Aokijima

認知症と生きる「ねえちゃ」の近況と、アルツハイマー病に関する記録です

ふきのとう

きょうの朝、高齢の男の人が、ねえちゃの家を訪ねて来ました。「だれが来たの」と聞くと、「デーサービスでいっしょだった人」といいます。

持ってきてくれた袋には、いまごろ、いっせいに芽を吹き出すふきのとうが入っています。庭かどこかで、摘んだばかりのようです。

「何ていう人なの?」と聞いても、「知らない」といいます。「じゃあ、どこに住んでいるの?」

「う~ん、と、あっちのほう」「あっちって、どっち」「あの道、ちょっと行ったところの」。それとなく手を差し出しますが、なんだかよく分かりません。

センターへの送り迎えのときに、よくいっしょの車に乗る人で、乗り降りするところはだいたい見当がつくものの、どこの家からははっきりしないようです。

「お礼を言ったりしなきゃだから、名前とどこの人かくらい、今度行ったときにちゃんと確かめて来なけりゃだめだよ」

水曜日

きょうは、ねえちゃのデイサービスの日。お嫁さんに電話で起こしてもらって、いつものように出かけました。

最近、家ではお風呂に入りたがらなくなってきていますが、センターで「入浴拒否なく、スムーズに入れて」いるそうです。

いつもは、覚えているのはお風呂へ入ったことくらいですが、だいぶ慣れて来て、きょうは6人のグループでいろいろ話したり、歌をうたったりしたことも記憶に残っているそうです。

鰤の照焼き、うの花の炒め、花野菜のサラダ、ホットケーキなど、いろいろ食べたはずですが、そっちのほうはぜんぜん覚えていません。

でも、センターでやった加減乗除の計算問題は、満点でした。デイサービスは1週間の真ん中の水曜日。最近、ねえちゃの生活は「水曜日」を中心に回っていくようになってきました。

雪崩

栃木県の那須温泉ファミリースキー場付近で雪崩が発生し、高校生7人と顧問の教員1人の8人が亡くなりました。

県高体連が開いた春山安全登山講習会に参加していたそうです。「安全登山」のための講習が、大惨事になってしまったわけです。

那須町では27日未明に雪が降り始め、午前中には積雪が30センチを超えていたとか。雪が一気に降ったことによって、表層雪崩が発生した可能性が高そうです。

積雪のため予定していた登山を取りやめ、雪をかき分けながら歩くラッセルの練習に切り替えていたところで、雪崩に巻き込まれたそうです。

雪崩を予測するのは極めて困難です。とはいえ、危険を覚悟した登山の最中ならともかく、あくまで
も講習中のできごとです。

予定していた登山が出来ないほど天候が悪化していたのに、あえてラッセル練習をする必要があったのか。疑問です。

山暮らしが長かったねえちゃも眼に涙を浮かべて、めずらしくテレビのニュースを注視していました。
 

新聞代の引き落とし

きょうの午前中、ねえちゃと八十二銀行へ行って新聞代の振替の手続きをしてきました。

これで、公共料金をはじめ、宅食代、生協など、定期的に支払うお金はすべて、銀行からの引き落としにしました。

キャッシュで払うものといったら、区会費や美容院の料金などごく限られたものだけになります。

ふつうに暮らしていくうえで、お金のやり取りをする仕方を忘れると困るので、これまでいくつか現金取引の余地を残してきました。

でも、玄関へ来て請求されれば言われるままに何でも払ってしまい、どこへ、何の料金の、いつの分のお金を払ったのか、すぐに忘れてしまいます。

しかも、物忘れは急速な勢いで進んでいます。さすがに、このままではどうにもならないな、ということになりました。

原則として、すべてが銀行から引き落とされる。だから、誰かが来てお金を請求されても、言われるままに払うようなことはしないこと。

だからといって、財布にお金がまだあるからといい気になって無駄遣いしないように気をつけること。現金を使わないだけで、ねえちゃの銀行口座からは確実にお金が減っていくのだから。

どこまで頭に入ったかはわかりませんが、とにかく、そういうことでやっていくことになりました。
 

千秋楽

大相撲春場所の千秋楽、左肩の負傷をおして強行出場した稀勢の里が、本割、優勝決定戦と続けて照ノ富士を破り、奇跡的な逆転優勝を果たしました。

テレビ観戦の私を含めてみんなが感動して、大騒ぎになっているのに、ねえちゃはいっこうに興味を示してくれません。

「こんな大一番、めったにないからこっちへ来て観たら」と言っても、血圧を測って折れ線グラフを書くことに専念しています。

長野県の星、小結御嶽海も三役2場所目を9勝6敗の好成績で終えたというのに……。

認知症になったため、なのかなと考えて見ると、そういえば以前から、ねえちゃが何かを観て我を忘れて興奮しているような姿を目にした覚えがないことに気が付きます。

最近は、楽しみだったはずの風呂へも入りたがらないようになってきました。楽しみも、感動もない人生の寂しさが、気にかかります。
 

アンズジャム

ねえちゃの家の冷蔵庫は、最近、大きなのに買い替えたばかりです。

たくさん入るはずなのに、生協の食品などが届くと、いっぱいになって締まらなくなってしまいます。

なぜかと調べてみると、冷凍庫などに最近ではほとんど食べたり、調理しなくなったものが埋まっているからです。

その一つにアンズジャムがあります。10年以上前にたくさん作ったのが、冷蔵庫の奥に埋まっていました。

以前、朝はトーストにしていた時期にはよくパンに挟んで食べていたようですが、最近は、朝はパンにしようなどという意欲は完全に失せてしまっています。そんな古いのを誰かが食べる見込みはありません。

「食べないものばかり、安くはない電気料金をかけて保存しておいてもしょうがないじゃない」というわけで、思い切って冷蔵庫から取り出して捨てることになりました。

やっと、冷凍室にだいぶ余裕がでてきました。けれど、一瞬で記憶が飛んでしまうねえちゃのことですから、明日になればゴミ袋のなかから冷凍室の元のところに戻っているかもしれませんが……。

パソコンのパンツ

きょう行くからと連絡しておいたのですが、夕方、ねえちゃの家に着くと、玄関のカギは閉められ、灯りもついていません。

「また忘れられているな」と居間へ上がると、やっぱり私が訪ねることなどすっかり記憶からは失せ、一人で勝手に夕食をすましていました。

最近は、訪れるたびに、片付けられないままになっている市の広報や書簡、パンフレット、カタログなどごっちゃになった山が増えているように思います。

「これはもう済んだから捨てる」「これは大事だから取っておこう」といった、分別する能力がほとんど無くなってきているようです。

あれだけ整理が好きで、得意だったのに! と、いつものポヤきとも苛立ちともとれる感情が沸き上がってきます。

忘備や頭の整理のためにいつもテーブルの上に置いておいてメモするように言っている大学ノートも、どっかへやってしまって行方不明です。

パソコンの横に何か妙なものが置いてあるな、と思ったら、ねえちゃのパンツでした。ほこりを払うためにいつも置いている布とパンツが、頭の中でこんがらがってしまったのかもしれません。
 

表札

ねえちゃの家の表札には、いまだに、6年前に亡くなった夫の名前が掲げられています。

なぜなのか? 命日さえすっかり忘れている昨今にあっては、どうも、夫のことが忘れられないから、というわけではなさそうです。

「一人で暮らしているんだから、町内会の人や郵便屋さんが戸惑わないように、自分の姓名をドンと掲げればいいじゃない」というと、それには大いに抵抗があるようです。

なにごとにつけても、男を立てて妻は目立たず貞淑であるべき、というのが、ねえちゃの中に深く根を下ろした美徳。女の名前を表札に出す、などということはあってはならない、と思っているようです。

夫が生きている間は、それなりにバランスを保った生きようができたのでしょうが、それだと、いざ片方がこの世からいなくなってしまうと困ってしまいます。

常に、連れ合いに怒られまい、嫌われまいと、その思いを忖度ながら生きて来た。そんな「主人」を失うことは、同時に「自分」を失うことだったのかもしれません。

玄関の表札を眺めていると、これまでのねえちゃの一途な人生とともに、やりたいことが何にもないと嘆く迷えるいまの姿が、二重写しになって浮かんできます。
 

風呂を嫌う

認知症になるとお風呂に入るのを嫌がる人が多くなり、介護者を困らせることもあるそうです。

それは、次のような理由が考えられるとか。

①何のために風呂へ入るか忘れてしまって、入浴しても意味がないと思ってしまう。

②服を脱いだり、着たり、からだや髪を洗ったりと、時間や手間がかかって疲れる。

③入り方、服の脱ぎ方、からだの洗い方などが分からず、不安・パニックに陥ってしまう。

④風呂から上がると、肌が乾燥してかゆくなるなどの不快感を感じ、入るのが怖い。

⑤介助者に服を脱がしてもらうという状況に対し、恥ずかしいという気持ちが強くあらわれる。

ねえちゃは、きょうはデイサービスの日でした。いつものように、帰って来て覚えていたのはセンターで風呂に入ったことだけです。

ただきょうは、その時間に入っていたのは一人だけだったそうで、大きな風呂でゆっくりくつろげたとか。

最近ときどき自宅の風呂に入ろうとしない日が増えて来はしましたが、幸い、風呂を嫌がったり、拒否するところまでは、まだいってはいません。

怖い物忘れ、怖くない物忘れ

テレビの番組で、認知症につながるような怖い物忘れと怖くない物忘れがあるという話をやっていました。

例えば、習慣的に毎日決まって歩いていた道を忘れてしまって、違う道を歩いてしまうのは怖い物忘れ。

何かやろうと思って二階へ登ったんだけれと、目的がなんだったかつい忘れてしまった、というようなのは怖くない物忘れだとか。

誰かと会う約束をした場合でも、うっかり約束の時間を忘れてしまうケースは、約束をしたこと自体は覚えています。

それだったら普通の物忘れですが、約束した「そのこと自体」を忘れてしまうと、認知症につながる物忘れということになってしまいます。

ねえちゃの物忘れを考えてみると、やっぱり、怖い忘れ物のほうのようです。

電話で何かの約束をしても、契約を交わしても、そのこと自体を即座に忘れてしまいます。ですから、ねえちゃの病状を知らない相手だと、そのたびごとにトラブルを招くことになってしまいます。
 
松井潤
matsuijunta@gmail.com
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