覚えた昔のことは比較的よく保たれていて思い出せます。

ところが、比較的最近の、新しいエピソード記憶ができなくなるので、時の移り変わりや場所の移動に関することが分からなくなり、ねえちゃのように「きょうは何日」「ここはどこ」と繰り返すようになってしまうようです。

エピソード記憶の障害は、次第に、ほかの判断や思考の内容にも影響を及ぼすようになっていくそうです。周りはそういうことについて、覚悟を持って見守っていくしかありません。

「おばあさん、どこに居るの?」と、きょうの午後8時40分ごろ、ねえちゃから電話がありました。

「長野市の安茂里のグループホームでしょう。ちょうど、2カ月前からずっとそこに住んでるんだよ」

「え~。もう、そんなにいるの。おばあさん、どこから来たの?」

「え~ッ。どこに住んでたか、忘れちゃったの?」

「どこだったっけ、わかんない」

「一生懸命働いて建てた青木島の家じゃない!」

「青木島ってどこだったっけ。長野にあるの?」

「長野市の青木島。そこから同じ市内の安茂里へ来て、暮らしてるんでしょ」

「安茂里っていうと、鬼無里へ行く途中にあるところだったよね。青木島ってどこにあるんだっけ?」

2カ月たったいま、30年間住んできて自分の家の記憶も薄れつつあるようです。

グループホームの4月の生活記録の通信欄に次のようにありました。

〈夜間帯、トイレに目覚めた後などどういった経緯でホームにいるのかわからず不安になられることがありますが、こちらが説明すると納得され、再入眠されます。不満や興奮されたりすることなく常に穏やかに対応してくれます。〉

家に居るときねえちゃは、落ち込んで「死んだほうがいい。殺してくれ」と、捨て鉢になることがたびたびありました。

でも施設へ入ってからは、不安になっても穏やかに対応できるようになったな、と感じます。

夜でもなんでもいつも誰かがいてくれる、という安心感が「穏やか」さを支えているようです。

ねえちゃのグループホームから送られてきた資料の中に「身体拘束禁止のための指針」というのがありました。

「当グループホームにおいては、原則として身体拘束は行いません」としたうえで、「緊急やむを得ず身体拘束を行う場合は、切迫性・非代替性・一時性の3条件の全てを満たした場合のみ、本人・家族への説明・確認を得て行います」とされています。

切迫性というのは、入居者本人または他の入居者等の生命または身体が危険にさらされる可能性が著しく高いこと。

非代替性は、身体拘束その他の行動制限を行う以外に、代替する介護方法がないこと。一時性は、身体拘束その他の行動制限が、一時的なものであること、だそうです。

これまで真面目を絵に描いたようなねえちゃでしたが、認知症が進むにつれて、身体拘束が必要とまでは行かないまでも、駄々をこねて身体を強張らせ、頑として言うことを聞かなくなることは何度も経験しています。

これから病気がさらに悪化していけば、「緊急やむを得ず」ということが全くないとはいえなくなるかもしれないな、という感触がどこかにあります。

きのうの夜、自分の部屋に戻ったねえちゃからまた「ウチへ帰らなくっちゃ」と、やや悲壮な声で電話がかかって来ました。

「なに言ってるの。おばあさんの家は、そこのグループホームでしょ」

「え~。だって、着替えるものも無いし!」

「無いこと無いでしょ。着られそうなものみんな持ってってあるし、家へ帰ったって何もないよ」

「え~。うそ、無いよ。そんなの持たずにきょう来たんだから」

「何いってるの。もう、そこに2カ月近く住んでいるんだよ」

「え~。うそ、おばあさん、もうそんなに居るの? うそ」

「職員の人に聞いてみればいいじゃない。それから、日記を読み直してみな!」

「え~。うそ……」。どうにも納得できない、というふうのままでしたが、らちが明かないので、「おやすみ~」とやや強引に電話を切りました。

きょうもまた、朝食が終わったと思われる朝8時半ごろ、ねえちゃから電話がかかってきました。

「おばあさん、ここに居ていいの?」と少々差し迫った声で、昨夜のつづき、のようなことを言います。

「ここに居ていいのってったって、家でひとりで暮らせなかったからここにいるんでしょ。誰かに、居ちゃいけないと言われたの?」

「ん~ん。誰も言わないけど……」。「じゃあ、いればいいじゃん」。

頭が、温泉かなんかへ行ったときのバージョンになって、みんなで朝食をとった、さて、帰る支度をしないと、とでも思い込んだのでしょうか?

母の日だからと、午後7時40分ごろ、ねえちゃの携帯に電話をすると、ちょうど夕食後のおしゃべりも終えて、部屋に帰って来たところでした。

「元気でやってる?」「元気だけど、あれ、携帯電話がどっかへ行っちゃった!」

「いま、かけてるのが携帯じゃないの」「ああ、そうか……」

「今晩は何を食べたの?」「忘れちまった」

「何か困ったことない?」「何にもない。頭がバカなことだけ」

「バカんなったから施設へ入ったんだから、そりゃしょうがないよな。まあ、ゆっくり寝なよ」

「おやすみ~」。落ち着いた口調だったので、これで寝たかなと思っていたら、10分後くらいに、ねえちゃから電話がかかって来ました。

「布団の中で、ふっと考えたんだけど、おばあさんここにいていいんだろか?」。今度は、少し不安げな口調に変っています。

「ちゃんとお金払って置いてもらってるんだから大丈夫。心配せずに寝な!」「じゃ、寝る。おやすみ」

ねえちゃのアルツハイマー病の兆候が見られるようになったのは、東日本大震災があった7年前の2011年、連れ合いが亡くなった75歳くらいからのことです。

泥棒が入って金庫の鍵が替えられたと大騒ぎしたり、いっしょに旅行した親戚から「おかしい」と指摘されたりするようになりました。

最近、J―ADNI(アドニ)と呼ばれる大掛かりな調査で、60歳以上の健常者の約2割に、アルツハイマー病の発症と関わりが深いアミロイドβというたんぱく質が脳内に蓄積し始めていることが分かったそうです。

アルツハイマー病は、脳内にアミロイドβが蓄積し、神経細胞が徐々に死滅することが原因と考えられていて、蓄積が始まってから、物忘れなどの症状が出るまでに15年ほどかかるのだとか。

とすると、ねえちゃの頭のアミロイドβの蓄積が始まったのは60歳を過ぎたあたり。仕事を辞めて、アルコール依存症の夫の世話に苦労しはじめたころ、ということになります。

この間グループホームからいただいた、5月から7月までの介護サービス計画には、次のようにあります。

生活上解決すべき課題は「できる事はしながら、不安なく楽しく過ごしたい」。長期目標は「新しい環境の中で、安心して生活している」。短期目標は「皆と関わりながらできる事に参加する」。

サービス内容としては①不安や心配事がある時は傾聴し、安心して過ごせる様支援する②体操・歩行・レク・家事・作業などできる事には無理なく参加を促す③日課でしていた事を続けてもらう(10時血圧手帳をつける、夕食後日記をつける)。

「困っていることはないです。今のまま皆と一緒にご飯を食べたりお話をして、楽しく過ごしたい」というのがねえちゃの意向。家族としては、穏やかに暮らしていくことを願うばかりです。

きょうの午後1時半ごろ、ねえちゃの携帯から電話がかかって来ました。「お前、どこに居るの?」というのです。

きのうグループホームの部屋を訪ねた際に書かせた日記を読み返して、「え、来たんだ。いまどこに居るの」とびっくりしたようです。

ねえちゃが電話をかけて来るのは、食事の後の寝る前、とパターンが決まっています。

食事のときまでは、施設の人たちと楽しく過ごしているので、他のことを気にかける余地はありません。

夜の睡眠や昼寝のため部屋に戻って一人になったとき、日記などを眺めて「あ、こんなことあったんだ」と一から思い起こして、あわてて聞いてくるのです。

でも、お腹もいっぱいになっているので、じきに眠り込んでしまいます。そして、電話をしたことも、「えっ」と思ったことも、みんな忘れてしまいます。

きょうは朝、ねえちゃの家の冷蔵庫に残っていた食べ物などをまとめて、所定の「可燃ごみ」に出しました。これで「生もの」系の処分はだいたい済みました。

午後には、家のタンスなどにあった、これからのシーズンに着れそうな衣服を持ってグループホームへ出かけました。

ねえちゃはその服を見て驚き、「え、これ買ってきてくれたの?」と言います。自分の持っていて、着てきた服のこと、ほとんど覚えていないようです。

逆に見れば、ねえちゃは自分でも忘れてしまうほどの、けっこうな衣装持ちである、ということもできます。

「困ったこととか、嫌なことはない?」と聞くと、いつものように「ない。ただバカなだけ」と答えて笑いました。心身ともに安定しているようで、ホッとしました。

ねえちゃのグループホームから、10周年祝いを兼ねた家族会を今月下旬に開催する旨の通知をいただきました。

急に決まってきちんと確かめておかなかったのですが、ねえちゃは、10周年という記念すべき年に、この施設に入居したことになるようです。

当日は、お弁当を食べながら施設や家族の人たちと交流を深めるほか、ボランティアのかたたちによるケーナや大正琴の演奏もあるとか。

きっと、子どもではなく、おじいちゃん・おばあちゃんにとっての開校記念+父兄参観の日といった感じなのでしょう。

きょうの夜8時ごろ、ねえちゃから、やや眠そうで、何か困惑した感じの低い声で、電話がかかって来ました。

「血圧計と血圧手帳、ウチに置いて来ちゃったのだろか?。計ってない。困った。それに、薬も無い。お医者さんのところへも行ってない。どうしたらいいんだろ」

グループホームで、毎日、薬を飲ませてもらっていることも、定期的にちゃんと血圧を計ってもらっていることも、突然、頭から抜け落ちてしまったようです。

3月に施設へ入ってから、血圧測定も、薬も、あたりまえのように、ずっとやってもらっているのに、何かの拍子に突然「あれ、どうだったんだろう」と気になって仕方なくなったのです。

でも、詳しく説明してやると「そうなんだ。そんなにバカになっちゃったんだ」と、それなりに納得して落ち着いた様子で「おやすみ」と床につきました。

きょうの夜、久しぶりにねえちゃから電話がありました。「聞きたいことあって電話した」というのですが、「何を聞きたかったのかわかんなくなっちゃった」といいます。

「連休はどうだった?」と聞くと、「誰がきたのか、何がなんだか、みんなわすれちまった。だけど、墓参りに行ったような気はしている」といいます。

30分くらいしてから、もう一度、電話がありました。

「鍵とか、大事なもの、どこにあるんだろ?」といいます。これが、どうも、さっき聞きたいことだったようです。

本人は忘れてしまっても、連休中に自宅へ行った印象が頭のどこかに微かに残っていて、鍵など家のことが気になったのかもしれません。

「空家状態になったので、特に大切なものはこっちで預かっているから心配するな」というと、ねえちゃは「じゃあ、何も心配しないでいいんだね」といつものように話して眠りにつきました。

グループホームのねえちゃの部屋を訪ねると、特別なものはありませんが、「日記帳」はいつも手の届くところに置いています。

足の不自由な人は、杖や車いすを使って自分の力で動こうとします。しかし認知症の人は、自分の障害を補う「杖」の使い方がよく分かりません。

でも、ねえちゃはいまのところ、この日記帳が、辛うじて「杖」の役目を果たしているようです。

ねえちゃは、ふつう、あったことをすぐに忘れてしまいます。けれど、「日記にすぐ書いて」と促し、何日あたりのところを読み返して、というと、「ああそうだったんだ」と何とかかんとか記憶を繋ぐことはできるようです。


ねえちゃは連休を、次男一家と楽しく過ごしました。久しぶりに外出して、お墓参りや服や靴の買い物もできたようです。

孫たちとは、グループホームへ入って初めて会いましたが、まだ顔をちゃんと覚えていたとか。

連休の思い出が、ねえちゃの思い出として残るかどうかは微妙です。が、記憶が頼りにならない以上、本人も周りも、その瞬間を大切にしていくしかありません。

それは認知症だから、というわけではなく、うたかたの夢に生きる人間すべてに言えることなのかもしれません。

連休の谷間に、ねえちゃのグループホームの計画作成担当者のかたから電話をいただきました。

家族の希望を聞かれたうえで、計画を少しだけ変えたところがあるので確認のうえサインを、とのことでした。

グループホームの職員体制は、管理者と事務が各1人、介護職員10人以上のほかに、計画作成担当者2人となっています。

施設のサービスは、利用者がその能力に応じて自立した日常生活できる計画に基づいて提供されることになっています。

利用者の状態に応じて、その都度、計画を変えていく。一律にだれも同じように、というのでないところに、従来の施設との違いがあるのでしょう。

認知症になったばかりの人に向けて、東京都健康長寿医療センターが作った「本人にとってのよりよい暮らしガイド」という冊子が発行されました。

「町に出て、味方や仲間と出会おう」「できないことは割り切ろう、できることを大事に」など、「一足先に認知症になった」人たちのアドバイスもいろいろ紹介されています。

ねえちゃもそうでしたが、認知症の診断を受けてから介護保険サービスを受けるまでどうしていいのか、周辺も不安に感じ、迷う期間が生じました。

そんな不安がなく「空白期間」を埋めていくにも役に立つなと思います。

グループホームへ入るまでは、毎日、夕方の6時ごろ、ねえちゃの家に電話をしていました。

たまに、何度かけても電話に出ないときには、どっかで徘徊しているのではないかと心配になって、ご近所にお願いして家の周辺を探してもらったりしたこともあります。

施設に入ってからは、用があれば携帯に電話をする程度。電話が無いほうがかえって安心していられるようになりました。

ねえちゃも、携帯電話を何とか使えるようになって、特段の不自由はなさそうです。

かけることはなくなり、かかってくるとしてもオレオレまがいだけの自宅の固定電話は、もう無くてもよさそうです。

TOKIOの山口達也メンバーによる女子高生への強制わいせつ問題で、アルコール依存症との関係が云々されています。

アルコール依存症は、量や状況など酒の飲み方を自分でコントロールできなくなった状態のこと。

以前は、意志の弱さや人間性の問題が原因と思われてきましたが、いまでは病気として扱われ、遺伝子と関係も研究されています。

飲んではいけないとわかっていても、脳に異常が起こっているため、飲むのをやめられなくなってしまうのです。

以前も書きましたが、ねえちゃの夫もアルコール依存症で、7年前に亡くなるまで長いあいだ闘病生活に明け暮れました。

そんな夫を看て苦労してきたねえちゃは、酒は頑として飲みません。それは、認知症が進みグループホームへ入ったいまも変わりません。

ねえちゃのグループホームの近くには、裾花川が流れていて、裾花中学、裾花小学校があります。

裾花川は、長野県と新潟県との境の高妻山に源を発し、戸隠連峰に沿って流れて、長野盆地に入り長野市の中心市街地の西縁を流れて犀川へ合流します。

ねえちゃが長野市で暮らすようになったのは、いまから50年前のことです。最初の3年間住んだ西長野の借家は裾花川の近くにあって、近所の人たちや家族と川辺に遊びに行ったりすることもありました。

「おばあさんどこに居るのかよく分からない」と言うので、「裾花川の近く。裾花中学や裾花小学校の近くだよ」と教えてやると、何となくホッとした顔つきになります。

たけのこ掘りのシーズン真っただなか、となりました。というわけで、ねえちゃのおいが、実家の山でとれたたけのこをきのう、グループホームへ届けてくれました。

おいによると、「今年は、出来がよくない」とのこと。とはいえ、さっそく施設で、ねえちゃも手伝って料理してくれたようです。

たけのこはすぐに食べないと美味しくなくなります。昨年までは、家にたけのこを届けてもらっても、ねえちゃ一人では調理できず、途方にくれていました。

けれど施設へ入ったおかげで、今年からは、みんなで料理して、みんなで味わうことが出来ます。

「おばあさん、お医者さんへ薬をもらいに行かなくていいんだろうか?」と、きのうの夜、ねえちゃから電話がありました。

薬は、グループホームの関連クリニックで処方してもらっていて、お医者さんに行かなくても施設の担当者から決まった時間にきちんと飲ませてもらっているはずです。

長年続けてきた、お医者さんのところへ行って高血圧や認知症の薬を処方してもらっていたときのことが、ふっと頭に浮かんできたのでしょう。

認知症になってから、突然、思いがけないことを言って来ることがしばしばあります。

寝る前に薬を飲む、ということを長年習慣にしてきたので、眠くなって布団に入ろうとしたのが契機となって、薬のことが心配になったのかもしれません。

一昨日、市役所の支所に申請した要介護認定の更新について、きょうの午前中に担当者のかたから電話をいただきました。

家族が遠くにいるので、更新にかかわる調査はグループホームに一任しますか、と聞かれたので、そうするようにお願いしました。

更新の手続きには、申請から認定までに通常30日ほどかかるようです。

これまで、介護の諸手続きや病院通いなどは、私がほぼ一人でやって来ましたが、調査日を決めて、その日にあわせて東京から長野へ出かけるのは、けっこう手間がかかります。

それに、いまやねえちゃの日常については施設のかたのほうがよく分かっています。家族でないほうが客観的に見られるという利点もあると思います。

週1くらいでねえちゃの家を訪ねると、郵便受けにいつも新聞が投入されています。

ねえちゃがグループホームに入居した翌日、新聞販売店に電話をして新聞をやめたのですが、長年取っていたのでどうしても配達の人が間違えて入れてしまうのでしょう。

郵便物はそんなに多くはありませんが、役所や金融機関などから大事な書類もけっこう届きます。

郵便受けが新聞でいっぱいになってしまうと、郵便物のじゃまです。新聞を入れないように念押しの電話を販売店にしました。

雨がパラつく中、役所で介護認定の更新手続きをしたあと、1週間ぶりにねえちゃのグループホームを訪ねました。お風呂に入った直後だったようで、くつろいだ、穏やかな様子でした。

この1週間のあいだに、ご近所のかたたちも訪ねてくれたようで、相当に嬉しかったとみえて日記に大きなに赤字でそのことが書き込まれていました。

「何か困っていることはない?」と聞くと、「頭が悪いことのほかは、何もない」と、いつもの返事。

「居心地が良くて、もう家で一人じゃ暮らせないでしょ?」と聞くと、頷きながら「ずっと置いてもらえるように、わがまま言わないようにしなきゃ」と答えました。

一週間ぶりに、ねえちゃの家を訪れました。電話の着信はほとんどありませんでしたが、郵便受けにはけっこういろんなものが入っています。

市役所からは「介護認定の更新手続き」に関する書類。郵便局からは福祉定期預金満期の案内。それに、断ったはずの新聞も投入されています。

仮に移ったグループホームへ転送してもらっても、ねえちゃには処理できません。かといって、私の自宅に転居したわけではないので、私の家に転送してもらうのも難しそうです。

これからどうやって処理していくか。諸郵便物に対する合理的な対処法も、模索していくかなければなりません。

青山ゆずこさんの『ばーちゃんがゴリラになっちゃった。 祖父母そろって認知症』というエッセーが出版されました。

認知症になった祖母は「誰だあんたは出ていっとくれ」と追い出そうとしたり、部屋中に生ゴミを撒き散らしたり、祖父といえば何に対しても無関心。そんな中で、可能な限りの介護に励む姿が描かれているとか。

ゴリラはどうかは知りませんが、同じ類人猿のチンパンジーには、脳の組織にアルツハイマー病の兆候が見られることが研究で明らかになっているようです。

それはともかく、あれだけ優しかったおばあちゃんの変容ぶりについての、「ゴリラになっちゃった」という比喩には、なかなかに興味深いものがあります。

「おバアさん、いつまでここにいるの?」と、これまで毎日のように電話を掛けて来たねえちゃですが、この3日ほど、そうした訴えもなく、静かです。

1カ月たってグループホームに慣れて来て、「ここが自分の家だ」と思えるようになったのでしょうか。

それとも、自分の家がどこだったかコンガラがってきて、帰るということがどういうことなのか分からなくなってきたのでしょうか。

いずれにしても、グループホームが自分の落ち着ける「居場所」となっていってくれればいいな、と願うばかりです。

グループホームへ入るまで、ねえちゃの「食」は、週1回まとめて届けてくれる惣菜など生協の食料品と、平日の夕食用に毎日持ってきてくれるワタミの宅食、それに生ものやお菓子など近くのスーパーで補っていました。

さらに、衣服代や医療費、新聞代、灯油、お米代、それから台所のレンジ、お風呂、暖房などほとんど電化しているので電気代もかなりかかりました。

グループホームでの共同生活になってから、家賃や食費など月に払う額はほぼ決まっていて毎月銀行から引き落とされます。他に、個人的な出費のための“お小遣い”を少し施設に預けています。

それに加えて、自宅を出ても家の管理や維持のため、電気代や電話代、水道料、補修などにある程度お金が毎月かかっていきます。

グループホームの経費と自宅の維持費の両方がかかるので、ある程度の負担増になるとは思いますが、毎月の出費がほぼ計算できるという利点もあります。計画的に何とかやりくりしていくしかありません。

このあいだグループホームから送られてきた書類を眺めていたら、中に「あさま棟だより」(Vol.54)というのがありました。

おしらせ欄には、あさま棟への入所者としてねえちゃが写真入りで紹介されていました。

それから、お彼岸の日に、みなさんとおはぎ作りをしている写真もありました。

どちらの写真も、家に一人でいるときにはあまり目にすることがなかった、穏やかで、心底明るい表情をしています。

ねえちゃがグループホームへ入ってきょうでちょうど1カ月です。新生活、まずまず順調に滑り出したようです。

午後8時ごろ電話をすると、もうスヤスヤ状態。「何か困ったことない?」と聞くと「なんにもない。おやすみ」と、ふたたび眠りの中に入りました。

ねえちゃは、自分で積極的に何かをやっていくというタイプではありません。できるだけ目立たないようにと、どちらかというと引っ込み思案の性格です。

あれこれ周りでめんどうを見てくれて、みんなといっしょにやっていられるグループホームでの生活に、心身ともに「安心感」を抱いているようです。

午後8時過ぎ、いつものように「ここにいていいの?」と、ねえちゃから電話がかかってきました。

夕ご飯を食べて、みんなでテレビを観てたあと、眠くなって部屋に戻ってきたといいます。

ねえちゃには、これといって観たい番組があるわけではありません。テレビを媒介にしてみんなでワイワイやっていられるのが、楽しいのだとか。

「何か困ったことない?」と聞くと、「アタマだけ」。「そりゃ、しょうがないな。のんびりやってきなよ」。

きょうの午前中、ねえちゃのお嫁さんといっしょにグループホームを訪ねました。

だいぶ暖かくなってきたので、ねえちゃの家にあった夏物の服やブラウス、ズボンなどをあれこれ、名前を書いて持って行きました。

洋服ダンスなどを探してみると、思いのほか、色とりどりの、いろんな衣類が見つかりました。

施設の内外で、ちょっとしたおしゃれを楽しむことはできそうです。

衣類といっしょに、家のソファーに置いてあった「孫の手」も持って行きました。

「これ、あると助かるんだよね」と、喜んでいました。

グループホームからねえちゃの「3月分」に関わるいろんな書類が送られて来ました。

そんな一つの「生活記録」には、入所してから毎日の記録が、楷書のていねいな字で、細かく書かれていました。

それによると、部屋の掃除や軽作業、おはぎ作り、ふきのとうなど食事の下ごしらえ、職員のかたとの室内用の靴の買出しなど、いろいろと楽しくやっているようです。

自分が「ここ」に居ることやお金のことを、ときおり思い起こすように不安に感じているようですが、家に居たときのような拒絶反応を起こすこともなく、その都度、落ち着いて受け入れています。

24時間、こうやって細かく目をつけていただきながら、めんどうを見てくださっているスタッフのかたたちには敬服しています。

きょうの午後1時半ごろ、「うちへ帰らなくていいの?」といったいつもの電話が、また、ねえちゃからありました。

昼食が終わり、部屋に戻ってお昼寝の時間に入ったようです。「グループホームが嫌になったの?」と聞くと、「水虫の薬まで塗ってもらえて、至れり尽くせり。自分がバカで困るだけで、何も不満はないよ」。

白癬(はくせん)菌が、皮ふの外側の角質層に感染して起こる水虫。そういえば、指先や指の間だけでなく爪にまで広がってしまったとかなんとか、ねえちゃが言っていた覚えがあります。

「それじゃ、バカが治るまで、ずっとそこに置いてもらえばいいじゃない」というと、「ずっと居ていいんだね」と、いつものようにホッとしたように言っていました。

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