Aokijima

認知症と生きる「ねえちゃ」の近況と、アルツハイマー病に関する記録です

線香

ねえちゃの家のエネルギーは、クッキングレンジや暖房、風呂など、ほとんどを電気によってまかなっています。

ですから、電源から火が吹いたとかよほどのことがなければ、火事の火元になるようなところはないといいます。

唯一の例外。ライターで火を着けているのが、仏壇のお線香です。

それについては火の始末が心配なのですが、「おじいさんは浄土真宗なので大丈夫」とねえちゃはいいます。

浄土真宗では、仏壇の線香は立てるのではなく、通常、「寝線香」が作法になっているとのこと。

1本の線香を香炉の大きさに合わせて、2つまたは3つに折って、火を付けたあと手であおいで消し、横に寝かせて供えるという方法がとられるのです。

ねえちゃの理屈では「立てないので、火の粉が落ちることがばくて安全」というわけです。

確かに一理はあるとはいえ、それは常識がまかり通っている状態のとき。最近のねえちゃは非常識がまかり通ることが多いので……。

「線香が無くなったから、あした買いに行く」といいます。そろそろ、火を使わない線香とかも検討する必要がありそうです。

「だれだか分かんない」

4日ぶりにねえちゃを訪ねると、いつものようにパジャマのまま、ポカンとしています。

冷蔵庫をのぞいてみると、きょうを含めて、宅食が3日分残っています。

「どうしたの。何、食べてたの?」というと、「分かんない!」

でも、生協にいつも注文している惣菜は冷蔵庫から無くなっているので、飢えていたわけではなくて何か適当に口に入れて過ごして来てはいるようです。

そして「私が、だれだか分かんなくなってきた」と、いつもに無いことを口にします。

「ええ! おばあさんの名前は何ていうの?」というと、「それはまだ分かる」と、自分の名前を言ってみせます。

息子の名も、孫の名も、まだ覚えてはいるようです。「だけど……」

これまでになかった、何かとんでもない混沌にまた一歩入り込んだようで怖いのだけれど、どうしようもない。そんなあたりをまた、さ迷っているのでしょうか。

新しい血圧手帳

ねえちゃは、何もかもを忘れても、日記を付けることと血圧を計って血圧手帳に書き込むことだけは忘れません。

毎日、血圧を計って、折れ線グラフを書き込むのが、生きがいのように思います。

使っているのは、薬局でくれる、医薬品メーカーが無料で配っている血圧手帳です。

きょう昼ごろ、「血圧手帳に書くところが残り少なくなってきた。どうしよう」と、いかにも一大事という感じで電話をかけてきました。

前もって新しいのを渡しておくと、いつも、どこかへ失くしてしまうので、私のほうで管理しているから大丈夫、と毎日のように言っているのですが、心配で心配でそれもすぐ忘れてしまいます。

「大丈夫、今度行ったときに渡すから」というと、ホッとして電話を切りました。
 

駒ケ岳ロープウェイ50年

きょうはデイサービスの日。水曜日、週のまん中の欠かせない行事としてだいぶ、ねえちゃの習慣になってきたようで、元気に帰ってきました。

連休を前に、中央アルプスの千畳敷、美ケ原高原、南アルプス林道など県内各地で開山祭が行われたようです。山岳観光シーズンの到来です。

標高約2600メートルの中央アルプス千畳敷カール(駒ケ根市)で開かれた開山祭では、アルプホルンの息の合った演奏も披露されたそうです。

千畳敷と、しらび平駅(宮田村)を7分半ほどで結ぶ駒ケ岳ロープウェイは、1967(昭和42)年7月に開通しました。今年でちょうど開業50周年だそうです。

開業した当時、麓の駒ヶ根市に住んでいたねえちゃにとって、できたばかりのロープウェイに乗った思い出は忘れられないようです。

ロープウェイは全長2334m。千畳敷駅の標高は2611.5mあり、索道・鉄道の駅としては日本で最も高いところにあるそうで、高低差950mも日本最高だとか。

今季は残雪が多いため、高山植物が見られるのは7月中旬になりそうだそうです。 
 

博士の愛した数式

発売2ヶ月で100万部を超えるベストセラーになった小川洋子の『博士の愛した数式』の主人公は、交通事故で新しい記憶が80分しか持続しないようになってしまった、数学の「博士」でした。

「博士」は大切なことを記したメモ用紙を体中につけていて、書斎のクッキー缶の中に、野球カードや思い出の写真などをしまっていました。

ねえちゃの場合も、「博士」と同じように、いつも一から話をやり直さなければなりません。メモをすることさえすぐ忘れてしまうので、メモ用紙をもあまり役に立ちません。

最近は必ず、毎日同じように、「何かきょうは、バカになっちゃって」「きょうは何か、お風呂へ入る気にならなくて」と口にします。

「きょうは」ではなくて、このところ「いつでも」そうなんですが、ねえちゃはいつも「きょうは」だと思っています。

玄関で話していたことを、居間へ来ると忘れちゃうので、「80分」も持続したらいいのになあ、と思ってしまいます。

『博士の愛した数式』をはじめて読んだときには、ユニークなフィクションだな、と思いましたが、最近はすっかりリアルな世界に映っています。

飯田大火

「飯田大火」から、70年を迎えたという特集番組をやっていました。「あのとき街全体が焼け野原になった光景は、いまでも目に焼き付いている」とねえちゃはいいます。

飯田大火は、1947(昭和22)年4月20日午前11時48分ごろ発生。おりからの強風にあおられて延焼を重ね、約10時間ほど燃え続けました。飯田中心街の約7割、3742棟、48万平米を焼失。死者行方不明者3人、17,778人が罹災しました。

城下町として発展してきた飯田は京都の町割に倣って作られ、その通路幅は狭く、木造の建物が密集していました。それから、一斉に消火栓を開いたため水圧が低下し、警防団(消防団)による初期消火の失敗につながったことなどが大火につながった原因と考えられています。

この大火を教訓に、延焼を防げるように防火帯道路の緑地帯に、地元中学生によってりんごの木が植えられ、有名な「飯田りんご並木」として復興のシンボルとなりました。

ねえちゃの出身は飯田市近郊の下條村で、高校のときには飯田で暮らしていた経験もあります。大火のときはまだ小学生で下條にいたはずですが、なぜか飯田にいた高校生のときに間近で体験したような気がしているそうです。

妄想

「けさ、ねえさまから電話がかかってきて、むかしの近所の話をいろいろした」と、夕食のとき、ねえちゃがいいます。

着信記録を見ると、4月にかかってきたのは、息子からのほかは新聞店からかかって来た1件があるだけです。

最近はかかってきても、その用件どころか、電話があったこと自体も頭の中に入らずに消えてしまうので、近しい人たちも気を遣って電話をひかえてくれているようなところもあります。

実際には電話がないのに、「**さんから電話がかかってきて、**した」といった話をよくするようになりました。一種の妄想なのでしょう。

姉からの電話というのも、どうも、ずいぶん前にねえちゃのほうから電話したときの話が時間と場をとび越えて「きょうの出来事」になってしまったようです。

食欲だけは旺盛ですが、やりたいことは何もないといいます。84歳でデンマークへ渡ったというテレビのドキュメントを見ながら、「どうせ妄想するのなら、こういった大きな夢物語にしたら」と、つい口にしました。

買いもの

「きょうは、ししゃもを焼いて、ゆでだこ、それに冷凍まぐろの切り落としもあるから、夕食はなんにもしないで大丈夫」と昼過ぎ、ねえちゃに念を押しておきました。

ところが、夕方、何かを思いついたかのように布団から起き上がって、徘徊に出かけました。おまけに、スーパーに寄って5300円余りの食料品を買い込んで来ました。

自分のお金で欲しいものを買って来る、のではありますが、いつものように大半は、冷蔵庫の中にすでにあるものです。

たこは、すでに冷蔵庫の中に三パックあるのに、また買って来ました。バナナも二房あるのに、また二房。冷凍室には、まぐろの切り落としが三袋あるのに、また買って来た、というありさま。

家にないから買って来るのではなく、何が何だかぜんぜん状況判断ができずに、なんとなく買ってきてしまうのです。

食べたいものがあるから買いに行くんだったらいいけれど、家にあるものを次々新たに買いこんでくるだけなので、冷蔵庫に入りきらなくなって捨てるものが増えていくだけです。

いつものように「そんなに無駄づかいばかりしていると、施設に入るお金なんて残らなくなるよ」と諭しても、「はい、はい」とうなずくだけ。ポカンとしています。

山菜採り

きょうの夜、ねえちゃの家へどなたかが訪ねて来られました。

「どなた」と、ねえちゃに聞くと、「デイサービスでいっしょのの人」といいます。

「用件は?」と聞くと、「ふきのとうをいっしょに採りにいかないかって。あした何か予定があったけ」と、いいます。

「名前は何ていうひと?」と聞くと、「わからない」。「男の人なの、女の人なの?」と聞くと、「男の人」。

いろいろ聞いていくと、どうも、この間から再三、ふきのとうなどを届けてくれている男性のようです。

「どこへ採りに行くの?」。「どっか知らないけど、その辺」。

「ちょっと待って! 一人でも徘徊して帰って来れなくなることがあるのに、名前も忘れた、どこの家かも知らない人と山菜採りに行って、帰れなくなったらどうするの!」

というわけで、せっかくのおさそいでしたが、お断りすることにしました。

椿

眠っていないとき、ねえちゃは、窓から外をぽかんと眺めていることがよくあります。

庭らしい庭があるわけではありませんが、今年はチューリップに加えて、鉢植えの椿が十個ほど、赤い花を咲かせました。

「去年もおととしも咲かなかったので、うれしくて、うれしくて」と珍しく豊かな表情を浮かべています。

椿の名の由来は、厚みのある葉の意味で「あつば木」、つややかな葉の「艶葉木(つやばき)」、光沢のある葉の「光沢木(つやき)」などいろんな説があるそうです。

むかしむかし、八百歳の長寿を保ったという、若狭の八百比丘尼という人が、ツバキの枝を持って全国各地を巡り、雪国にも広めたのだとか。

椿というと、有名な河東碧梧桐の「赤い椿白い椿と落ちにけり」、飯田蛇笏の「御嶽の雲に真つ赤なおそ椿」などの句を思い出します。

松井潤
matsuijunta@gmail.com
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