2019年03月31日

家族は「敵」に

在宅で、認知症初期の症状である繰り返される質問を無視したり、言葉による暴力をふるったり、といったことは、日常介護のストレス状態のなか、家族であるゆえに無意識にむしろ行なわれてしまいがちです。

親子や配偶者といった血縁・親族縁でがんじがらめになっているために、相対化できず、感情が煮詰まってしまい、非理性的な行為に走ってしまう。

介護するほうは、その行為に至るまでの経緯をしっかり覚えていて、激昂してしまったそれなりの理由もあります。しかし、介護される当事者にとっては、経緯はもう忘却の彼方です。

でも、殴られた痛みや、罵倒され傷ついた感情は澱のように残っている。外山さんは、こうした経緯の不明な傷が累積していくことによって、家族は「敵」になっていくのだといいます。

グループホームでは、血縁につながれない相手が、感情をひきずることなく認知症高齢者のありのままの姿を受け入れてくれます。外山さんは次のようにいいます。

「グループホームですっかり落ち着いた身内に接して、家族は自分たちが在宅でおこなっていた「介護」の中身と、家族であることの罪とに向き合わされるのである。

けっきょく家族が家族になるためには、そこで信頼関係が新たに結び直されねばならず、また新たに出会い直さなければならないのだ。というより、ここでようやく家族は、高齢者と向き合うことができるのだと思う」。


2019年03月30日

「垂直」から「水平」「横断」へ

大規模な施設での集団生活と比べて生活の単位が小さく、ひとりひとりの顔が見えるようになり、高齢者個々の持ち味や生活のペースがつかめてくると、表情は変わり人間関係も大きく変わります。

介護を「する側」と「受ける側」という切り割された固定的関係から、生活の再構築をしようとする高齢者を側面から支える関係へ、さらには、ともに暮らす仲間としての関係へと変化するのです。

そして、スタッフのかかわりかたが、
①プログラム主導側から個々の高齢者のペースに合わせたゆったりとしたリズムへ
②規則やルールずくめの管理的な姿勢から個別的な特性を受容できるゆとりある姿勢へ
③禁止や指導の言葉を乱発する指示的・教育的接近から、声を出さずにまなざしであたたかく見守り、危ないときだけ近づいてサポートする黙示的接近へ
と変わるとき、スタッフと高齢者の関係も確実に変化していくでしょう。

従来の施設における「垂直」の関係から、側面を支える「水平」の関係へと、そしてさらには適宜役割を変化させ交換しながらの「横断性」概念による人間関係の実現に向けて、関係が変化していくのです。

こうしたところにグループホームの本質があると考えられます。外山さんは「これはまさに、コミュニティの元としての人間関係そのものではないか。痴呆症にともなう生活障害をもつ高齢者の集住の場、ケアの現場から、個別の人間の共同の生活集団としてのコミュニティが立ち上がっているのである」と指摘してます。


2019年03月29日

住宅と施設の二重性

これまで見てきたような「在宅」と「施設」の両方のかかえる課題を乗り越える可能性を秘めた居住形態、ケア形態として登場してきたのが「グループホーム」でした。

住みなれた自宅ではないけれど、家庭的な雰囲気のなかで時間がゆっくりと流れ、専門のスタッフにさりげなく見守られながら認知症高齢者がひとりひとり、その人らしい生活をしていく。

こうした必要なケアを伴う生活を通して、認知症それ自体が治癒することはなくても、その進行を遅らせたり、随伴状態が改善された状態で暮らしていける。

グループホームには、①「住宅でもないし施設でもない」が、そこに期待されている役割からすると②「住宅でもあり施設でもある」という性格があります。施策者からすれば①を、利用者側からすれば②をもとめることになります。

ねえちゃのような入居している高齢者の側からすれば、まさに、住まいであるとともに、専門のスタッフが24時間常駐する施設でもあるのです。外山さんは、この「住宅と施設の二重性」にこそ、グループホームの可能性があると考えていました。


2019年03月28日

鉄筋コンクリートの箱

もともと認知症ケアのためにつくられたものではない特別養護老人ホームや老人病院、さらには精神病院。

そうした既成の施設で対処するには、認知症の周辺症状や随伴症状としてあらわれてくる徘徊や妄想などの問題行動をコントロールする従来の手法に頼らざるをえません。

すなわち、薬によるコントロール、物理的・空間的拘束、言葉による禁止などの措置です。

外山さんは、こうした方法は「根本治療になるどころか、痴呆性高齢者のストレスや不安を倍加させることで悪循環を引き起こす」として、次のように主張しています。

「そもそも現状の施設は住居としての空間スケールをはるかに逸脱し、繰返しパターンの多い巨大で複雑な建物である。

しかも長年暮らしのなかで馴染んできた日常生活のためのしつらえもほとんどなく、痴呆性高齢者たちは、どう振る舞ってよいかわからなくなる。

そうした環境のなかで、かれらがもっと不得手とする、大集団での管理的なプログラムによるケアが実施されている。これが多くの施設の現状である。

住まいは生活行為の舞台であり、生活展開のしつらえをさまざまに内包している。しかし従来のこうした施設では生活展開のためのしつらえは乏しく、鉄筋コンクリートの単調で無機質な箱である場合が常である。

痴呆性高齢者は頭の中で想定したり、応用したり、臨機応変に振る舞ったりすることができず、ある意味で環境に対して非常に正直に反応する。したがって、空間や環境の貧しさがそのまま行為の貧しさに直結しやすいのである」。


2019年03月27日

施設ケアの状況

グループホームが登場した背景には、きのうまで見てきた「在宅ケアの状況」とともにもう一つ、「施設ケアの状況」があります。

外山さんは、当時の痴呆性高齢者160万のうち、施設にいる残りの3分の1について、「生活しておられる」とか「暮らしておられる」とかいうようには「表現できない現実がある」と指摘します。

ここでいう「施設」というのは、特別養護老人ホーム、老人保健施設いわゆる老人病院、それに精神病院の一部を指しています。

これらの施設は、もともと認知症(痴呆症)ケアのためにつくられたものではありません。

記憶障害や見当識障害など、認知症の中核症状に対する根本的な対応を見出せないまま、集団管理的なケア形態で処遇しているのが実情だったのです。


2019年03月26日

自立意識の弱体化

家族が思っている認知症高齢者の願いや要望は、ほんとうに本人のものと一致しているのでしょうか。外山義は、問いかけます。

高齢者の心身機能が衰えていくと、まわりにいる家族がさまざまな日常生活の行為を代わりにやってあげるようになります。

逆に、高齢者のほうもまた、しだいに家族に依存していくようになります。

在宅での同居生活では、本来高齢自身がすべきことを、家族が代行したり代弁したりする場面が多くなっていくです。

こうした繰り返しのなかで家族は、自分がこの高齢者のことをもっとも理解し、助けているという思いを徐々に強くしていきます。

実は、この「思い」のなかに、介護者としての家族の「都合」や「思い込み」が少なからず混入しているということに、家族は気づいていません。

ほんとうは高齢者本人の意思に基づかなければならない問題を、家族が自分の願望の延長で話したり、本人の願いを確かめずに決めつけてしまうことが起こりやすくなるのです。

こうして生じた「ズレ」を、確かめたり、調整することは、とくに認知症高齢者の場合は容易なことではありません。

外山さんは、このような家族同居のありかたによって「高齢者が弱体化していく」と考えます。

そして高齢者本人の自立意識がしだいに弱まり、自分が何を望んでいるのか徐々に不明瞭になることの「危険性」を指摘します。

「人生最後の幕引きをどうしたいのか、最後の日々をどう過ごしたいのか。これはとても大切なことで、本来、本人の願いを中核にして決定されるべき事柄である。

一見、人間が大切にされているように見えて、じつは大切にされていない日本社会の日常が、ここにもよく見てとれるだろう」(『自宅でない在宅』p107)


2019年03月25日

家族であるがゆえに

グループホームを考えるうえで認知症高齢者の在宅ケアの問題として、外山さんは日本社会における「家族」の存在へと目を向けています。

とくに、日本の認知症高齢者介護で「家族」がどのような意味を持ち、どう位置づけられるかについてです。

言うまでもなく家族は、通常、介護されている高齢者にとって最も身近な存在です。

しかし、元気に活躍しているころをよく知っている身近な家族であればこそ、いっそう、眼前にあらわれてきた認知症のさまざまな症状を呈する状況を受け入れるのは困難になります。

ねえちゃのケースを振り返ってみても、「あんなにしっかりしていたのに、まさか」という気持ちからなかなか抜け出すことができず、苛立ち、当人にあたり散らすこともしばしばありました。

むしろ、近しい家族であるがゆえに、受容しがたく、冷静であることが難しいのです。外山さんはさらに、次のように指摘しています。

〈加えて、痴呆症の介護は24時間の継続的な対応が必要となることが多く、家族はひとたび介護を負いはじめると、みずからの仕事や学びを諦める。すなわち自己実現を断念せざるをえない状況にしばしば追い込まれることになる。

介護を負わざるをえない現実のために自己実現を放棄させられた状況下での介護は、ストレスがきわめて大きいであろう。精神的に健康な状態を保つことがむずかしく、そうかといって途中で放り出すこともできない。

これが専門職のスタッフであれば、ケアを担うこと自体が自己実現であるからその種のストレスがなく、力も発揮しやすいのである。〉


2019年03月24日

「線」的ニーズと「点」的サポート

認知症高齢者グループホームがどうして登場し、全国にめざましい勢いで普及しつつあるのか。

遺作となった2003年7月発行の『自宅でない住宅』の中で外山義さんは、「その背景は2つある」として、①痴呆性高齢者ケアの現状と②施設ケアの現状をあげています。

まずは、①の痴呆性高齢者ケアの「現状」、すなわち、この本が出版された当時の認知症高齢者ケアの状況について筆者は次のような視点から考察を始めます。

〈日本には約160万人の痴呆性高齢者が存在していると推計されているが、そのうちの約3分の2は在宅にあって主として家族の介護を受けて生活している。

2000年4月からは介護保険が導入され、24時間巡回型のホームヘルプサービスが全国に普及しつつある。

在宅の要介護高齢者を朝・昼・晩・夜と「点」的に間歇的にサポートすることにより、在宅での居住継続を支援していこうとするねらいである。

しかし、24時間継続的に「線」的なケアニーズをともなう痴呆症のケアは、そうした「点」的なサポートでは対応しきれない。

家族が解放されることなく介護に縛りつけられ、最後には家族側も疲弊し共倒れになる状況がある。〉

ケアの「線」的ニーズに対する「点」的サポートの限界について、端的に指摘しているのです。


2019年03月23日

建築家外山義

認知症グループホームの制度化や特別養護の個室化、寝たきりゼロ作戦などで重要な役割を果たすとともに、日本の超高齢化社会に向けて深い洞察力を示した外山義(とやまただし)さん=写真、『自宅でない在宅』から=という建築家がいました。

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外山さんは、1982年から1989年までスウェーデン王立工科大学に留学し、帰国後は、病院管理研究所(後の国立医療・病院管理研究所)の主任研究員として、高齢者のケアと住環境の研究に携わりました。

1990年には「高齢者の自我同一性と環境-生活拠点移動による環境適応に関する研究」で、日本建築学会奨励賞(論文)を受賞。

制度化がスタートした前後からグループホームに取り組み、「炉端の家」(岡山県笠岡市、1996年)、「こもれびの家」(宮城県名取市、1997年)、「いわうちわの里」(富山県下新川郡宇奈月町=現黒部市、1999年)、「ならのは倶楽部」(奈良県奈良市、2000年)、「ぼだいじ」(滋賀県甲賀郡甲西町=現湖南市、2002年)などの設計をしています。

また、1998年に完成した秋田県鷹巣町(現・北秋田市)の「ケアタウンたかのす」など、それまで相部屋が当たり前だった特別養護老人ホームに「個室」によるユニットケアを導入したことでも知られています。

しかし外山さんは、京都大学大学院工学研究科の教授を勤めていた2002年、惜しくも、52歳の若さで急逝されました。

きょうからしばらくの間、そんな外山さんの最後の著書『自宅でない在宅-高齢者の生活空間論』(医学書院)から、グループホームとはどういうものなのか、少しずつ掘り下げて考えていきたいと思います。

ちなみに、この本のトビラには、外山さんの次のような言葉が載っています。

「ぜひ前のめりに進んでいきたいなと思います。前のめりになって転ばない方法は、足を出すことです。ユニットケアは、一歩踏み出すなかで見えてくるものだと思います。倒れないように前に進みましょう」


2019年03月22日

全国ネットワーク

グループホームの制度創設から2年後の1999(平成11)年1月には、一般の民家などを利用した小規模の在宅介護支援施設である宅老所も含めたネットワーク組織「宅老所・グループホーム全国ネットワーク」も誕生しました。

下記に引用する平成11年1月23日付の設立趣旨書を見ると、当時のグループホームを巡る状況をうかがうことができます。なお、趣旨書の中にある「デイサービスセンターE型」というのは、痴呆性高齢者向け毎日通所型のデイサービスセンターのことです。

〈私たちは、痴呆症の高齢者が、これまで送ってきた普通の生活を地域の中で可能な限り継続していただくことを支援する、宅老所やグループホームなどの小規模で多機能なケアホームを先駆的に取り組んできました。

こうした先駆的な取り組みが、痴呆高齢者が毎日利用できる「デイサービスセンターE型」や共同で生活する「グループホーム」の国庫補助事業を生み、さらには地方自治体単独の弾力的な補助事業の創設を生み出してきたと考えています。

私たちの中には、既に社会福祉法人格を所得し国庫補助事業を運営しているところもありますが、公的補助を受けることなく自主運営をしているところや、公的補助を受けたくとも認められずやむなく自主運営を強いられているところもあります。

こうした宅老所やグループホームは、1980年代半ばから先駆的に始められ、ほとんどはこの5年間以内に開設されたものです。デイサービスセンターE型をも含みますと、現在1300カ所を越えるとされ、そのうちの半数近くは法人格のない住民団体や個人の運営とされています。

平成12年度よりスタートする介護保険下では、サービス提供機関となると同時に痴呆症高齢者と支える住民の地域福祉の拠点ともなり得るものと期待されています。しかしながら、私たちの国における痴呆症高齢者のケアは試行錯誤の域を脱するまでには成熟しておらず、宅老所やグループホームが先駆的に、痴呆症高齢者が求めているであろうケアを実践し実証してきました。

このような経過から、痴呆症高齢者のケアのさらなる充実を目指す、宅老所やグループホーム実践者の、ゆるやかに全国をネットワークする必要性が求められてきました。 そこで、この1年間に急速に組織化された都道府県単位の8連絡会と、先駆的に進めてきた宅老所・グループホームが呼びかけ人となって、このたび標記「宅老所・グループホーム全国ネットワーク」を設立することになりました。

このネットの特徴の一つは、従来型の、公益法人格を有したうえで国庫補助を受けているホーム(施設)と、地方自治体の補助を受けているホーム、そしてその他のホームというように、運営形態別に組織化されていたものから、痴呆症高齢者のケアという共通の目的で公私の宅老所やグループホームがネットすることにあります。

二つめは、宅老所やグループホームは全国一律という考え方よりも、より地域性を生かした運営が求められることから、都道府県などの地方自治体を意識した全国ネットということです。具体的には①痴呆症高齢者のケアに関する情報の収集と提供、②相談、③研修、④研究、⑤社会的な提言など、宅老所・グループホームを推進することを目的とし結成するものです。〉


2019年03月21日

あたりまえの暮らし

きのう見たように、グループホームは1997年度の痴呆対応型老人共同生活援助事業として、制度的にスタートをきりました。

初年度の全体予算は1億6496万3000円、実施か所は25カ所。翌1998年度の全体予算は3億8997万7500円、実施か所47カ所に及んでいます。

グループホームがめざしているのは、「痴呆」を問題として扱うのではなく、①痴呆になっても人としてあたりまえに暮らしつづけることであり、②住みなれた町の中でその人らしく豊かに生きていること、です。

制度化された直後の1997年11月に早くも出版された『ボケなんて怖くない「グループホームしせい」の挑戦』には、自分たちで料理や掃除、洗濯などふだん家庭でやっているようなことをするなかで、持てる力を生かしながら、役割をもって生活する姿を引き出すケアの実践について描かれています。

それは、大規模な収容者をもつ施設ケアによる管理された生活ではなく、小規模で家庭的な環境での、限りなく在宅に近い痴呆性高齢者の施設介護としてのグループホームの姿でした。


2019年03月20日

認知症対応型共同生活介護

ねえちゃが入って1年が過ぎた認知症高齢者グループホームとはいかなるものなのか。

法的には「認知症対応型老人共同生活援助事業」が行われる共同生活を営むべき住居として設けられた建築物、と定義されます。

では、認知症対応型老人共同生活援助事業というのは何なのかというと、介護保険法の規定による「認知症対応型共同生活介護」に係る居宅介護サービス費の支給を受ける者などが、共同生活を営むべき住居において入浴、排せつ、食事等の介護その他の日常生活上の援助を行う事業、ということになります。

そして、ここでいう認知症対応型共同生活介護はというと、ねえちゃのように「要介護者であって、脳血管疾患、アルツハイマー病その他の要因に基づく脳の器質的な変化により日常生活に支障が生じる程度にまで記憶機能及びその他の認知機能が低下した状態であるもの」が対象になるのです。

ただし、認知症が原因で著しい精神症状や異常行動を呈する者や、認知症の原因となる病気が急性の状態にある場合は、原則としてその治療が優先されるために、認知症対応型共同生活介護を受けることは出来ません。


2019年03月19日

食パン屋さんに

一カ月余りぶりに、長野市のねえちゃの家を訪ねました。アルプスの峰々は、雪で美しく彩られていましたが、市街に積雪はありませんでした。

空き家に近い状態になったので、雪や凍結が心配でしたが、大きな支障やトラブルはなく冬を乗り切れたようです。

郵便受けも、宅配ピザや不動産屋さん、選挙関係などのチラシがいくらか入っているだけで、手紙はほとんど無くなってきました。

留守番電話も一件だけ。水道洩れもないようで、水道料金の業務受託者から「使用水量ゼロ」だった旨の通知がありました。

グループホームへ入って、ねえちゃが自宅を留守にするようになって一年がたった間に、いちばん近い“お店”で何かと重宝していたファミリーマートが閉店してしまいました。

そのあとには、高級「生」食パン専門店「乃が美」の長野店が4月中にはオープンするのだとか。不在のあいだに、街も少しずつ変わっていきます。


harutoshura at 19:59|PermalinkComments(0)ねえちゃの近況 

2019年03月18日

1周年

ねえちゃがいま暮らしているグループホームへ入って、きょうでちょうど1年となりました。

昨年の3月18日は、日曜日でした。前の日にここへ初めて見学に行って契約を交わし、衣類、寝具、履物など、当面必要なものを徹夜でまとめて……。

引っ越しシーズンで荷物を運んでくれるところはなかなか見つかりませんでしたが、「荷物を届けたあとに寄ってもいい」という赤帽さんが1件だけありました。

ねえちゃは、親しくしていただいているご近所のかたたちに励まされ、お隣のかたの車で送ってもらってあわただしくグループホーム生活へと突入しました。

きょうも、いつものように夜、ねえちゃから電話が来たので「きょうで、ちょうど1年になるんだよ」という話をしました。

ねえちゃは、いつものように「信じられない」という様子で、「えぇっ、ほんと、そんなに~。ほんとに、そんなになるの。バカんなっちゃったんだね。ぜんぜん覚えてない。バカんなっちまって。みんなに迷惑かけてるんだね」。

それでも、この1年、これといって嫌がることも、心配ごともなく、グループホーム生活を謳歌しているようです。


harutoshura at 22:46|PermalinkComments(0)ねえちゃの近況 

2019年03月17日

小規模多機能型居宅介護

このブログでも以前書きましたが、通常は、きのう見た1985年に始まる「バルツァゴーデン」のようなスウェーデンのケアを取り入れて、1990年代初めに日本のグループホームが誕生した、といわれています。

とはいえ、日本国内でも1980年代には、大規模施設へ収容して管理するあり方への反省から、支援が必要な高齢者のための“居場所づくり”の試みが各地で行われていました。

たとえば1987年には、島根県出雲市に小規模多機能型居宅介護を掲げる「ことぶき園」が民間の非営利団体として開設されています。

小規模多機能型居宅介護というのは、住み慣れた地域で、「訪問」「通所」「短期間滞在」の3種類を組み合わせて、介護その他の日常生活上必要な世話や機能訓練を行うサービスです。

家族的な環境作りや地域との交流に気を配りながら、住み慣れた自宅で自立した日常生活を営むことができるよう、要介護者の状態や希望に応じてケアするように工夫されています。

随時訪問や通所、宿泊を一体化させて、顔なじみのスタッフから介護を受けることができるので、人見知りのお年寄りでも安心して利用することができます。

このように、国内で自発的に生まれたケアの手法と、スウェーデンなど海外の手法を合わせるかたちで1997年、老人福祉法及び介護保険法の規定に基づく認知症対応型老人共同生活援助事業の「共同生活を営むべき住居」として設けられたのが認知症高齢者グループホームでした。


2019年03月16日

バルツァゴーデン

いまの認知症高齢者向けグループホームは、1985年に始まったスウェーデンの「バルツァゴーデン」というグループホームのプロジェクトにさかのぼるとされます。

プロジェクトの中心になったのは、バルブロ・ベック=フリス(Barbro Beck-Friis)さん=写真=という女性です。

バルツァー

バルブロさんは、ウプサラ大学で医学教育を受けた後、1969年から20年余りにわたりストックホルムの南西にあるモタラ市の病院で、認知症のお年寄りの治療やリハビリの仕事に携わりました。

決め手になる薬もなく、病気はいっこうに治らず、認知症老人たちは病院のベットをふさぐ「ベットブロッカー」といわれて煙たがられる。

そんな中で、認知症のお年寄りが必要とされているのは病院ではないのではないかという疑問を抱くようになり、モタラ市の住宅街で大きな家を借りて試みたのがグループホームだったのです。

このプロジェクトは大きな注目を浴び、スウェーデン国内だけでなく「世界的にも多くのグループホームケアにおけるケア基準を生みだ」(バルブロ・ベック=フリス『今、なぜ痴呆症にグループホームか』)すことになります。


2019年03月15日

ノーマライゼーション

「ノーマライゼーション」という言葉があります。障害をもっていても、そうでない人たちといっしょに、地域社会で普通に暮らしていける福祉環境の整備、実現を目指す考えかたです。

1950年代、デンマークの知的障害者収容施設でさまざまな人権侵害が行なわれていたことに対して、行政官のニルス・エリク・バンク=ミケルセン=写真、wiki=が提唱した理念です。1959年に同国で制定された知的障害者法に盛り込まれ、欧米諸国に広まりました。

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障害者ら社会的弱者は、社会から排除・隔離して特別な施設へ閉じ込めておけばいい。そうしたかつての誤った考えかたを改めて、障害をもった人もそうでない人とともに、社会の中でふつうに生活できるような環境をつくっていこうとするものです。

ノーマライゼーションは、日本でも、1981年の国際障害者年をきっかけに認知されるようになりました。そして障害者の人たちだけでなく、ねえちゃのような認知症高齢者についても、その理念があてはめられていくことになります。

そして従来の施設とは違い、できる限り在宅に近い介護を目指す認知症高齢者グループホームもまた、ノーマライゼーションの思想が根底に置かれているのです。


2019年03月14日

命日

きょうも夜8時ごろ、ねえちゃから電話がかかって来たので、「きょうは何の日か覚えてる?」と聞いてみました。

「ええっ~、何だったっけ?」

「もう、あれから8年になるんだよ。きょうは、おじいさんの命日でしょ」。

「ええっ~、ほんとぅ、もうそんなになるんだ。バカんなって、そんなことまで忘れちまって」。

「テレビのニュースで、東日本大震災から何年とか言ってたら、おじいさんが死んでからそれだけの年月が経ったってことなんだよ」。

「おじいさんが死んで8年。おばあさんが今いるグループホームへ入って、もうすぐちょうど1年だ」。

「ええっ~、うそ、ええっ~、おばあさん、そんなに、ここに居るの!」

その驚きは、連れ合いの命日のことより、はるかに強烈なようです。

こうした会話を何度か繰り返して、ねえちゃはショックを受けながらも、そのショックもすぐに忘れて、ほどなくいつものように平静を取り戻しました。

「それじゃ、もう寝るだ。おやすみ~」。


harutoshura at 22:55|PermalinkComments(0)ねえちゃの近況 

2019年03月13日

胃痛

ねえちゃのグループホームから、2月の生活記録がとどきました。

隣の棟でインフルエンザにかかった人が出たとかで、念のためタミフルを服用したり、みんなでいっしょに食事するのを避けて自分の部屋で食べたりと、ちょっと、いつもと違う、神経を使う日々がつづいた模様です。

そんなことも影響したか、2月21日には珍しく、夜中に「みぞおちの辺りがジーンと痛い」と胃の痛みを訴える、といったハプニングもあったようですが、1時間半後には「スーっと良くなってきた」。

スタッフのかたたちには、ご面倒をかけましたが、然したることなく収まって、いつものように「アタマ以外は元気な」ねえちゃにもどりました。

インフルエンザは、幸いグループホーム内に広がりを見せることなく、いちおう終息。何よりでした。

ただ、つい先日の世界保健機関(WHO)の発表では、インフルエンザの年間の感染者数は全世界で約10億人、死者数は数十万人に及び、新たなパンデミック(世界的大流行)の発生は「避けられない」と警告しているとか。

感染症はどこで、いつ、思わぬ事態が起こらぬとも限らないので、特別なことがない限り、もうしばらくは、ねえちゃへの面会はひかえておこうかな、と思っています。


harutoshura at 22:51|PermalinkComments(0)ねえちゃの近況 

2019年03月12日

スウェーデン発

本人は当然ぜんぜん覚えていませんが、ねえちゃがグループホームへ入って、まもなく丸1年になります。うまく適応できるかどうか当初はすごく心配でしたが、ホームの生活にすっかりなじんで、楽しくやっているようでホッとしています。

現在の形態に最も近い痴呆性高齢者グループホームは、福祉先進国のスウェーデンで1980年代にはじまりました。ごくふつうの二階建ての家で行われている「グループリビングケア」と呼ばれる介護サービスが、その発祥といわれています。

90年代に入ると、さまざまな試行錯誤の成果を受けて痴呆性高齢者ケアの切り札として位置づけられるようになり、スウェーデンでは一般的なものとして普及していきました。

日本でも1990年代初めまでに先駆的事業者による取り組みがはじまり、1997年には「痴呆対応型老人共同生活援助事業」として制度化されます。

そして、きのう見たように、2000年4月から施行された介護保険制度において、グループホームは在宅サービスのメニューの一つとして位置づけられることになりました。

日本のグループホームは、産声を上げてから飛躍的な伸びを続けてきました。

認知症高齢者グループホームの事業所数は、2000年10月時点で675だったのが、2001年には1273、02年2210、03年3665、04年5449、05年7084、06年8350、07年8818、08年9292、09年9958、10年10453、……。

介護保険制度ができて10年間で1万カ所を超えるまでに増えたのです。

この背景には、ゴールドプラン21の中で2004年度末までに3200カ所という目標が掲げられ、建設費の公的補助も拡充されたことなどがあげられますが、何よりも、急速な高齢化に伴う需要の拡大があったと考ることができそうです。


2019年03月11日

グループホームの普及

きのう見た「ゴールドプラン21」のなかで、今後取り組むべき具体的施策の6つの大きな柱の一つとして「痴呆症(現在は認知症)高齢者支援対策の推進」が掲げられました。

なかでも注目されるのが、これまで設置目標を定めていなかった認知症高齢者グループホームについて、2004年度までに3200か所整備する方針を打ち出した点です。

2000年度に制定された介護保険法に基づいて、介護保険制度が確立されました。介護が必要になったとき、住み慣れた家や地域で安心して生活ができるよう、介護を社会全体で支えようという制度です。

この制度では、要介護認定がグループホームの入居条件の一つになっていて、要支援2から要介護5までの認定者が利用の対象となりました。

グループホームへの仲介は市区町村の介護課や社会福祉協議会では行わないので、ねえちゃもそうでしたが、要介護者またはその家族が探さなければなりません。また、空き状況の管理も一元化されてはおらず、直接グループホームに確認する必要があります。

それでも、介護保険法に基づく介護サービス給付が受けられるようになってグループホームは、急速に普及していくことになりました。

グループホームの件数は、2005年1月時点で約6000件と、「2004年度までに3200か所」の計画を大幅に上回り、2009年末現在では10000カ所以上に達することになりました。


2019年03月10日

ゴールドプラン21

きのう見た新ゴールドプランの5年間が終わった1999年の12月には、さらに「今後5か年の高齢者保健福祉施策の方向~ゴールドプラン21~」が策定されました。

2000(平成12)年に介護保険制度が施行されるなど、保健福祉サービスが新たな段階を迎えた状況をふまえて、高齢者保健福祉施策の一層の充実を図ることが目的とされました。

「ゴールドプラン21」の期間は、平成12年度から平成16年度までの5か年間。取り組むべき具体的施策には、次の6つの柱が掲げられています。

①介護サービス基盤の整備~「いつでもどこでも介護サービス」~
②痴呆症(現在は認知症という)高齢者支援対策の推進~「高齢者が尊厳を保ちながら暮らせる社会づくり」~
③元気高齢者づくり対策の推進~「ヤング・オールド(若々しい高齢者)作戦」の推進~
④地域生活支援体制の整備~「支えあうあたたかな地域づくり」~
⑤利用者保護と信頼できる介護サービスの育成~「安心して選べるサービスづくり」~
⑥高齢者の保健福祉を支える社会的基礎の確立~「保健福祉を支える基礎づくり」~

認知症高齢者支援対策が柱の一つに掲げられています。

最終年度の平成16年度における介護サービス提供の見込量(一定の前提条件の下で試算した参考値を含む)は、下記のようになっています。カッコ内は平成11年度の新ゴールドプランの目標値です。

・訪問介護 225百万時間(-)
・ホームヘルプサービス 35万人(17万人)
・訪問看護 44百万時間(-)
・訪問看護ステーション 9900か所(5000か所)
・通所介護(デイサービス)/通所リハビリテーション(デイ・ケア) 2.6万か所(1.7万か所)
・短期入所生活介護/短期入所療養介護 9.6万人分(6万人分)
・介護老人福祉施設(特別養護老人ホーム) 36万人分(29万人分)
・介護老人保健施設 29.7万人分(28万人分)
・痴呆対応型共同生活介護(痴呆性老人グループホーム) 3200か所(-)
・介護利用型軽費老人ホーム(ケアハウス) 10.5万人分(10万人分)
・高齢者生活福祉センター 1800か所(400か所)

「ゴールドプラン21」の段階になって、ねえちゃがいま暮らしているグループホームも本格的に普及していくことになったわけです。


2019年03月09日

新ゴールドプラン

1989年に発表されたゴールドプラン(高齢者保健福祉推進10か年戦略)は、きのう見たように、1990年から1999年までの10年間に6兆円以上を投じて、特別養護老人ホームの整備や、ホームヘルパー・デイサービス・ショートステイによる在宅福祉対策などを進めるものでした。

しかし、高齢化が当初の予想をはるかに超えて急速に進んでいたことが判明したため、1994年に全面的に改定された新ゴールドプラン(高齢者保健福祉5か年計画)が策定されることになりました。

改訂では、1995年度から1999年度までの総事業費を、現行のゴールドプランに係る部分を含めて「9兆円を上回る規模」へと3兆円引き上げたうえで、当面の整備目標として次のような見直しをしました(カッコ内は現行)。

①在宅サービス
・ホームヘルパー 17万人(10万人)
・ホームヘルパーステーション 1万か所(-)
・ショートステイ 6万人分(5万床)
・デイサーピス/デイケア l.7万か所(1万か所)
・在宅介護支援センター 1万か所(l万か所)  
・老人訪問看護ステーション 5000か所(-)

②施設サーピス
・特別養護老人ホーム 29万人分(24万床)
・老人保健施設 28万人分(28万床)  
・高齢者生活福祉センター 400か所(400か所)
・ケアハウス 10万人分(10万人)

③マンパワーの養成確保
・寮母・介護職員 20万人(-)   
・看護職員等 10万人(-)
・OT・PT 1.5万人(-)

政府の見通しの甘さも無かったとはいえないでしょうけれど、高齢化の影響がいかに大きなものであったかをうかがうことができます。


2019年03月08日

ゴールドプラン

1980年代、在宅介護の充実にとって大きな節目となったのが、日本に消費税が導入された1989(平成元)年に策定された「高齢者保健福祉推進十カ年戦略(ゴールドプラン)」でした。

同計画で、数値目標をもって、在宅福祉事業が積極的に進められるとともに、計画を円滑に推進するため、1990(平成2)年に老人福祉法等が改正され、全市町村及び都道府県が「老人保健福祉計画」を策定することが義務づけられることになりました。

ゴールドプランとは「高齢者保健福祉推進十か年戦略」の別称。1990年から1999年までの10年間をかけて長期的に高齢者介護の基盤整備を進めようと、大蔵(現在の財務省)・厚生(厚生労働省)・自治(総務省)の3大臣の合意により発表されました。

ゴールドプランの特徴は、全国規模で介護基盤の整備を進める方針を、数値的に明確化したことがあげられます。

在宅福祉対策では、①ホームヘルパー10万人、②ショートステイ5万床、③デイサービスセンター1万か所、④在宅介護支援センター1万か所、

施設福祉対策では、①特別養護老人ホーム24万床、②老人保健施設28万床、③ケアハウス10万人、④過疎高齢者生活福祉センター400か所、

といった数値目標が示されました。また「ねたきり老人ゼロ」に向けて、地域において機能訓練を受けやすくする体制の整備、健康教育などの充実、介護を支える保健婦や看護婦の計画的配置が掲げられました。

ゴールドプランの大項目をあげると、次のようになっていました。

①市町村における在宅福祉対策の緊急整備~在宅福祉推進十か年事業~

②「ねたきり老人ゼロ作戦」の展開

③在宅福祉等充実のための「長寿社会福祉基金」の設置

④施設の緊急整備~施設対策推進十か年事業~

⑤高齢者の生きがい対策の推進

⑥長寿科学研究推進十か年事業

⑦高齢者のための総合的な福祉施設の整備


2019年03月07日

老人性痴呆疾患センター

きのう見た痴呆性老人専門治療病棟が発足した1989(平成元)年には、「老人性痴呆疾患センター」も開設されています。

同センターは、認知症専門医療の提供と介護サービス事業者との連携を担う中核機関として、都道府県や指定都市から指定を受けた医療機関です。

これには平成元年度から平成18年度まで予算が計上されましたが、地域の関係機関との連携などで十分に機能を果たしていないことが課題となって見直され、現在は、認知症疾患医療センターとして引き継がれています。

認知症疾患医療センターは、厚生労働省が2008(平成20)年から創設を進め、都道府県を範囲とする大学や総合病院の「基幹型」、精神科だけの病院も含む二次医療圏ごとの「地域型」、2012年に公表された認知症施策推進5か年計画(オレンジプラン)では、さらに「診療所型」の認知症医療支援診療所も認定されることになっています。

基幹型や地域型には、専門医や専門看護師のほか、精神保健福祉士、臨床心理技術者などをそろえ、画像診断、神経心理学的な検査などから認知症を総合的に診断・治療するとともに、地域のかかりつけ医や病院と連携を図っていきます。

患者や家族からの相談や住民への啓発、専門職の研修、介護機関との連携なども担っています。また、基幹型は救急にも対応します。

2013年10月時点で、基幹型は11か所、地域型は226か所。厚生労働省は、診療所型をあわせて500か所を目ざしています。


2019年03月06日

痴呆性老人専門治療病棟

これまで見てきたように、痴呆性老人対策推進本部が1986年にでき、翌年には同本部の「報告」が出たことで、ともかくも前へと進んでいくことになりました。

1989年にはまず、「痴呆性老人専門治療病棟」を発足しています。精神症状や問題行動があるものの、寝たきりでない痴呆性老人で、自宅や他の施設で療養が困難な人を対象に、短期集中的に精神科的治療とケアを提供する施設です。

介護療養型医療施設の一種として位置づけられ、特別養護老人ホームと比べ、医学的な管理が必要な人を対象としてきました。

1室あたりの定員は4人以下で、入院患者1人当たりの面積は6.4平方メートル以上。ユニット型の場合、病室を共同生活室に近接して一体的に設置し、1ユニットの定員はおおむね10人以下となっています。

さらに、昼間は1ユニットごとに常時1人以上、夜間や深夜は2ユニットごとに1人以上の介護職員か看護職員を配置、ユニットごとに常勤のユニットリーダーを配置するなどの基準も加わりました。

しかし、痴呆性老人専門治療病棟を含めた介護療養型医療施設は、医療をほとんど必要としない入所者が多くなってきていることなどから、昨年4月に創設された介護医療院などが代替することとなり、2024年3月末日で廃止される予定になっています。


2019年03月05日

専門病棟

昭和62(1987)年8月に出された痴呆性老人対策推進本部の報告で、施設対策として最も緊急を要するとしているのが、「精神症状や問題行動の著しい痴呆性老人の受入施設の問題」です。

当時の状況では、痴呆性老人を抱える家族が多大の精神的、身体的負担を余儀なくされている一方で、既存の体系の枠内では、必ずしも施設が十分な医療や介護を行い得ていない、と断定しています。

そして、特に精神症状や問題行動の著しい痴呆性老人に対しては、「魔の3ロック」といわれるような行動制限や薬物多用といった治療方法よりも「生活機能の回復等に重点を置いて、精神科的な専門医療と十分な介護を行うことが適当」として、そうした医療、介護を可能とする痴呆性老人専門の病棟を、老人人口や医療の供給体制など各都道府県の特性に応じて整備すべきであると強調します。

そして、この病棟にはデイ・ケアを行うための施設を併設し、介護家族の支援や退院の円滑化に役立てる、としたうえで、専門治療病棟の整備や普及を図るために、適切な病院を選んでパイロット事業を実施するとともに、回廊式廊下やリハビリテーション機器などの特殊な施設設備の整備と適切な人員確保に努めることなどを提言しています。


2019年03月04日

「一元的」な体制

グループホームにいるねえちゃは毎晩、電話をくれますが、一昨日「どこにいるのか、何が何だかわからなくて」と落ち込んでいたかと思うと、昨晩、今夜は、そんなのどこ吹く風で、すっかり明るい声で元気です。感情の起伏が大きくなってきているな、と思います。

このブログでいまみている、日本の認知症対策のスタート地点となった痴呆性老人対策推進本部の報告(1987年)でも、「痴呆性老人」の感情面についてふれています。

すなわち、「痴呆の進行に伴い知能が低下しても、感情機能は保たれていることが多いから、恐怖感、焦操感、孤独感といった“心の痛み”を感じやすく、しかられたり、とがめられたりした場合など極度の緊張を強いられると、精神症状や問題行動を生ずることにもなる。

したがって、人間としての尊厳を保つよう、かつての生活歴や性格を踏まえながら、痴呆であるという現実を受け入れ、そのペースに合わせた受容的態度で接するなど、その介護者には他の要介護老人の場合にはみられない特別な配慮が求められる」というのです。

認知症高齢者の抱える“心の痛み”のありようについて、この時点ではまだまだ具体的に、十分、把握できていたとは思われませんが、それまでの通常の要介護老人の場合とは異なる「特別な配慮」を求めている点は評価していいでしょう。

そして「報告」では、このような「特別な配慮」が必要にもかかわらず、「介護家族は、痴呆性老人そのものや介護方法についての情報、知識が乏しいことから、戸惑い、焦り、誤解などのために対応を誤り、症状を悪化させるなど自が困難な状況を作り出している」として、国に対して「率先して、介護家族に対し老人の痴呆そのものや介護の在り方、方法等についての啓発普及に努める」ことを求めています。

さらに認知症患者の医療的処遇については、「精神科ないし一般的医療や介護を始め様々な方面からの対応が求められるが、現在のところ各般の施策は、精神保健、老人保健、老人福祉等別々の体系によって講じられており、相互の連携も必ずしも図られていない」として、国に「一元的、総合的な取組を可能とする組織体制と連携の在り方」を検討すべき、としています。

当時に比べれば、認知症に対する認識や「一元的」な体制は格段に進んできているは確かでしょうが、ここでの提言には、いまも耳を傾けなけれればならない論点が少なからず含まれているようにも思われます。


2019年03月03日

精神病院と違う医療施設

1987(昭和62)年8月に痴呆性老人対策推進本部が出した報告では、施設における介護についても提起しています。

報告では、痴呆性老人は、寝たきり老人に比べても医療面のニーズが高く、介護がより複雑で量的負担も大きいため、家庭で介護しきれない場合の受入施設が必要としています。

そのうえでまずは、既存の施設体系の中で受入れを促進していくこととして、前提となるマンパワー等を確保していく必要があるといいます。

精神症状や問題行動が著しい痴呆性老人には、専門的な精神科医療が必要になりますが、報告では「現在の精神病院の施設・設備や人員配置の基準では、十分な処遇を行うことは困難である」と指摘。

治療効果の上からも、「治療目的も方法も異なる一般の精神病患者とは区分して処遇することが適当である」といっています。

この段階でようやく、鉄格子の独房に閉じ込められたり、手足を縛りつけられたり、といったことがまかり通っていた精神病院とは異なる待遇の医療施設が求められるようになったわけです。

さらに、そのためには「痴呆性老人を受け入れ、短期間で集中的に専門的医療と手厚い介護を行う専門の病棟を整備していく必要がある」として、専門病棟の整備も掲げています。

同時にまた、退院・退所したあとの在宅介護を支援するサービス機能の充実も重要だといいます。


2019年03月02日

ウッソー!

ねえちゃがグループホームへ入って、もうすぐ1年になります。

何もかもが頭に残らないようになって来てはいますが、寝る前に毎日必ず私のところへ電話をかけることだけは、依然としてなぜか忘れません。

話すことといえば、たいていは「おばあさん、どこに居るんだろう? ここに居ていいの?」。きのうもそうでしたが、10分くらいしてまた電話が掛かってきて同じことを繰り返し聞く、ということもしばしばです。

「そこが、いまのおばあさんのウチ。そこで暮らすようになってもうすぐ1年になるんだよ」と答えると、いつも「ウソッー。そんなに長く居るの!」と、ぜったい信じられないというように大声を出して驚いて「おばあさん、そんなにバカんなっちゃったんだね」としばし落ち込みます。

季節や時間の経過など、時間感覚が失われていく見当識障害が進んでいるせいでしょうか。

それでも、「バカんなったから嫌なこともみんな忘れちゃっていいじゃない。のんびり“バカ生活”を楽しみなよ」などというと、落ち着いてきます。

グループホームの担当の人もいいますが、特別に興奮することもなく、最後は「ここがウチだと思っていればいいんだね」と、穏やかな対応にもどる。それが、救いです。


harutoshura at 18:39|PermalinkComments(0)ねえちゃの近況 

2019年03月01日

体系的な研究

以前見たように、アルツハイマー病はそもそも、ドイツの精神科医アロイス・アルツハイマーが診断した患者アウグステ・データーに関する症例を、1906年に学会発表したことに始まります。

「アルツハイマー病」とされたこの病気をどういうワク組みでとらえるか。その後、ヨーロッパではさまざまな議論をよんでいくことになりました。

その学会発表から80年後、痴呆性老人対策推進本部が設置された日本でも、ようやく、この病気についての調査研究の重要性が叫ばれるようになりました。

いま読んでいる同本部の報告書では、アルツハイマー型痴呆について「その原因・発生メカニズムが不明であり、なによりもその究明が急がれている段階にあるが、欧米諸国においては、老化研究の最重要テーマとして重点的に研究されているのに比べ、我が国は研究が立ち後れている現状にある」と位置づけて、遅ればせながら早急に研究体制を整備し、研究を進める必要性を強調しています。

こうして、原因不明で、日本でも多くの人に老後の不安をもたらすようになってきたアルツハイマー型痴呆に関する研究を始めるとともに、相互の連絡調整をとりながら体系的で集中的な研究を進めていくことを同報告では提起しています。

ここで「体系的」というのは、具体的には次の三つをいっています。

①アルツハイマー型痴呆の原因の突明、治療方法等に関する研究
②脳血管性痴呆の発生予防、治療方法等に関する研究
③痴呆性老人の簡便で正確な診断、スクリーニング方法の開発並びに看護、介護等社会医学、保健福祉に関する研究

こうして、アルツハイマーを始めとする、いまでいう認知症に関する本格的な日本でもスタートしたのです。


2019年02月28日

27年間で8倍

1987年に出された痴呆性老人対策推進本部報告では、痴呆性老人の出現率や将来推計もはじき出しています。

それは1986年8月までに、40の都道府県と6政令市における在宅の痴呆性老人について行なわれた実態調査のうち、精神科医が携わり、方法も類似している12都道府県市の調査結果に基づいたものです。

年齢階層別にみた在宅の痴呆性老人出現率の推計では、

65-69歳  1.2%
70~74歳  2.7%
75~79歳  4.9%
80~84歳 11.7%
85歳以上 19.9%

と、高齢になるにしたがって出現率が高まることがはっきりしました。そして、これをもとに1985年の65才以上の老人人口全体に対する在宅の痴呆性老人の出現率を求めると4.8%になっていました。

さらに、この年齢階層別の出現率をもとに、日本の人口の将来推計を用いて在宅における痴呆性老人数の将来推計を行うと、次のようになったといいます。

1985(昭和60)年 59万人
2000(平成12)年 112万人
2015(平成27)年 185万人

15年間でほぼ2倍、30年間では3倍以上と、急激に増加すると予想していたことになります。しかし現実は、当時の推計をはるかに上回る「急激さ」で進みことになりました。

厚生労働省の2015年1月の発表によると、実際の日本の認知症患者数は、2012年時点で462万人、65歳以上の高齢者の7人に1人と推計されています。

1985年から2012年までの27年間になんと8倍近くに跳ね上がり、2012年時点ですでに2015年の推測値の2.5倍にのぼっていたことがわかります。


2019年02月27日

欧米とは対照的

1986(昭和61)年8月に設置された痴呆性老人対策推進本部が、その1年後に出した報告には「痴呆」について次のように記されています。

まず、痴呆は老化に伴う通常の知能の低下とは異なるものとして、「脳の後天的な障害により一旦獲得された知能が持続的かつ比較的短期間のうちに低下し、日常生活に支障をきたすようになること」と定義しています。

痴呆の分類については、脳梗塞・脳出血などの脳卒中による脳血管性痴呆と、原因不明の脳の変性疾患によるアルツハイマー型痴呆とが代表的であるとし、「我が国においては前者が後者よりも多く、欧米諸国とは対照的である」となっています。

現在では、日本も欧米と同じように「アルツハイマー型」が最も多く過半数を占める状況のようなので、時代の変遷が感じられます。

また当時は、もともとアルツハイマーが初老期の患者の病気としたことを受けて、「初老期に好発するアルツハイマー病」と「老年期に好発するアルツハイマー型老年痴呆」とにはっきり区別しています。

また、痴呆をきたすものとしては他に、脳の外傷や腫瘍、感染、中毒、代謝障害などがあるが、これらの中には根本的な治療が可能なものもあるため、早期に適切な鑑別を行うことが大切だと注意をしています。


2019年02月26日

痴呆性老人対策推進本部

ショートステイやデイサービスが始まり、民間の「家族の会」も誕生するなか、厚生省(現・厚生労働省)もようやく、1986(昭和61)年8月、総合的な痴呆性老人対策の確立を図ろうと「痴呆性老人対策推進本部」を立ち上げています。

本部設置に伴って同省では、専門的事項を検討するため有識者で構成する痴呆性老人対策専門委員会を設け、検討しました。その報告書をもとに、30年余り前のこの時期、痴呆性老人対策がどのようにとらえられていたのか、ここで整理しておきたいと思います。

当時すでに日本は、世界で最も平均寿命の長い国の一つとなり、「かつて経験したことのない高齢社会」に向けて、“豊かで健やかな長寿社会”を実現することが課題と考えられていました。

そんな中、痴呆性老人については「特有の精神症状や問題行動があるため、他の要介護老人とは質量ともに異なった介護が必要」であるとされ、介護する特に家族に多大の負担が伴うのが実情だと受けとめています。

一方で、痴呆という病についてはというと、その発生原因や発生メカニズムに未解明な部分が多いために対症療法的な対策が採られているだけで、①いかに痴呆の発生をおさえるか②どのような治療・介護を行うべきか③介護家族の負担をどう軽減するか④痴呆性老人を受け入れる施設としてどのようなものが必要か⑤医療・介護に当たる専門職はどうあるべきか、といった点について早急に検討する必要があるとしています。


2019年02月25日

「家族の会」発足

『恍惚の人』の茂造のケースもそうだったように、家族が介護疲れにおちいって一時的に介護ができなくなったりしたとき、短期的に施設に入るショートステイ(短期入所生活介護)が、1978年に始まりました。

さらに、翌1979年には、グループホームへ入る前、ねえちゃもお世話になっていたデイサービス(通所介護)がスタートします。

介護施設に日帰りで通うことで、軽い運動や遊戯でストレスの解消をしたり、在宅介護が必要で孤立しがちな人の社交の場を提供したりして、介護する家族の負担を軽減するものです。

1980年には、介護をする家族サイドの団体も生まれました。京都で生れた任意団体「呆け老人をかかえる家族の会」です。

同会は、1994年には「社団法人呆け老人をかかえる家族の会」、2006年に現在の「認知症の人と家族の会」と改称し、2010年に公益社団法人化されました。いまでは都道府県ごとに支部を持ち、会員数は1万人を超えているといいます。

一方で1982年には、老人福祉法には位置づけられていない高齢者の保健・医療サービスの体系化を図ろうと、老人保健法が制定されています。


2019年02月24日

恍惚の人

1972年、有吉佐和子の長編小説『恍惚の人』が、新潮社から「純文学書き下ろし特別作品」として出版され、この年の年間売り上げ1位、194万部の大ベストセラーとなりました。

翌1973年には森繁久彌主演で映画化され、その後もたびたび舞台化されたり、テレビドラマになったりしています。

恍惚の人

80歳代の茂造は、物忘れがひどくなり、妻が亡くなっても放ったらかしにしてしまいます。嫁が対応に苦しみながらも懸命に介護にあたりますが、やがて便器を壊して抱え込んでいたり、便を畳に塗りたくったりと尋常でない行動も見られるようになっていきます。

小説の中で病名が明示されているわけではありませんが、茂造がアルツハイマー病だったと考えてもそう大きな矛盾はないようです。

『恍惚の人』は当時、いろんな面で、社会的に大きな影響を与えました。認知症の人たちのさまざまな行動を目にすると「恍惚の人」と揶揄されるケースも少なくなかったように思われます。

出版翌年の1973年には、東京都が、在宅認知症高齢者の初の実態調査となる「在宅痴呆性老人に関する精神医学的実態調査」を行い、認知症の症状や行動が問題視され、在宅介護が限界にきていると報告されています。

こうした調査はその後、全国各地に広まり、ショートステイやデイサービスなど、認知症高齢者の支援対策にも結び付いていくことになります。


2019年02月23日

魔の3ロック

1988年に出版された大熊一夫の『ルポ老人病棟』によれば、認知症の母親を老人病院入院後13日目で亡くした家族の手記には、次のような話があったといいます。

ある日、母の手首や足首が赤紫のアザになり、ベッドの四隅に白いもめんの帯ひもがむすんであったので、近くのおばあさんに聞いてみると――

「このおばあさんは夜中にトイレに行くと帰りがわからなくなって、よその人のベッドに寝ていて怒られて、それからオシメになったんだ。夜は歩けないように縛られてる」と言ったというのです。

いまのねえちゃのグループホームでは到底考えられないことですが、「魔の3ロック」という言葉があるのだそうです。

①薬の過剰投与や不適切な用い方によって行動を抑えつける「ドラッグ・ロック」②からだを拘束する「フィジカル・ロック」③強い言葉で行動を制限したり拘束したりする「スピーチ・ロック」です。

何も言えず、動けず。ひとむかし前の、ケアなきケアの時代にあっては、これらがあたりまえだったのです。

いまでも「魔の3ロック」が一掃されたとはいえません。けれど、少なくとも発覚すればメディアで問題視され、犯罪が疑われる時代にはなっています。


2019年02月22日

『海辺の光景』

1959年『群像』(11月・12月号)に掲載され、同年講談社から本になった安岡章太郎の代表作『海辺の光景』(かいへんのこうけい)の主人公は、狂気して入院している母の末期が近いと父から報せを受けて高知県へ赴きます。

そして主人公の息子は、いまでいえばアルツハイマー病ではないかと思われる母親の死を看取るため、何日間か土佐の桂浜に面した精神病院で過ごすことになります。

小説には、母親は単なる気狂いのように扱われてロクな治療も施されず、鉄格子のある劣悪な環境で手荒な介護を受けているのにもかかわらず、息子はそれに何ら疑いを持たず、受け入れている様子が描かれています。

当時としては、それが当たり前の扱いだったのでしょう。実際、安岡の母親は、病の初期段階は家にいたものの異常行動が目立ってきて面倒をみられなくなり、精神病院のなかに隔離されることになったようです。

母の死の直後、安岡が病院の庭に立って海辺の光景を眺めていると、凪いで波もない水面には、無数の棒杭が立っていて、それが死んだ母親への鎮魂のしるしのように受け取られたといいます。


2019年02月21日

老人福祉法

高齢者福祉に関する日本の施策は、1963(昭和38)年7月11日に公布された「老人福祉法」によってはじまることになります。

高齢者の人口が増加してきたのに対応して老人の福祉の原理を明らかにした法律で、「老人は、多年にわたり、社会の進展に寄与してきたものとして、かつ、豊富な知識と経験を有する者として敬愛されるとともに、生きがいをもてる健全で安らかな生活を保障されるもの」とする基本的理念が掲げられています。

さらに、老人については、心身の健康を保持しつつ、社会的活動に参加する機会を与えられ、老人みずから参加するように努めるものとされました。

この基本的理念に基づいて、ホームヘルパー増員、デイサービス事業、ショート・ステイ増床などの在宅福祉対策があげられ、「養護老人ホーム」「特別養護老人ホーム」「軽費老人ホーム(ケアハウス)」といった高齢者施設の体系化も行われました。

しかし、当時は、認知症の人の実態については、行政サイドも、研究レベルでも、ほとんど把握されていませんでした。

認知症の人が行く先は、精神病院、老人病院や特別養護老人ホームなど。認知症という病気に対する認識が一般にないばかりか、医療現場でさえ鑑別診断が十分なされず、ケアの根拠や方法も皆無に近い状態だったのです。


2019年02月20日

癲狂院

アルツハイマー病の薬の状況については、これからも逐次、調べていきたいと思いますが、ここでしばらく、アルツハイマーを含めた日本の認知症ケアの歴史についてざっと振り返っておきます。

高齢者や精神障害者への福祉は、明治初年まで制度的なものはありませんでした。

精神病の治療は仏の呪力を願う儀式的なものに頼り、精神を患うと座敷牢や神社・寺院に収容されることもあったようです。

むかしは、認知症も、精神病患者もいっしょくたされていたのです。

明治8(1875)年、日本初の公立精神病院として京都癲狂院(てんきょういん)が設立されました。「癲狂」とは、気がくるうこと、ものぐるい、狂気、といった意味です。

京都府が、岩倉大雲寺における加持祈禱に頼る精神障害者の治療法の改善手段として計画したのです。

南禅寺方丈内に仮癲狂院を設けて、岩倉大雲寺などの患者を収容しました。しかし経営難のため、開院から7年後の1882年10月には廃院になっています。

京都につづいて東京でも設立されましたが、当時のこうした施設では、病人を殴る、蹴る、縛る、食事を与えないといった非人間的な行為も少なくなかったといいます。


2019年02月19日

アミロイド免疫療法

きのう見たようなセレクターゼ阻害剤のほかに、免疫細胞の働きによって、アルツハイマー病の原因とみられる脳内に溜まったβアミロイドを排除する治療も考えられます。アミロイド免疫療法です。

免疫細胞は抗原(免疫細胞が攻撃の目印にする物質)がはっきり提示されていれば、それだけ容易に攻撃態勢へと入ることができます。

2000年に、老人斑を形成するアルツハイマー病モデルマウスに合成アミロイドを抗原として接種すると、老人斑形成が予防され、認知機能障害も改善することが報告されました。

開発された「合成βアミロイド42」は、英国で臨床試験が始まりましたが、臨床試験の中で、脳脊髄膜炎が有害事象として現れたため治験は中止となりました。

セレクターゼ阻害剤もアミロイド免疫療法も、脳内のアミロイドが除去されることはほぼ確認されていますが、それを臨床症状の改善に役立てることができるかどうかについてはまだ微妙な段階にあるようです。

今後の研究の進展が待たれます。


2019年02月18日

γセクレターゼ阻害剤

脳に蓄積されてアルツハイマー病の原因になると考えられている「βアミロイド」を詳しく見ると、「アミロイド前駆体たんぱく質」(APP)という物質から切り出されてできるペプチド(アミノ酸が二つ以上結合したもの)であることが分かっています。

この「切り出し」の最終段階では、「γセクレターゼ」という酵素が働いてます。γセクレターゼによって、このたんぱく質が切断されて細胞外に放たれ、脳内にβアミロイドが蓄積されていくのです。

γセクレターゼによって切断されたβアミロイドは、とりわけ凝集能が高いので、もしも「γセクレターゼによる切断」を抑え込む薬ができれば、きのう見たアルツハイマー病をやっつける「セレクターゼ阻害剤」として極めて有力と考えられます。

実際、「γセクレターゼ」の阻害剤が、髄液、脳皮質、海馬などで、βアミロイドを減少させることが動物実験で確認されています。

とすれば、アルツハイマー病の根治薬としてすぐにでも使えるようになるのかな、とも思えますが、そうは簡単にはいきません。

「γセクレターゼ」というのは、βアミロイドだけでなく、生物の発生や分化に関わる「Notch」という生理的に重要なたんぱく質の切り出しも行っているからです。

そのため、「γセクレターゼ阻害剤」はそのままでは、消化器障害や皮疹、倦怠感、さらには、がんなどの副作用を起こしてしまうリスクを負ってしまいます。

こうした「Notch」への影響を少なくして、「γセクレターゼ」の働きを選択的に抑え込むことができないか。そのための「γセクレターゼ」の機構解明や薬の開発研究が、現在も、しのぎを削ってつづけられています。


2019年02月17日

アミロイドカスケード仮説

ねえちゃが飲んでいるアリセプトやメマリーを含め、現在使われている4つの薬は、これまでにも見たように、進行を遅らせることはあっても、アルツハイマー病を食い止めることはできません。

アルツハイマー病は、βアミロイドと呼ばれるペプチド(アミノ酸が二つ以上結合したもの)が、脳の中に蓄積されることによって起こるという説が、現在、有力とされています。「アミロイドカスケード仮説」と呼ばれる考え方です。

βアミロイドの沈着が、最初期に病変として捉えられること。βアミロイドが凝集すると、直接、神経細胞毒性が現れうること。さらに、家族性アルツハイマー病患者の遺伝学的解析などが、この仮説の論拠となっています。

そして、この仮説に基づいてアルツハイマー病の根本治療薬を開発しようと、世界中の研究者たちががしのぎを削ってきています。

その主なものとして、βアミロイドが作られるの阻止するセレクターゼ阻害剤や、脳内に沈着したアミロイドの除去を試みる免疫療法があります。


2019年02月16日

忘れない電話

ねえちゃの連れ合いが亡くなってからグループホームへ入るまでの7年間は、ねえちゃの家に行ってないときは、私からねえちゃに毎晩、電話を掛けてきました。

が、グループホームへ入ってからは、ねえちゃが携帯から毎晩必ず電話をくれています。

今晩もそうでしたが、掛けたことを忘れて5分後、さらに1時間後にも、なんてことはことはしょっちゅうですが、掛けるのを忘れるということはまずありません。

あれだけすぐに何もかも忘れてしまうのに、どうして電話を掛けることだけは忘れないのか。いまだもってナゾです。

電話で、「元気でやってる?」と聞くと「カラダは元気だけど、バカで何がなんだか分んなくなっちゃって……」といつものように言いはじめます。

「バカんなっちゃったから、そこへ入れてくれたんだ。おばあさんがバカんなっちゃってることは、みんな知ってるから大丈夫だよ」というと、何となくホッとするようで、「おやすみ~」となります。

夕食を終えて自分の部屋に戻ってくと、暗がりのだれも知らない道を、行き先も、来たところも、分からず、一人っきりでふらふら歩いているような孤独感に包まれるのかもしれません。

そんなとき「おばあさんがふらふら歩いてるの、みんな分ってるから」というだけで、ふっと、不安から解き放たれる瞬間を得ることができるのではないか、というようにも感じます。


harutoshura at 23:01|PermalinkComments(0)ねえちゃの近況 

2019年02月15日

警報レベル割る

厚生労働省がきょう、最新1週間(4~10日)のインフルエンザの患者数について、発表しました。

それによると、全国約5000カ所の定点医療機関から報告された患者数は、1カ所あたり26.28人(前週43.24人)と、警報レベル(30人)を下回ったそうです。

全都道府県で前週よりも減り、長野県も27.79人と警報レベルを割りました。

ウイルスのタイプ別では、直近の5週間では、いわゆる香港型のAH3亜型が57%、2009年に流行したAH1pdm09が42%、B型が1%の順だったそうです。

夜、ねえちゃから、いつものように部屋に戻ってきて寝る前に電話がありました。

「元気でやってる?」と聞くと、いつものように「アタマ以外は元気」。

インフルエンザについても流行っていることは何となく認識しているようですが、グループホームで特に変わったことはなさそうです。


harutoshura at 22:17|PermalinkComments(0)ねえちゃの近況 

2019年02月14日

峰さんのお姉さんと……

グループホームから、ねえちゃの1月の生活記録が届きました。

新しい職員さんに「私は峰竜太さんと同じ下條村の出身で、峰さんのお姉さんと知り合いでした」と饒舌に話したり。

新年祝賀会では、獅子舞に噛まれたり、落語を聞いたり、水戸黄門の寸劇では、悪役にステージまで連れて行かれて、お酌を強要されて、けっこう、その気になって楽しくやったり。

ホームでの生活をエンジョイしているようです。

簡易知能評価スケールで、知っている野菜を言う設問は、満点。「農家の娘だったからあたりまえよ」と嬉しそうだったとか。

やはり、頭の中に記憶として残っていくことは非常に少なくなって来ていますが、一瞬一瞬を楽しめている蓄積は、かけがえのないものに違いないと思います。


harutoshura at 06:45|PermalinkComments(0)ねえちゃの近況 

2019年02月13日

アルミニウム

アルミニウムの摂取がアルツハイマー病の原因のひとつであるという説があります。

第2次世界大戦後、グアム島を統治した米軍が、老人の認知症の率が異常に高いことに気づき、調べたところ地下水に非常に多いアルミニウムイオンが検出されたそうです。

1989年には、飲料水中のアルミニウム濃度とアルツハイマー病の発病率に相関関係があるという大規模な疫学調査の結果が「ランセット」の巻頭をかざり、注目されました。

アルツハイマー病患者には、アルミニウムが含まれるベーキングパウダーを使って調理したパンケーキ、ワッフル、ビスケットなどの食品の摂取が多かった、という症例対照研究もあるそうです。

一方、アルミニウムを多くとり入れた薬とアルツハイマーのリスクは無関係だったという追跡調査など、関係を否定する研究も出ています。

アルミニウムとアルツハイマー病の関係については、いまだ決着は着いていないというのが実情のようですが、アルミニウムに神経毒性があることは多くの専門家の認めるところ。蓄積しすぎれば、脳に障害を与える可能性を高めることは確かです。

そのため、アルミニウムを封鎖してしまうキレート剤を使う試みも実施され、一定の成果をおさめているそうです。


2019年02月12日

ビタミンE

脳の老化にかかわる神経毒性をもつ重要な物質として、活性酸素などのフリー・ラジカルが知られています。有機化合物から元素が一つ引き抜かれた形の化合物で、対になっていない電子をもつため反応性に富んでいます。

神経細胞死を引き越している証拠も、いろいろあがっています。このフリー・ラジカル
を消去する“掃除屋”としてよく知られているものに「ビタミンE」があります。

アーモンド

ビタミンEは、アーモンドなどのナッツ類、胚芽油、ウナギなど魚介類、大豆、緑黄色野菜などに多く含まれ、生体膜の機能を正常に保ったり、赤血球の溶血を防いだりすることに関与しています。

かなり重いアルツハイマー病患者に、こうしたビタミンEを通常の1日必要量(12~15ミリグラム)より多く飲ませて、プラセーボ(偽薬)を飲んだ人たちと比べた調査で、状況が防げたといいます。

また、ユタ州の65歳以上の住民4740人を対象とした調査で、ビタミンEとビタミンCをいっしょに取りつづけることで、アルツハイマー型認知症になりにくくなるという疫学調査の結果も出ています。

ただしビタミンEは、脂溶性のため体外へ排出されにくく、発疹、下痢、便秘、脱力感などの副作用を起こすこともあるので注意が必要だそうです。


2019年02月11日

ハンセン病の薬

近年、日本では患者が非常に少なくなりましたが、以前、国の隔離政策で断種や堕胎を強いられるなど人権侵害も起こった、ハンセン病という感染症があります。

結核菌と同じように抗酸菌の仲間に含まれるらい菌という細菌が、皮膚や末梢神経を侵し、進行すると顔面や手足の変形や欠損といった後遺症を残すことがあります。

不思議なことに以前から、このハンセン病の患者にはアルツハイマー病が少なく、その原因がその薬にあるのではないかといわれてきました。

リファ

最近、実際にハンセン病や結核の治療に50年近く使われている「リファンピシン」という抗生物質にアルツハイマー病を予防する効果があることが、大阪市立大学などのグループによる実験で確かめられています。

平成28年3月、英国の神経学雑誌「Brain」に掲載された研究です。アルツハイマー病では、「アミロイドβ」と「タウ」というタンパク質が脳に蓄積されて神経細胞を傷つけることが知られています。

研究者たちは、アルツハイマー病などの症状にさせたモデルマウスにリファンピシンを1カ月間投与しました。

すると、抗生物質を飲んだマウスは、飲まなかったマウスと比べて、タンパク質の蓄積が減って記憶障害が改善されることが分かったのです。

さらに、プールでマウスを泳がせ、足場にたどり着く作業をさせて記憶力をはかる実験では、健康なマウスとほぼ同程度の記憶力を持つまで回復が見られ、一方で投与しなかったマウスは逆に症状が悪化したそうです。

すでに使われている薬の中にも、アルツハイマー病の有力な予防薬につながる可能性を秘めたものもあるわけです。


2019年02月10日

鉄剤

ねえちゃが飲んでいるアリセプト、メマリーなど、国内で承認されている四つの薬以外で、治療効果が報告されているものに、貧血の治療などによく用いられる「鉄剤」があげられます。

1992年、遺伝性のアルツハイマー病と確定していた患者に治療効果があったというレポートが、当時、兵庫県立尼崎病院(現尼崎総合医療センター)に所属していた今川正樹医師らによって、英国の権威ある医学雑誌「ランセット」に発表されたのです。

The_Lancet

治療には、よく使われる脳代謝改善薬(コエンザイムQ10とビタミンB6)に加えて、「クエン酸第1鉄」が用いられました。遺伝性のアルツハイマー病にかかった姉妹に、これら3種の薬を毎日2年間にわたって飲み続けてもらいました。

すると、妹のAさんはバイクに乗って買い物に行けるほどにまで回復し、お姉さんのほうも症状の悪化、進行がなくなったといいます。また、薬をやめた期間には症状が悪化し、また飲むと良くなったそうです。

Aさんはその後も、鉄剤などを飲みはじめてから約5年間、自発的に身の回りのことをしたり、姉の看病をしたりして、アルツハイマー病とはとても言えないほどにまで回復することができたといいます。